生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼(21)易経における文明 

2017年02月28日 08時03分05秒 | メタエンジニアの眼
易経における文明    3296/3308

このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

「文明」という言葉は、Civilizationの訳語として福沢諭吉と西 周が用いた。しかし、現代に即して考えると、Civilizationという英語の意味は「文明」としては狭すぎる。そこで、「Civilizationという英語」に捉われずに、「文明」という言葉の意味を考える。

・文明と言う語は漢語

 西 周は、明治初期に多くの英語に対する日本語を発明した。そのことは、「明六雑誌」に書かれている。
この雑誌に掲載された論文の価値は、副題にある、西洋文化の受容にあるのだが、もっとも有名なのは、文中に翻訳されている西洋の文献の和訳に用いられた「和製漢語」であろう。代表的なものは科学、哲学、法学などであるが、その数は有に1000語を超している。

P181に掲げられて表3に依れば、合計1566語で、多くは消滅したが、現有語として528語が存在する。

 しかし、「文明」は、彼の造語ではなく、れっきとした漢語なのだ。その大もとは中国の古書「易経」だ。その中の「文明以健、中正而応、君子正也」という言葉が、引用されることが多い。

 日本では、かつて元号の一つとして使われた。応仁の後の1469年から1486年までの期間だった。この時代の天皇は後土御門天皇であり、室町幕府将軍は足利義政と足利義尚だった。どちらも、教養の高さを思わせるのは、偶然だろうか。
辞典には、次のようにある。

・大明解漢和辞典(三省堂)[1950]
 
文明; ① 世の中が開け進み、人知が明らかになること、文化が発達したという意。 
    ② 文徳が輝くこと

文徳; ① 学問の教えの力、礼楽政教の徳 武徳の反対語
    ② 学問と徳行と

つまり、「文明」とは、「礼楽政教の徳が輝くこと」ということになる。これに相当する英語は、果たしてあるのだろうか。

・ブリタニカ国際大百科事典

 文化と同義に用いられることが多いが,アメリカ,イギリスの人類学では,特にいわゆる「未開社会」との対比において,より複雑な社会の文化をさして差別的に用いられてきた。すなわち国家や法律が存在し,階層秩序,文字,芸術などが比較的発達している社会を文明社会とする。

 「文」という漢字自体に「文化、学芸」という抽象的な意味合いがあり、それが「明らかになる」(≒目に見えて発達する) ということですから、本来の語義は「文化や学芸が盛んになって、社会全体の知的レヴェルが著しく高くなっている」といったようなニュアンスのものでした。

 ここまでの下準備の後で、「易経」に挑戦する。

・書籍名;「易経」[1996] 

訳者;丸山松幸 発行所;徳間書店  本の所在;リユース本
発行日;1996.10.31
初回作成年月日;H29.2.27 最終改定日; 
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging 



 易経を調べるには、先ずは「易経」とは何かを知らなければならない。
通常の「易」とは違い、なぜ「哲学書」といわれるのだろうか。この書は、「中国の思想 Ⅶ」として発行されている、しかも第3版とある。先ずは、歴史を感じる。先ずは、「易」とはなにか。

 『易経の「易」という字は、トカゲを側面から見た象形文字で、上部の「日」はトカゲの頭部、下部の「勿」は足と尾であるという(「説文解字」)。ある種のトカゲは12字虫と呼ばれ、体色を一日に十二回も変えることから、易という字は「変化する」という意味を持つようになった。』(pp.i3)

 『現代の易経が完成する過程で、その神秘性はしだいに排除され、人間自身による問題追及という性格が強く押し出された。古典として易経の生命は、神秘的な占いにあるのではなく、逆に呪術を人間化していった点にあり、その過程で重ねられた思索が、今日のわれわれに多くの示唆を与えるのである。神秘的な占いの原典、という先入観を捨てて虚心に易経を見るならば、読者に意外に新鮮な「人間の能力に対する信頼」を見出すに違いない。』(pp.i4)
 
 「人間の能力に対する信頼」は、昨今の世界では役に立つのかもしれない。それは、次の言葉にかかってくる。

 『特に易経は読者の積極的参加を不可欠の要素としている。易経の言葉はきわめて簡潔であり、断片的である。一見しただけではなんのことだか分からない。それに意味を付与して無限に広げてゆく作業は読者にゆだねられている。』(pp.i5)

 このことは、64の卦のそれぞれの本文に続く、6つの言葉に象徴されているように思う。6本の陰陽のそれぞれに、陰か陽かの解釈を与えている。
 文明という言葉が出てくる卦には、「乾」(陽が三本で、純粋な陽)と、「離」(陽陰陽 で、外炎は明るく、内炎は暗い)が入っている。

 つまり、「同人」は離下乾上であり、「大有」はその逆の乾下離上である。

・書籍名;「易経」 [1969]

著者;高田真治 他 発行所;岩波文庫 青201-1,2 発行日;1969.6.16
初回作成年月日;H29.2.25 最終改定日; 
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging & Implementing
 


 易経は、五経の中の第一とされている。宇宙と人生の森羅万象の変化を網羅していると言われている。

 『卦辞は文王の繋けたものと伝えられ、また彖辞ともいう。卦とは卦ける意、彖とは断ずるの意味で、一卦に卦けた言葉を断じて説明するということである。爻辞は周公の繋けるものと伝えられており、また象辞ともいう。爻とは効い交わるの意味で一卦六爻の変化について説明したものであって、六十四卦三百八十四爻の言葉がついている。象とは像(かたど)るの意味であって、あらゆる物事の象(かたち)についてこのものの性状を考えて述べたものである。』(pp.26)

 難しくて、よくわからないので、先ずはその構成について、Wikipediaに頼ることにする。
『現行『易経』は、本体部分とも言うべき(1)「経」(狭義の「易経」。「上経」と「下経」に分かれる)と、これを注釈・解説する10部の(2)「伝」(「易伝」または「十翼(じゅうよく)」ともいう)からなる。

 (1)「経」には、六十四卦のそれぞれについて、図像である卦画像と、卦の全体的な意味について記述する卦辞と、さらに卦を構成している6本の爻位(こうい)の意味を説明する384の爻辞(乾・坤にのみある「用九」「用六」を加えて数えるときは386)とが、整理され箇条書きに収められ、上経(30卦を収録)・下経(34卦を収録)の2巻に分かれる。

 具体例をしめすと、乾は以下のとおりである。
乾、元亨。利貞。初九、潜竜勿用。九二、…。九三、…。九四、…。九五、…。上九、…。用九、…。

 陰陽を示す横線(爻)の6本が重ねられた卦のシンボルがある。

 次に卦辞が続き卦の名前(乾)と卦全体の内容を様々な象徴的な言葉で説明する。 次に初九、九二、九三、九四、九五、上九(、用九)で始まる爻辞があり、シンボル中の各爻について説明する。6本線(爻)の位置を下から上に、初二三四五上という語で表し、九は陽( )を表している。(陰( )は六で表す。) 

 爻辞は卦辞と似ているが、初から上へと状況が遷移する変化をとらえた説明がされる。象徴的なストーリーと一貫した主題で説明されることも多い。乾では、陽の象徴である龍が地中から天に登るプロセスを描き判断を加えている。

 (2)「伝」(「十翼」)は、「彖伝(たんでん)上・下」、「象伝(しょうでん)上・下」、「繋辞伝(けいじでん)上・下」、「文言伝(ぶんげんでん)」、「説卦伝(せっかでん)」、「序卦伝(じょかでん)」、「雑卦伝(ざっかでん)」の計10部である。
現代出版されている易経では、一つの卦に対して、卦辞、彖、象、爻辞の順でそれぞれが並べられていることが多く、「経」、「彖」、「象」を一体のものとして扱っている。』

 以上がWikipediaの構成に関する記述(一部略)だ。

 次に、六十四卦の中から「文明」について記されているものを探すと、「離」 という言葉に行き着く。
「離」正象は火、
象意は、 火、明智、文明、美麗、顕著、礼儀、履行、付着と離別、装飾、発明、発見、疑惑、性急、分裂、多忙、内柔外剛. を表す。

通常、「文明」の語源といわれている「同人」は、


 その中に、「文明以健、中正而応、君子正也」という言葉がある。

「同人」は同人雑誌の同人、志を同じくすること「天火同人の時、同じ志を持った者同志が、広野のように公明正大であれば通じる。大川を渡るような大事をして良い。君子は貞正であれば良い」が全体の意味で、そのときは「文明にしてもって健」ということのようだ。

 二つの象の上下が逆になると。「大有」となる。その中に「其徳剛健而文明」の言葉がある。「その徳剛健にして文明」との状態。全体としては、「大有」火天大有(かてんたいゆう) 大有とは、大いに有つこと。 大きな恵を天から与えられ、成すこと多いに通ずる時。 天の上に太陽(火)がさんさんと輝いている状態。

 また、上が坤で下が離だと、「内文明而外従順」となり、これは、「内文明にして、外従順、もって大難を蒙る」とある。周の文王が殷の紂王に捕らえられた様をあらわしている、とある。
 しかし、下が離でも上が兌だと、「文明以説」で、「文明にしてもって説(よろこ)び」となる。

 易経では文明はこのように扱われている。
つまり、「礼楽政教の徳が輝くこと」で良いことになる。そして、「輝くこと」が重要であり、周囲に対して弱ければ、「大難を蒙る」こともありうる。

その場考学のすすめ(08)哲学からの再出発

2017年02月25日 07時35分32秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(08)

・哲学からの再出発

 その場考学と最も近い著書は、ハイデガーの「存在と時間」である。その場考学は、純粋な哲学とは基本的には大いに異なるのだが、時と場所とを最重要視する考察であるという点において共通のものがあると、勝手に思い込んでいる。



この「存在と時間」という書は、難解であるとの評判が高く、ハイデガーの研究の第1人者である、京都大学の木田 元名誉教授も2010年9月の日本経済新聞の私の履歴書でこの様に述べておられる。(O内の数字は、掲載回を示す)

 「⑰ そのうち、現代ドイツの哲学者のハイデガーが、ドストエフスキーとキルケゴールの二人の影響を受けながら「存在と時間」という本を書き、無神論の立場で人間の在り方を分析していることを知った。
 
これだ、と思った。これさえ読めば生きる道筋が見えてくるにちがいない。さっそく古本屋にいって翻訳を買ってきた。当時1種類だけ翻訳があり、どこの古本屋にもころがっていた。
 だが、読もうとしてもさっぱり分からない。いくらか読書の訓練は積んだつもりでいたが、文学少年が読んで分かるような本では無かったのだ。」
 
「⑳ ようやく読破、しかし…一度では理解にほど遠く。」
 「(21)私がハイデガーについて初めて書くのは、「存在と時間」を読み始めてから33年後の1983年に、岩波書店の「20世紀の思想家」の一冊として書いた「ハイデガー」である。」

 このように、「存在と時間」は一介の技術者が太刀打ちできるような代物ではない。しかし、彼に興味をもって図書館でありったけの 著書を借りて斜め読みを試みた。

 幸い、図書館の書架の最初が100番台に分類される哲学であり、ハイデガーの著書は難なく見つけることができる。もっとも詳しいのは、昭和30年代から出版が続いた理想社の「ハイデガー選書」であった。その第18巻は「技術論」とある。これだ!、である。その中味を拾い読みしてみよう。


M.ハイデガー「技術論」理想社[1965.4.26]

この書は、小島威夫、アルムブルスターの共著となっている。冒頭には、「序にかえてー日本の友に」と題して、ハイデガーが1963.8.18に小島氏あてに書いた手紙が10ページにわたって示されている。そこから引用する。

 『一般の通念では、技術とは数学的・実験的物理学を自然力の開発や利用に応用することと解されていています。そしてこの物理学の成立のなかに、西欧的近代すなわちヨーロッパ的なものの始まりが認められています。』(pp.6)
 
彼らは、技術を通じて世界がヨーロッパ化されることに注目をしていた。

『この自然科学の根本特質はかかる意味での技術的なものであって、それがなによりも近代物理学によって初めて、全く新たな独自な形態をとって現れてきたのです。この近代技術によって、自然の中に閉ざされていたエネルギーが打ち開かれ、その開発されたものが変形され、変形されたものが補強され、補強されたものが貯蔵され、貯蔵されたものが分配されるようになりました。

自然のエネルギーが確保される在り方が制御されるばかりではなく、その制御自身もまた確保されなければなりません。いたるところで、このように挑発し、確保し、計算するように自然を立たせることが、支配し統べているのです。

それのみではなく、遂には様々なエネルギーを手元に立ち上げるということが、あるがままの自然のうちには決して現れて来ないような要素や素材の生産にまで、拡大されてしまいました』
 (pp.6)

ここでは、哲学者とドイツ語の独特な言い回しがあり、翻訳者を悩ませている。特に、「立ち上げる」は、ドイツ語のstellen(シュテレン)で、地上に横たわっているものを、垂直にするとの意味がもともとの解釈である。更に、「追いたてる、取り立てる,責め立てる」という意味が含まれている。この元締めがgestellenなのだが、これを「徴発性」と訳す場面が多い。

この文章の全体的な流れは、例えば鉄鉱石と石炭を掘り出して、製鉄を行い、それを様々な場所に移してものを作り、貯蔵をして利用するといった流れを想定すればよい。

『あるがままの自然のうちには決して現れて来ないような要素や素材の生産にまで…』とは、当時始まったばかりの核反応の利用を指していると思われる。

 そして、『このさけることも制することもできない力は、その支配を全地球上に否応なく拡大してゆくばかりです。しかも時間的にも空間的にもその都度達成されたどんな段階をもたえず乗り越えてゆくことが、このちからの持ち前なのです。』(pp.7)
としている。人間は、技術の拡散を制することができないとの議論の始まりだ。つまり、科学技術が将来世界を完全に乗っ取ってしまうとの宣言になっている。
 
そして更に、
『人間は、ますます自己の人間性を喪失してゆく脅威の高まりの中に立っています。(中略)人間はこの立たせる力に売り渡されてしまって、自己の生存の本来の意義を塞ぎ立てられているのです。』と続く。(pp.8)
 
しかし、その先が本来の哲学になってくる。
『その際必要なことは、仕立てることに没頭したり技術的世界を観察したりする代わりに、むしろ私たちはこの立たせる力の統率から一歩引くことです。そこから引き退る歩みが必要です。』(pp.10)

『この引き退る歩みとは、決して過去の時代への思惟の逃避でもなければ、ましてや西欧哲学の復興を行っているのではありません。(中略)むしろ仕立ての進歩や退歩が生気している路面から抜け出す歩みなのです。』(pp.11)

『立たせる力は人間を呼び求め、その求めに応ずることを必要としています。だから、かく呼び求められている人間は、この立たせる力の本来的なもののなかへ一緒に所属してゆきます。人間はかくのごとく呼び求められた者であるということ、-これが世界の技術時代における人間の成存の固有なものを特徴づけています。』(pp.11)

『つまり世界の技術化の本来的な意味――を垣間見る閃きが、まさしく人間本来的なものへの到る道を教えてくれます。この本来的なものとは、人間が存在によって、存在の為に呼び求められている意味において、自己の人間性を特徴づけているものを行っているのです。(中略)

この力を制御しえない人間の行為の無能をひそかに暴露しているものです。しかしそのことは同時に、未だ覆い隠されているこの立たせる力の秘密に、自ら反省しつつ適応するようにという合図も含んでいます。』(pp.11)
ここに至って、「存在と時間」の匂いがしてくる。

 以上の文章は、ハイデガーが日本の哲学者の小島威彦氏に1963年に送った文章として、序文に載せられている。
前述のように、「存在と時間」は専門の哲学者にとっても難解なので、この様な私信から入る方が良さそうだ。
 
「存在と時間」は、主に生と死に関するものなのだが、技術論としては、このように書かれている。
 
『科学的認識や技術的発明の前進は、この立たせる力の支配の結果、世界文明といったようなものを仕立てたり切り揃えたりするために、風土的・民族的に芽生えた国民文化が(一時的にか永久的にかはともかく)消え失せてゆくのです。』(pp.7)

 人間が技術を支配している時間は短く、いずれ技術に人間が支配されるであろう、技術にはそのような力が備わっている、ということなのだが、ではどうするか。開発設計を行っていると、技術に関する決断を一日に何十回も行うことになる。すべて、その場・そのときに決断が必要になる。よほどの信念が無いと技術に支配されてしまう。その場考学の発想は、そこから来たのかもしれない。



「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その10)」

">>【Lesson10】世界中のエアラインの特徴を把握する[1980]
 
V2500エンジンの前に,RJ500のプロジェクトがあった,一切ののれん代無しに日英で50対50で短距離用エンジンの開発を進めようという,野心的な契約が交わされた。その第1陣のリーダー役として派遣された私は,マーケティングに始まるすべての部署のオリエンテーリングを受けた。

大型航空機用のエンジンは,生まれながらのグローバル製品である。世界中のすべての国のエアラインが顧客の候補であり,一旦運航が始まれば,世界中のすべての空港での離着陸が行われることを配慮しなければならない。駐機中に問題が発生すれば,その場で直さなければならない。

したがって,設計者は世界中のエアラインで起こりそうな問題を,できるだけ知っておく必要がある。たとえ中古機であっても,事故の原因がエンジンにあることは許されない。例えば,「英語のマニュアルが正確に読むことのできない空港でも,整備上のヒューマンエラーが生じない設計を考えること」,「日本人の手は小さく,指も細いが,世界にはグローブのような手を持った人種の国もある。そのようなところでも,on wingの整備で必要な個所には,手が入らなければならない」などであった。
 
また,エンジン会社よりもエンジンの詳細に詳しいエアラインがある。ドイツのルフトハンザ航空だそうだ。「彼らの最新かつ広範囲な知識も,身につけなければいけない。その情報は,マーケティング部門からもたらされる」も貴重な教えだった。
 このように考えてゆくと,日の丸エンジンのスタートには,重要なものの多くが抜けていることが自ずと分かってくる。

【この教訓の背景】

 日本の企業もかなりグローバル化が進んだと評価されるようになった。しかし、航空機用エンジンの常識からみると、すべては国際化であって、グローバル化、すなわち地球化でなない。ある特定の国や地域の文化に適合するように、製品の一部の機能やデザインを修正する、といったことが多いように思う。つまり、スタートから方向が違っている。
 
文明の条件は色々あるのだが、単純明快なものの一つが、「だれでも簡単に入手できて、利用できるもの」というのがある。司馬遼太郎がアメリカ素描で書いたように、Gパンは、取り扱いが容易でどこでも入手が可能で、見ればTPOが分かる。マクドナルドハンバーガーは、誰でもおいしい食べ方が分かる。
 
今は、情報が簡単に手に入るのだから、その気があれば世界中の文化を知ることができる。スタート時点で、どこまでの情報を入手し、分析をするかの気構えだけの問題であるように思う。
 
このことは、新製品の開発時の原価企画にあると思うのだが、それはまた別の話になってしまう。

メタエンジニアの眼(20)大転換の周期

2017年02月24日 08時06分34秒 | メタエンジニアの眼
大転換の周期  KMM3260 

このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

「大転換」と名付けられた著書が多数発刊された。調べてみると、同じ題名の本は、世田谷区図書館に14冊、杉並木図書館に10冊ある。「大転換」はやりだ。それらの中から、3冊を選んで纏めてみた。その場考的には、転換の周期とタイミンギが問題だ。

・第1の書

書籍名;「大転換」[2009] 
著者;佐伯啓思 発行所;NTT出版  発行日;2009.3.30
初回作成年月日;H29.2.16 最終改定日; 
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging 
 


 この書は、副題を「文明の破綻としての経済危機」として、新たな社会への転換の時期を迎えたと主張している。当時、氏は京都大学大学院人間・環境学研究科教授で社会経済学・経済思想史などを専門とする
「大転換」という言葉は、次の著書(第2の書として紹介)からの借り物であり、現代は当時よりもさらに大きな大転換の時を迎えているとの主張なのだ。

 Wikipediaの「概要」には次のようにある。『ハンガリーからイギリス、アメリカへと渡ったポランニーが、研究成果として第2次世界大戦中に執筆した。人間の経済は社会関係の中に沈み込んでおり、市場経済は人類史において特別な制度であるとした。そして、市場経済の世界規模の拡大により社会は破局的混乱にさらされ、やがて市場経済自体のメカニズムが引き起こした緊張によって崩壊したと論じた。市場経済が世界規模で進む様子をウィリアム・ブレイクの言葉を借りて「悪魔のひき臼」と呼び、市場社会の崩壊と複合社会への揺り戻しを、書名にも用いられている「大転換」(Great Transformation) という言葉で表現した。』

 マルクス主義とケインズ論が、20世紀の世界経済の状態の変動に、いかに機能したかを詳細に述べたのちに、経済の現状についてこのように述べている。
 『反マルクス主義の拠点であり、自由な資本主義の牙城であるアメリカで、こともあろうに、マルクスの予言がかなりの程度、実現してしまったのである。あらゆるものを商品化して無政府的な運動を展開する純粋資本主義はきわめて不安定である、といったものがマルクスの予想であった。
 
 しかも、この矛盾は、金融恐慌と、労働をめぐる階級闘争、すなわち所得格差において最も顕著にしめされる、というのがマルクス主義の考え方なのである。この矛盾が典型的に表出しているのが、もっとも高度に資本主義が展開されたアメリカのほかならない。たいへんな皮肉と言わざるを得ない。』(pp.23)
 
 ここで、「無政府的」という言葉に、「グローバル」というルビを振っているのも、皮肉に見えてくる。階級闘争は、格差闘争として2016年のアメリカの大統領選挙に際して現実に現れた。
 
 彼は、原因の一つを、「マクロとミクロの合理性」にあるとしている。

 『個別主体の「ミクロ的」な合理性は、決してシステム全体の「マクロ的」な合理性を保証しないのである。投資家の合理的な行動という「ミクロ的合理性」は、金融市場システムの「マクロ的合理性」を保証しない。』(pp.46)

 このことは、個別最適化が全体最適にはならないことを示している。そしてまた、個別最適の結果は、予想外のところにまで大きな価値(利益)を生み出すと指摘する。その予想外の価値は、もちろん正の場合も、負の場合もある。

 『経済活動は、本質的に、未来という未知の時間へ向かって行う投機だ。未知の将来がもたらす収益性を現時点である程度予測し、計算しながら経済的な意思決定を行う。しかし、現代の金融市場がかくも巨大化したのは、たえず、その計算値、予測値からはみだした利益が生みだされてきたからである。それは本質的にアンサーテンティによって支配されている、と見ておかなければならない。』(pp.47)

 さらに、近代文明のひとつの特質を「技術主義」(テクノロジズム)としており、
『テクノロジズム(technologism)という、物事を技術的、合理的に処理できるという思想が、ただ産業技術といったレベルを超えて広く社会的事象までに及んできている。テクノロジーが、産業技術の世界に留まって、自動車や航空機をつくるとか、あるいは医療技術を開発するとか、そういう領域に収まっていればよいのだが、戦後のアメリカにおいては、それが社会や、時には人間の行動までを対象とするところまで進出してきた。』(PP.48)

 また、「技術主義」(テクノロジズム)を別の意味で「専門主義」としており、次のように述べている。

 『「専門家」は往々にして自分の考え方、見方が絶対的に正しいと思いがちである。この種の「専門家」の過剰な思い入れを「専門主義」と呼んでおきたいのだが、現代が「専門家」の時代であるということは、また同時に、その裏面で「専門主義」の弊害が生み出される時代でもある。そのことをわれわれは深く知っておく必要があろう。』(pp.51)

 この言葉は、メタエンジニアリングで正の価値の追求と同時に、負の価値も考えなければならないという主張に共通する。専門家がImplementする負の価値は、一旦広がってしまうと容易に解消することはできない。

 この著者は、2014年9月から、月刊誌「新潮45」に「反・幸福論」の題名で連載をしている。その原稿は、「さらば、資本主義」と題して、新潮社から2015.10.20に発行されたが、その後も連載は続いている。そこでは、脱工業社会における様々な価値観を述べているのだが、それはすでに半世紀も前に経済学者により述べられていることだ、としている。
 
 2016年11月号では、「イノベーション神話」についての根本的な疑問を呈している。
 『「イノベーションこそが経済成長を生み出す」という主張には、ひとつ重大な欠陥がある。』ということばだ。
 
 『この命題は次のように書かれなければならないのだ。「イノベーションが新たな消費需要を喚起し、それが総需要を増大させれば経済成長が起きる」と。そして、イノベーションが消費需要をどの程度喚起するかは実際には全く不明なのだ。』
『理由は簡単である。なぜなら、イノベーションとは、シュンペーターのいう「創造的破壊」であり、それは、従来からの慣行や伝統や慣れ親しんだやり方を破壊する。慣習の破壊と新奇なモノへの偏向はリスクを高め、社会を不安定化する。当然、人々は現在の消費を控えて将来に備えようとするだろう。』(pp.327)
 
 このことは、現在の日本に起こっている経済現象を、端的に表しているように思う。特に、「新奇なモノへの偏向」については、昨今のお笑い芸人の台頭など、あらゆるところに見ることができる。

 「創造的破壊」については、例えば、スマホの急激な普及が挙げられる。スマホの広範囲な普及により、同じような機能を有する従来の製品が大打撃を受けている。読むための本や雑誌、メディアとしての新聞・テレビ、通信機としての固定電話・電話ボックス、画像保管としてのカメラ・ヴィデオ、パソコンなどである。これらすべての製品の市場が奪われたことと、スマホの市場の大きさを比較すると、おそらく前者の現象のほうが多いと思われる。そのことが、著者の言う「それが総需要を増大させれば」という仮定の条件になっている。


・第2の書

書籍名;「大転換」[2009]  著者;カール・ポラニー
発行所;東洋経済新報社  発行日;2009.7.2
初回作成年月日;H29.2.22 最終改定日; 
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging 
 
 この書は、佐伯啓思著「大転換」NTT出版[2009.3.30] の元になった著書である。発行日は半年ほど後になっているが、これは1944年に書かれた世界的に有名な原書の新訳版だからである。

 

 カール・ポラニー著の「大転換」は、巻末の彼の生涯によれば、1941年にドラッガーの紹介でロックフェラー財団から基金を得て書き始め、1943年に完成したとある。著書は、1944年に「The Great Transfer, The Political and Economic Origins of Our Time」がニューヨークで発売、翌年ロンドンで発売された。そして、2001年に全訳(新訳)が出版された。その際には、ノーベル経済学賞の受賞者の序文と紹介文が冒頭に加えられた。

 ともに長文である、何故ならば彼らがこの著書の新たな価値に着目して、21世紀に予測される「大転換」にとって、重要な論理が展開されているとの認識と、難解だった内容をより簡明に全訳する必要性を強く感じたからだと、「訳者あとがき」にある。さらに、「訳注」を大幅に増強し、全21章すべてに、「訳者による概要」も追加した。

「序文」には、次のようにある。

 『本書は、ヨーロッパ文明の工業化以前の世界から工業化の時代への大転換、およびそれにともなう思想、イデオロギー、社会・経済政策の変化を記述している。』

 『ヨーロッパ文明が果たした転換は、今日、世界の発展途上諸国が直面している転換に類似しているので、往々にして、あたかもポラニーが直接現代の諸問題を論じているかのように感じられる。彼の議論と問題関心は、国際金融機関に反対して、1999年あるいは2000年にシアトルとプラハの街頭で暴動を起こしたデモ行進をした人々が提起した問題と共鳴し合っているのである。』(pp.ⅶ)
 
 この文に続けて、その後設立されたIMF,世界銀行、国際連語を設立し運営に携わった人々に対して、『もし、そうした人々が本書の教訓を読み取り、それを真剣に受け止めていたならば、彼らの主張した諸政策は、どんなにか好ましいものになっていたことであろう。』と、序文を書いたノーベル経済学賞の受賞者はいっている。

 最大の観点は、以下の序文にあるように思う。

 『自己調整市場の欠陥は市場内部の作用においてのみならず、その作用の影響―たとえば、貧困者にとっての影響―においても極めて重大なため、政府の介入が不可欠となる。さらに、そうした影響の大きさを決定するに際しては、変化の速度がもっとも重要である。ポラニーの分析が明確にしているのは、トリクル・ダウン・エコノミック-貧困者を含むすべての人々が経済成長の利益にあずかることができるーという通説には、ほとんど歴史的裏付けがないということである。』(pp.ⅷ)

 そして、21世紀になってからの状況に関しては、

 『さらにポラニーは、自己調整的経済に特有な欠陥を強調し、それがようやく最近になって、また認識されてきている。その欠陥とは、経済と社会の関係にかかわるもので、経済体制や改革が人間一人ひとりの相互関係の在り方に、いかなる影響を及ぼすかということである。また、社会的関係の重要性がしだいに認識されるにつれて、使われる用語も変わってきた。例えば、今では、われわれは社会関係資本(social capital)について論じるようになっている。』(pp.ⅺ)

 ここでは、「社会関係資本(social capital)」に訳注が付けられており、そこには次のようにある。

 『一般に、社会の信頼関係、規範意識、ナットワークなど、人々の協調行動を活発にすることによって社会の効率性を高めることができるような社会的特性を、社会関係資本と呼ぶ。』(pp.xⅺ)

 なお、「変化の速度がもっとも重要」については、当時の状況から、急激な経済変動に直面した際には、政府の経済対策で、変化の速度を弱めることが極めて重要だとの理由による。

 また、紹介文の冒頭には次の言葉がある。

 『カール・ポラニーの著作は1940年代初頭に書かれたものであるが、その妥当性と重要性はますます大きくなっている。今日では、数か月もしくは数年を経て読み継がれる本はほとんどないが、「大転換」は半世紀以上経てもなお、多くの点で新鮮である。実際、本書は、21世紀初頭のグローバル社会が直面するディレンマを理解するになくてはならない本である。』

 ポラニーの「大転換」は、2段階ある。第1の大転換は「市場自由主義の台頭」で、第2の大転換は、「ファッシズムの台頭」である。そして、19世紀の平和な世紀がおわり、世界大戦への道を歩んでしまったというわけである。

第1章の「平和の百年」では、

 『19世紀文明は、西欧文明において前代未聞の事態、すなわち1815年から1914年までの100年間の平和という現象を生み出した。この奇跡的ともいえる成果は、バランス・オブ・パワーの作用の結果であり、・・・。』(pp.4)
 そして、『19世紀文明は崩壊した。本書は、19世紀文明の崩壊という出来事の政治的、経済的起源、およびそれが到来を告げた大転換に関するものである。』(pp.5)

 第3章の「居住か、進歩か」は、次の文で始まっている。

 『18世紀における産業革命の核心は、生活用具のほとんど奇跡的ともいうべき進歩があった。しかしそれは同時に、一般民衆の生活の破局的な混乱を伴っていた。』(pp.59)
これは、最近の破壊的イノベーションに通じるものがある。

 最後の、第21章の「複合社会における自由」では、自由の在り方について、19世紀の自己調整市場化による弊害を述べたうえで、決定的なことを述べている。

 『規制と管理は、道徳的次元から自由の否定であると非難されることが予想される。規制、管理、計画化がつくりだす自由は真の自由ではなく、隷属の偽装であるという自由主義者の批判である。しかしこの批判は、市場的社会感が生み出した誤解に基づくものである。すなわち、あらゆる社会は人間の自由な意思と希望だけで形成できるという誤った認識である。自由主義者は、いかなる社会も権力と強制が無ければ存在できないという真理を理解していないのである。(中略)

 豊かな自由を創造するという意志があれば、権力と計画化をその道具として使うことができるだろう。これが、複合社会における自由の意味であり、この自由を確立するという使命の重要性がわれわれに必要なあらゆる確信を与えるのである。』(pp.451)

 つまり、複合社会における真の自由は、権力と計画化により保証されなければ実現できないということなのだと思う。ここに引用した文章からだけでも、彼の主張が20世紀後半から今日までの世界的な混乱の主因を表していることに思い当たる。


・第3の書


書籍名;「大転換」[2006] 著者;斎藤精一郎
発行所;PHP研究所  発行日;2006.12.4
初回作成年月日;H29.2.23 最終改定日; 
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging 
 
 この著者の「大転換」は、発行年(2006)当時、日本がどうにかデフレからの脱却が見えそうになってきたことに関して、来るべき次の10年間に起こる「大転換」を予測してのことのようだ。



 まえがきの冒頭には、このようにある。
 『本書は、2007年(平成19年)以降、日本経済が約10年後の2015年頃を目処に繰り広げる大航海に当たっての「海図」を提示するものである。』(pp.1)

 つまり、デフレ脱却の糸口は見えたが、前方には「人口減少と高齢化」、「グローバリゼーション」、「破壊的イノベーション」などの大波がある。それを、「ハイブリッドモデル」と称する手法で「新たな発展」を遂げることができるというストーリーであった。随分と楽観的に見える。
 
 従って、詳細は省くことにするが、第3章の「世界成長の大波」の中の「コンドラチェフ仮説」から、少し引用する。経済の周期的な変動に関する4つの仮説は有名だが、これはその中で最長の波長をもった周期説であり、以前からメタエンジニアとして注目をしていたのだが、詳しい事情が分からなかったからだ。

 『彼は過去100年間以上の欧米諸国の物価指数、利子、賃金、生産高などの時系列データを分析し、50~60年周期の景気変動が存在することを見出した。(中略)
彼は、この50~60年周期の長期波動の要因について技術の変化、戦争や革命、新たなフロンティアの発券、金産出量の変動の四つを挙げた。』(pp.138)

 しかし、彼の仮説は、当時のロシア革命政府により容認できないと判定されて、政治犯としてシベリアに流刑されてしまった。
その後、シュンペーターにより、ほぼ同様の周期が、技術進歩の要因によるとして発表され、定説になった、とある。

 この著者は、この説を20世紀後半から21世紀にかけて適用して、何らかの技術革新のサイクルを見出そうと、色々な現象を説明しているが、周期が合わなかった。しかし、このような周期は、一定になる理由はなく、また波動の大きさも一定になる理由はない。一般的に考えれば、周期が長くなれば、変動幅は増すであろう。技術革新による景気変動は、可変サイクルと見るべきではないだろうか。

その場考学のすすめ(07)講義と教育

2017年02月22日 08時59分55秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(07)

・大学での講義

 1990年から2016年までに、いくつかの大学と大学院でほぼ毎年講義をした。中味はジェットエンジンの工学的・技術的な話と国際共同開発での実体験からのノウハウ的なものが主であったが、その中で必ず、その場考学的な話を加えることにした。つまり、知識の詰め込みや伝授ではなく、素早く考えて結論を得ることの中味とその術の説明だ。

 考えることの中味は、個人の年代や技術レベルによって異なる。Whatを考えるか、Howか、Whyであるかでも異なる。部分適合か全体最適かで、ときには正反対の答えになる。最適化についても、ロバスト性をどこまで考慮するかによって,解は大きく異なる。それらを考える時間を、どのようにして十分に確保するかの術もある。そのような内容の授業にした覚えがある。




・社内での教育

 社内教育も随分行った。内容は、大学での講義と大差がないものもあるが、焦点は絞られる。設計、管理(TQM)、品質、コスト、原価企画、VA&VE、信頼性、研究課題、プロジェクト・マネージメント、リーダーシップ、人材育成、ノウハウの伝承など様々だった。(註1)しかし常に考えることは、経験をいかに形式知化して後輩たちに伝えるかということだ。このことが無いと、進歩は望めない。特に標準化については、その場考学が大いに役立ったのだが、中味は別途第5考の中で述べることにする。要は、その時・その場で標準化も同時に行う術である。

 社内での標準化、形式知化に関して、必ず話したことは、「今は忙しいから、少し暇になってからやろう」ということは、二つの点で間違えだということだった。

 一つは、技術者、特に設計技術者である限り、今よりも忙しくなることはあっても、暇になることは絶対にあり得ないということ。二つ目は、暇な時に作った資料は、忙しいときには役に立たないということ。忙しいときには、暇な時に作った資料を読む暇があるわけがない。つまり、その時・その場でつくってしまうということだ。
 
 つまり、そこでの具体策は、設計書なりノウハウを纏めたレポート作成時に、同時に標準化の資料も作ることだった。ただし、分厚い報告書をA4一枚に纏めること。フォーマットを予め作っておけば、必要事項を埋めるだけでよい。早い人ならば5分でできる。このことは、「その場考学」の基本的な考え方でもあるのだ。

 ちなみに、このA4一枚の設計標準は、番号体系をあらかじめ決めて、作成枚数は1千枚までとした。多すぎれば後始末に困るし、少なすぎれば自然消滅する。全体量はそこから決めた。

 
・先ずは時間を作る方法を開発すること


 時間を作る方法は、無限にある。人それぞれに異なる条件があるのだが、もっとも単純な考え方は、他人のまねをせずに、自分自身の独特なやり方を開発することだと思う。多くの人がやっていることは、一見合理的に見えるものだが、明らかに無駄が多い。少し理屈っぽくなるが、多くの人がやっているやり方は、結局そのやり方が楽だということなのだろう。楽と言うことは、即ち無駄があるということなのだ。

 技術者にとって、大きく時間を稼ぐことは難しいのだが、小さく稼ぐことは比較的容易である。それは、技術者は仕事のやり方を自分自身で決められる裁量の範囲が、他の業種よりも多いためだと思う。そのことを利用しない手はない。小さなことでも、一週間の間に二度以上繰り返されることについては、独自の方法を考えるべきであろう。そうすれば、小さな時間が自分のものになり、その時間を使って、さらなる手法を開発することができるのだ。


GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その9)

【Lesson9】商品としての差はMaintainabilityでつく[1979]
 
 大型の機体の場合には,複種類のエンジンを搭載できるようにすることが,当時の一つの常識であった。V2500のライバルは,先行するGEチームのCFM56エンジンであった。当初の戦略は,「燃料消費率と騒音レベルで絶対に優位に立つ」であり,その条件を満たす設計は可能であった。しかし,毎月行われる世界中のエアラインとの商談は,数回のエンジン試験で性能が実証されるまでは連敗が続いた。開発試験も後半になると,少しずつ受注が取れるようになったが,そうなると競合エンジンは性能の改善を発表した。

 ジェットエンジンの世界では,このような言葉がある。「この業界のcompetitivenessというのは,結局はシーソーゲームで何時の時点で見るかにより変わる。明らかに差が出れば売れなくなるので必然的に同じレベルに近づいてゆく傾向にある。」

 実際の売価や支払い条件でも接戦が続くと,最後には整備性の比較が精密に行われる。エンジンの整備費は膨大で,ライフタイムを通して支払われる総費用は,価格の数倍になるので,エアラインがエンジンを選択する際の大きな要因と考えられている。

 整備性は,初期の設計思想で固められるのだが,後からの変更は他の特性と異なり,容易に改善をすることができない。機上で部品交換が可能な範囲,主要モジュールの取り出し方法と部品交換サイクルの同期,高温部品の寿命,分解組み立てに必要な特殊治工具など,後からの変更は難しい。FJRの場合には,一切問題とならなかった観点であり,このための主要なノウハウは長期間の自身の経験と,世界中のエアラインからの様々な意見からのみ得られるものである。

【この教訓の背景】


 多くの製品において、なぜメインテイナビリティーがこうも軽視されるようになってしまったのであろうか。高度成長時代以前は、修理や修繕が盛んにおこなわれた。しかし、その時代以後は、大量生産、大量消費にばかり眼が行ってしまった。おまけに、「省エネ」と「技術立国」の掛け声で、多くの会社や研究機関が次々と新製品を生み出さざるを得ない体質になってしまった。部品を海外調達にしたので、長期間の同一品の入手ができなくなったからだ、との説もあるが、本質論ではないと思う。
 
 新しく作ることと、直して使い続けることの「省エネ」比較は、比べ物にならない。しかし、「省エネ」の掛け声のもとに、次から次へと省エネ新製品をつくり出し、それを無理やり消費者に押し付けるのだから、宣伝も過剰すぎるほどに行わなければならない。全体的に見れば、「省エネ」とはまったくの逆の話なのだが、部分適合の社会では、常識としてまかり通ることになる。

 これだけならば、経済の活性化と裏腹の話になるので、まだ許せる。資本主義経済の下では、やむを得ないということなのだ。しかし、こと安全、しかも生命や財産の危険が絡むことになると、話は違ってくる。この問題の多くは、エネルギー機器とインフラに起こりやすい。エネルギー機器は正しくメインテナンスをしなければ、エネルギーが制御不能になる。例えば、湯沸かし器の一酸化炭素発生、漏電による火災、自動車のブレーキ故障やフェールセイフ機能などがそれに相当する。インフラは、寿命を超えた橋やトンネル。水道管にガス管などなど。
 
 これらは、製造と同時にメインテナンスの方法と、その限界である寿命の判断基準が明示されなければならないのだが、それはごく一部の法令で定められた場合に限っているように思える。一般的には、作って、売ればおしまい。製品の保証期間はどんどん短くなって、今は1年間が常識になってしまった。技術や文明が進化したのならば、保証期間は長くならなければおかしい。しかし、正常なメインテナンスが行わなければ、保証期間は短くなって当然なのだろう。
 
 省エネとか、廃棄物の削減とか、地球負荷の軽減などの標語が叫ばれるのだが、すべて部分適合の範疇であり、全体をカバーする原則のようなものがない。つまり、戦略がない。

註1;
社内教育の資料は、KTA(Technical Advice)として発番、その後はKTR(Technical Review)として発番した。総数は1350件を超えていた。

 メタエンジニアの眼シリーズ(19);「宇宙人としての生き方」

2017年02月21日 14時23分15秒 | メタエンジニアの眼
TITLE: 宇宙人としての生き方(他2冊)

このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

第1の著書;書籍名;「宇宙人としての生き方」 [2003] 著者;松井孝典
発行所;岩波新書 839 発行日;2003.5.20

引用先;文化の文明化のプロセス  Converging & Implementing

 著者の松井孝典氏は地球惑星科学者を称する、東京大学理学部教授で多くの著書がある。
150億光年の空間スケールで地球と文明を考えるとする「アストロバイオロジー」を主張する。現代の、環境・人口・食料などの問題を、地球システムの問題として、ひとつの宇宙人の立場で新たな視点を探っている。多くの著者が発行されているが、ここでは文明に関する主要3著作を選んだ。




・地球システムについて

 
地球システムの駆動力は二つある。地球の外側にある太陽からの放射エネルギーと地球の内部にある熱。地球は水の惑星だが、水分が多いわけではない。海の質量は地球の全質量の0.02%。多くの惑星の成分は50%以上が水。地球では、水が液体で地表に存在することが文明にとって重要。

 『狩猟採集という生き方をしている間は、地球システム論的には、生物圏に新しい生物が生まれただけのことで、地球システムの構成要素は変化していないので、人類の存在は特別意味を持たないのです。』(pp.61)

 つまり、当時の人類は生物圏の一部だった。しかし、文明を手にすると地球システムの構成要素は変化することになる。
『それに対して、農耕牧畜という生き方はどうか。農耕牧畜では、森林を伐採して畑に変えたりします。この結果、地球システムの物質・エネルギーの流れが変わります。例えば、太陽から入ってくるエネルギーが地表で反射される割合を考えてみてください。農地と森林では違います。

 ということは、森林を畑に変えることで、太陽エネルギーの流れを変えていることになります。あるいは、雨が降ったときに、その雨が大地を侵食する割合も、森林と農地では全く違います。(中略)地球という星全体の物質やエネルギーの流れを変えているのです。』(pp.61)

 これと同じことは、多くの碩学によって述べられている。例えば、法隆寺管長の大野玄妙師は、日本経済新聞夕刊のコラム「あすへの話題」で次のように述べられている。
 
 『野山を開き、田畑を耕し、作物を育てる。こうした自然と寄り添う農業でさえ、原野を造り変える営みという点で、自然を壊しているのだ。人はかくも深い業を背負っている。』(2017.2.10)

・文明の定義


 『いまのような生き方、地球システムの中に人間圏(という構成要素)をつくって生きること(これが宇宙からの視点で考えたときの、文明の定義になります)を選択していき始めた時と、同じレベルの選択が迫られているのです。生物圏から分かれ、人間圏をつくって生きるという選択をした時と同じ岐路に立っているということです。我々とは何かについて、それと同じくらい本質的なレベルで考えないと、文明のパラドックスを克服してこの地球上で繁栄を続けることはできなくなる。』(pp.ⅳ)

『人間圏の誕生は約1万年前だということになります。以下では、「人間圏をつくって生きる生き方」を文明と呼ぶことにします。』(pp.62)

 この言葉は、かつて人類が地球上の生物圏から独立して、新たに人間圏をつくったという事実に根差している。つまり、二元論である。
『地球システムの中に新しく人間圏が出現し、地球システムの構成要素が変わったというのが現代という時代だからです。』(pp.6)

 この問題を考えるには、第一に、『具体的には、いわゆる分離融合、学の総合化を行うということです。』としている。すると、科学というものに対する考え方は、次のようになる。

 『我々が知的生命体として知の体系を想像しているのではなく、自然に書かれている古文書を読んでいるのに過ぎないからです。知の体系が拡大するのは時代とともに自然を解読する道具が良くなるからです。道具が良くなれば、より広く、深く古文書が読めるだけのことです。』(PP.26)


・ストック依存型の人間圏

 著者は、文明をストック型とフロー型に分けて考えている。そして、ストック型の生き方の問題と限界を示している。

 『我々は地球システムの他の構成要素に蓄積されているいろいろな物質(ストック)を取り出し、人間圏に、大量かつ非常に速く運んでくることができるようになりました。我々が人間圏の中に駆動力を持つことによって、地球という星全体、つまり地球システムの物質やエネルギーの流れを変えることができるようになったのです。』(pp.71)

 この記述は、正にハイデガーの「技術論」そのものだ。
 また、このことは、産業革命以来顕著になったことは言うまでもない。この流れは、人間の欲望により無限に拡大する可能性がある。例えば、20世紀の人口は100年で4倍になった。これを続けると2千数百年で人の重さが地球の重さに等しくなる、と述べている。

・フロー依存型の人間圏

 これに対するフロー型について、著者は江戸時代(250年間)を想定しているが、私は、縄文時代 (1万年間)の土器文明を想定したい。
『少なくとも地球システムには大きな影響を及ぼさないフロー依存型の人間圏でないと「地球にやさしく」はありません。これでも今の人口の60分の一ぐらいしか生きられません。フロー依存型人間圏としては10億人くらいの人口が上限です。』(pp.77)

 『したがって、20世紀の思考法や価値観、概念、制度などをもとに21世紀を考えることは人間圏にとって自殺行為です。極端に言うと、民主主義や市場主義経済、人権、愛、神、貨幣など、20世紀的な枠組みの中で確立してきた色々な概念とか制度をもとに21世紀を考えたら、必ず破たんするともいえるのです。』(pp.78)

ではどうすればよいのか。ストック依存型とは必要な物質をつくるためのエネルギーに頼ることなので、物質を所有することから、物質の持つ機能を他の方法で得ることを考えればよいことになる。つまり価値工学の分野の問題となってゆく。


第2の著書;書籍名;「地球と文明の周期」講座;文明と環境 第1巻

著者;(小泉 格、安田喜憲 編集[2008])発行所;浅倉書店
発行年、月;1995.6.20



 この講座は、全15巻で以下のように大掛かりなものだった。松井孝典氏の説は、第1巻の最初の論文として掲載されている。なお、これは改定新版で、元のシリーズは1995年から発行されている。

・刊行の言葉;

 『1991年から93年まで、われわれは文部省重点領域研究「地球環境の変動と文明の盛衰」(領域代表者 伊東俊太郎)を行った。(中略)環境の問題は決して自然科学だけの問題ではなく、実は文明の問題でもあり、人文科学の問題でもあるのである。

 そして環境破壊という21世紀の最大問題を解決するには、どうしても自然科学者と人文科学者の密接な連携が必要なのである。このような連携は日本の学問においてはまだ十分でないが、それは新しい、文明を作る、あるべき連携の芽を生むことになるのではないかと思う。』

・文明の周期性(pp.9)

 『文明が気候変動の周期性を受けて、周期的に盛衰することは、これまで多くの人々が指摘してきた。とくに伊東[1985]は、人類文明の発達を5つの段階―人類革命・農業革命・都市革命・精神革命・科学革命―でとらえている。これらの改革期は図3(省略)をみると、いずれも気候が寒冷化する時期に当たっており、生活環境が悪化したときである。』

 『こうした環境の変化に対し、創造的な技術革新の方法をもって対応したところでのみ、文明の改革は成し遂げられてきた。』としている。

・宇宙の周期性

1.「宇宙の歴史から何を学ぶか」松井孝典

 農耕・牧畜というライフスタイルが、地球システムのエネルギーの流れ、物質循環に擾乱をもたらすことになり、それが産業革命により擾乱では済ませられなくなったことを述べた後で、

 『これまでの地球史を見ると地球はつぎつぎと分化し、より多くのサブシステムを持つ地球システムへと変化してきている。このような歴史を見る限り、歴史の発展の方向性は分化することにあるようにみえる。なぜだろうか?結論をいえば地球が冷えるからである。』(pp.19)
 つまり、火の玉から始まった地球が、冷えるたびに新たな物質圏を生むことになったというわけである。そして、最終的に生物圏から人間圏が分化した、というわけである。

 著者は、生物の進化とは言わずに、生物の分化といっている。地球環境のへんかにより、生物が多様性を必要として、分化が行われているというわけである。

・分化論の視点から見た人間圏の未来

 地球は、『全体として冷えつつあるが、その高温の部分と低温の部分の温度差は拡大している。このことが分化を促し、地球システムや銀河系・宇宙システム、そして生物圏内のサブシステムに、多様性とダイナミズムを生んでいる。』(pp.24)

 それでは、地球システムの中で安定性を保つにはどのような方法があるか、著者は3つの問題点を挙げている。

① どのような人間圏のサイズが、地球システムの中で安定なのか
② 文明のそれぞれの段階で発生する難民のための新天地がなくなったのが現代なので、新たなフロンチィアを、どこかに求める必要がある。
③ 人間圏の内部システムの向かいつつある方向性を定める。現代のグローバル化を始めとする方向性は統合へ向かっているが、その先は均質化になる。

 しかし、『均質化は自然界では死を意味する。均質化を求める方向は人間圏内部のダイナミズムを喪失させる方向である。
 これらの問題に関して今後具体的に検討してゆくことが21世紀の人間圏を設計するうえで必要になる。現在のまま21世紀を迎えれば、人類は生き延びられるにしても人間圏が崩壊することは予想されるからだ。』(pp.25)
 で結んでいる。まさに「猿の惑星」を思い出させる文章だった。


第3の著書;書籍名;「我関わる、ゆえに我あり」 [2012]
著者;松井孝典
発行所;集英社新書 0631G 発行日;2012.2.22
 
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging & Implementing



彼の著書の3冊目で、かなり集大成の感がある。

・あとがきより、

『変動の人間圏への影響のことを災害といいます。人間圏が肥大化すればその変動の影響を大きく受けることになります。人間圏に深刻な影響を及ぼすでしょうし、人間圏と地球システムの調和という問題にはそのことも含まれます。自然災害の巨大化と地球環境問題とは問題の因果関係の裏表に他なりません。それはまた人間圏の駆動力の問題にもつながります。そのために文明とは何かを問い直す視点があってもよい。それはまさに明治維新以来のこの国の形を見直すことにもつながります。』(pp.222)

・ゴーギャンはなぜ文明を問うたのか

 ボストン美術館所蔵の有名な「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くの、か」の絵を示して、『1897年、故郷フランスから遠く離れた南の島タチヒで、描きあげられました。急速に変化を遂げてゆく文明社会に対する懐疑と絶望、そして、そうした文明をつくり上げた人間という存在に対する根源的な問いかけ。それらをゴーギャンは絵画という芸術に見事に昇華させました。』(pp.56)

 彼の、前2冊からの持論を纏めた形で

 『人間圏と地球システムの関係を、人間圏の発展大階ごとに図にしてみました。』(pp.148)
 
 図1は、「生命の惑星段階」として、中央に「地圏」があり、周囲を「大気圏」、「水圏」、「生物圏」が離れて存在する。人間は、「生物圏」の中の小さな存在としてある。
 図2は、「文明の惑星段階」として、3つの圏に重なり部分が生じると同時に、第4の「人間圏」が現れる。
 図3は、「地球システムⅡの文明の惑星段階」として、人間圏だけが巨大化して、地球システム全体と等価の大きさに近づく。
 図4は、「21世紀の地球システム」として、人間圏が更に巨大化して、地球システム全体を飲み込んでしまう。

 図4の解説は次のようにある。
『人間圏はさらに拡大を続けます。駆動力に注目すれば、人間圏は地球システムの駆動力をはるかに超えるようになります。そのため、人間圏と地球システムの関係は非常に不安定になります。一方で、地球システムと調和的な人間圏という意味では、地球システムを超えて大きくなることができないため、その内部で何らかの強制的な変化を求められるようになります。』(pp.152)

 結論は、次のように語られている。
『文明の誕生と発展が、我々の認識の時空を拡大し、宇宙における観測者として、その宇宙が存在することに意味をもたらすことになったことは、実は文明とは何かを問ううえで忘れてはならないことです。しかしその存在が一方で、文明の存続にかかわる問題を引き起こしているという「文明のパラドックス」に、我々は挑むしかないのです。』(pp.153)

 現代文明を見るときは、ゴーギャンやこの著者のように、文明圏の外からの眼で見なければならない。文明圏の中の人は、いつの時代でもその文明が永遠に続くと考えていた、ということは、多くの著書で指摘されている。Converging & Implementingのプロセスでは、重要なことなのだろう。

 文明の定義にはいろいろあるのだが、このような外からの視点に立つと「その時代、その場所に適した人間らしい生活を営む生き方」とすることが、メタエンジニアリング的に次の文明を考える際には適当と思われる。

その場考学のすすめ(06)設計への応用

2017年02月15日 16時17分39秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(06) H29.2.15投稿

設計への応用



・少ない情報で早く正しい決断をすること

 技術者の生涯賃金が安すぎるとの根強い意見もあるが、それは創造の自由への代償だと思っている。やはりじっくりと物事を考える時間の確保が技術者にとっての第一の命題であろう。考える時間を持たない者は、単なる作業者である。長年開発エンジンのChief DesignerやChief Engineerを続け、その後様々な組織の計画と立ち上げをやったが(最後は従業員一千人、売上高500億の会社づくりだった)、必要なことは少ない情報で早く正しい決断をすることだった。

 それは30年前のその場考学の延長線上にあるものだと思う。そこで、その場考学研究所なるものを始めることにしたが、先々のことは皆目見当がつかない。そこで、第2作目(第1作は、DCシリーズ 第7巻 設計とサイクル論)としては 改めてその場考学とは何か、何が出来て何ができないのかを考えてみることにした。


・その場考学の目的と手段


 その場考学とは、その場・その時を最も有効に過ごすために、実生活における知力を備えた鼎型人間の育成と実践とを目指す工学である、と述べた。それを達成するための手段は何であろう。

 その場考学の第1の手段は、考えるための自由な時間を作ること。その術を出来る限り開発することにある。このことはちょっとした工夫でいくらでもできることを、Rolls Royce社との共同開発中に学んだ。そして、それを習慣として身につけてしまうことだ。

 第2の手段は、その時間を使って考える際に、少しでも早く結論を得る術を開発することである。何を考えるのかは、人それぞれであろう。しかも、一人の人間であっても、その時・その場で異なる。考えることは、ある情報に端を発する。そして、考えるためには追加の情報が必要になる。結論を得るまでに、どれほどの追加情報が必要になるのかが、結論を得るまでの時間を決定する。

 過去の情報が知識となって整理されており、その知識が知力という形にまで整理されていると、意外に早く結論に至ることができる。その際に、様々な雑学が役に立つ。サイクル論も重要な雑学の一つだが、開発設計技術者としての経験からは、価値工学(VE,Value Engineering)と品質工学(QE,Quality Engineering)が大いに役に立ったと思う。特に、価値工学の元である価値解析(VA; Value Analysis)は、多くの会議の場で役に立った。
 
 これらの工学については、通常の大学で教えられることは少ない。しかし、技術者としての業務では直ちに必要となる重要な知識なのだ。
その詳しい内容はともかくとしても、基本的な考え方を理解しておく必要がある。特にVEとQEの基本的な考え方は、全ての技術的な作業の場において、強力な根拠となる事を実感することが、その場考学の第2段階と考える。
 

 ものでも、ことでも果たすべき機能が存在する。その機能の価値を分析するのだ。方法はいたって簡単で、基本機能と補助機能に敢えて分けることから始める。基本機能は大概3つ以内に記述できる。
 
 次に、補助機能を列記する。これは沢山ある、考えてゆくと無限に出てくる。それらの基本機能を達成するために直接に必要なものと、そうでもないものに分類する。そして、後者を捨て去る。その上で、基本機能をどうすればもっと良くできるかに思考を集中する。いわば、考え方の選択と集中であろう。これが、VAの基本だと考える。
 
QEについては、話がやや複雑になるので、第5考で述べることにする。
 その場考学の第2の手段は、まずこの二つから始まる。


・設計プロセスへの応用

 その場考学の応用で1980年当初からまず始めたことは、設計プロセスへの応用であった。
航空機用エンジンの設計は典型的なすり合わせ型ものつくりである。構造上は、空気の取り入れ口⇒圧縮機⇒燃焼器⇒タービン⇒排気口の積み重ねに見えるのだが、その中で空気と燃焼ガスが複雑に動き回る一つの固まりなのだ。

 基本設計の段階から数十人の設計技術者と、解析の専門家がそれに群がる。それから詳細設計に至るまでに、無限の設計案が乱立する。1回の試験運転をすると百か所位の要検討項目が発見される。

 しかし、当然のことながら最終の設計解はただ一つであるのだから、これらの情報から 出来るだけ早くに正解を決めなければならない。開発を始めると、そのことが数年間続くことになる。そして、常に時間との勝負になる。

 これに対するひとつの答えが、「A4一枚の場」である。報告も、議論も、会議記録も、出張報告も、不具合の再発防止などの決定に至るプロセスも全てA4一枚に纏める工夫をするのだ。このことは、第3考の中でふれることにするが、具体例は別冊に示した。(DCシリーズ 第12巻 A4シート一枚の場 参照)



「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その7)」

【Lesson7】品質管理技術の問題(経験と理論が半々の世界[1998])
 
 品質管理は,航空機関連の事業にとっては最重要な技術のひとつである。この技術は第2次世界大戦中に米国でQuality Controlとして開発された。空中戦で圧倒的な強さを発揮していたゼロ戦に対抗するために,安全な高空から編隊で一気に急降下攻撃をかけるために,性能が均一なエンジンを大量生産するためのものだったと言われている。IHIの大先輩は,戦後まもなくGHQでこの教育を受け,その時の話を伺った覚えがある。
 
 Quality Controlは,日本では品質管理と訳され日本の勤勉な文化により大発展を遂げた。しかし,そこには一つの問題が潜んでいた。本来Controlとは,ばらつきが存在するものに対して,ある許容範囲に収めるべく調整をしてゆくことであろう。しかし管理と訳したために,ばらつきは可能な限り小さくすること,規定を完全順守することなどが目的となっていった。一般には,これで問題はないのだが,ジェットエンジンの製造の世界ではいくつもの問題が潜んでいる。その事例を紹介したい。
 
 第1段タービン静翼は,複雑な冷却構造と交換を容易にするために一枚ずつのセグメントにする設計が行われた。その時の問題は,隣どうしのシュラウドの間から冷却用の空気が漏れることで,その防止のための工夫が施される。材質はコバルト合金の場合が多く,超難削材(実際には研磨)である。そのためにシュラウド幅の寸法公差は,生産技術からある範囲が要求された。

 しかし,製造が繰り返されるうちに,製品寸法のばらつきは小さくなっていった。設計の仮定は,製品寸法は公差内で正規分布をするである。しかし,すべての幅が小さめに偏ると,隙間が空き過ぎ冷却空気が漏れてしまう,逆に大きめに偏ると,隣どうしがぶつかり合って,規定の半径に収まらなくなる。この場合には,追加工で直すことが可能なのだが,大きめに偏ることは,次に示す大きな問題を引き起こすことになる。

 機械加工の実力が増して,多くの部品が公差内のある寸法での加工が可能になった。すると,加工時間の短縮と,工具の摩耗量を減らすために,寸法公差内ぎりぎりで加工をストップすることになる。つまり,すべての部品が大きめになってしまう。もちろん寸法検査は合格である。しかし,そのような部品を組み立て,エンジン総重量を計測すると,許容範囲を超えてしまう。慌てて分解をして,大型部品を最軽量のものに入れ替えなければならない。
 
 同様なことに起因した事故が発生し,原因究明を行った経験がある。事故はエンジン屋が最も恐れる,In Flight Shut Downであったために,念入りに行われた。原因は,オイルポンプのシールリングの寸法であった。三重のリングの外径が,すべて公差ぎりぎりの大きめにできていた。ゴム製のリングは,使用しているうちに微量のオイルを吸収して膨潤し,かつ硬くなる。飛行中にポンプが固着して,安全設計が作動してギアボックスから切り離されたのだが,エンジンオイルの供給が突然ストップしたことにパイロットは1分以上気づかなかった。そのためにエンジンのメインベアリングが固着してしまった,というわけである。

 経験と理論が半々の世界についても,苦い経験がある。鋳造品には欠陥がつきもので許容欠陥サイズは,設計ごとにこまごまと設定される。従来は経験値が主であったが,破壊力学による詳細検討で,使用中に徐々に拡大する欠陥寸法が算出されて,許容範囲をより厳しくすることになった。当時は,タービン翼の鋳造の多くは米国の限られた会社で行われ,そこからは全世界に供給されている。そこで,IHI向けだけの許容基準が厳しくなったわけである。当然,国内での受け入れ検査時に不良品が多く発見されることとなった。そのたびに,品質管理の担当者が現地へ出向き,指導を行うのだが,一定期間のうちに再発が繰り返されることになる。この問題の正解は難しいのだが,理論と経験が半々ということの意味を熟知していれば,起こらなかったであろうと推察する。

【この教訓の背景】

 日本の品質管理のガラパコス性については、書き出したら切りがないほどの経験があるので、ここでは書かないことにする。ほぼすべては、Controlではなく、ひたすら完全を求めて管理を強化する、ということなのだが。その結果、無駄な作業が多くなり、コストが嵩み、一部の高級志向の人には、満足感を与えるが、競争力はひたすら落ちてしまう結果となる。日本が長らく「世界の先進国のなかで、労働生産性が最も悪い」との評価の原因の一部であると思う。

 高級ブランドを作る目的ならば、それはそれでよいのだが、そこまでの覚悟は無い。つまり、お得意の中途半端になっている。
 ジェットエンジンとロケットの世界では、すべてに100%の品質を求めるが、砲弾や小型ミサイルの場合には、かなりの不良品が許される。危険性さえなければ、質と数のバランスの世界なのだ。

「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その8)」

【Lesson8】価値工学の基本を知る(Rolls RoyceのDirectorとの議論[2002])
 
 新製品開発にもちいられる原価企画と原価管理は,現在では日本のお家芸の一つになっているのだが,元はGEのマイルズが発明したVA(Value Analysis,価値解析)とVE(Value Engineering,価値工学) である。しかし,1970年代にトヨタがこの手法を原価企画にまで発展させ,日本の高度成長にも大いに貢献することになった。しかし,その基本の部分ではまだGEに一日の長あり,専門家のOBを招いての集中講義を受けた。

 中でも,この手法のおおもとである調達方法のノウハウについては,多くを学ぶことができた。当時のGEは,あのジャック・ウエルチの全盛期で,調達戦略もMDP(Market Driven Procurement)からVJP(Value Justified Procurement)へ大幅にシフトをしており,その方法論を詳しく学び,かつ応用することができた。また,シックスシグマやCOE(Center of Excellence),BPR(Business Process Re-Engineering)についても,GEの専門家との直接の会合を通じて,国内では得られない貴重な最新ノウハウを得ることができた。これらの手法はいずれも基本的には価値解析の考え方の応用なのだが,ここでは詳細を割愛する。
 
 この経験は,後にRRの幹部の知るところとなり,コスト低減,調達戦略,人材育成と組織改編など広範囲にわたる総合的な技術者の在り方についいての会合にまで至った。
 
 何事についても,学会等で得られる知識は表面的であり,危機にあたって真に役立つものは基本的な考え方であり,そのことは苦楽を共にする国際共同開発を通じて得られる。グローバル経済社会にあって,新製品を開発し量産で成功するまでの過程では,必ず危機的な状況が数回は訪れる。その際,それを乗り切るノウハウなしには,存続はあり得ない。
 
 蛇足ながら,価値解析の手法は通常の会議でも大いに役立つ。多くの議題に多くの選択肢があり,決定に時間がかかるときには,まず基本機能に関することと,補助機能に関することを分ける。不思議なことに多くの場合に前者は三分の一になるので,それを片付ける。次に,補助機能を基本機能に対して必須のものとそうでないものに分ける,これはほぼ半分になり,後者は忘れることにする。この分類方法はVEの基本なのだが,会議に限らず多くの場合に応用が効く。

【この教訓の背景】

 価値工学(Value Engineering)と品質工学(Quality Engineering)は、設計と製造に関する強力な実学問だと思うのだが、そのことが一部の人にしか認められていない。特に、開発現場における品質工学は、本来はタグチメソッドなのに、品質工学という言葉に執着するために、そのようなことが起こっているように感じている。
 
 両方に共通することは、それ自身では価値が発揮しにくく、なにかの他分野とインテグレートしなくてはならないのだが、そのことを学会が拒否しているように思える。そのことは、それぞれの学会に参加すると、直ちに感じるのだが、このことを理解してもらうことは永遠にできそうにない。
 
 ガスタービン学会も、一時期日本機械学会の中に入るという話を聞いた覚えがあるのだが、まったく可能性はなさそうだ。最近の企業は、xxコーポレーションとか、xxホールディングの名のもとに、同種の企業がひとつのガバナンスで運用されるようになった。メタエンジニアリング的には、学会もおなじだと思ってしまう。そのようなことが起こらければ、メタエンジニアリングもマイナーなままで終わるであろう。

メタエンジニアの眼(18)日本 呪縛の構図

2017年02月15日 08時45分35秒 | メタエンジニアの眼
「日本 呪縛の構図」  KMM3290 
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

書籍名;「日本 呪縛の構図、上・下」 [2015]
著者;R・ターガード・マーフィー 発行所;早川書房 
発行日;2015.12.20          初回作成年月日;H29.2.12  
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging & Implementing

 著者のR・ターガード・マーフィーは、1997年に「動かぬ日本への処方箋」という著書を毎日新聞社から発行している。2016年1月23日の東京新聞Web版には、次の記事がある。

「愛する国 だから斬る在住40年 日本論出版 R・ターガート・マーフィーさん(筑波大大学院教授)」
『骨太の日本論だ。米国出身で四十年近くを日本で過ごし、現在は筑波大の社会人大学院で国際金融を教えるリチャード・ターガート・マーフィーさん(63)が昨年十二月、『日本 呪縛の構図』(早川書房)を刊行した。この春の退官と離日を前に、集大成ともいえる上下巻の大著で、副題のとおり「この国の過去、現在、そして未来」を描ききった。日本の抱えるリスクをずばり指摘する筆の鋭さに感銘を受け、東京・茗荷谷(みょうがだに)の筑波大東京キャンパスを訪ねた。これまでも海外の日本研究者による日本論は、日本人がなかば自覚しながらも目をそらしてきた「不都合な真実」を糾弾してきた。本書もその系譜に連なる。「アウトサイダー(外部の人)だからこそ気づけることがある。魚が水に気づかないのと同じです」。マーフィーさんは日本語と英語を織り交ぜ、そう語る。』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/doyou/CK2016012302000251.html

 『日本 呪縛の構図』の前に、ほぼその10年前に書かれた「動かぬ日本への処方箋」では、日本には、真の意味での「政治が必要」と述べている。当時の日本の状態を「日本が脱出不可能の罠にはまってしまったように見える」として、「規制緩和」とか「改革」について、



『これらの言葉を聞いてそれが実際に何を意味するのかはっきり分かる人はほとんどいない。話している当人たちでさえ、じっくりと考えたことがあるかどうか疑わしい。』(pp.216)としている。

その原因は「議論の欠如が危機を深める」に記されているのだが、そのまた原因を「日本の伝統的な官僚機構」に求めている。世論がその合理化を叫んでも、結局は、『何らかの形で自分たちの生計を保証する役に立っているのも、この同じ官僚機構だと感じている。』(pp.217)とし、それと関連して、「アメリカの現状を無視した楽観論」を危険視している。
 
『日本 呪縛の構図』は、いわばその続編で、なぜそのような官僚機構を始めとする「呪縛」の中身を例証し、その根源を江戸時代の社会制度に求めている。



 上下2巻の大著は、日本の古代から、平安・鎌倉と文化の流れを概観したのちに、江戸時代の詳論に移る。14ページにわたる「序文」において、その概要はかなり詳しく説明がされている。

 『それは日本をこれほど魅力的で成功を収めた国にさせた源泉であるかもしれない、だが、それは同時に私が前述したように、近代から現代にかけての日本の歴史で多くの悲劇を生み出す要因ともなった。なぜかというと、それは「搾取を行う側」にとっては本当に理想的な状況を作り出すからである。
 それは、物事をあるがままに受け入れること。そして心のどこかで追求する価値がない目標であるとわかっていながら、それを生きがいとすることが「大人の態度」であると考えるような思考様式が国民レベルで内面化された状況に他ならない。』(pp.28)

『だが問題はそれだけに限らない。日本の指導者層においても、この国に深く根付いてしまった「状況に支配された視点」は、自分たちの行動とその背景にある動機について自己欺瞞に満ちた二重思考(ダブルシンク)(互いに矛盾する意見を同時に真実と見なす思考様式)を助長しているのだ。』(pp.28)

 江戸時代を通じて厳格に行われた「幕藩体制」すなわち「社会統制装置」について、次のような多くの事例を挙げている。すなわち、検問所における警備体制、私服警官の原型、町内の安全組織、大名行列による交通インフラ、長距離サプライチェーン、大衆芸術、樹木の本数にまで及ぶ国勢調査、世界初の先物取引市場などである。
 
 それらを列挙したうえで、「呪縛」への原因を次のように述べている。

『事実、もはや武士階級に日ごろから鍛錬した武芸を披露する機会はほとんど訪れることはなかった。実戦の記憶が歴史の霧のかなたに消えつつある中で、皮肉なことに「サムライ精神」はこれまで以上に硬直化して軍国主義的になり、上役に対する絶対的な忠誠、どんな命令も命懸けで果たす覚悟、そして軟弱さや物質的な快適さを見下す態度が重視されるようになった。』(pp.94)

『現代の日本には一見矛盾して見える様々な現象があって、海外の人々をひどく当悪させることがあるが、実はこれらの現象も元をたどれば、江戸時代の公的な組織のあり方と現実社会との間の「ずれ」に由来しているのだ。たとえば20世紀後半、世界は日本企業が世界史上でもトップクラスの大成功を収めるのを目撃したが、同時に当時の日本は主体性を失って硬直した官僚制度の代名詞ともいえる存在だった。

 だが、これも江戸時代に大阪の大商人と硬直化してゆく一方の武士階級が併存していたという前例を知れば、さほど不可解に思えなくなる。一方では忠誠と自己犠牲がほとんど常軌を逸したレベルにまで高められ(例えば切腹にみられる武士の自己礼賛、第二次世界大戦の神風特攻隊、過労死するまで企業に尽くす現代のサラリーマンなど)、他方では現代の奇天烈テレビゲーム、性描写の過激なアダルトアニメ、漫画、それに現代の奇抜なファッションなどを頂点とする型破りで反体制的な芸術が次から次へと生み出されてゆく。こうした文化の二面性は、江戸時代に端を発しているのだ。』(pp.95)
 
 この後で著者は、日本人の「建前と本音」の使い分けを指摘している。そしてさらに、それがあらゆる場面で遭遇する「無責任体制」に繋がっていると説明している。
このように、全文を分断してしまうと一見非論理的に見えるのだが、実際に通して読むと、西欧人の日本文化への傾倒の思考過程が良くわかってくる。



 下巻では、上巻で指摘した「呪縛の構図」が、日本の高度成長期から失われた20年間、更に現在の安倍政権に至る多くの経済・企業経営・外交問題のおおもとであるとしている。そのうえで、あるべき政治や経済問題への対応と、それを実現するためのリーダーシップについて論じている。
 ここで注目したのは、第9章「社会的・文化的変容」のなかの「日本文化の世界的影響力」という部分である。そこから引用する。
 
『どのような基準で測ろうと日本人が著しく創造性と芸術性に富んだ国民であることは疑う余地がない。だがこの創造性の由来を説明するのはなかなか厄介な仕事である。何をどう言おうと陳腐な言葉の繰り返しになりかねないからだ。

 だが日本の創造性がどのような形で世界中に反響を引き起こしているのか、そして日本社会がどのようにして「日本らしさ」を失わずに変化を遂げつつあるのかを理解すれば、おそらくその秘密の一端を垣間見ることができるだろう。なぜなら、日本人の創造性が世界中で反響を呼んだ例は過去にあったからである。』(pp.88)
 
 そこから、19世紀後半のジャポニズムの中身についての説明がある。所謂、浮世絵などの西欧文化への影響なのだが、「日本のエリート層からは低俗な文化と見なされていたし、その製作過程においては、外人の心に訴えようなどという気持ちは、みじんも抱いていなかった。」としている。これらの例から、結論としては以下のように述べている。

『日本独特の創造性の起源を日本人特有の矛盾や曖昧さに対する許容度の高さに求めるのは、ある意味で自然なことかもしれない。ギリシアの哲人アリストテレスは矛盾を許容してはならないという教えを欧米人に残した。だがこれに相当する訓戒が日本の思想で影響力を持ったためしは一度もない。』(pp.89)

 その後、この矛盾の事例として、伝統的な庭園や料亭に対する細部への配慮と、それに隣接する電柱や、乱雑な看板の併存に対して、「見て見ぬふりをして、眼に入れないのが礼儀である」としている。このような眼で見ると、日本中に同様な矛盾が混在している現場がいくらでも見つかる。

そして、次の結論になる。
 『日本文化が世界中で反響を呼んでいる理由の大部分は、これで説明がつくのではないだろうか。現代である程度の正気を保つには、矛盾と共存してゆく術を身につけることがますます必要不可欠になりつつあるが、それはもはや日本に限られたことではない。それでも、悪夢なような光景を完璧なまでに映像化する創造力とあけすけに甘ったるい感傷に浸る傾向が併存することは、間違いなく日本文化が世界中の人々(特に子供や若者)を引き付ける魅力となっている。それは同時に、日本が実際に経てきた変化の度合いを示唆してもいる。』(pp.93)

 矛盾を現実のものとして、そのままの形で受け入れるという伝統的な日本文化は、四季の変化と台風等の自然災害の多発する中で育った日本的な農耕文化の結果だと思う。その「矛盾を許容する文化」が、これからの人類の文明の継続性にとって、必要不可欠であるということが述べられているように思われる。

 そこで問題となるのは、「矛盾を許容する文化」が、いかにこれからの人類社会全体にとって合理的なのかを論理的に説明することであろう。そして、この優れた日本の文化を世界の文明にまで広げるプロセスはさらに難しそうだ。


メタエンジニアの眼(17)「哭きいさちる神=スサノオ」

2017年02月07日 08時31分46秒 | メタエンジニアの眼
書籍名>;「哭きいさちる神=スサノオ」[1989] 
著者;ネリー・ナウマン 発行所;言叢社同人  発行日;1989.10.16
初回作成年月日;H29.2.5

 ネリー・ナウマンは、ウイーン大学で民俗学を専攻し、1949年からこの年までに、日本古代の神話や民俗学的な伝統に関する37本の発表された論文のリストが巻末に示されている。彼女の姿勢は、通説には決して満足せずに、あらゆる方面からの資料を駆使して、神話や日本書記などから新たに、より本質的な発見を試みるもので、その姿勢と方法論は、メタエンジニアリングに共通するところがあるように思う。それは、次の記述に表れている。



 『しかし何よりも、神話を古代の日常生活の反映だとしたり、文学的研究や史的研究において民族の起源に関して利用される物語モチーフや物語タイプの集合だとするだけでは十分でないことを次第に意識するようになった。

 それは、古代のこうした物語の一つの、すなわち表面的な一面でしかないのである。ミルチア・エリアーデやラファエ・レベッタツオーウェルナー・ミューラー、カール・ケレーニーなど、宗教学からも民俗学、古典古代学の立場からも神話理解のために新たな手掛かりを求め、その分野で重要な貢献をなした人々を読んでから、日本の神話にもその本質的な確信、あらゆる「本当の」神話に見られる存在論的叙述を探求しようと試みたのである。』(pp.2)

『縄文土器の不思議な装飾や奇妙で独特な土偶に魅了されたのである。不満に感じたのは、豊穣儀礼用の土偶であるといったありきたりでじつに愛すべき指摘以外には、この対象のもつきわめて複合した象徴表現を解明する企ては何一つなされておらず、いやこうした方向では何も真剣な試論がなされていないことだった。』

『頭の上に蛇が巻きついている藤内出土の小さな土偶がはからずも道を示してくれた。別の手段で表現されているものの、同一の連関で同一の象徴が、中国の新石器時代の仰韶文化に求められるからである。』(pp.2)

『誤って理解されていた神話のモチーフが、縄文図像のモチーフと何の困難もなく結びつき、そうすることでその本来の意味が認識できることがわかったのである。さらに、神話のモチーフと縄文図像のモチーフとの一致は、このモチーフの成立時期を神話についてもほぼ特定する可能性を示している。』(pp,3)

 最初の「哭きいさちる神=スサノオ―生と死」の日本神話像の章では、鬼、人食い、死霊、山姥、多様な森の霊、悪魔的存在の擬人化などの実例に言及した後で、古事記と日本紀のイザナギとの説話を西欧の同様の昔話への民俗学者の解釈を加えて、次のように結論している。

 『事件の核心は、火の神を生んだ時に死んだイザナミの死にあります。イザナミは最初の死者であり、物語の成り行きには、死がまったく新たな経験として理解されることが具体的に示されているのです。』(pp.17)
 
 確かに、その後の物語の展開は、死者の醜くなる姿を見てしまったイザナギが、あらゆる手段でそこから離れようとする、すなわち死から逃げようとする行動が具体的にあらわれている。逃げる際に使われたタケノコや葡萄や桃といったものは、当時の日本ではあまり一般的ではなく、中国などの影響もみられるとしている。
 
 『当時の日本は葡萄の実を知ってからそう時間がたっていないからです。葡萄は中国から輸入されたもので、中国にさえ紀元前126年にはじめてトルキスタンからもたらされました。3番目の物として投げられた桃が呪力をもつとする信仰も中国の考え方を取り入れたものに他なりません。』(pp.19)
 
 さらに、「縄文時代の若干の宗教的観念について」では、
 『土偶の宗教的意味を個々に考察しようとした真剣な試みはまだなされていない。土偶は主として、あるいはもっぱら女性像であり、したがって地母神の表現であるとか、土偶は豊穣性の象徴として見做すべきだとかいった再三表現される見解は、一般論で責任を負うところがないので、どんな方法をもってしてもこれ以上進まないのである。』(pp.29)
 
 としたうえで、個々の土偶の形や文様についての、膨大な数の比較検討を始めている。さらに、中国の土器、古代オリエントの遺物、イランの動物像などとの比較なども行っている。その中には、『三日月を角として捉える』 や『琉球では、月の神が人間の生に限りがあるのを憐れんで、人間には生の水を、蛇には死の水をあたえてのませようとしたという。』や『 人間の代わりに蛇が不死性をもつ。ちなみにこれは誰でも目にすることができる。蛇は、硬直して「死んで」横たわったのちに、古い皮を脱ぎ捨てて、若がえってそこからはい出てくる』などの民俗学的な知見も多く述べている。

 『折口信夫氏は「万葉集」の歌を手掛かりとして、この神話が日本にもあったと仮定してよいと考えた。とにかく岡氏はここで、「月―水―不死性―蛇―生命を授ける月の神―若水」という諸要素が一つにされているとみて、この月の神話が、きわめて古い広範に(シベリアのさまざまな民族やユーラシアのほとんどの部分)伝播した一つの型であるという見解を述べている。』(pp.40)

 『したがって月は、大地の実り豊かにする雨という普通の水を持っているだけではなく、「生の水」をも持っているのだ。このことをさらに裏付け、明らかにできる。古代オリエントでも、角としての三日月の観念とならんで、皿としての三日月の見解も登場する。(中略)世界の中心ないし生命の木に結び付く観念には必ず、世界樹や生命の木の根元に棲んだり大地の臍に巻きついている蛇が含まれている。』(pp.41)

 つづく、「逆剝―天の斑駒を逆さに剝ぐこと」では、日本書紀などでは、スサノオの悪事の一例である「馬の皮を逆さにむくこと」が示されているが、この行為に対しても、次のように考察している。

 『逆剝そのものの正確な意味や、それが神話の脈絡の中で正確に何を意味するのかを理解して初めて可能になる。(中略)したがって神話を理解しようとするときに、そうした落差を埋めることが本論の目的である。』(pp.103)

 『スサノウの本来の使命が世界を支配することにあるのがはっきりわかる。』、『ふつう動物は、尻から頭部へ向かって皮を剝ぐ。』などとしたうえで、

 『この場合正反対にされた行為はもともと、「生」を呼び起こす祝福行為である。高く差し上げた杯をもって健康と長寿を願う祝杯であり、(中略)重要な点はただ、ある行為をまったく逆にすれば、本来の効果とまったく逆のものが生まれるという思考である。と同時に、こうした逆の行為がもっぱら生と死という存在の両極に関係するのを強調しておかねばならない。』(p113)

 ごく最近になって。これと似た見解が示された書籍が、出版され始めているが、西欧人的な合理性から出発して、広い知見を適用すると、結論は今まではなかなか得られていなかったものの発見につながる。
これは、メタエンジニアリングやイノベーションと通じるものがあると思う。

もう一冊のナウマンの書を紹介する。


「生の緒(いきのを)」[2005]
 著者;ネリー・ナウマン
発行所;言叢社  発行日;2005.3.10
初回作成年月日;H29.2.5



 この本の副題は、「縄文時代の物資・精神文化」で、私にとっての彼女の書の3冊目になる。冒頭の写真集の中には、1989年秋、諏訪郡富士見町の井戸尻考古館で発掘後の縄文土器を多くの研究者と観察する姿が写っている。彼女の縄文に関する研究生活の長さと、深さと、その発表された論文の数は、日本のどの研究者にも負けないほどと思う。

 多くの特徴ある文様を有する縄文中期の土器の膨大かつ詳細な観察から、それらの文様は、必ず何らかの象徴的な意味があり、それ等はすべて、当時の精神文化と密接につながっているとの信念からの解読を試みている。
 
 また、西欧人の特徴として、古代ギリシャ、初期の地中海文化、アステカ、コロンブス以前のアメリカ、古代インドなどの文様との比較を随所で行っている。
 特に挙げられている特徴は、「後頭部に刻まれた十字に分割された円」(これは、有名な蓼科の縄文のビーナスにも刻まれている)、「渦巻」、「三日月」、「巻貝」、「蛇の頭」、「蛇のとぐろ」などである。これらはすべて、生と死と復活に繋がってくる。

 そして、「精神世界―旧観念と新たな象徴」としての「生の緒(いきのを)」に繋がってくる。要所のみを引用する。
 
 『縄文時代中・後期の多くの土偶についても、刻線が臍から上方へ伸びるとともに、小さな渦巻きで臍が表現されている。』(pp.250)

 『人体にはそんな線がないので、精神ないし象徴のレベルにその意味内容を求める必要があろう。ひょっとすると意味の手掛かりは、「古事記」や少しだけ異文で「日本書記」に記録された古代歌謡に示されているかもしれない。歌謡は、おのがヲ「緒」に気をつけよという大和の支配者御真木入日子への警告だとされる。敵が「盗み殺せむ」恐れがあったためで、彼の生命はこの緒次第であった。「緒」と「生」は二つのものではない。この歌謡のヲは、「万葉集」の十五の歌にあるイキノヲ「生の緒」という表現に対応するようだ。』

 『じつに多くの縄文土器に見られる臍から胸部ないし喉へとつながる縦線は、ほぼ確実にこの緒の描写であろう。右の推定は、この線が多くの場合臍の造形や表示、強調のために渦を巻いているという事実からも説得力を増す。』

『臍が生命のはじまる中心の象徴として、あるいはそれ自体が渦巻の形状をとり、あるいは渦巻に囲曉されているならば、これもやはり生の進展という同一観念を指示しているにちがいない。その進展は生の緒によってさらに拡充されて視覚化されている。そしてイキが息と生きの両方を意味するので、線が胸部と喉のあたりの部位で終わるのはしごく当然というほかない。』(pp.251)

 また、多くの土偶に見られる冠型の突起については、「光」を象徴しているとしている。その形が、甲骨文字から金文、漢字の光への変化の過程に現れる、数種類の文字と同じ形をしているというわけである。

 縄文時代の文化が、ひろくオリエントと共通する観念を持っていたことは事実だと思う。このことは「日本人とユダヤ人」など、多くの著作と共通している。また、縄文時代人が古代のオリエントや黄河文明人と同じような民族的な観念を持っていたということは、「縄文文明」にとって有力な援軍になってくる。

その場考学のすすめ(05)様々なサイクルに興味

2017年02月06日 13時39分16秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(05)様々なサイクルに興味

日常繰り返し起こることとは、すなわちサイクリックに繰り返されることが多いと云うことで、サイクルに興味を持ち始めた。すると日常生活でも仕事の上でも、驚くほど多くのことがサイクリックに繰り返されていることに直ぐに気が付く。

大宇宙の創造からノミの心臓の鼓動まで、あらゆる物事にサイクルが存在する。思えば当然のことなのだが、サイクリックに繰り返さないものはこの世に存在し続けることが出来るのであろうか。答えは否だと思う。単調増加や単調減少を続けるものは、長期間存在を続けることはできない。現代では宇宙の存在ですらサイクリックに繰り返されていることが理論的に説明されている。

そこで、その場考学の第一は、サイクル論を考えることとした。このことを気にかけると、実は毎日出会う全ての新聞や雑誌の中にサイクルが含まれていることに気が付く。そこでサイクル論にはとめども無い楽しみが生まれてくる。そこで、デザイン・コミュニティ・シリーズの第7巻として、             
 「設計とサイクル論(その場考学シリーズ 1)」を次のような目次で纏めた。



目次

第1章 設計とサイクル論とは         10
・VE(価値工学)に学ぶ
・経験に学ぶ(その1、組織のありかた)
・経験に学ぶ(その2、新規調達先発掘の旅)
・経験に学ぶ(その3、品質管理)
・何故サイクル論なのか?

第2章 自然界の中でのサイクル          18
・2600万年の大絶滅周期説
・温暖化の地球史
・太陽黒点の周期
・ミランコビッチ・サイクル
・空気中の炭酸ガス濃度
・気候変動と社会不安
・短いサイクル
・長いサイクル
 
第3章 人間界におけるサイクル        34
・日本列島における人口波動
・世界における人口波動
・心臓の脈動
・睡眠における波動

第4章 文明と科学と技術におけるサイクル   42
・デュポンの技術革新の周期
・日本文明再生サイクル
・世界の文明サイクル

第5章 経済活動におけるサイクル       49
・キチン循環
・コンドラチェフの波
・クズネッツ循環
・ジューグラー循環
 ・実質GDPの伸び率の推移
 ・在庫循環の推移
 ・業況判断指数
 ・長期波動理論
 ・戦後の日経平均株価のサイクル
 ・株価におけるシルバー法
 ・円安の波
 ・未成熟の債務国
 ・資産の種類別の年間リターンの波

第6章 航空工業におけるサイクル       72
 ・ロードファクター70%論
 ・航空機発注数と太陽黒点活動
 ・需要の波
 ・エンジン開発設計の3か月ルール

第7章 その場考学におけるサイクル      78
・その場考学とは
 ・技術者の育成サイクル
 ・How とWhyのサイクル
 ・改革と改善のサイクル
 ・種々の改善サイクル
 
第8章 人生における波            84

そして、「おわりに」には、次のように書いた。

 サイクルということに特別な興味を持ってから30年余が経った。それを、思い切って自然―人間界―文明・科学―経済―航空機工業と括ってみた。これらのサイクルを全てコンピュータに入力すれば、色々な将来予測ができるのではないかと、勝手に想像をしてみるのも楽しい。
 
その意味もあって、補章には二つのテーマについて、将来の楽しみにしていることを述べた。少々哲学的ではあるが、これもサイクルに大いに関係があり、かつ技術者にとっては重要なことだと思い、敢えて追加をした。

 この書を読んで、色々なサイクルに興味を持つエンジニアが増えれば、私の目的は達成されたことになる。エンジニアは常に変化の1次と2次の微係数を意識して行動を起こさなければいけない。そのことが、40年間の開発技術者人生で味わった最大の教訓だったと今更ながら思う次第である。

2011年 大寒の日に                              その場考学研究所



「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その6)」

>【Lesson6】実験装置でも勝つことができた(NASAとの熱疲労試験機比較[1977])
 

実機翼の製造が安定したのちには,冷却翼の熱疲労解析が重要なテーマになってきた。エンジンの高温部の部品は,離着陸時に降伏点をわずかに超える応力が発生する。したがって,大部分の部品寿命は低サイクル疲労で規定される。第1段タービン翼は高温なのでクリープとのラチェット解析が必要だが,航空機用エンジンの場合には最高温度での運転時間は短いので,熱疲労が圧倒的に大きくなる。
 
熱疲労試験機は,定格の圧縮機出口温度の冷却空気を翼内に流しながら,最高時とアイドル時のガス温度の流れの中を,往復する機能が要求される。周囲との輻射熱の影響を低く抑えるためには,供試翼を3枚としても,全体では9枚以上の翼列が必要になる。
 
I社の試験機は下町の町工場で作られた。二つの風洞と翼列部以外の全体構造と往復駆動装置は全面的に彼らの技術にお願いした。その後,同じ実験結果がNASAのPaperで発表され,私は手紙の往復からLewis Research Centerへの訪問が許可されて,単身クリーブランドに向かった。そこで間近に見た彼らの試験機は,翼枚数も駆動の早さも明らかに町工場製に及ばないものだった。

 学会で発表される内容は,ともすれば組織名が評価を決めてしまうのだが,個々の実験装置の内容まで精密に検討しなければ,真実は分からないとの教訓を得て,以降はNASA Paperへの評価が慎重になった。

【この教訓の背景】

 全くの余談だが、この時私はニューヨークからクリーブランドへの日帰り旅行をした。ノンストップの直行便もあったと思うのだが、現地駐在員は粋な計らいをしてくれた。なんと、プロペラ機で途中に2STOPがある。つまり、一日で6回の離着陸を経験した。勿論、機内から降りることはないのだが、地上の景色、街並み、乗降客の質の変化など、大いに楽しみ、かつ文化の理解にも役立った。
 
米国内のフライトでは、色々な経験があった。冬のハーフォード(PWAの場所)からシンシナチィー(GEの場所)は、直行便がない。冬にはあちこちの空港が閉鎖になる。その度に乗り継ぎ場所の空港を変更する。自分はシカゴ経由だが、荷物はデトロイト経由で全く別の航空会社などは日常的で、自分のロストバッケジーを探すのには、大いに感を働かせる必要がある。
 
大型の機体にたった二人の乗客でワシントンに向かったことがある。こんな時にはスチュワーデス達にモテモテだった。彼女たちにとっては、暇つぶしなのだが、こちらは大歓迎だった。通常は、このようなフライトはキャンセルになるのだが、この時は、ワシントンから先のニューヨークまでは満席に近くなるので、キャンセルは免れたという次第。
 
日本の空が、このように自由になるのはいつのことなのだろうか。例えば、帯広から熊本まで、どこで乗り換えようと、空港で最適ルートを探してくれて、チケットを書き換えてくれる。むろん追加料金は一切ない。現代の発券システムでは簡単なことなのだが、日本でそのようなことの可能性すら話を聞いたことがない。日本の空は、全く合理性に欠けている。

その場考学のすすめ(05)ここまで

メタエンジニアの眼(16)司馬遼太郎の文化と文明

2017年02月05日 07時28分46秒 | メタエンジニアの眼
司馬遼太郎の文化と文明      

 このシリーズはメタエンジニアリングで文化の文明化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

書籍名;
アメリカ素描」読売新聞社[1986] 1986.4.11発行
「韃靼風雲録」中央公論社[1987] 発行日;1987.11.20発行

著者;司馬遼太郎

 文化・文明論にはさまざまな説がある。二つを明確に分けない場合も多い。そのような中で、司馬遼太郎のこの二つの書の定義は、メタエンジニアリングにとってまことに都合が良い。特に、優れた文化を文明化するプロセスを論じる際には、この「普遍性と合理性」という必要条件が良い。

 先ずは、「アメリカ素描」からの文章を引用する。



 P37からの引用;(昭和60年ころの諸事情であることを念頭に)
『アメリカへゆきましょう、と新聞社のひとたちが言ってくれたとき、冗談ではない、私にとってのアメリカは映画と小説で十分だ、とおもった。それにアメリカは日本にもありすぎている。明るくて機能的な建築、現代音楽における陽気すぎるリズム、それに、デトロイトの自動車工場の労働服を材料にみごとに“文明材”に仕立てたジーパン。
 
 ついでながら“文明材”と云うのはこの場かぎりの私製語で、強いて定義めかしていえば、国籍人種をとわず、たれでもこれを身につければ、かすかに“イカシテル”という快感をもちうる材のことである。普遍性(かりに文明)というものは一つに便利と云う要素があり、一つにはイカさなければならない。たとえばターバンはそれを共有する小地域では普遍的だが、他の地域へゆくと、便利でないし、イカしもせず、異様でさえある。
ところが、ジーパンは、ソ連の青年でさえきたがるのである。ソ連政府はこの生地を国産化してやったそうだが、生地の微妙なところがイカさず、人気がでなかったといわれる。

 普遍的であってイカすものを生みだすのが文明であるとすれば、いまの地球上にはアメリカ以外にそういうモノやコト、もしくは思想を生みつづける地域はなさそうである。そう考えはじめて、かすかながら出かける気がおこった。』

その後で司馬は、

 『ここで、定義を設けておきたい。文明は「たれもが参加できる普遍的なものも・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的でない。』
としている。

 次に、彼の最後の小説とも云われている「韃靼風雲録」の完成後に書かれた「女真族来り去るーあとがきにかえて」(昭和62年7月)である。文章を引用する。



 『中国は、漢以後、文明主義(つまり儒教)の国としてやってきた。このため周辺の異民族については、-彼らは華(文明)ではない。と、ひとことで尽くされた。以前は辺境の少数民族の文化をいやしみ、それらの文化を理解しようとしなかった(もともと小さな民族というものは、文化という、文明からみれば不合理なものだけで生きていた。文化こそ小集団が暮らしてゆく上で最善のものと信じていきてきたのである)。

 文明というものは、それをどの民族にも押しひろげうるというシステムであるらしい。文化のように込み入ってはいない。また他からみれば理解しがたいほどに神秘的なものではなく、文明は投網のように大雑把なものである。』(pp.491)

 『大ざっぱであればこそ、諸文化の上を超えてひろびろとゆきわたることができ、そういう普遍的な機能を以って文明というのである。それだけのもので、それ以上のものではない。

 ところが、文明が爛熟すれば文明ボケして、人間が単純になってしまうらしい。文明人というのは“文明”という目の粗い大きな物差しをいつも持っていて、他民族の文化を計ろうとする。くりかえし言うが、文化はかならず特異で他に及ぼせば不合理なものであり、普遍性はない。ないからこそ、文化なのである。それを文明の尺度で文化を計ろうとするのは、体重計で身長を計ろうとするのに似ている。』(pp.491)

 この「文明ボケ」という語は、この「韃靼風雲録」の一つのテーマになっていると思う。上下2冊になるこの長編物語は、平戸の武士が女真の公女を助けて、日本と中国を往復する話なのだが、文明が衰退期に達した明国と、文明が及んでいない女真族の攻防を表しており、ついに愛新覚羅による清国が誕生する過程を示している。波乱万丈の末に、二人は明国の元官吏として鎖国中の日本に住み着いて、静かな余生を過ごした。文明国の合理性と普遍性を身につけたように感じさせられる。

 下巻の奥付によれば、この小説は「中央公論」で昭和59年1月から始まり、終わりは62年9月とある。二年半以上にわたるまさに長編だった。

 この司馬遼太郎の二つの文化・文明論からは、イノベーションを考える過程で、いくつかの興味ある表現がある。イノベーションが文明に相当し、街の発明家の作品や、王様のアイデアの商品が文化であるとの仮定で考えてみたい。文明をイノベーション、文化をアイデア商品という語に置き換えてみよう。

 「イノベーションというものは、それをどの民族にも押しひろげうるというシステムであるらしい。アイデア商品のように込み入ってはいない。また他からみれば理解しがたいほどに神秘的なものではなく、イノベーションは投網のように大雑把なものである。」

 「もともと小さな民族というものは、アイデア商品という、イノベーションからみみれば不合理なものだけで生きていた。アイデア商品こそ小集団が暮らしてゆく上で最善のものと信じていきてきたのである」となる。

 これらの言葉からは、日本におけるガラパコス化ともいわれる新商品競争の激化と、イノベーション不作の現状が見えてくるではないだろうか。

 明治維新の文明開化は、江戸文化があってこそだと思う。そこに欧米の文明が侵入して新たな日本文明が出来上がってゆくわけで、強固で優れた文化があってこそ、文明化の可能性があるわけで、イノベーションだけを望んでも、それは無理無体というものであろう。過去のイノベーションを遡れば、膨大な数のアイデア商品があり、それを如何に普遍化・標準化したかによることが明らかになる。航空機の歴史も、そのことを明確に示している。

 日本では、イノベーションを実際に目ざす人よりも、イノベーションを語る人の方がずっと多く、その傾向は今も続いている。私は、自身が携わった1980年代からの20年間のジェットエンジンの進化が、空の旅を快適化したイノベーションの一つだったと思っている。最近の低価格化と安心感は、それ以前のエンジンでは実現不可能だった。世界中のどの2地点でも、双発機でノンストップで行くことができるメリットは、全世界の旅行者(ビジネスと観光)のライフスタイルを変えたと思う。
それは、それ以前とは格段に異なる設計と製造の信頼性の上に成り立っているのだが、Boeingと世界のエンジン会社の協力体制で出来上がったものだった。この間の詳細については、拙著の博士論文(勝又[2009])に記した。

 これらの後に、メタエンジニアリング的な思考からイノベーションと「現在の文化と次の文明」について考え始めた。つまり、優れた文化を文明化するプロセスと、イノベーションは同じプロセスが必要だということである。

 勝又「初期品質安定設計法の提案と評価」東京大学大学院工学系研究科博士論文[2009]