生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(178)文明としての徳川日本

2020年09月20日 09時55分51秒 | メタエンジニアの眼
書籍名;「文明としての徳川日本」 [2017]
著者;芳賀 徹  発行所;筑摩書房
発行日;2017.9.15
初回作成日;R2.9.20 最終改定日;
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



 著者は、比較文化論の著名人。江戸文化という言葉はよく聞くのだが、徳川文明という言葉は聞いたことが無かった。
しかし、「優れた文化が、他の文化を取り入れながら、合理性と普遍性を持つようになり文明になる」と考えると、江戸時代は、まさに徳川文明と云えそうである。
 目次には、「洛中洛外図屏風」に始まって、多くの絵画の名前が並んでいる。絵画から文明を見出だそうという発想に見える。
 「プロローグ」が10頁近く続いている。英語圏の日本研究では、Tokugawa Japanという呼称が定着しているという。この呼び方を受け入れると、『少なくとも徳川日本に関する従来の二つの迷妄から脱することができるように思う。』(pp.11)とある。「二つの迷妄」とは、
① 歌舞伎、浮世絵、花魁などの言葉で、せっかくの文明の豊麗さを狭く小さくしている
② 封建社会と見下して、暗黒時代の印象を与えている。とくに、「夜明け前」のイメージが広がってしまった
の二つ。確かに、島崎藤村の小説の印象は強い。教科書にも何度も引用されている。私は「夜明け前」という名前の日本酒が大好きだ。(これも、一つの文化)
 江戸時代の265年間は、世界史上稀な、いち政治体制がはっきりと初めと終わりをもった「尾頭付き」の文明体に他ならない。(pp.16)
文明としての要素を挙げてみると、確かに文明と呼ばれても遜色がない。
 ・教育水準の高さ
 ・実学的合理思想の発展
 ・内戦、対外戦争、宗教争いが無い
 ・様々な文化が発展した
 著者は、そのことを二つの「洛中洛外図屏風」を詳細に研究することから見出だした。上杉本に書かれた2485人と、その約40年後に書かれた舟木本の2728人の公家、武家、宗教者、職人、商人、農夫,漁師、巡礼、聖、役者、遊女、、乞食の服装、表情、仕草から読み取ったのだ。
 『上杉本の右隻第四扇では、室町通を東にちょっと入った路地で、駕寵から下りた母親らしい女が医者の竹田法印の家の築地塀の横に向かって子供におしっこをさせている。』(pp.33)とか、
 『このコックスらしき西洋人は、もう一人の従者に黒い大きな洋犬を赤い綱で連れさせているし、コックスの横につきそう帽子の少年も茶色の小さめの犬を曳いている。黒犬が「京都の夏は暑いな」とばかりに赤い舌を出して瑞いでいる』(pp.34)といった具合である。ちなみに、コックスとは平戸のイギリス商館長で、1616年に京都見物をした記録が残されている。
 平安時代からの伝統的なやまと絵にある、月次絵と名所絵(つまり、あらゆるところの四季の景色と風俗)は、その時代の文化を的確に表している。そこから読み解ける江戸時代の文化は、まさに文明の域に達している。

メタエンジニアの眼シリーズ(181)メタサイコロジー論

2020年09月20日 08時35分14秒 | メタエンジニアの眼
書籍名;「メタサイコロジー論」 [2018]
著者;ジークムント・フロイト  発行所;講談社学術文庫
発行日;2018.1.11
初回作成日;R2.9.20 最終改定日;
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



 冒頭には「凡例」があり、翻訳者の十川幸司の説明があるが、その冒頭はこのようにある。
 『 本書は、ジークムント・フロイトが一九一五年に執筆し、「メタサイコロジー序説」の表題で一冊の書物にまとめることを意図していた論考のうち、現存する五篇および草稿として残された一篇を収録し、「メタサィコロジー論」の表題のもとにまとめたものである。』(pp.5)
 つまり、フロイト自身が「メタ」であることを宣言している。そのことは、文末の「訳者解説」の冒頭で明示されている。
 『未発表の論考のタィトルを「意識」、「不安」、「転換ヒステリー」、「強迫神経症」、「投影」、「昇華」、「転移神経症概要」
と推測している。この中で、偶然にも最後の論文である「転移神経症概要」は、(中略)本書は、この最後の論文(草稿)も含めた、現存する六つの「メタサィコロジー論」の新訳である。』(pp.181)
 つまり、この時フロイトは、サイコロジーというものを一段上の次元で纏めようと試み始めたことを意味している。しかし、出版に至らなかったことは、その試みが、彼自身の中で纏まらなかったことを示している。何故纏められなかったのか。それはエンジニアリング的に考えれば当然のように思える。つまり、通常の学問ならば「メタ」思考はある程度可能ななおだが、サイコロジーだけは、かえって自縄自縛に陥ると思うからである。12の論文の題名だけを見ても、そのことが強く感じられる。
訳者は『フロイトが、精神分析独自の方法論的意識を持って包括的な理論構築を試みた、その出発点を示す「書物」なのである。』(pp.182)としている。つまり、ここでは「メタ」は「包括的な理論構築」を試みる為となる。
サイコロジーの出発点は、曖昧なものしかない。彼は、サイコロジーも他の科学分野も同様であると云いたかった。その試みは、この「メタサィコロジー論」により、中半成功したように思える。
そのことは、第1の論文から始まっている。
 第1の論文名は「欲動と欲動の運命」とある。書き出しからは、サイコロジーを科学の一分野として認めさせようとしているように思える。
 『科学的作業の本当の始まりは 、むしろ現象の記述にあり、そののちに、現象を分類し、配置し相互に関係づけるのである。すでにこの記述の段階において、素材に一種の抽象的な観念をあてはめることは避け難い。この抽象的な観念は、新しい経験だけから導かれたものではなく、経験の外部から持ち込まれたものである。素材をさらに加工していく際に、抽象的な観念はますます不可欠なものとなり、それがのちに科学の基本概念となる。』(pp9)と云っている。
 ここで、なぜ第1の論文が「欲動」なのだろうか。心理学の素人には分からない。翻訳者は、こう述べている。
 『しかし、精神分析の臨床が、私たちの生を規定している欲動のあり方を言葉によってどう変えるかを問う実践だとすれば、「欲動」こそが精神分析の理論と臨床において根幹をなす概念ではないだろうか。精神分析理論の概念の曖昧さに不満を感じていたフロイトにとって、まずはこの概念を可能なかぎり厳密に定義することが緊急の課題であった。』(pp.192)
 つまり、「欲動」とは、
『フロイトは生理学の知識を援用しつつ、欲動は外部刺激とは異なり、身体内部からの恒常的な刺激であるために、私たちは欲動から逃避という形で逃れることができないこの欲動の働きが私たちの「内部」と「外部」という区別を生み出し、神経系を無限に複雑な形に進化させる原動力となった。さらに、フロイトは欲動を衝迫、目標、対象、源泉という四つの観点から特徴づける。ここで重要なのは、欲動は常に 能動的であり、満足を目指すということである。』(192-193)というわけなのだ。
 彼は、「欲動」と「刺激」の関係を細かく解きほぐしてゆく。例えば、「欲動刺激」と「生理学刺激」を分けて、それぞれの「満足」に至る過程を示している。そこから、次に続く「抑圧」と「無意識」が出てくるのだが、この第1の論文は別として、以降に掲げられた論文「抑圧」、「無意識」、「夢理論へのメタサイコロジー的捕捉」、「喪とメランコリー」、「転移神経症概要」は、いずれも素人には歯が立たなかった。僅かに、「無意識」の中にはわかりそうなことも書かれているのだが、そこではあまりにも性行動に結び付けすぎているように感じられた。
 メタエンジニアリング的に考えると、「欲動」は人間の精神活動の根源で、エンジニアのイノベーション指向などは、その一つと思う。

処暑(8月23日から9月7日ころまで) ひぐらしの声

2020年09月01日 08時18分05秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓の20年前と今を考える

処暑(8月23日から9月7日ころまで)
ひぐらしの声




 ひぐらしの鳴く声は ほぼひと夏中聞くことができる。
小学生の頃に東京でオスメスともに捕まえるのには苦労をした覚えがある。昆虫採集で、にいにい蝉やミンミン、アブラ蝉は簡単なのだが、こいつにはてこずった。何せ、夏休みの終わりの頃にしか現れない。しかし、ここでは最初に鳴きだすのも、ひぐらしなのだ。蝉はやたら多い年とそうでもない年があるのだが、やはり年々少なくなってゆくのだろうか。食物は樹液なのだから、それが減っているようには思えない。何が原因なのだろうか。
 最近は、蝉取りをする小学生を見かけることはないので、蝉にとっては好都合なのだが。


綿柎開 (処暑の初候で、8月23日から27日まで)
赤ゲラ、小ゲラ




 朝方に木をつつく音を時々聞くことができる。しかし、眼にする機会は減ってきたように思う。お向かいの屋根の下には、CDがひらひらと舞っている。何度直しても、こいつらにつつかれて穴があいてしまうとのこと。
 家を作った時に切り倒した丸太には膨大な数の虫が巣くっていた。板にするためには、木の皮をはがして暫くの間乾かさなければいけない。皮を剥ぐのが遅くなると、虫は異常な早さで繁殖をして、木の表面を台無しにしてしまう。白いウジ虫のようなものだが、成虫が何かは知らない。虫は縦方向に木の皮の裏を食べてゆく。アカゲラはらせん状につついてゆく。非常に合理的な見つけ方をしているのだ。
 あれから20年、アカゲラは勿論、コゲラの数もめっきりと減ってしまった。雑木林は相変わらずなのだから、他に原因があるはずなのだが、分からない。やはり、気温のせいなのだろうか?最近の夏は、標高1150mでもクーラーが恋しくなる。