生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

科学・メタエンジニアリング・工学(7) 第2章 現代科学が生まれたとき(その2)

2016年03月20日 09時27分22秒 | メタエンジニアリングのすすめ
第2章 現代科学が生まれたとき(その2)

2 自然科学と非自然科学の関係の変化


 欧州の学問体系は、キリスト教信仰のために長い中世を経験した。そして、ベーコン、デカルト、ニュートンなどにより変化が始まったが、自然科学の哲学からの分離は、彼ら以降さらに一世紀を要した。つまり、自然科学と人文科学の分離が起こったのは、19世紀後半で、この書の発行された1901年でさえも、上記のような状態だった。それが僅か100年足らずで完全に分離をして、お互いが結合どころか、疎遠になってしまった。

 当時は、人文科学にのみ実生活への価値が認められていたわけで、その突然の価値観の逆転は、第一次、第二次世界大戦の結果であると考えてみたい。つまり、当時の自然科学を駆使して開発をした兵器なしでは、何れの国も勝利をおさめることが出来ず、航空機に始まり、遂には原子爆弾まで実用化をしてしまった。そこで、哲学までもが、かのハイデッガーの名言通りに、「技術が世界を支配することになってしまった」と主張し始めた。
しかし、この価値観の未来はいかにも危険すぎる。やはり、自然科学は、価値の如何に拘わらず、自然の中の普遍性をありのままに理解するためのものであり、社会への価値は文化科学が生みだすものと理解した方が、地球と人類の持続的文明にとっては良いように思われる。そのことは、自然科学が生みだしたものであっても、その社会への価値判断は文化科学にゆだねられるべきとの結論になる。

 個性化的なものを一般的に記述することは、現代の自然科学の得意分野なのだが、彼の時代には未だ明確でなかったのかもしれない。当時は、科学に対する価値観の違いが現代とは真逆で、私は当時の文化科学と自然科学の価値観を支持する立場にある。そこに、新たなメタエンジニアリングという概念の価値を見出そうとも考えている。すなわち、「メタ」という感覚から、自然科学と非自然科学の関係を見直して、分離から再び統合の方向への変化を期待するものである。現代の唯物文明から抜け出す手段は、そのことによってのみ可能性が出てくるのではないだろうか。

3 百学連環からの逸脱

 Encyclopediaの訳語は、百学連環から百科事典になってしまった。
西周(にし あまね)が、Encyclopediaを訳した「百学連環」は、総ての学(Science)と術(Art)の連環が総体的・体系的に説かれた書と云われている。古代ギリシャの自然学も、古代ローマのリベラルアーツも科学と芸術と技術は一体であった。レオナルドダビンチまでは、全ては一つの個の中で連環をもって統合されており、そこから後世に残る優れたものが次々に生まれてきたと思う。
 連環の輪が怪しくなってきたのは、宗教戦争と産業革命であろう。つまり、近代科学による工業化が問題だった。だとするならば、工業化から知的社会文明に移る際には、又元の連環に戻ることが必要であるようにも思う。

「科学と技術」日本近代思想体系(14)、岩波書店(1989)には、実に興味深い話が多く書かれている。メタエンジニアリングの研究には欠かせない著書のひとつであろう。
 その中の第1は、西周の「百学連環」である。西は日本初の哲学者と云われるが、啓蒙家、官僚などの側面もある。最も大事なことは1862年から3年間オランダに留学し、当時の西洋科学と哲学を基礎から学び、多くの科学と技術に関する英語の日本語訳をつくったことであろう。その意味では、日本初のメタエンジニアリング者とも云える。

 Wikipediaには、次のような記述がある。
『西 周 (にし あまね、文政12年2月3日(1829年3月7日) - 明治30年(1897年)1月31日) は江戸時代後期から明治時代初期の幕臣、官僚、啓蒙思想家、教育者。貴族院議員、男爵、錦鶏間祗候。勲一等瑞宝章(1897年)。
 西洋語の「philosophy」を音訳でなく翻訳語(和製漢語)として「希哲学」という言葉を創ったほか、「藝術(芸術)」「理性」「科學(科学)」「技術」など多くの哲学・科学関係の言葉は西の考案した訳語である。上記のように漢字の熟語を多数作った一方ではかな漢字廃止論を唱え、明治7年(1874年)、『明六雑誌』創刊号に、『洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論』を掲載した。著書に『百学連環』、『百一新論』、『致知啓蒙』など。森鷗外は系譜上、親族として扱われるが、鷗外の母方の祖父母及び父が養子であったため血のつながりはない。なを、出生地については次の記述があるので、津和野では是非拠ってみたいところだ。
 石見国津和野藩(現、島根県津和野町)の御典医の家柄。父・西時義(旧名・森覚馬)は森高亮の次男で、川向いには西周の従甥(森高亮の曾孫)にあたる森鷗外の生家がある。西の生家では、彼がこもって勉学に励んだという蔵が保存されている。』


「百学連環」は、彼の京都の私塾で明治3年から教えられたことを、彼の死後に纏められたものと云われているが、総論は30頁弱で比較的読みやすい文章で書かれており、随所に英語が出るが、いちいち逐語訳が付いている。つまり、この単語ごとの正確を期した翻訳が新語を生み出したと云うことなのだ。



彼は、英国のEncyclopediaを熟読し、そこから色々な知識を得たようだが、その語源をギリシャ語に求めて、「童子を輪の中に入れて教育なすとの意なり」としている。
英語ではきちんとした語源が保たれているが、日本語はさっさと「連環」の語を捨ててしまい、「辞典」にしてしまった。そこで、百学分立が盛んになってしまったと考えられる。

 この書物は、1989年に発行されたのだが、巻末の解説を記した飯田賢一の文は「日本における近代科学技術思想の形成」と題して、次の記述がある。
『明治15年に「理学協会雑誌」が発刊され、当時は「理学」はいまの科学・技術分野全体の総称でもあった。(中略)佐久間象山以来の技術=芸術という受け止め方は、「工業大辞書」完結の大正初期のころまでなおひきつがれていたことになる。(中略)総じて、明治時代を通じ、人間がものをつくる生産技術にあっては、芸術と同じく手工的な技(わざ)や巧(たくみ)が肝心なものと受けとめられていたのに対し大正デモクラシー期の国際交流の高まりの中で、科学(理論)と技術(実践)との結びつきが促進され、生産技術は自然科学の応用(applied science)という考えが、急速に普及・定着しはじめた、といって差支えあるまい。』
 この文は、その後「日本科学技術思想史の特質」、「技術文化史の三段階」と続くのだが、ここでは省略する。



「百学連環」と云う言葉は、実は復活をしていた。2007年に日本書籍出版協会と日本雑誌協会が共同で纏めた、「百学連環 - 百科事典と博物図鑑の饗宴」凸版印刷 印刷博物館発行(2007)である。その年に行われた展覧会の記念本なのだが、日本工学アカデミーの「根本的エンジニアリング」や「メタエンジニアリング」とほぼ同じ時期に突然に復活したことは、必然的な関連を感じる。
 
 冒頭の「ご挨拶」は、こんな言葉で始まっている。『「百学連環」という素晴らしい言葉がありました。百にもおよぶ学知は、ひとつの環をなして連なっている、そんな理想を表現しています。明治の文明開化をになった知識人、西周の造語であり、エンサイクロペディアの邦訳語ということです。』

(以下は次号にて)

メタエンジニアリングのすすめ 第15話の6

2016年03月14日 13時05分36秒 | メタエンジニアリングのすすめ
科学・メタエンジニアリング・工学(6)

第2章 現代科学が生まれたとき(その1)
 
1 哲学からの分離

 人類が、将来にわたって科学を捨て去ることは無い。しかし、英国の産業革命に始まる現代の科学文明は、完全に唯物文明に変質してしまっている。当然のことながら、科学は物質だけのものではない。自然科学と人文科学とがあるように、物質と精神を同等に組み合わせた文明があるはずで、それが次の文明と考えられている。文明と文化の「文」は、宇宙の屋根(一)、その下に魂と物をX字に結ぶとも云われている。

・精神文明と物質文明、あるいは文化科学と自然科学



 精神文明と物質文明を十字に結ぶと本当の科学文明ができあがる。かつて、産業革命が佳境を迎えて、哲学から自然科学が完全に分離した時を迎えて、ドイツの哲学者ハインリッヒ・リッケルト[1939]は、「文化科学と自然科学」の中で、このように科学を定義していた。 
 『勿論科学の「統一性」は決して科学の全部門の一様性であってはならぬ。何となれば、あたかも世界が多様であるように、科学も多様な目標を立て、それに到達すべき種々の方法を完成するときに初めて此の世界の各部分を全部抱合することができるからである。(中略)科学の最上の統一はむしろ、多くの多様な部門を結合してそれ自身に完全な「有機體」とする統一であろう。この方向に本著の趣旨もまた動いているのであって、この意図から本著は理解されなければならぬ。』(pp.10)
 この文章は、哲学者の文章で多少分かりにくいのだが、考え方がメタエンジニアリングに通じる。つまり、哲学が多くの学問に分化して、大きく分けて自然科学と非自然科学に分かれたのちに、その包含する範囲と区別を明確にして、人間社会にとってそれぞれどのような結合により真に役立つものになるかといった問題を解こうとしている。彼は、非自然科学の代表を「歴史学」(つまり、人間の社会に現実に起こったこと)に置いている。しかし、各々の具体的な歴史は特殊であり、自然科学の目指す一般化とどのように結合するかを考えていたと思われる。

 この本との出会いは,「科学の本100冊」村上陽一郎[2015]だった。図書館の新刊本の棚で見つけて、読み始めた。1番目はアインシュタインの「自伝ノート」、簡潔にまとめられていて、ついつい読んでしまう。村上氏自身の科学知識の源を辿ることにもなるので大いに勉強になる、お勧め本だった。「文化科学と自然科学」[1939]は、第86番目。題名もさることながら、『この本の中のいくつかの項目で、私は、現在のような意味での「科学(自然科学)は、十九世紀ヨーロッパに誕生した、という意味のことをのべています。』以下、興味深い文章が続くので、もとの本をどうしても読みたくなった。
 1939年発行だが、岩波文庫の青帯本なので、何とかなるだろう。早速、世田谷区の図書館で検索したが、「なし」。次は、Book Offだが、これもNG。最後の手段はAmazonで、古本が8冊見つかった。値段が面白い。最安値は¥580で手ごろだが、次が¥3000付近に3冊、最後の2冊は何と¥18,900とある。貴重本は高値が多いが、これほどのバラツキは珍しい。早速に最安値を注文した。ちなみに、入手した第2刷の定価は、四十銭であった。勿論、横書きは右から左で旧漢字と旧仮名使いだった。引用は現用漢字と、一部を除き新仮名使いに改めた。

 冒頭の第6,7版の序には次のようにある。この記述を通じて、彼の論理が当時の様々な学者によって異論が出され、そのたびに彼が内容を見直し、改訂版を発行し続けたことがわかる。
 『本書のこの新版は、第3版(1915年)及び第4,5版(1921年)に対してと同様、ていねいに校閲せられ、若干の補遣が加えられている。(中略)それはこの、ロシア語、スペイン語及び日本語の翻訳さえ出ている小冊子に、どこまでも入門書としての特色を残さねばならなかった以上、是非もないことである。』(pp.8)

 科学に対する現代の価値観との違いが鮮明で、私は当時の文化科学と自然科学の価値観を支持する立場にある。正に、メタエンジニアリングだと感じたからである。本文を引用する。

 『私はむしろ、もし科学が文化生活の内実をあらゆる点で公平に取扱うと思うならば、文化生活は(その内容の特殊性のために)単に一般的にばかりではなく、個性化的にも(つまり歴史的にも)叙述されねばならぬといふ、その理由を示そうとするものである。そこからやがて個性化的手続きと価値関係的手続きとの必然的結合に対する洞察が生じてくる。』(pp.12)

 彼は、「非自然科学」を「文化科学」と命名した。現在の人文・社会科学であろう。そして、『文化科学の基礎が価値であるといふことは、多くの人には多分、もう殆ど「自明」のことと思われている。』(pp.16)と断言をしている。つまり、当時の自然科学は、自然をありのままに見つめるものであり、まだ社会に対して直接に価値を生み出すものとは考えられていなかった。

 彼は、「文化科学と自然科学の課題」として、次のように述べている。
 『非自然科学的な経験的諸学科の共通関心・課題及び方法を規定して、自然研究者のそれらに対して境界区画をなし得る概念を展開するという目標である。私は文化科学という語が最もよくかかる概念の特色を示すと思う。そこで我々は、文化科学とはどういうものであり、自然研究とどういう関係に立つものであるかという問いを提出しようと思う。』(pp.23)
 また、第2章の「歴史的状況」では、次のように述べている。
 『自然科学的時代(私は勿論17世紀のことを言っているのである)の哲学は自然科学とは到底切り離せない。この哲学―デカルトなりライプニッツなりを思い起こしていただきたいーは自然科学的方法の解明に従事して、これまた成功を収めている。そして結局18世紀の末にはもう近世最大の思想家(カントを指す)が、方法論にとって決定的な自然の概念を確立し、それを物事の「不変的諸法則にしたがって規定された限りに於ける」現存在とするとともに、自然科学という最も普遍的な概念を確立して、多分それを、見極める限りの将来に対して最後的なものにしたのである。』(pp.29)

 そのような思想は、第4章の「自然と文化」に、次の文章で より明確に説明されている。
『自由に大地から生じるのは自然産物であり、人間が耕作播種したときに田畑の産するのは文化産物である。これに従えば、自然はひとりでに発生したもの「生まれたもの」及びおのれ自らの「成長」に任せられたものの総体である。文化は、価値を認められたもろもろの目的に従って行動する人間によって直接生産されたもの、或いは(もしそれが既に存在しているならば)少なくともそれに付着せる価値のゆえにわざわざ擁護されたものとして、自然に対立する。』(pp.48)であって、当時の価値観からは、自然科学自体の価値は、非自然科学のなかでのみ生まれると考えられている。さらに、「自然に対立する」は、デカルトやカントなどの西欧的な自然観を強く感じる。
 そのことは、第6章の次の言葉で明白になってくる。
 『自然科学の諸成果を現実の上に適用するということ、換言すれば、その諸成果の助けを借りて我々の環境に通じ、それを計算するどころか、技術によって支配することまでできるといふことは不思議がる必要はない。』(pp.86)
つまり、「技術」もその特殊性において、文化の一部なのだろう。こうなると、現代の工学はおおいに困ったことになるかもしれない。
また、第11章の「中間領域」では、たとえば生物の進化の科学的な検証について、自然科学なのか、歴史学なのかといった問いに対して、中間領域の存在を認めている。
 『自然科学における歴史的要素に関しては、近代では主として生物学、殊に謂わゆる系統発生的生物学が問題になる。それは周知のごとく、地球上に棲む諸生物の一回的な発生過程をその特殊性に於いて叙述せんと試みるので、そのために実際もう度々歴史的科学と称せられて来たのである。』(pp.173)
 そうすると、工学も、中間領域と云えなくもない。
ここで、「技術によって支配することまでできる」と宣言していることは、西欧型文明の不幸の始まりとも思える。

(以下は次号にて)

科学・メタエンジニアリング・工学(4)

2016年03月14日 12時48分11秒 | メタエンジニアリングのすすめ
科学・メタエンジニアリング・工学(4)

第1章 科学と工学と技術を繋ぐ(その2)

4 メタエンジニアリングの主機能

 日本工学アカデミーが2009年11月に出した提言によれば、
「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『メタエンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける、である。従ってその主機能は、「俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技術の結合あるいは収束を根源的に捉え直す」との命題に答えるための広義のエンジニアリングの実践ということになる。

(この項は、以前にご紹介しましたので、以降は割愛いたします。必要な方は返信を頂ければ、個別にお送りいたします。)

5.比較文明学とメタエンジニアリング

「近代世界のおける日本文明、比較文明学序説」梅棹忠夫著、中央公論新社[2000]という著書がある。国立民族学博物館で1982年から1998年まで開催された谷口国際シンポジウム文明学部門での梅棹忠夫氏の基調講演の内容が纏められているものだ。
 第10回のテーマは「技術の比較文明学」であり、その中で興味深い記述がいくつかあったので、メタエンジニアリングの研究の一部として考察を試みる。



 その前に、比較文明学について少し触れておこう。梅棹は「比較文明学というような学問領域は、純粋に知的な興味の対象になり得ても、どのような意味でも、実用的な、あるいは、実際的なものにはならないであろう」と言い切っておられる。なんと工学と対照をなす領域ではないか。文明と文化の関係についての見方は『時間的な前後関係をもつものと考えてよいのかどうか、すこし違った見方をしています。(中略)文化というものは、その全システムとしての文明のなかに生きている人間の側における、価値の体系のことである。』としている。また、システム学とシステム工学の違いを、『システム工学は目的があるけれども、システム学は必ずしも目的を持っていない。「目的なきシステム」というものもあるのではないか』と記している。メタエンジニアリングの中に、目的のないエンジニアリングを想定すると、どんなことになるのであろうか、興味が湧く。

 本論に戻る。従来の技術論の在りていに触れたあとで、『工学的な技術論では、原理や材料、性能の評価に重点が置かれております。現実の社会に生活している人びととの関係からとらえるという観点が抜けていたのではないでしょうか。』とある。技術者はそんなことは無いと否定するだろうが、確かに20世紀の技術の生産物にはそのようなものが多かったように思われる。一方で21世紀には入ってからの所謂イノベーションと評価されるものには、「現実の社会に生活している人びととの関係からとらえるという観点」が深く盛り込まれているのではないだろうか。
 続いて、日本の文明と技術に対する欧米の見方を批判した後に、日本独特の事情についての評価が続く。そこには、工学者と異なる独特の見方が存在する。

 現代日本はベンチャービジネスが不得意とされている。その為に色々な政策や方策がとられているのだが、彼の見方は違う。『日本の場合、19世紀前半までに小経営体がひじょうに発達していました。(中略)小経営体というのは藩だけではありません。旗本領、寺社領などもあります。ものすごい数です。それによって組織の運営というものがどういうものかということを200年以上にわたって経験してきた。』とある。当時の社会では同じような傾向はドイツに見られるが、その他の国々では顕著ではなかった。現代でも日本の中小企業は健在だが、江戸時期の様な地域の殖産興業にはなかなか結びつかない。これは経営論だけの問題ではなく、工学と技術の力が昔ほど旨く社会に及んでいないからではないだろうか。
 また、総合技術についても、『日本の技術がうまく展開してきた背後には、総合技術の存在があったということも重要な要素ではないかと考えております。大仏建立や道路網の建設においても、総合技術がすすんでいたのではないかとかんがえます。』
 個人主義と集団主義についての見方は、『欧米と日本では個人主義のありかたがちがうのだと考えています。(中略)欧米の個人主義は豆つぶをあつめたみたいなもの。豆と豆との間には空気しかない。日本の個人主義は粒と粒のあいだを柔軟に拘束するものがあり、全体がゲル状態になっているのではないか。個人と個人をむすびつける文化的、心理的な要素がひじょうにたくさんあるのです。』

 技術の移転については、『部分的技術の導入はできます。しかし、全体の文明システムとして運転しようとおもったら、まずできないのではないでしょうか。』と断言されている。中国は、皇帝と官僚による長いい支配体制があり、インドのカーストと女性解放問題、韓国の両班組織の問題など、基本的な社会の伝統を較べて、日本が有利であると結論している。『中国のひとは人間操縦術みたいなものにたいへん熱心です。それは中国文化全体をつらぬくひとつのプリンシプルであると思います。人倫の話です。日本は人倫のことはあまり興味を持っていないようです。物をどうするか、これが日本技術の根底にあるのではないかとおもいます。』

 技術の情報化についても示唆に富んでいる。比較文明学の見方では『差異化とか付加価値化とかいろいろな表現がありますが、それらをすべてひっくるめて「情報化」ということばでくくれるのではないでしょうか。いまや技術は必要を満足させるという話ではなくなっています。(中略)技術の芸術化、あるいは技術の自己目的化が始まっている。日本技術はそこへきております。』である。1990年代の初頭にすでにこの様に技術のゆく先を見極めておられたことには驚きを感じる。
 
以上が、比較文明学者の日本の技術についての見方だとすると、メタエンジニアリングが取り組むべきいくつかの問題が見えてくる。
① 「現実の社会に生活している人びととの関係からとらえるという観点」
② 「目的なきシステムというものもあるのではないか」
③ 「技術の芸術化が始まっている」
④ 「技術の自己目的化が始まっている」
などのキーワードになると思う。これらをメタエンジニアリング的に捉えるならば、次のようになるであろう。

① 「現実の社会に生活している人びととの関係からとらえるという観点」
⇒人文科学や社会心理学などの見方を取り込み
② 「目的なきシステムというものもあるのではないか」
⇒工学の新分野になり得るのか?形而上学的な発想との関連を想定する。
③ 「技術の芸術化が始まっている」
⇒人間国宝の工芸家は、芸術の側で優れた工学を取り入れている。その逆を考える。
④ 「技術の自己目的化が始まっている」
⇒製造分野では、多品種少量生産がとうの昔に始まっているが、工学として考えると俯瞰的とは違った側面に注目する必要がある。技術の自己とは何か。


6 地球環境問題とメタエンジニアリング 

従来型のEngineeringとMeta Engineeringの関係を、様々な視点での世の中の動きと関係づけて考える。
この発想は、某大学院から国際学級向けの特別講義を依頼されて、国際環境問題についてメタエンジニアリングの立場から考えたときに得た結論である。現在生じている国際環境問題を、従来型のエンジニアリングで解くには、余りにも広範囲・複雑・長期間であり、改善の速度が悪化の速度に追いつくことはできないであろう。従って、新たなエンジニアリングであるメタエンジニアリングが必要になる。


① 環境問題の「社会問題化」とは、環境経済学、環境社会学などの発生と、それらの緩やかな連携の段階を示す。
 
② 環境問題の「国家としての問題化」とは、社会的な問題が国家としての組織的な問題に発展したことを示す。
 
③ 環境問題の「全地球的な問題化」とは、全ての国家のそれぞれの問題が組織的な統合をされなければ、根本的な解決が望めない段階を示す。

近代は偉大な時代であり、工業化社会は優れた世の中であった、と将来の歴史は評価をするだろう。たかだか百年か二百年ほどの間に近代工業社会の文明が人類と地球のすべてを急激に変えたと云えるからである。
しかし、この評価は現代が環境問題をどのように解決するかによって大きく変わってくる。人類社会における最悪の世紀だったとの評価を受ける可能性もある。従って、文明を語るには環境問題を避けて通ることはできない。このことについてメタエンジニアリングの考え方で現時点での考えを纏めてみようと思う。ここでメタエンジニアリングは、まだ学問的に成立したわけではないので、論旨が弱いことはご容赦をお願いする。

 先ずは、普遍的なものの代表として辞典から入ることにしよう。
「環境科学大辞典」講談社(昭和55年)という大きな辞典がある。その中の用語説明ではどのようになっているのであろうか。
「環境」の項目は、『生態学的には、環境はすべての外部要因と、生物の生命と発展に影響を及ぼす種々の作用との総体である、』で始まる。また、「環境工学」は、『人類の活動はどんなものであれ、その環境に多かれ少なかれ影響を及ぼす、』で始まる。つまり環境とは、もともとは生態学の問題であり、人としての活動の全てであるということのようなのだ。
昔からよく言われた、「環境決定論」や、和辻哲郎の「風土」を思い浮かべる定義のようだ。


・環境問題の歴史的推移
 

環境問題の学問的な歴史的推移を大雑把に追ってみよう。
環境問題の歴史は、①鉱害の時代、②公害の時代、③開発と自然保護の時代、④地球環境問題の時代とに分けられている。これは、学問面での主役が、自然科学(鉱害、公害)⇒法学、経済学⇒社会学の問題へと推移してきたように見える。しかし当然、社会学のみでは環境問題は解決できない。何故ならば、現代の地球環境問題は、加害源が複合的で特定化が困難であり、加害と被害の関係が不明瞭になっているという最大の問題が存在するからである。
 そこで、再び自然科学と工学の出番になるのだが、従来の範疇を超えた、「社会学⇒新たな工学(メタエンジニアリング)」という図式が見えてくるのである。

・工学から社会学への主役の移動は、なぜ起きたのか


この主題に不満な工学者は多いと思う、しかし落ち着いて反省をしてみよう。
『世の中には数え切れないほどの学問分野がある。「なぜ」を問うものは多くない。社会学はその数少ない学問の一つである。社会は私たちに影響を与えるこうした事柄にたいして、「なぜ」という問いを発して、時には批判し、時には新たな提案を行うのが社会学という学問である。』
『環境の社会学は、私たちがこの時代に、この社会の中に生きているということの意味を問うための学である。環境を考えることは生き方を考えることである。』
これらの文は、関、中澤、丸山、田中共著「環境の社会学」有斐閣、2009の冒頭の言葉である。

以前に、「物理学はなぜを問わない。なぜ万有引力が存在するのか。なぜ相対性原理があるのかは問わない。」と書いたことがあった。工学も近代機械文明の中にあっては、WhatとHowに夢中になり、次第にWhyが軽視されてきたように思える。そこに落とし穴があったようだ。
一方でメタエンジニアリングは、学問分野を超えた根本的な「なぜ」を問い直すことを一つの手段としている。

工学から社会学への主役の移動について、なぜそうなったかを考えてみる。この著書には、『信用されなくなった専門家たちは、「科学的知識が足りない」「ゼロ・リスク症候群にかかっている」といって大衆を攻撃する。リスクについて述べる場合には、われわれはこう生きたい、という観点が入ってくるのである。リスクというのは煎じつめると価値観と文化の問題であるとの指摘が古くからある。』とある。これが、社会学から見た工学への見方になる。

 社会学での言葉に「目的移転」という表現がある。『いったん技術とか制度が安定すると、それらの手段を使って達成するはずだった目的がどこかへ行ってしまい、手段の維持をめぐる問題にエネルギーがそそがれるということになりやすい。』ということなのだ。エンジニアリングでは、手段の目的化と云えることなのだろう。実は、エンジニアリングの世界ではこのことが頻繁に起こっているのではないだろうか。目先の技術的な成果に集中してしまい、本来の大目的からそれてしまうことがしばしば見受けられる。このことは、過去の環境問題ではしばしば見受けられたことであり、社会学への傾倒の一つの原因であったように思えてくる。

一般に、リスクが見つかる度に、それを新たな科学技術によって抑え込むと云うのが、20世紀後半の社会がとってきたやり方である、と社会科学者が指摘をする。しかし、原因が地球単位で複雑化をすると、自然科学者は不確実な予測を出さざるをえなくなる。そこからエンジニアリングのジレンマが始まっているのだ。

(長くなりますので、この続きは次号にて)

メタエンジニアリングのすすめ 第15話の3

2016年03月13日 09時00分22秒 | メタエンジニアリングのすすめ
科学・メタエンジニアリング・工学(3)

第1章 科学と工学と技術を繋ぐ(その1)

1 科学と現代工学の最大問題 


 現代文明が崩壊の危機に直面しているといわれ始めて十数年が経過した。その原因の多くは、地球環境を破壊するまでに拡大した科学技術による唯物文明のグローバル化によるものと考えられている。地球温暖化による環境破壊の影響の甚大さに、世界中の全ての国で温暖化対策を実行するとの合意が、2015年12月12日にパリで開かれていたCOP21の会議で採択された。これにより、ようやく人類共通の危機感が共有されたことが証明された。ここまでに、21回もの大国際会議が必要であったことは、如何に難題であったかがうかがえる。
 その席での合意内容の重要な項目は、先進国から途上国への対策のための資金援助であった。これは、「科学と技術が問題を解決してくれる」との期待が込められている。しかし、これからの世界において、科学と技術というものが、問題を創り出すよりも多く かつ早く問題を解決してくれるという仮定は、はたして正しいと言えるであろうか。
 過去の環境破壊のスピードは、問題が発見されてから対策を講じることで、何とか破壊を免れることに成功した。フロンガスによるオゾン層破壊などは、好例であった。しかし、グローバル化と途上国の経済的発展のスピードが、過去の何れの時代よりも高速化しつつある現代において、その確信はない。新たな科学技術の創造物のImplementationは、より慎重でなければならない。即ち、潜在する課題の未然の発見である。
 現代の工学のあり方の大問題について、面白い論文に出合った。詳細は第3章の「欧米のメタエンジニアリング」に記すが、中身は以下の言葉で始まっている。
 『エンジニアリングは学会、職業、そして概念として進化し続けている。エンジニアリングの概念を記述することも、継続的に明確かつより正確に進化するプロセスであるとともに、それは常に、更により明確に、より正確になる可能性を持っている。
 そこで、我々はエンジニアリングの本質を見つけようとこのプロセスの小さな一歩を踏み出し、さまざまな種類のエンジニアリング活動に共通しているものを特定し、その定義の幅を広げることを試みる。任意のエンジニアリング活動の共通点として必要な条件を提案する。また、仮想的な定義として、メタエンジニアリングというコンセプトを提案する。
我々は、科学とエンジニアリングとを区別し、重要な側面で互いに対向していることを示す。お互いの方向は正反対でだが、両立しないものではない。両者の統合的な視点を識別し、サイバネティックループを介してそれらを相乗的に関連付けることができる。また、エンジニアリングと産業にも相乗的な関係があることも示す。これら2つの統合的な視点から、エンジニアリングの役割が科学と産業の「サイバネティックな架け橋」として、更にはそれらと社会との懸け橋であることを示すことができる。
 我々の提案した定義がもつ意味の帰結として、また、グローバル化現象により生じる新たな要請として、そしてグローバルエンジニアの養成の必要性が増すことにより生じる要請として、エンジニアリング教育でなされるべき重要な変更も示す。(中略)王立工学アカデミーのフェローのSir. Robert Malpas (2000) によると、「いわゆる新経済はエンジニアリングのプロセスを通じて形成され、かつ形成され続けてきた。エンジニアリングが社会と経済に浸透することが明らかになった。」(pp. 6-9) エンジニアリングが世界を変える上で重要な役割を果たしている、しかし、エンジニアリングは、それによって変えられている世界に適応して変わりつつあるのだろうか?』である。
 この論文に示されたメタエンジニアリングの定義は、我々のものとは異なる点もあるのだが、その発想は全く同じところにあるので、敢えて紹介する。

2 細分化された科学と工学のおおもと

 現代の科学と工学は、もちつもたれつの関係にある。工学が最新科学によって進化をするのは当然なのだが、科学もまた、最新工学の成果なしには、前に進むことはできない。そこで、科学と工学は文明という大木の枝であり、根っこは一つでなければならないとの考えが成立する。このような概念は、抽象的と言われるかもしれないが、何事によらず根もとはしっかりと固めておかないと いけない。
「文明の設計」という視点から考えると、現代の細分化された科学と工学は詳細設計に相当する。そこで、構想設計、基本設計に相当するものをしっかりと押さえておかないと、正しい製品を設計することはできない、ということである。
 この構想設計、基本設計に相当するものは、メタエンジニアリングである。「メタ」の持つ意味は、アリストテレスの形而上学では、「すべての自然学が出尽くした後で、そのおおもとを探る」であったが、最近の欧米では、「新たな物事を設計する際の設計の方法論」とのとらえ方が多い。メタエンジニアリングは、その両方の意味を含めた「メタ」を目指している。

3 工学の上位概念としての「場」

 工学(Engineering)は、従来「社会にとって必要とされるものをつくるためのもの」と考えられてきた。Wikipediaには次のようにある。
 『日本の国立8大学の工学部を中心とした「工学における教育プログラムに関する検討委員会」の文書(1998年)では、次のように定義されている。工学とは数学と自然科学を基礎とし、ときには人文社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問である。工学は大半の分野で、理学の分野である数学・物理学・化学等々を基礎としているが、工学と理学の相違点は、ある現象を目の前にしたとき、理学は「自然界(の現象)は(現状)どうなっているのか」や「なぜそのようになるのか」という、既に存在している状態の理解を追求するのに対して、工学は「どうしたら、(望ましくて)未だ存在しない状態やモノを実現できるか」を追及する点である。あるいは「どうしたら目指す成果に結び付けられるか」という、人間・社会で利用されること、という合目的性を追求する点である、とも言える。』

 Engineeringのもう一つの意味である技術は、工学の成果を用いて様々な社会の要求に答えて現代社会を作り上げた。即ち、近代工業文明である。一方で、約2世紀間にわたるこの文明の発展により、地球環境問題をはじめとする多くの大問題が生じてしまった。
 現代では、世の中の全ての人間の活動は工学の成果なしには成り立たない。政治、経済、文化、宗教、生活等、すべてエンジニアリングの成果を用いて成り立ち、かつ持続的発展の可能性を保っていると云うことができる。そして、遂には地球の未来にまで影響を及ぼすことが明らかとなった。このことは、第2次世界大戦の前後にドイツの哲学者のハイデッガーが「技術への問い」という論文の中で述べている。近い将来に技術が世界の全ての人間活動のもとになるであろうとの説である。つまり、エンジニアリングというものが、社会の一部であったものから、世界全体を占めることになってしまったわけである。 
 そのような状態下で、エンジニアリングは従来の考え方だけで良いのであろうか。つまり、そのときどきの社会が求めるものを実現させるものを、単に作り続けることの危険性の増大をどのように排除してゆくかである。極端な言い方をすれば、社会がエンジニアリングの内にある、と考えた場合のエンジニアリングの定義の問題が生じる。

 もう一つの大きな問題は、グローバル化によるスピードの問題だ。現在のイノベーションは、スマートフォンなどに見られる如くに即日中に全世界に広がってしまう。もし、従来の数々の事例にあるごとくに、公害や副作用があった場合には、その影響は限られた地域に留まることはない。したがって、この様な状態は、エンジニアの責任の重大さが以前にまして数十倍、数百倍になったことを示している。

 このことを、古代ギリシャにあてはめてみた。ソクラテスやプラトンが社会現象を色々な見方で分析をした結果が、アリストテレスに引き継がれた。彼はその先を突き詰め、倫理的な考えを経て、全ての根源を考える学問としての形而上学を始めた。当時の自然学(Phisica)の元を解明するためのものとして、それはMeta-Phisicaと命名された。この形而上学は中世に至るまで学問と哲学の分野で進展をしたが、現実世界とのかい離が大きく近代社会では重要視されなくなってしまった。そして、現代社会は再び根本に戻らなければならない時を迎えているのではないだろうか。
 この様な経緯から私は、これからのエンジニアリングは、従来のEngineeringと並行して、Meta-Engineeringという考え方が新たに必要であると考える。メタエンジニアリングという言葉は、日本工学アカデミーから2009年に発信された。

 社団法人日本工学アカデミーの政策委員会から、2009年11月26日に出された「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ メタエンジニアリングの提唱 ~」という「提言」では、「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『メタエンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける、としている。

 この提言に基づいて発足したアカデミー内の部会では、メタエンジニアリングの実装を目的とした議論が続けられているが、私はその内容がやや狭い範囲に留まっているという印象を持っている。すなわち、メタエンジニアリングの主機能を新たなイノベーションの発見と持続にのみ求め過ぎているように思われる。それ自身は必要かつ、特に現在の我が国にとって大切なことなのだが、メタエンジニアリングという言葉はもっと広義の新たなエンジニアリングでなければならない。私は、提言にある「上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」という部分を強調してゆきたいと考えている。

 19世紀から盛んになった現代の工業化社会の文明は、20世紀終盤から一気に情報化社会、更には知識社会へと変貌をしている。知識社会文明という言葉はまだ一般的ではないが、早晩21世紀の文明の座を得るであろう。その中にあって、現代の工業化社会文明の最も基礎的な部分を担ってきたEngineering(工学と技術)は、従来のままで良いはずはない。知識社会文明に対応した新たなEngineeringが必要となるであろう。それをMeta- Engineeringと定義してみようと思う。

 この発想は、数年前に聞いたある先進的な学会での高名なパネリストの発言に端を発している。すなわち「私は自然科学者なので、社会科学者のおっしゃっている言葉が良く理解できません」というものだ。工学の多くは自然科学に依存している。そして、現代の全ての人間活動はエンジニアリングの生産物の上に成り立っているといっても過言ではないであろう。しかし、近年のグローバル化の急激な進展においては、エンジニアリングの特に広義の設計(デザインというべきか)の結果は、社会科学的、人文科学的かつ哲学的にも正しいものでなければならない。そうでなければ、人間社会の持続性が危ぶまれる事態になりつつある。過去における様々なEngineering Schemeが引き起こした、副作用や公害や更には地球の持続性を脅かすような経験は、もはやこれからのEngineeringには許されない場面がより多く存在することになるであろう。
 そして、知識社会文明における新たなエンジニアリングとしてのMeta- Engineeringは、先ずは、現在の社会に存在する様々なイノベーションの結果をMeta- Engineeringの眼で見なおしてみることから始めてはどうであろうか。
 例えば、便利さを求めてひたすらデジタル化を進めることにより連続的にものごとを捉えて深く考える習慣の欠落、日本の品質という名のもとに、ひたすら品質の完全性を求める姿勢、競争に勝つための技術的な進化の過程におけるWhat優先の弊害としてのWhyの伝承不足などは、「上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」という見地から考察の余地が身の回りのそこここにあるように考える。
この例はごく卑近なものなのだが、技術の上位概念を人文科学、社会科学、心理学、生態学、さらには哲学にまで広げると、Meta- Engineeringに付託すべき新たな課題は現代社会に無数に存在しているのであろう。

現代の流れ

 科学 ⇒ 工学 ⇒ もの・ことつくり


メタエンジニアリング導入後の流れ

 科学 ⇒ メタエンジニアリング ⇒ 工学 ⇒ もの・ことつくり


(続きは、その4にて)

メタエンジニアリングのすすめ 第15話の2

2016年03月13日 08時52分34秒 | メタエンジニアリングのすすめ
 科学・メタエンジニアリング・工学(2)目次

 はじめに全体像を把握していただくために「目次」を紹介します。しかし、これは現時点のもので、まだ確定ではありませんので、ご参考程度にご覧ください。

第1章 科学と工学と技術を繋ぐ 
この章では、2世紀にわたって細分化が進んだ科学と工学が、現代の地球環境の悪化などの問題を引き起こした主原因と考え、その解決方法を探ります。           

  1 科学と現代工学の最大問題            
  2 細分化された科学と工学のおおもと        
  3 工学の上位概念としての「場」          
  4 メタエンジニアリングの主機能          
  5 比較文明学とメタエンジニアリング        
  6 地球環境問題とメタエンジニアリング       
  7 持続的なイノベーションとメタエンジニアリング  
  8 トランス・エンジニアリングとメタエンジニアリング

第2章 現代科学が生まれたとき
 この章では、暗黒の中世から抜け出して、イスラムを凌駕して西欧科学文明が始まった、初期からの推移を追ってみます。
            
  1 哲学からの分離                 
  2 自然科学と非自然科学の関係の変化        
  3 百学連環からの逸脱               
 
第3章 エンジニアリングとメタエンジニアリングの本質
 現代のエンジニアリングが変わらなければならない状態にあることを示した、欧米の権威筋の発言を紹介し、東洋的な考え方との対比を示します。
 
  1 欧米のメタエンジニアリング           
  2 日本のメタエンジニアリング           

第4章 科学の信頼性喪失と疑似科学の関係
 福島原発以降に急激に高まった、科学への信頼感の喪失の原因をさぐります。
       
  1 現代の疑似科学とは何か             
  2 メタエンジニアリングと疑似科学について     

第5章 エンジニアはどうしなければならないのか
 1960年代後半に起こった、東大紛争以来の工学の在り方についての、関係者の葛藤を振り返ります。
     
  1 「失敗の本質」より
  2 「工学部は何を目指すか」の場でのメタエンジニアリング(1)
  3 「工学部は何を目指すか」の場でのメタエンジニアリング(2)
                          
第6章 現代の自然科学と人文社会科学の関係 
 最近盛んになった、人文科学系との連携について、メタエンジニアリング的な考え方を示します。
     
  1 現代の人文社会科学の価値            
  2 文学はなぜ必要か                 
  3 科学と経済学の関係               

第7章 地球上での文明の持続的進化のために
  地球文明の持続的進化について、どのように変えてゆくべきかを考えてゆきます。
     
  1 文明の衰退の時期が近づいている         
  2 文明が衰退するのは何故か           
  3 文化と文明に対するメタエンジニアリングの役割 

補章 アリストテレスとメタフィジック
  なぜ、メタエンジニアリングの出発点が、古代ギリシャ時代まで遡ったかの説明です。  

(以下は、その3に続く)

メタエンジニアリングのすすめ 第15話の1

2016年03月13日 08時43分26秒 | メタエンジニアリングのすすめ
科学・メタエンジニアリング・工学(その1)はじめに

 私がメタエンジニアリングの研究を始めてすでに5年間が経ち、考えがだいぶ纏まってきました。それは、次の二つのテーマに絞られます。
第一は、現代の西欧型科学文明のままでは、地球環境や生活の満足度がますます悪くなるであろう、という懸念です。そのために「優れた日本文化の文明化のプロセス」というテーマを掲げました。
第二は、西欧型資本主義と現代文明の基となった、科学と工学と社会の関係への疑問です。グローバル経済とイノベーション指向に埋没して、世界中が唯物文化に急速に席捲されています。この状態が、第一の問題をさらに悪化させているのではという考えです。そこで、科学と社会の間にメタエンジニアリングという概念を置いて、科学と工学の関係を見直すために、「科学・メタエンジニアリング・工学」というテーマを設定しました。
 二つとも、大それたテーマであることは重々承知していますが、その場考学半老人の妄言として、しばらくのおつきあいを願えれば、幸せです。さらに、所謂各方面のベテランの方々が、このようなテーマをともに考えてくだされば、望外の喜びと存じます。

 この二つのテーマにつきましては、既に小冊子に纏めておりますが、今回からは、まず第二のテーマにつきまして、その「まえがき」から順次紹介をしてゆきたいと存じます。

まえがき

 一般の人からの科学に対する信頼が急速に低下している。福島第1原発の事故とその対応のまずさがそのことに油を注いでしまった。「科学技術の敗北」などという記事が散見される。もはや、科学者の言動をそのまま信じる人は皆無であり、社会全体としてこの傾向は当分の間続いてしまうであろう。

 その理由は大きく二つに分けられる。第1は、科学と疑似科学が混在していること。第2は工学の分野での科学の具現化に誤りが存在すること。詳細は本文で述べることにするが、インターネットの普及による広い意味での情報の混乱と、技術の進歩の急速化が、従来さして問題にならなかったこの二つの問題を顕在化させてしまった。特に複雑な技術の進歩の急速化が現代人の脳の進化を大幅に超えていることは、生物学的には種の絶滅への方向を示しているとも云われ始めている。

 この問題を根本的かつ持続的に解決するために、科学と工学(即ち、エンジニアリング)の間に、メタエンジニアリングという新たな学問分野を置いてみることを試みてみようと考えている。科学の成果は自然界に存在するあらゆる現象なりものごとを論理的かつ合理的に説明することであり、それ自身に悪は存在しない。なぜならば、この宇宙は125億年の歴史があり、この地球には46億年の歴史がある。その間に全体が最適になるように変化してきた結果が現在なのであるから、生物の食物サイクルなどにみられるように、全体が調和をしている。従って、純粋に正しい科学を信頼しないことは、明らかに不合理なことに思える。つまり、科学への信頼性の欠如は、正しくない科学を科学と信じてしまうか、科学の使い方(即ち工学)に誤りがあるかのいずれかであろう。
 その二つの事柄を、より明確にして間違えを正す方法を考えてゆくことに、メタエンジニアリングを適用する試みが、本書の狙いである。つまり、メタエンジニアリングの基本命題は、「人類の将来にとって、本当に正しいということはどういうことなのか。そのことを念頭に新たな創造を進めるためには、どのようなプロセスを行うべきか」などである。 そこで、「科学・メタエンジニアリング・工学」というテーマでメタエンジニアリングの主機能を提案しようと思う。
 
 工学は約2世紀に亘って様々な分野での専門化が急速に進んだ。そして、その細分化の弊害が顕著になり、学際的な新分野とか俯瞰的統合化や融合・連携など色々な工夫が実際に試み始められている。しかし、工学の基本が「人の役に立つものことを、広い意味で設計すること」とする限りにおいて、この傾向には聊か疑問を感じてしまう。それは、私が長年にわたって大型航空機用ジェットエンジンの国際共同の設計開発の現場で色々な変化を見てきたことから発している。
 世の中のもの作りの産業界は、随分前から技術指向(すなわちシーズ・オリエント)から顧客志向(ニーズ・オリエント)に急速に変化をした。もはや懸命な新技術の研究によるシーズ・オリエントで一時をリードしても、最終的にはニーズ・オリエントを徹底する企業に負けてしまうという事例には事欠かない状態にあると云えるであろう。
 この様な見方で工学の学問分野をみると、依然としてシーズ・オリエントに固執しているように見えてしまう。そこで、メタエンジニアリングの機能との関連が出てくる。最近の研究会や論文の傾向は、一見するとニーズ・オリエントに見えることが多い。しかし、ニーズの中身をメタエンジニアリング思考すると、聊かの疑問を感じる。それは、科学や工学という学問分野での「ニーズ」のとらえ方にある。産業界の「ニーズ」は、あくまでも顧客であるが、学問の「ニーズ」は、産業界のそれとは明らかに異なるべきであろう。それは、社会全体とか地球環境の保全とか、人類文明の持続的発展とかといった、社会全体を対象とした「ニーズ」であるべきではないだろうか。学問分野の細分化のせいで、「ニーズ」も専門領域の範囲にとどまっている傾向がみられる。

 メタエンジニアリングは、工学的な発想や創造を従来以上の範囲に広げてゆこうという活動である。ひと⇒人間⇒文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学⇒自然科学⇒工学⇒技術という流れの中で、現代のエンジニアリングは、末端の3つのステップに集中して進化を遂げてきた。しかし反面多くの公害や環境異変をもたらす結果となった。好むと好まざるとによらずに、この傾向はグローバル競争時代にはますます激しくなることが予測されている。そこで、それを正す一つ方法として考えられるのが、新たなもの・ことを創造するエンジニア自身の思考範囲を「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という上流まで遡らせるという考え方である。
 つまり、工学の価値の原点を自然科学分野に求めるのではなく、「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という場において、そこから生じる価値を上位に置いて括りなおしてみてはいかがなものであろうか。
 例えば、幸福度・安心度・地球環境の向上・文明の進化といった具合である。この価値は、便利とか安いとか簡単にとか、より合理的にといったものとは異なり「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という場から生じるものである。工学は現状の延長上での発展を続けるものとして、科学と工学の間に思考の場を持つ新しい工学の考え方として「メタエンジニアリング」の主機能を定義する試みを、第2の狙いとしてみようと思う。

 現代科学は、近未来に向かって更なる分化と専門化が進み、また政治がらみのトランス・サイエンス(詳細は第1章の8)も盛んになるであろう。従って、いったん出来上がってしまった科学への不信を、科学自身の手で解消することは、ますます困難になるであろう。そこで、科学と実社会の間にメタエンジニアリングという緩衝材がますます必要になると想像している。

 重ねて申し上げますが、私のメタエンジニアリングは現代の科学や工学の在り方を否定するものでも、止めようとするものでもありません。これらは若手の現役世代に任せて、それと並行して、種々の経験を積んだベテランが、従来とは別の視点で現代を見直してみようという試みなのです。
 その意味において、あえて科学と工学の間に、「新しい場」を設けたつもりでおります。
(以下はその2に続く)