生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(176)「新・哲学入門」とメタエンジニアリング 

2020年04月30日 09時47分53秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(176)                            
TITLE: 「新・哲学入門」

書籍名;「新・哲学入門」 [1972]
編者;山崎正一、市川 浩 発行所;講談社現代新書 148
発行日;1972.5.16
初回作成日;R2.4.30 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリングのすすめ



 題名に「新」とあるが、60年も前の著書。編者は、東大と京大の哲学科卒。哲学書としては、「新」がつくだけに、やや広い視野で問題を捉えている。ここでは、メタエンジニアリングに関係する個所のみについて記す。すると、哲学というよりは、哲学的な考え方と素養が技術者にとって必須のことが解ってくる。

まえがき

「技術知」;激変する世界の中で、望ましい変化を生み出すために、自然科学と社会科学から求められるもので、所与の問題解決には必要。
「技術知だけでは満足できない」;技術知は自明を前提とし、自分の領域でない問題を避けているので、社会に存在する多くの問題の本質を解決することはできない。つまり、単なる技術知だけから出された解決策は、常に新たな問題を発生させる。

第4部 形而上学と信仰にいついて

デカルトの「哲学原理」;「知恵」を一本の木に例えると、樹の根は「形而上学」であり、幹は「自然学」、枝として「医学」、「機械学」、「道徳」が生えてくる。

「形而上学」の語源;「形而上」という語は易経の形而下(形式を有するもの、有形のもの)の反対語として、「無形なもの、道つまり方法」を表す。その意味が拡がり、「条理」、「根拠」を示すことになり、ラテン語のMetaphysicaと同義語になってしまった。

「Metaphysica」の語源;ギリシャ語の「ta meta ta physica」すなわち「自然学の後に置かれた書」の、metaが「後」から「超越する」に解釈が変わり、全ての現象(つまり自然学)を超越する学とされてしまった。
つまり、元来「形而上学」と「metaphysics」は全く別の意味の言葉が、日本語での表現上たまたま結び付いてしまったことになる。

メタエンジニアリングと単独のエンジニアリングの関係は、これとよく似ている。デカルトの言葉を借りれば、この世の中のすべての人工物の存在は、個々のエンジニアリングが考えて創り出したもので、その枝葉の幹が「技術と科学」になる。そして、その根っこが「metaエンジニアリング」になる。

 このような経緯を考えると、メタエンジニアリングと通常のエンジニアリングとの区別をより明確にするには、「metaエンジニアリング」との表記が良いのかもしれない。

その場考学のすすめ(17)自分がデザインしたものに乗るときの感覚

2020年04月28日 11時14分34秒 | その場考学のすすめ
その場考学研究所  
その場考学のすすめ(17)
TITLE:自分がデザインしたものに乗るときの感覚

 JR東日本の「大人の休日CLUB」(R2.5)に著名な工業デザイナーの奥山清行氏の記事があった。最近の彼は、もっぱら鉄道車両のデザインで有名で、「四季島」、「SL銀河」、「山手線」、最新の「サフィール踊り子」の名前が挙がっている。過去には、ポルシェやフェラーリのデザインで有名だったが、日本の自然への見直しと地方活性化のために山形在住を決めたそうだ。
書き出しには、このようにある。
 『自分がデザインした列車に初めて乗るときには、いつもドキドキする。デザイン上の列車は静止画ですが、実際にそれが走り出すと、外の景色とともに社内の様子がどんどん移り変わって、まるで命をを吹き込まれたように感じます。』

 その時、同じ感覚を思い出した。それは約30年前に、私がデザインしたジェットエンジンを搭載した飛行機に初めて乗った時だった。そのA320機は、日本でも多く飛んでいたが、全てエンジンはライバルのGE製だった。欧米では互角だったが、なぜか日本では採用されていなかった。当時の私は、日英米を行ったり来たりで、その時はボストンからロスへの途中だった。

 海外出張の航空券は、距離が長いので、少々寄り道をしても、運賃は変わりない。私は、土曜日のフライトを、ボストン⇒シカゴ⇒テキサスの某地⇒ロスに変更した。シカゴ⇒テキサスの某地の機体が、V2500エンジン搭載のA320だったからである。このルートは、当時の短距離用A320としては、ぎりぎりの航続距離で向かい風だと行きつけるかどうか、私にはわからなかった。
 エンジンの開発中にテストセルでの運転は嫌と云うほど見てきたが、搭乗するのはまさに「自分がデザインした列車に初めて乗るときには、・・・ドキドキする」だった。前方の窓際の席を注文して、機体はいよいよ滑走を始めた。

その場考学(17)

 この記事を読んで、その場で浮かんだのは、知覚と感覚についてだった。その時の彼は、視覚と聴覚でドキドキを経験した。私の場合は、聴覚(エンジン音)と体感(エンジンとそれとれ振動する機体の振動)だった。
 
 人間には、五感と第六感がある、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚そして知覚だ。つまり、それぞれの担当器官が覚醒する。では、体感は「なに覚」なのだろうかという疑問だった。体感の意味は「暑さ・寒さ・痛み・飢え・渇き・性欲・吐きけなどの感覚」と辞書にはある。振動を感じるのは重力変化なのだから三半器官なのだろう。振動は周波数の低い音なのだから、聴覚の一種と考えられなくもない。
 
 人類は、知覚を発達させたために、多くの感覚が劣化され続けていることを、長い歴史を知るたびに痛感する。現代の知覚はより多くの刺激を与えてくれるのだが、その代償は、将来どのような形で表れてくるのだろうか。生物体としての進化のスピードは、現代の様々な知覚の増加には付いてゆけないことは自明だ。


その場考学との徘徊(64) 新型コロナの春の桜 

2020年04月10日 09時43分16秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(64)         
題名;新型コロナの春の桜 
場所;東京都、山梨県北杜市 月日;R2.3.12~4.6
テーマ;それぞれの桜 作成日;R2.4.9                                                

TITLE:コロナの春、それぞれの桜

令和の初桜は、新型コロナの影響で散々だった。上野公園では花見通りが通行止め。各地の名所もすべて宴会禁止。しかし、その間を縫って、短時間に様々な桜を静かに愛でることができた。

その1、府中公園の桜(3月12日)
ちょっと早めだが、新型コロナで車も運動不足。そこで、新しく完成したばかりの東八道路で西に向かった。
府中の多摩川は、昨年の氾濫で野球場などは閑散としているが、公園の桜は無事。府中市はお金持ちなので、ここには無料駐車場がふんだんにあり、こんな時には便利。
意外なことに、多くの家族連れが、ビニールシートを敷いて例年通りのお花見を楽しんでいた。




その2、咲き始めのころの神田川の桜(3月19日)
 今年の東京の桜の開花宣言は異常に早かった。3月14日は史上最速だったそうだ。我が家から井の頭公園までは、徒歩で約5000歩。その半分は神田川添いの遊歩道になる。川に張り出した枝は、未だすべて蕾なのだが、幹から顔を出した蕾は、全て満開だった。




その3、成城学園の野川の一本桜(3月21日)
 今日のウオーキングは南へ。成城学園までは徒歩圏内になっている。有名な邸宅街から野川へは、急なくだり坂になっており、降りる道は少ない。川沿いの道を歩く人の数は少なくなっているが、休憩所は職員も総出で平常通り。
トイレ休憩の間に、写真や地元通信などを楽しむこともできた。




その4、再び神田川へ(3月25日)
 コロナが騒がしくなっているが、一人歩きのウオーキングは欠かせない。運動不足なので、長距離を選ぶことにして、再び井の頭公園を目指した。前回から6日後だが、暖かい日が続いて既に満開近い。
 今年は、どこも小鳥の数が少ない。見かけるのは、スズメばかりだった。そういえば、一時期都内のスズメの数は減ったが、また盛り返しているようだ。野鳥と違い、親近感が湧くのは、子供のころに見慣れたせいなのだろうか。
 ちなみに、我が家から井の頭公園へは、二筋の道がある。もう一つは玉川上水に沿った道で、最近東八道路がこの両側にできてしまった。つまり、上り車線が上水の北側で、下り車線は上水の南側、両方の遊歩道は確保されている。玉川上水自体は、何も変わりなく、自然のままの流れで、川底も両岸も一切コンクリートは無い。ついでに、井の頭運動公園まではトイレも全くない。

 


その5、井の頭公園の桜(3月25日)
 ボートの数は少ないが、それでも桜の枝の真下で花見を楽しむ人の姿は、例年通り。私は、動物園の年間パスポートの常連なのだが、明日からは閉園になるようだ。このパスポートは便利で、水族館の中は、冬は暖かく夏は涼しい。休憩用のベンチまであり、目の前にはカイツブリの大きな水槽がある。カイツブリは池の名物で、毎年、この時期からつがいができて、巣つくりを始める。常連さんに聞くと、昨年の池浚いで底の枯れ枝が無くなり、巣つくり用の資材不足が起こっているそうだ。




その6、突然の雪景色(3月29日)
 この時期の東京の雪は珍しいことではないが、今年の暖冬の中では意外であった。しかも、夜半の雨が雪に変わり、うっすらと積もり始めた。春の雪は解けやすい。降りしきる中を、カメラを持って近くの公園に出かけた。
桜が満開だったからで、それを寫してみたかった。実は、我が家の庭の桃の花の写真を撮るついでだったのだが・・・。
 今年の桜は開花時期が異常に早かったのだが、もちは異常に長い。慌てて咲いたが、咲いたとたんに気温が下がり、散りかけたところで、この雪で落ちるどころか、また踏ん張り始めたというわけだそうだ。




その7、山梨県北杜市の桜(4月6日)
 久しぶりに八ヶ岳南麓に向かった。この時期は、富士山も北アルプスもくっきりと見ることができる。桜は、甲府盆地ではどこも満開、小海線の線路の下は五分咲き、上は蕾状態。標高1150mの我が家の桜は、まだ花芽の気配すら無く、丸坊主のままで枯れたように見えてしまう。この時期が、唯一伸びすぎた大枝をチェンソーで切ることができる。今日は、大仕事が待っている。
 小海線の線路のすぐ下に、武田信玄が作った云われる三分一湧水がある。ここも徒歩圏内なのだが、そこに、全国の有名桜の子供が植えられている。今日は、その中の一つの岐阜県の淡墨桜だけが咲いていた。花の形は、神代桜と似ているような気がするのだが、こちらは未だ蕾が固かった。
 外出自粛で次に来るときには散ってしまうだろう。世田谷ナンバーの車では、しばらくはどこでも歓迎されない。