生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(52) 『ミネルヴァ日本評伝選』

2017年10月10日 16時33分12秒 | メタエンジニアの眼
TITLE: 『ミネルヴァ日本評伝選』 KMB3385

書籍名;「林 忠正」[2009] 
著者;木々康子 発行所;ミネルヴァ書房  
発行日;2009.4.10

初回作成年月日;H29.10.2 最終改定日;H29.10.10 
引用先;文化の文明化のプロセス 



Wikipediaには、次の概要説明がある。

『「ミネルヴァ日本評伝選とは、ミネルヴァ書房より刊行されている日本史上の人物の評伝叢書。刊行のことばは「歴史を動かすのは人間であり、人間の動きを通じて、世の移り変わりを考える」ことを主眼に「歴史を動かしてきた優れた個性を生き生きとよみがえらせる」ことを願って「ミネルヴァ日本評伝選」を企画したと述べている(「刊行のことば」平成15年(2003)9月 ミネルヴァ書房より)。

ミネルヴァ書房創業55周年特別企画として2003年に刊行が開始された。上横手雅敬、芳賀徹が監修委員を務める。古代から近現代に至るまでの幅広い分野の日本史上の人物200名以上を採り上げる予定であり、2011年に100冊刊行を迎えた。

シリーズ
1.今谷明 『京極為兼 忘られぬべき雲の上かは』〈1〉、2003年9月。
2.海原徹 『吉田松陰 身はたとひ武蔵の野辺に』〈2〉、2003年9月。
3.伊藤孝夫 『瀧川幸辰 汝の道を歩め』〈3〉、2003年10月。
4.湯原かの子 『高村光太郎 智恵子と遊ぶ夢幻の生』〈4〉、2003年10月。
5.宮島新一 『長谷川等伯 真にそれぞれの様を写すべし』〈5〉、2003年11月。
6.佐藤弘夫 『日蓮 われ日本の柱とならむ』〈6〉、2003年12月。 この感は
(中略)
70.木々康子 『林忠正 浮世絵を越えて日本美術のすべてを』〈70〉、2009年4月。』

つまり、この巻は200冊以上の全集の第70巻になっている。副題は「浮世絵を越えて日本美術のすべてを」で、明治初頭の浮世絵を中心とするジャポニズムの始まった当時のパリで、日本美術のすべてを紹介し続けた人物の評伝となっている。

冒頭の「刊行のことば」には、Wikipediaでは見過ごされている重要な言葉があった。

『今日の歴史学が直面している困難の一つに、研究の過度の細分化、顛末化が挙げられる。それは緻密さを求めるがゆえに陥った弊害といえるが、その結果として、歴史の大きな見通しが失われ、歴史学を通じて社会への働きかけの途が閉ざされ、人々の歴史への関心を弱める危険性がある。』であり、まさしくメタエンジニアリングが求めているものであった。
 
このことは、この書で明らかとなっている。葛飾北斎をはじめとする浮世絵文化が、なぜジャポニズムという西欧文明の一端を占めるようになったかが、克明に描かれているからだ。林忠正は、浮世絵を大量に海外に売った国賊としての評価しか与えられていなかったが、この書の内容を読むと、一つの優れた文化が文明化するプロセスが浮かび上がってくる。

本文の構成は12の章から成り立っている。時代順に、
第1章 生い立ちから渡仏まで
第2章 1878年パリ万国博覧会
第3章 開店まで
第4章 美術展を開く
第5章 パリと浮世絵
第6章 浮世絵の時代
第7章 失われた時を求めて
第8章 印象派と日本
第9章 シカゴ・コロンビア世界博覧会と「十二の魔」
第10章  エドモンド・ド・ゴンクールとS・ビング
第11章  1900年パリ万国博覧会
終章   別離と死

となっており、まさに日本経済新聞の「私の履歴書」を思わせる構成で、その人の一生を表している。違いは、本人ではなくて著者が自由に描いたということなので、真実かどうかは、読者が判断することになる。

第5章には次の記述がある。明治14年ころの欧州からの注文に対応する話として、

『店員は面を見合わせて、いささか蔑み加減で、その辺の古本屋から、北斎、広重の風景もの、豊国、国貞らの相撲と役者絵、言値といっても、二束三文で買い込んで、手数なことだと送荷した。
ところが着荷の案内より先に、追い注文は電報で来た。高くもよし、錦絵あるだけ送れ、の意味である。』(pp.114)

第8章には、こんな逸話が書かれている。エドガー・ドガ等が招かれたある夕食会の席での話のようだ。

『ドガの記憶によれば、省亭はまず、客の傍らに運ばれた絹地で覆われたスクリーンに修飾的な絵を描き、ドビュリティーに贈った。それから紙に何枚かの絵を描いた。木の枝に止まった小鳥たちのその絵は、ドガに贈られた。その絵の左下には、省亭のきれいな字で「為ドガース君、省亭席画」と書かれている(口絵2頁)。そしてしばらくのちに、そこで見ていた客たちにもプレゼントされたのである。その客とはエドワール・マネとジセッペ・ド・ニチィスだった。ドガはこの親切にお返しをしようと、省亭の筆を借りて、彼自身のスケッチをした。しかし、それはうまく描けず、プレゼントするには恥ずかしいものでしかなかったという。万国博覧会会場以来の顔見知りだったと思われるドガとマネにと林は、一層親しくなったのであろう。』(pp.218)

 この逸話は、二つの点で面白い。一つは日本人画家の能力なのだが、重要なのは夕食会におけるざっくばらんな関係だ。国際交流には、こうした態度は必須の条件だと思う。ジェットエンジンの国際共同開発の現場では、何度も経験した。そして、開発は大成功だった。

「あとがき」には、当時の日本人の文化に対する態度に対する批判に満ちている。

『何度もの万国博覧会を経験し、パリの社会に広く地盤を持つようになっていた林は、異例の抜擢によって1900年パリ万国博覧会の事務官長に就任したが、次官級の官僚が就くべき要職に、一介の民間人が選ばれたことに驚いた人々からは、嫉妬や中傷の攻撃が向けられた。その上、彼はそれまでの形式的な事務官長とは違い、“世界に通用する商法”をモットーに、直接、厳しい指揮を執った。(中略)世界の良識は島国日本の非常識であり、非常識な林は、日本人の利益を図らない売国奴なのだった。』(pp.360)

『19世紀末、文化の華が咲きそろい、芸術的英雄が輩出したパリで、前衛の芸術家たちと付き合い、その作品にじかに触れ、(中略)だが、遠い祖国との乖離は大きく、少数の国際的な感覚を持つ者以外、林を理解する人は少なかった。そして、“浮世絵を大量に海外に売った国賊”のそしりは、博覧会での恨みとひとつになって、その悪評を大きくした。』
(pp.361)

 この話は、なにも明治時代だけではない。現代日本でも、あちこちに見ることができる。当時のジャポニズムは「すぐれた日本文化の文明化」の好例だと思う。そして、文明化のプロセスの要素がこの話には含まれていた。

                                                                

メタエンジニアの眼シリーズ(51)「日米文化の特質」

2017年10月08日 09時15分11秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(51)
                                               
書籍名;「日米文化の特質」[1994] 
著者;松本青也   発行所;研究社出版    本の所在; 金田一記念図書館
発行日;1994.1.20
初回作成年月日;H29.9.5 最終改定日;H29.10.8 



 「はじめに」には全章に亘る説明がある。序章では、「文化変形規則(CTR)」という考え方の説明、1~8章では、日米文化のCTRについての説明、終章では「これからの日本文化を展望する」とある。



冒頭には本人の日米における実体験が語られている。
 
『ホームステイ先の小学生に「セイヤー」と呼び捨てにされて、いい気はしなかった。(中略)「一体どうしてアメリカ人はこんなに生意気なのか。分相応ということを知らなすぎる」と嘆いたのは、初めてアメリカへ行った時のことである。
 ところがその後二年ほどアメリカで暮らしてから帰国してみると、今度は日本人の卑屈さが妙に鼻についてきた。』

『ある文化にどっぷりと浸かっていると、他の文化がどうも不自然でレベルが低いものにおもえてしまう。』
 
これらの感覚は、至って自然に思う。しかし、これが著者の云う「CTR」という文化上の規則なのだろうか。私は、単なる「慣れ」ではないかと思う。人間は、他の動物と違って「慣れやすい」特性をもっている。その為に、赤道直下でも北極でも(慣れている人たちは)快適に暮らすことができる。食べ物も、その土地に1か月も滞在すれば、そこの料理に慣れてしまう。たいていの日本人は、夏の20℃は寒いと思い、冬の20℃は暖かいと思う。すべて「慣れやすい」せいで、なれることで自分を守っている。
 
『言いたいことを表現する際に、その人の持つ変形規則によって変形されてしまう表現である。こうした変形が、ある集団の間で共通して行われるとすれば、その集団の文化特有の変形であると言うことができる。その変形規則を筆者は、「文化変形規則(Cultural Transformational Rule、略称CTR )」と名付けた。この場合の「文化」とは、ある集団に属する人たちが共有する信念や価値観の体系を意味する。』(pp.3)

「言いたいことを表現する」は、すなわち通常の話ことばであろう。日本とアメリカの比較ではなく、日本国内の方言はどうであろうか。これもCTRの一種なのだろうか。やはり、むしろ単に使い慣れているということで良いのではないだろうか。

「文化変形規則(Cultural Transformational Rule、略称CTR )」の機能が図1(pp.5)に示されている。
文化に依存しない「深層;意図+状況」がCTRの作用によって、文化に依存する「表層;発話、行動など」になってしまうというわけである。

日本とアメリカの文化変形規則の例として、
 ・謙遜志向 対 台頭志向
 ・集団志向 対 個人志向
 ・依存志向 対 自立志向
 ・形式志向 対 自由志向
 ・調和志向 対 主張志向
 などが、実例を挙げて説明されている。しかし、この区分は、例えば「東京人」と「大阪人」ではどうであろうか。この区分では、大阪人はアメリカ人になってしまう。

第12章の「CTRと学校教育」では、これらの日本的なCTRのせいで、とくに学校教育における英語の授業の有様を批判している。入試目的なので、世界で活躍できる人材の育成には不向きであるというわけである。

 私には、どうもCTRという法則の存在には納得がいかない。日本人特有の発想によるルール化のように思える。それよりは、このようなことは日本人独特の本音と建前の使い分けにより起こっているように思える。
 つまり、ここに挙げられたアメリカ的志向はほぼすべての人の本音であり、日本的志向は、日本人的な建前の表現なのだ。特に、「発話」に関して、建前を捨てて本音で話すようになれば、これらのCTRの大部分は、それほどにちがいが目立ったものにはならないように思われる。著者本人も、冒頭で述べているように、二年間の滞在中にCTRが変化したように書かれている。たった二年間で個人の中の文化が変わるとは思えないので、やはりCTRというよりは、単なる「慣れ」であるように思う。


メタエンジニアの眼シリーズ(50)「あきつしま大和の国」

2017年10月07日 10時42分20秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(50)
 
書籍名;「あきつしま大和の国」[2008] 
著者;大谷幸市  発行所;彩流社   発行日;2008.2.20

初回作成年月日;H29.8.23 最終改定日;H29.10.7

このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
 
 1995~2007に発行された3冊の本を読んだ。著者の大谷幸市の経歴や専門分野は3冊の本には書かれていないが、過去数冊の古代史関連の本を著している。





『渦巻といえば、ケルト人を思い浮かべる人が多いと思います。ケルトの渦巻きは再生観で説明されています。』(pp.4)

著者は、この著書の中では、一回ねじって輪っかをつくる「メビウスの帯」に固執している。
『縄文土器の網目模様にメビウスの帯と同じ現象を発見しました。さらに、メビウスの帯を被った土偶を見つけました。縄文土器の網目模様とメビウスの帯は、
・螺旋を巻くことによって新しい形が生まれている。
・螺旋を巻くことによって継続性(永遠性)が生まれている。
という現象を共有しています。(別にメビウスの帯は表と裏の区別がつかない現象を持っています。縄文土器の複雑な網目模様を生み出した撚(より)紐(ひも)と絡(らく)条体(じょうたい)は螺旋を巻いています。縄文人が螺旋模様、すなわち撚紐に執着したのは、この螺旋を巻くことによって新しい形が生み出されるという過程に生命の原理を重ね合わせていたからにほかなりません。この生命誕生の原理は、古代人が考えた死と生の問題に深くかかわっています。』(pp.5)

著者は、いままでの縄文土器や銅鐸の文様に、彼らの死生観が込められていることに気づかなかったとして、
『私は、これに代わるわが国の古代史を解くキーワードとして、
 1、メビウスの帯
 2、しめ縄状模様
 3、渦巻文
 4、「xと+」形
 5、円接多角形
という五つの要素を提案します。』(pp.6)

『頭部だけの小さな土偶の存在に気づきました。それは長野県大花遺跡出土の土偶(井戸尻考古館所蔵)です。この土偶は、頭に∞字形の被り物をしています。この∞字形には百八十度のねじれが認められます。これはその∞字形の被り物がメビウスの帯であることを裏付けています。』(pp.8)

さらに、中国のいくつもの少数民族に伝えられている伏義と女媧図や、東王父・西王母と伏義と女媧図が並べられている図などを例に、「泥で人形を作る」と「円と直線の文様」が古代中国に源泉があるとしている。(pp.84)

更に、二つの渦をつなげたS字渦文と逆S字渦文への発展から、その組み合わせにより、ハート形が現れることを強調している。(pp.94)

また、土偶の人は「踏ん張っている」の 多いことに注目して、
『ハート形土偶を造った縄文人は、両足を湾曲させることによって、それをみごとに再現しています。』(pp.96)としている。つまり、顔はハート形で、手と足の特殊な格好から、体全体でS字渦文と逆S字渦文を現わしているというわけである。

 頭に渦巻き模様を付けた国宝の「縄文のビーナス」も、極端に大きい臀部を後ろから盛れば、まさしく同じように、体全体でS字渦文と逆S字渦文を現わしている。(pp.100)


『メビウスの帯を被った土偶を見つけました』、『この土偶は、頭に∞字形の被り物をしています。この∞字形には百八十度のねじれが認められます。これはその∞字形の被り物がメビウスの帯であることを裏付けています』の記述に興味を持ち、実物を目で確かめたくなって、近くの井戸尻考古館を訪ねた。





井戸尻は、縄文遺跡の宝庫で大賀蓮の池や、古代米の田んぼもある。毎年の収穫祭には縄文祭りが行われている興味深い場所だ。
 丁度、付近の考古館が協力して「縄文の渦」の特別展の会期中で、展示内容とその説明パネルはいつもよりは充実していた。目的の土偶はなかなか見つけられなかった。売店で販売中の書籍(あのネリー・ナウマン女史が滞在中の厚手の記録書籍など)を1時間ほど見ているうちに、学芸員の方が戻り、くだんの土偶は片隅にあった。





さて、これは本当に「メビウスの帯」であろうか。かすかな疑問が残った。


メタエンジニアの眼シリーズ(48)「螺旋の神秘」

2017年10月04日 07時36分09秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(48)  「螺旋の神秘」 KMB3378

このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
       
書籍名;「螺旋の神秘」[1978] 
著者;ジル・パース 発行所;平凡社   
発行日;1978.3.10
初回作成年月日;H29.8.31 最終改定日;H29.9.20 
引用先;文化の文明化のプロセス  



 当時 (1980年前後) 流行していた全集物の一つとして、平凡社から「イメージの博物館」シリーズ(全16巻)が発行された。本書はその第7巻で、副題は「人類の夢と怖れ」となっている。
 著者は、1947年イギリス生まれ、画家、美術史学者、自然科学、宗教、美術を専門。
古代日本の縄文は、螺旋を幾何学的に解釈したとの説を、根本的により深く理解するために本書を参照した。

表紙には、次の説明文がある。
 『螺旋は無限の象徴である。螺旋状の一回転は一つの完結であり、同時にまた新しい局面への出発点である。一つの死であるとともにまた再生でもある。人はこの永遠の中で、何度生き、何度死ぬのだろうか。あらゆる宗教、神話、伝説が螺旋を物語る。この螺旋の旅の途上にあるわれわれは、常に螺旋と目標という両極の間に位置し、そして常にこの両方向に引かれている。なぜなら、心理学者が述べているように、子宮回帰の願望は、「神との合一」への願望と双子の兄弟だからである。』(表表紙)
 
 本文は図版も多いのだが、まるごと一冊螺旋の説明なので、その専門分野の広さも加えてかなり難解(云いかえれば、かなり無理な論理)になっている。そこで、縄文と関係がありそうなところだけを拾うことにする。

・霊魂の旅
・流転、その形式と象徴

 『一般にマクロコスモスとミクロコスモス、大自然と人間意識とは、一方では無限の持続を、他方では力動的統一性をその本質としている。もしわれわれが螺旋の発端と末端とを、球体またはドーナツ型の環となるように結びつけるなら、むしろ統一を保った渦巻のこの運動は、自分の中心をめぐって、拡張と収縮を続けながら、発端も終末もなしに永久に前進し続ける姿を通して、この本質をもっと的確に表現しているといえるであろう。』(pp.4)

『渦輪は「宇宙的持続の統一性」を表現する原形態であるともいえる。それは個々の生命現象にも、例えば茸(きのこ)や胎児や脳の成長過程にも現れている。いずれの場合にも、渦輪の形成は、前進衝動と自己回帰との統一を正確に現わしていると云える。』(pp.5)
 まさに、著者が専門とする「自然科学、宗教、美術」をミックスした表現となっている。
また、螺旋は「その場考学」が主張するサイクル論とも基本的な考え方が一致している。

・進化する螺旋
『認識には三つの段階がある。個々の人間のみならず、宇宙そのものも、われわれがこの段階の螺旋的経過を辿って進めば進むほど、より一層理解されるようになる。したがってこの認識の螺旋は意識の進化の過程であるともいえる。人類太古の時代にも、個人の幼児期にも、人間を外界から隔てる境界は存在しなかった。』(pp.6)

この考え方は、「メタエンジニアリング」の「MECIメソッド」のプロセスに一致する。

これに続けて、「自己意識」、「個的自我」、「集合的自我」、「世界を認識の対象」、「意識の分化」、「存在のヒエラルキー」などの段階を経て、『けれども認識が直観と悟りの段階である第3段階に達すると、主観と客観はふたたびひとつになる。分化から再統合へのこの回帰は、物理の世界にも現れる。限りなく多様化された「量的」分析の対象が、新たな言語(方程式)によって、新たな単純化を蒙る。全宇宙にわたるこの単純化への回帰は長くてゆっくりした過程を辿るが、この集合的な「悟り」が収縮する渦の中で、真の統合を達成した場合、われわれひとりひとりが、宇宙そのものになる。』(pp.6)

 言語を方程式としているところがメタエンジニアリング的な発想になっている。「言語は記号」の考えからも、一歩進んでいると思う。まさにメタエンジニアリングの世界を彷彿させる記述なのだが、最終的には「悟り」まで必要ということなのだろう。

・生命の螺旋
『全体性への願望と全体性への進化がわれわれ自身の内なる螺旋傾向を決定づけている。全体は常に円的であり、発端と中間と末端から成っている。それは一点から発して、拡張し、分化し、収縮し、そしてもう一度点となって消滅する。われわれの人生はこのようなパターンをもっている。宇宙のパターンも同様であろう。異なるのは時間の尺度だけである。』(pp.9)
 
 ミクロ生物から、人間、地球、宇宙と確かに「異なるのは時間の尺度だけ」となる。

・体内螺旋の拡張と収縮
 『ヒンドウー教の天地創造の神話では、超越神シヴァは継起する宇宙的振動の中を存在の層を下降しつつ、女性神シャクティの螺旋となって、外界の中に自己を流出させる。一方ヨガ行者はこの過程を逆にして、上昇する螺旋の上でより高次の意識を獲得してゆく。彼はその過程で自己の内部に現れるすべての層、要素、ひびきを意識化しつつ、地上に顕現する天を理解し、天への回帰を完成しようとする。』
『創造的な螺旋運動を完了した女性神シャクティは、物質化の果てに、下降する渦巻きの先端に集中することをもって、各人の体内に姿をひそめる。この「体内のシャクティ」は口で尾をくわえ、頭で中心経路への入り口をふさぐ蛇によって象徴される。』(pp.53)

 やはり、ストーリーの起源は古代インドに求めるのが良いようだ。

 『医療のシンボルである「カドウケルス」は、メルクリウス(または医師アスクレビウス)が手に持つ杖であるが、左右に向かい合う二匹の蛇を、積極的ならびに消極的なエネルギーの流れとして持っている。(中略)
 二匹の蛇は、日と月の対立する力を表している。同時にそれらは繰り返される拡張と収縮のエネルギーであり、陰陽二つの巴の両半分であり、宇宙の卵の連続渦巻きであり、そして宇宙の星間渦巻きでもある。まさにそれらは脳の両半分、すなわちその右側の遠心的・意識的な活動と左側の求心的・無意識的な生命力でもある。そしてこの両者の結合だけが高次の意識の光を生み出すことができる。』(pp.54)

 絵図を示さないと分かりづらい記述が多い。しかも、かなり独断的な表現が多いのだが、螺旋と永遠、螺旋と生命の誕生と死などの関係は、明瞭に語られていると思う。




メタエンジニアの眼シリーズ(49) 「土偶」

2017年10月03日 09時07分50秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(49)                                

このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

書籍名;「土偶」[1979] 
著者;水野正好 発行所;講談社   
発行日;1979.3.25
初回作成年月日;H29.9.1 最終改定日;H29.9.20 
引用先;文化の文明化のプロセス  

 当時 (1980年前後)流行していた全集物の一つとして、講談社から「日本の原始美術」シリーズが発行された。本書はその第5巻である。ちなみに第1巻は「縄文土器」で、同年の5月20日に発行されている。



 まえがきには、従来の考古学からの発言に対する著者の明白な思いが記述されている。
 『土偶の時間的な移り変わりー変遷の過程や、特色のある形の変化、型の分類がとかれている。しかし、なぜそうした形に変化したのか、どうしてこの型が広がってゆくのか、なぜ消えてゆくのかといった問いになると、その問いが縄文人の思惟、心性に触れるだけに、考古学の語り口は慎重に、できるかぎり寡黙の態度を装い始めるのである。』
 
 『本書は、私の「土偶」の語りである。考古学でもなく、民俗学でもなく、宗教学そのものでもない。そうした多くの世界に彷徨した私の、私なりに得た一つの解釈であり語りである。土偶自体を凝視する目、その在り方を熟視する目、その発見状況を透視する目は考古学に学び、その目でもって諸学の熱いまなざしを一つ一つたしかめ、融即し合うところに私の語りの基盤を置いた。
 土偶は、縄文人の理念の象徴であっただけではない。永遠の輪廻の体系がそこに息づいていたことを私たちに教える。』

 「その発見状況を透視する目は考古学に学び、その目でもって諸学の熱いまなざしを一つ一つたしかめ、融即し合う」は、まさにメタエンジニアリングの世界になっている。

・象徴の造形―初めに神ありき
『人間が人を形づくる。しかし、そのつくられた「人」は果たして人間なのだろうか。女性原理―女の世界に属するすべてのものの表徴なのではないだろうか。男性世界の造形を示す土偶はない。人を生み文物を生み出す女性の創造を見ると、初めに整った体系を与えた神の叡智を感じることができよう。』(pp.6)

このような女系世界の考え方は、西欧とは全く異なる。

・土偶の系譜とその変遷
土偶の誕生は、なんでもない小石に刻まれた「線刻画」であるとして、『女性を描いた小石、私は名付けて「礫偶」とよびたい。髪と乳房と女性のシンボルを隠す腰蓑、まさに成熟した女の表現である。(中略)小石になぜ、人間の全身を描かなかったのだろうか。描かないことが当時の「礫偶」の約束事なのであろうか。』(pp.46)

・飾られた土偶の展開と衰頽―中期
 『一見稚拙とみえるこの時期の土偶は、一つの約束事を終始守りぬいているのである。その約束事とは、顔をつくらず足をつくらず、土器とは違い全身を文様で飾らないという規範である。人間から極度に離れた形、人間の本姓―飾る心から極度に遠ざかる表現の中で、土偶は「人間」を主張しているのである。この主張こそ「人間」でありながら人間を隔絶する存在、つまり神の表現であったのかもしれない。』(pp.47)

 甲信・中部山岳地方では、突然全身像の土偶が出現する。『奇怪な表情は当時の土器の把手―顔面把手の表現とも一致しており、当時の「神」-蛇・女・神―の表情かと推測されるのである。身体は人間、顔は蛇、まさに蛇と人間の交感であり、神は蛇の姿をもち人のごとくに歩き、神として人の醸した酒などを蛇の形をとって飲む、蛇と人間の神話の主としてこの種の土偶は存在したのである。』(pp.48)

・極限美から終焉へー晩期
 遮光土器がその姿をひそめた後に、同様に太い足を大きく開いた形の土偶が、東北地方のみならず、千葉県、静岡県、奈良県で発見された。『土偶を作る者のみが知る文様や表現によってくる所や、土偶をめぐる祭式、その所作なり役割などといった土偶体系の論理が、広く各地に広がり、理解されたことの表れであろう。』(pp.52)

・毀たれた土偶
 土偶が、壊されるために作られたことは有名だが、『溝をつけた板チョコを割りとるように、正しく割れるように作られた土偶は、たしかに掌の中で割られるのがふさわしいだろう。そこには石器などで傷つけたり、切りとったりしてはならないといったきまり、粉々に打ち砕いてはならないといったきまりがあり、一方、五体をもぎ取るなり、その一部をそれなりの形でもぎとることが必要だとするきまりがあったと考えられるのである。』(pp.59)

そして話は・再生の謳歌へとつづく。土偶も、縄文土器同様に様々な形状が無数に存在している。しかし、多くの作例を系統的に調べてゆくと、そこにはきちんとしたルールが存在しており、決して自由気ままに作ったものではないことが、次第に明らかとなってゆく。

 縄文土器と土偶とは密接に関連しているはずなのだが、残念ながらそのことに触れた部分は少ない。