生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

ジェットエンジンの開発から学んだ設計法と技術論(5)閑話休題 国際共同開発いろいろ

2021年01月27日 13時42分57秒 | ジェットエンジンの設計技師
ジェットエンジンンの設計技師(5)
作成日;H26.5.5 KTR45051
改定日;2021.1.27
TITLE: ジェットエンジンの開発から学んだ設計法と技術論(5)

閑話休題 国際共同開発いろいろ

 私が、本格的な日英米独伊5ヶ国のジェットエンジンV2500の国際共同開発に携わることになったのは1979年のことであった。それから40年以上の年月が経った。今では国際共同開発は製造業では常識のこととなっているが、当時はまだ珍しかった。

 しかし、国際共同開発と一口に言っても、その始まりが開発段階からと、量産段階からかとでは随分と“お付き合い”の仕方・度合いが違うのではないだろうか。 量産段階での国際共同作業の興味・関心の中心はおそらくコスト削減と利益の確保だろう。それに対して開発段階では、私の場合を振り返ると、時間との戦いと “文化と知恵の交換” が興味・関心の中心だった。

 とくに “知恵の交換” が成功のための決定的な要素だった。その認識はお互い同じであったと思う。そのため初日から信頼関係の構築に真剣に力が入れられるようになった。そして自然にアフターファイブが貴重な時間になった。その過ごし方には英米独伊それぞれの特徴があったが、私には英国風が合っていた。そこまで遡って構築された信頼関係が、その後、実際の仕事で大きな支えになったことは言うまでもない。文字通りの “閑話”、アフターファイブの一端を紹介する。

・英国生活 午後5時以降の課外授業



 Dave Williamと愛車

 月曜日の午後5時以降はロールス・ロイス社のWilliam夫妻と酒場(パブ)に出掛けて英国生活の指導を受けた。
 レッスン1はダーツ(Darts)でした。ホップ の効いた酸味があって深い銅色の生ビール、ビター(Bitter) 。これがなみなみ入った、ヤード・ポンド法で8分の1ガロンの1パイント(pint)約570mlのコップを片手に、つまりパイント・ビターを片手に、スリーオーワン(301)のルールで挑戦する。
 301点を持ち点として、ダーツがボードにヒットした点数を持ち点から引いていき、ぴったり0点になったものが上がりで勝者になる。
 そんなルールのゲームで、本来はダブルリング内のいずれかにダーツが刺さらない限り、ゲームはスタートしないというダブルスタート(Double Start)なのだけれど、そこは日本ルールで勘弁してもらう。しかし、終わりはダブルフィニッシュ(Double Finish)を守る。投げたダーツがダブルリング内に入って、 しかもそのダーツによって残り点数が、きちんと0点にならなければいけないというルールである。



William夫妻 たちと              

 上手く当たらないのは羽 (fin)が悪いからだと、さっそく自分専用の羽を調達した。そして互角に戦えるまでに腕を挙げた −−− そう思ったのはまったくの勘違いだった。前半でリードしても、必ず後半であっという間に抜かれてしまう。



 いつもデーブ(Dave William)に遊ばれるだけだった。それでも飲みながらの会話の楽しみ方は身についた。一杯のビールで1時間近くも立ったままの会話を楽しむ。こんな技は英国の片田舎のパブでなければ身につかないだろう。
 
・世界で一番古いというパブ

 ある日、世界で一番古いというパブに行った。英国特有のなだらかな坂道を辿った丘の峠付近にあった。そこでビールの質の見分け方を教わった。ともかく一杯で1時間以上も粘ろうというのだから、泡がどれだけ消えないで保つかが大切である。そのための品質検査方法がいかにも英国風だった。

 飲む前にボールペンで泡の表面に文字を一つ書けという。驚いたことに問題なく字が書けた。そして、その文字が飲み終わるまで読めることが良いビールの判断基準だという。まさかと思った。しかし、これは真実だった。泡が細かいためのようだった。失礼、ビール(Bear)ではなくてビター(Bitter)でした。

 レッスン2は乗馬の個人指導。こちらは毎週水曜日の午後5時以降でした。そして毎週Henryという名前の馬である。日本人の標準体型で鐙(あぶみ)に足が届くのはHenryだけだった。乗馬教室では馬の背に乗る方法しか教えてくない、その後は1時間あまり私を騎手として乗せたままで勝手に馬が野山を徘徊する、ルートも時間も馬が知っているから大丈夫−−−それが英国風である。騎手である私のことは無視される。小川を渡り、柵を越えて徘徊し、そして時間になると元の場所に戻る。途中、仲間の馬は林の中に隠れてまったく見えなくなるのだが、そんなことなど馬はまったく気にもしないのである。

 ともかく毎日「After Five イコールSlow Life」であった。

 なお、デーブ(Dave William)の当時の役職は、Assistant Chief Design Engineer。ロールス・ロイス社では、大プロジェクトになると、Chief DesignerとChief Design Engineerが任命される。Chief Designerは設計部隊の責任者で設計に専念し、Chief Design Engineerは関連部門との調整役で全体の日程管理に責任を持つという仕組みになっている。そこには、それぞれが基本機能に専念するという英国流の合理性があるようだ。しかし、日本人の感覚では、どうしても同一にしてしまうようである。

・英国風ボウリング

 名前は「スキトル」(skittles)。ボウリングの起源といわれる。ゲスト・ハウスの食堂の隣の部屋にある。ゲームのルールは簡単だったが、良く覚えていない。何しろ酔い覚ましが目的でやっていたものなので…………。1ゲームはすぐ終わる。毎ゲーム50ペンスの7角形の白銅貨(fifty pee)を賭け、勝者が取る。取り取られ、適当なときに終了する。そのため勝ち負けはホストの意のままにできる。この当たりが英国風といえる。
 次のスケッチのようなものである。台も、ピンも球もすべて木製。ピンを立てて並べるのも、球を戻すのもすべて手作業である。間違いなく、ほどよい酔い覚ましになる。そして会話も自然に弾む。そして次第に相手のペースにはまってしまう。



 ともかく彼らにとって、私たち日本人はかなり扱い易い人種だったのだと思う。
 そして人の序列は1に英国人。2にインド人。3にその他の英連邦人。そして、その他という話を、この時に聞いたことがある。私たち日本人は、その他であった。共同開発を続けていた間に、果たして私たちはレベル2まで上げてもらえたのだろうか? 残念ながら、その答えを聞きそびれてしまった。

 なお、50ペンスの7角形の白銅貨のデザインにはいろいろある。写真は1978年発行のものである。



・Gordon Cooper氏のこと

 Gordon Cooper氏はV2500エンジンの国際共同開発設計に加わった(財)日本航空機エンジン協会(JAEC:Japanese Aero-Engines Cooperation) に貢献してくれたロールス・ロイス社のエンジニアである、と日本のジェットエンジン設計に関わっている誰もが認める人物である。

 とにかくジェットエンジン設計の細かいことからジェットエンジンのオーバーホウル、そしてエアラインが持っているジェットエンジンに関する嗜好まで何でも教えてくれた。英語の発音も明快で、英会話が苦手な設計者でも、最初から間違いなく意思の疎通ができた。
 彼の住居はロールス・ロイス社の本拠地、ダービー(Derby)から北方のシェフィールド(Sheffield)に向けてちょっと離れたベルパー(Belper)という閑静な街にあった。

 典型的なイギリス式庭園の裏庭がある住まいである。奥さんはCristeen。娘さん2人でCleaとHether。部屋には近くの原っぱで摘んできたベリー(Berry)で毎年作っているという果実酒の瓶が並んでいた。自身で試飲し、良い味になると飲み始めるという。 その中から1本選んで特製ラベルを貼り、お土産にくれた。



 ある時、彼は「会社が何でも好きな車種の自動車を提供してくれる。それで前から狙っていたジャガーを選んだよ」と言ってきた。しかし、1ヶ月後「あまりの燃費に悪さに取り替えてもらった」と言ってきた。どうやらガソリン代は自分持ちらしかった。

 悔しかったのは英国航空での待遇である。
英国航空を何回も利用しているうちに、私は数人の機長と顔見知りになった。当時、コックピットはカーテンだけの仕切りであり、自由に出入りできた。私は飛行中にコックピットに座り続けて、彼らと話しをするのが恒例になっていた。それでも離着陸の際は席に戻らされてしまった。

 ところがGordon Cooper氏はヒースロー空港に着陸する際にも同席が許されたという。いったい規則上はどうだったのだろうか? 臨時のメンテナンス要員にでもなったのだろうか? ともかく悔しかった。

 ちなみに、CAとも同様で、当時のBAのTokyo-London便には、いつも同じ日本人女性が乗務していた。ある時、食後に皆が寝静まったころに、私の席に拠ってきて「今回が、私のLast Flightです。退社することになりました」と。私は、次をどうするのか聞くと、「南アメリカに住みます」とだけが答えだった。彼女は、当時のBAでははたった一人の日本人で、かなりの差別を受けていたようだった。

 Gordon Cooper氏がV2500プロジェクトに関わった期間は誰よりも長かったが、それでも別れの時が来た。感謝とお礼の記念品のためにということで、一口千円の募金を募ったところ予想を上回る金額が集まり、記念品を選ぶのには本当に困ってしまった。最終的には、三越で一番高い輪島塗の文箱を選び、それを絹の風呂敷に包んで私は英国まで運んだ。税関で税金を徴収されるのが恐怖だったが、無事フリーでヒースロー空港の税関を通過することができた。

 そんなことを昨日の出来事のように覚えている。開発技術者の一つ理想像を当時のGordon Cooper氏に見ることができる。彼はそんな存在であった。

・閑話の余談

私は英国航空の飛行中の機体のコックピットで、パイロットはエンジンに興味を持つ人と持たない人の二派に明確に分けられることを知った。
 英国航空所有の旅客機B747には2種類のエンジンが搭載されている。ロールス・ロイス社のRB211の開発が遅れたため、初めの数機には米P&W社のJT9Dが搭載されている。東京―ロンドン線には両方の機体が飛んでいた。そしてコックピットで「この機体はどっちのエンジンを装備していますか?」と質問すると、直ぐに答えてくれる機長と、「そんなことは知らない」と答える機長とにはっきりと分かれるのであった。

 これらの機体には、私が知っている限り、エンジンに氷が付きそうになったときに働かせるアンチアイシングという機能に大きな違いがあった。一方は自動でスイッチが入るが、他方は航空機関士がスイッチを入れなければならないという違いがあったはずなのだが…………。

 その後、同じようなことを航空自衛隊のパイロットたちとの会話でも経験した。エンジン・トラブルが起こって、その解決策の説明などに出向いた時のことである。微に入り細に入り質問してくる人と、あまり興味を示さない人とがいた。エンジンの設計開発者としては、どちらのタイプの人たちを前提にして設計を考えるべきなのだろうか、技術やとしては前者を支持するが、車の自動運転化が目前の今となっては、後者に向かうべきなのだろう。。

 次回は本題に戻ります。
この文面は、私の原文に対して、友人の前田勲夫君が加筆してくれたものです。
引用元;
http://davisla.wordpress.com/2011/11/page/2/
http://www.pubsurvivalguide.com/links.htm
http://www.gateshizuoka.net/howto.html
http://blogs.bettor.com/Premier-League-Darts-preview-a10822
http://www.dartingaround.com/contents/en-us/d419_Shark_Fin_Steel_Tip_Darts.html
http://www.jaec.or.jp/

メタエンジニアの眼シリーズ(185)メタ倫理学

2021年01月25日 08時17分39秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(185)
TITLE: 「メタ倫理学
書籍名; 「メタ倫理学入門」 [2017]
著者;佐藤岳詩  発行所;勁草書房
発行日;2017.8.20
初回作成日;2021.1.24 最終改定日;
引用先;様々なメタ
 


このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

「メタ」の意味は色々あるが、この著者は、「一歩下がってあれこれ考えてみる」としている。ここで、「あれこれ」が気になる。つまり、「メタ」を考える最終目的が見えない。
 
メタ倫理学の歴史について、少し書かれている。1903年にイギリスの哲学者G.E.ムーアという人が「倫理学原理」を発行した。20世紀の初めは「原理」などを語ることが多い時代だった。しかし、彼は「善」の研究を主に行い、結論は「善は定義できない」だった。」(p.27)
 この書の著者は、2010年に北大の文学研究科博士課程修了とある。「メタ」を語るには随分と若いが、当時の研究者仲間について書いている。日本のメタ倫理学の歴史は、1950年代に始まり、当時は研究が進んだが、彼の時代になるとだれも研究しなくなった。諸先輩を含めて、ヒューム、ロック、カントなどの過去の個人の業績の研究ばかりだった、と書いている。典型的な学問の専門化による分化だった。そこで彼は、ニッチを選んだようだ。(p.325)
 
 本題に戻る。例題で説明をしている。
 「いじめは悪い」⇒「そこで言われた、悪いとはどういう意味か?」⇒「何故、悪いことをしてはいけないのか?」⇒「何が悪いことで、何が悪いことでないと決められるのか?」との疑問に最終回答を与える為としている。(pp.ⅱ~ⅲ)
つまり、「正しい答えがあるとすると、どうすれば、それがわかるか」、「倫理や道徳は科学によって説明ができるか」といった命題がいくつも掲げられている。(p.ⅲ)
 
 倫理学は、規範倫理学、応用倫理学、メタ倫理学の3つにわけられる。規範と応用の関係は、物理学と工学の関係に似ているという。物理学で様々な物体の性質や働きを解明して、工学はそれを利用して実際の工業製品を創り出す、というわけである。(p.5)
 そうすると、同様に物理学、工学、メタエンジニアリングという三つの並びが考えられる。こうなるとメタエンジニアリングは、随分と大規模になってしまう。
 
 もう一つ共通しているところがある。多くのWhyを追求することは共通は当然としても、その中でも「正しいこと」の追求が突出している。倫理学なのだから、当然と思えるのだが、エンジニアリングでも、やはり「正しいこと」を追求しなければならない世の中になっている。メタエンジニアリングの場合には、自らの創造物が地球に対して正しいこと、人類に対して正しいことかどうかを、十分に吟味する必要がある。
 その後に、メタ倫理学の役割が二つ述べられている。第1は「議論の明確化」であり、倫理については、色々な立場の人が色々な意見を持っている。その場合の議論の筋道をはっきりと示そうとしている。
 第2の役割は、「自分たちの倫理の見直し」としている。このことも、メタエンジニアリングの「現在のエンジニアリングの結果の見直し」に通じている。
 「メタ」にも色々あるが、常にどこかに共通点が見いだされる。

雉始雊 (小寒の末候で、1月15日から19日まで)

2021年01月19日 07時19分38秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
雉始雊 雄の雉が鳴き始める(小寒の末候で、1月15日から19日まで)

屋根の下の雉
 八ヶ岳南麓では、散歩をしていると良く雉に出会う。林の近くの畑をのそのそと歩いているが、人の気配を感じて藪の中に隠れるスピードは速い。ケーンという独特の鳴き声も良く聴く。
 しかし、我が家に住み着いた雉は歩くことも鳴くこともない。世田谷の家の玄関に置いてあった剥製がこの止まり木に停まっているからである。



「キジよ、お前も鳴かずば撃たれまいに」は、石川県の民話が起源と云う。
 むかしむかし、犀川のほとりに、小さな村がありました。この村では毎年、秋の雨の季節になると犀川がはんらんして多くの死人が出るため、村人たちは大変困っていました。さてこの村には、弥平という父親と、お千代という小さい娘が住んでいました。で始まり、お千代の残した最後の一言「キジよ、お前も鳴かずば撃たれまいに」で終わる。
川の氾濫の人柱の話なのだが、ここ八ヶ岳南麓も昔は土石流が多く発生したところで、大きな記念碑もある。そこで、何か民話が残っていたのかも知れないが、今は聞かれない。



冬の仕事

 一紀荘の冬は冷たい。晴れた朝の気温はマイナス10℃を下回る。八ヶ岳を超えた乾いた北風が辺りを凍らせてしまう。一方で、フィンランド製のログハウスの中は、たったひとつの温風暖房機で充分に温まり、夜中の室温の降下も数℃で、暖房を止めても東京よりも暖かい朝で目覚めることが出来る。
 地下室は四面をコンクリートで固められているので、 一つの石油ストーブで冬でも暖かい。そこで、本棚の作成や本の整理はもっぱら冬の仕事になる。その時の庭は全面厚さ20cmの凍土となって、四月までは歯が立たない。冬は、室内の仕事を片付ける雪国の生活だ。

メタエンジニアの眼シリーズ(184)「メタ認知」

2021年01月09日 13時03分19秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(184)  TITLE: 「メタ認知」
書籍名;「深い学びの科学」 [2020]
著者;北尾倫彦 発行所;図書文化社
発行日;2020.2.10
初回作成日;R3.1.9最終改定日;
引用先;メタエンジニアリング



 著者は文学博士だが、日本教育心理学名誉会員で、教育関係の著書を10冊以上出している。この書も、第1章は、「深い学びとはどういうことなのか」との題で始まっている。
 博識者と思慮深い人のどちらが深い学びをしてきた人かの考察から始まっている。そして、世間で役に立つのは、知識よりも思考力であると結論している。深い学びは、主体的・対話的の教育から得られるというわけである。(pp.8-9)
 そこから、知識と思考の関係の話が始まり、子供の教育の在り方を語っている。そして、主題の「メタ認知」は、第3章で纏められている。
 
「メタ認知」という用語は、1980年頃から記憶や読解の研究において使われ始めた、とある。(p.36)
そして項目別に、「算数文章題解決におけるメタ認知」、「国語説明文読解におけるメタ認知」、「高校数学の学習相談におけるメタ認知」、「評価のフィードバック機能とメタ認知」などについての例を示している。成績の違いは、メタ認知力の差によって生じるのである。これらすべては、「認知」ということが、頭の中でどの程度論理的かつ具体的に行われているかどうかの議論になっている。(pp.37-44)
 
「メタ認知プロセスモデル」の図が示されている。(p.37)  教育現場のことのようだが、一般に適用できるので、それを解読する。
 人の頭が、具体的な認知や思考のために使われているときに、その奥ではメタ認知が働いている。メタ認知の機能は、「メタ認知知識」と「メタ認知制御」の二つがある。
「メタ認知知識」とは、認知を深めるためには、どのような要因や方略が影響し、それらを何時、どのように適用するかを知るもの。
「メタ認知制御」とは、認知知識の活動のプランづくりと、その監視と制御とある。
 
随分と分かりにくい表現だが、メタ的に解釈をすると、認知とは、通常の読み書きや問題解決のための思考の中で働く。その場合に、頭の奥で、対象に対する理解が何処まで深く、広く行われているかが決定されるのが、メタ認知というわけであろう。
 つまり、目や耳から入ってくる現象の認知において、頭の中でメタ認知がどの程度働くかによって、理解度が全く異なるというわけである。このことは、通常ではあまり意識されないが、例えば、数学や国語の試験中に、問題を次々に解かねばならない際に、メタ認知能力が働かないと、応用問題が解けなかったり、もっとひどい時には、問題の意味が分からないということが起こってしまう。
 
一般的に社会で起こっていることに対しても、メタ認知をどこまで瞬時に発揮できるかは、その後の行動や思考に大きく影響することになるのではないだろうか。


メタエンジニアの眼シリーズ(183)「モンゴロイドの道」

2021年01月07日 12時51分09秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(183)
          
TITLE: 「モンゴロイドの道」
書籍名; 「モンゴロイドの道」 [1995]
編集者;科学朝日  発行所;朝日新聞社
発行日;1995.23.25
初回作成日;2021.1.7 最終改定日;
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。「 」内は引用部分です。



 20世紀の最後に、DNA解析が一気に進み、その中で人類の起源や、民族の分化の歴史を辿ることが盛んに行われた。その中で、特に日本の古代人が何処からやってきたのかの疑問を解く著者が散見されるようになった。この書は、その比較的古いもので、しかし様々な解析方法が網羅されており、そして、日本人の複数ルーツ説の基になったものと云える。

 「はじめに」のなかで、「人間とは何か」との問いに対して、ヒトの学名の例を挙げている。「ホモ・サピエンス(知恵あるヒト)」が最も一般的だが、「ホモ・ファベル(工作するヒト)」、「ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)」も一般的に使われている。その中で、この著書は「ホモ・モビリス(移動するヒト)」に注目をしている。つまり、人類は出アフリカから始まって、全地球を旅して発展してきたというわけである。
 「世界三大人種」という言葉を、かつて教科書で教わった。ニグロイド(黒人)、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人)である。この分け方は最近は人種差別として避けられる傾向があるが、「ホモ・モビリス」の立場で考えると、モンゴロイドだけがユーラシアから南北アメリカ大陸やオセアニアに進出して、地球上の陸地の70%をカバーしたことになる。確かに、ニグロイドはアフリカに留まり、コーカソイドはヨーロッパに留まった。
 著書の前半は、モンゴロイドの様々な旅を語っている。アジアから、シベリア、「ベーリンジア」を渡ってアメリカへ。
「ベーリンジア」とは、かつて氷河期にベーリング海峡が、最大期で南北1000km,東西4000kmの陸地になった場所を指す。その期間は、当然カナダの大部分は氷床と呼ばれる氷で覆われていたが、わずかにロッキー山脈の山陰に「無水回廊」が存在して、南へ下ることが可能であった。それは多くの大型動物が南へ通る道でもあった。
 他方、オセアニアへの進出も早かった。当時はオーストラリアとニューギニアは地続きで、「サフル大陸」と呼ばれる大陸と、インドネシアの列島が繋がった「スンダ陸棚」があり、比較的容易に海を渡ることができた。
 両方向とも、気候の大変動に伴う獲物を追っての移動だったが、どちらも大型動物の多くが絶滅して、植物(穀物)にも頼らざるを得なくなった。しかし、ジャガイモさえも、半数は有毒食物でその毒抜きに多くの方法が開発された。アンデスの高地で行う方法と、低地での方法は全く違っている。まさに「ホモ・ファベル」である。
 後半は、日本人のルーツ特定の話になる。ミトコンドリアDNAに始まり、PGR法、特有の9塩基対の欠落、HLA,アイソトープ分析、頭蓋骨の特徴、ATLウイルス、果ては酒に対して強いか弱いかなど、当時のあらゆる方法で導き出された結果を総合的に捉えて、縄文人、弥生人のルーツを確定している。
 結論は、過去に2回大規模な移動があり、その混血になっているとのことだが、世界中どこでも純粋種は存在せずに、混血になっている。そして、その地域独特の文化を作り上げている。

 翻って、現代の世界情勢を考えてみる。アメリカ合州国やロンドンのように、どの民族の国なのか分からない処が増えている。しかし、20世紀以降の国際情勢を見ると、やはり「世界三大人種」の作った国の存在感は昔の儘のように思われる。
 私の30年間のジェットエンジンの国際共同開発中の1000回以上の熾烈な設計議論からの経験では、確かに能力や考え方に個人差はあるが、それよりも民族差の方が大きい、ということであった。確かに、米国でも多くのニグロイドが要職を占めている。日本でも所謂外国人の登用が行われ始めたが、いずれも特殊能力を持った個人に限られている。現在の米中論争の中で思い出すのは、第2次世界大戦直前の日米関係なのだが、いずれもコーカソイドの国が、モンゴロイドの国の台頭を許さない、とのコーカソイド特有の文化から発しているように思う。つまり、地球上の70%を旅した人種と、ヨーロッパに閉じこもって、数千年にわたって覇権争いを繰り返した人種との文化の相違になる。
 
 かつて、日本が高度成長時代を始めたころの、米国からの圧力はすごかった。今の対中国政策以上のものだったように思える。しかし、いくら先端技術で覇権争いをして、一方をつぶそうとしても、新たな技術は時間と共に一般化してしまう。コーカソイド文化の中での覇権争いは、戦争にならないと結論が出ないことは、長い歴史が証明している。
21世紀は、西欧文明から東洋文明への転換期との説がある。モンゴロイドの道はどの方向へ進んでゆくのだろう。

ジェットエンジンンの設計技師(7)第6話 長期安定調達法のいろいろ

2021年01月06日 07時53分43秒 | ジェットエンジンの設計技師
ジェットエンジンンの設計技師(7)
作成日;H26.5.13 KTR45131
修正日;R3.1.6

第6話 長期安定調達法のいろいろ

1.ジェットエンジンの素材調達の特徴

  ジェットエンジンの開発から学んだ設計法は、このシリーズで述べるごとくに多岐にわたるのだが、最大のものは長期安定調達法に則った設計の進め方であったと思う。そのことは何よりもその製造部品の具備すべき3つの特徴に原因がある。
第1は他の工業製品に類を見ない量産の長期性にある。一旦量産設計が確定されると、特段の理由が無い限り50年間は生産が続けられる。更に、その間には継続的なオーバーホウルによる部品交換も行われる。第2は、製造工程をむやみには変えることができないという規定上の問題がある。特に安全性に係わる重要工程の変更には、設計権者はもとより、規制官庁の承認が必要になる。第3は、製品の信頼性の確保である。検査で合格することは勿論なのだが、それだけでは全くの不足で、製造工程が初めから終わりまで一定の水準以上で安定していることが必要である。つまり、生産工程は常に統計的に管理されていなければならない。
調達と設計は一見密接な関係が無く、図面と品質要求が満たされればどのようなものでも良いように思われがちであるが、以上の理由からエンジンの設計技術者は基本設計の段階から素材と加工方法について調達先との密接な関係を保つことが必要になる。一方で、残念ながら、そんなことは無いと主張する調達マンが多いことも事実である。しかし、そのような調達方針が一旦行われてしまうと、基本設計者と調達先の技術者間の信頼関係が失われることになり、取り返しのつかない事態を招くことになる。
国際共同開発の期間には、6週間ごとに全パーティーの設計担当チーフが集まる全体会議が招集された。また、その間には個別のパーティー間の調整会議が頻繁に行われた。私はそれらの会合の後には、必ず数社のメーカーを訪問することに決めていた。メーカー訪問は1回や2回では本当のところは分からない。特に外国メーカーはキー・パーソンレベルの担当者の同業種間の移動が激しく、周期的に訪問をして、その変化と傾向を確認する必要があった。残念なことだが、当時の日本の商社の多くは、このことに関しては割と無頓着であったことも、このことを続けた理由のひとつであった。

2.アダム・スミスからのはなし

国富論(原題『諸国民の富の性質と原因の研究』An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)で有名なアダム・スミスは「経済学の父」と呼ばれているが、社会が隆盛で幸福であるためには、 公平の原則、明確の原則、便宜の法則、経費節約の原則の四つの原則が重要であると述べている。また、商業社会の秩序については「見えざる手」(国富論の第4編第2章に現れる言葉)の存在を示唆していることは、従来から特に有名である。



アダム・スミス
(Adam Smith、1723年6月5日(洗礼日) - 1790年7月17日)は、スコットランド生まれのイギリス(グレートブリテン王国)の経済学者・神学者・哲学者である。
主著は『国富論』(または『諸国民の富』とも。原題『諸国民の富の性質と原因の研究』An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)。「経済学の父」と呼ばれる[1]。
2007年よりイングランド銀行が発行する20ポンド紙幣に肖像が使用されている。過去にはスコットランドでの紙幣発行権を持つ銀行の一つ、クライズデール銀行が発行する50ポンド紙幣にも肖像が使用されていた。

Wikipediaより




具体的には、一般に上下する「市場価格」に対して、資本や労働が無駄なく配分されるという自然法的な秩序を想定した「自然価格」が本来の真実の価格であると考えた。この考え方の発展が、後に述べるMDP(Market Driven Procurement)とVJP(Value Justified Procurement)の違いであろう。そして、この二つの違いは、先に述べたエンジン部品の調達の特徴を満たすための調達方法に色々な側面で関係をしてくる。
 ついでながら、スミスはしばしばイギリスの哲学者とも云われている。彼は古代ギリシャの哲学から多くを学んだことがその所以だ。しかし、彼はそれらに関しては生前に多くを発表せずに、一部は廃棄したとも云われている。そこで、彼の死後に友人の科学者と地質学者が残された遺稿を纏めて「哲学論文集」(1795)なるものを編集し、発行した。この書は日本人の哲学者、佐々木 健により翻訳をされ1993年に出版されたが、日本語の表題は「哲学・技術・想像力 哲学論文集」である。従って、彼の論理は大いに哲学的および技術的であるとも云えるので、技術者として彼の考え方は大いに参考になる。


読売新聞夕刊82012.12.28)より



 これらの本は、山梨県北杜市の金田一晴彦記念図書館で容易に見つけることができる。彼の蔵書は勿論、数人の寄贈図書が閲覧・貸出し自由なのは嬉しい。


3.元GEのVE指導者の教え

20世紀後半のGEは誰でも承知をしている人材育成に優れた会社であり、同時に金融をはじめとして会社がどのような仕組みで儲けるかの方法に長けていた。この両方が実は当方には欠けていた。日本では一般的に社内教育が充実しているとの見方もあるが、実際に欧米の会社の中での共同作業中に見聞きした他社(と云っても、GEとかRRのように、伝統的な技術のあり方を重視している会社)の制度とは雲泥の差が歴然としている。第一の問題は中堅技術者に対する社内教育の重要度に対する認識の違いであろう。次はそれに対する本人たちの集中度だが、これは第一の要因の結果であろう。私が実際に経験した教育は、勿論GE社内で受けたものではないのだが、それぞれの教育のエキスパートとの会話の機会には大いに恵まれていた。
その中で、
① 信頼性設計の様々な手法とその開発プログラムへの応用
② VE(Value Engineering)とVJP(Value Justified Procurement;後に詳述する)教育
③ シックスシグマのチャンピオンとの対話
④ シックスシグマ的発想法に関する教育
などを経験したが、これらはあらゆる実務に応用が利くので、いずれも深く記憶に残っている。

一方で私が受けた日本の社内教育の内容の記憶と利用の経験はあまり思い出すことは無い。入社初期に。有名教授やコンサルタントの座学を受けたくらいである。
GEの技術は特に設計に関しては「マニュアル文化」との印象を強く持っている。これは一時期V2500とGE90というエンジンのプロジェクトの掛け持ちをしていた時期に強烈に感じたものであるが、逆にいえばマニュアルの作成能力と教育手法が優れているともいえる。この二つは大いに見習うべきなのだが、この二つは時間的な変化が激しいので、新知識を伝授できる継続的な講師の育成が不可欠であろう。特にコストエンジニアリングについては専門の講師を招聘して1週間ほどの講義と他社の事例研究などを通じて、最新の知見を身につけることが続けられることが望ましい。 

 かつてGE社内でValue Engineering(VE)を指導していたお年寄りのOBと1週間を過ごす機会を得た。ご承知のようにVEの発祥はGEである。そして、その発端は軍需調達品の機能に見合った調達の方法論であった。彼は、GE退職後にはその方面のコンサルタントを主として米国内の自動車産業を中心に個人的に行っており、VEの考え方に即した調達法について、設計の初期から調達先との付き合い方の詳細を含めて、細かく教えてくれた。例えば価値購買については、この様に説明されている。

価値購買の条件とは、第1に「資材購買部門の各種機能の統合的発揮」である。利益創出部門としての機能を最大限に発揮することは当然として、その機能を発揮するために何をすべきか。
① 価値購買担当バイヤーの人材育成の必要性の認識
② 既存の業務の合理化と機能的組織の構築のすすめ
③ プロジェクト・設計への積極的働きかけ・関連部門との連携
④ 価値購買(VJP)マインドセット
などが挙げられる。
第2は、「継続的・計画的コスト改善活動の定着」である。どの様にして目標値を達成するかの継続的・計画的コスト改善戦略をビジネスプランの基本に組み込むことが必須の条件になる。

このやり方で特に記憶に残るものを列挙してみる。(ここでは、一般論とはやや異なる、特徴的なことのみを記すことにする)
① VJPとMDPの特徴と区別を明確にすること。
この二つは契約方法も交渉のやり方も全く異なる。正反対とも云えるほどだ。また、対象とすべき品目も異なる。このことを先ず基礎知識として確実に認識をすること。
② Should Costの算出方法とサプライヤーへの提示のタイミング。
原価企画の手法に従ってTop Down とBottom Up解析の折衷で算出されたShould Costは特に調達品の場合には重要であるが、サプライヤーへの提示の時期と説明内容が的確でないと役に立たない。どのようにすればよいかはGEの重要なノウハウであった。
③ 諸伝票の作成と決済にかかるコストにも注目。
これも調達コストの一部であり、全体を概算するととんでもなく高額な人件費コストを占めていることが分かる。この部分の改善は全社規定にかかわるので手が出せなかったが、一枚の伝票にかかる総コストの金額は担当者レベルまで認識をするべき。(ちなみに、彼は当時の社内の数種類の調達伝票のそれぞれの処理コストを簡単に算出してくれた)
④ 調達品質に関する考え方をサプライヤーに明確に伝える。
このために専任のQC担当者を常設して、全てのサプライヤーに対して統一された手法で教育を続ける。


4.VJPとはなにか

様々な調達方式の詳細については後に述べるが、ここでは戦略的な事柄について記す。
長期的に同一部品を調達する場合には、VJP(Value Justified Procurement) とMDP(Market Driven Procurement)に大きく分類される。いずれを選ぶかが調達戦略の第1課題となる。VJPの最たるものは、共同開発のパートナーとしてLifetime契約を行う(GE90の場合のDisc鍛造を担当したWeiman Gordon社 の例)であるが、一般的には両タイプの併用になる。
すなわち、部品の数量、市場性、変更の難易度などにより開発開始時にどちらを選ぶかを検討し、量産後には経済情勢により周期的に変更をすることが一般的であろう。次の図は、両方式の累計生産数量に対する調達コストと利益の関係の概要であるが、VJPの効果は累計生産数量がかなりの数にならないと明確にはなってこない。

次の英文の文章は旧友のDan Lumelloのものである。彼はGEの航空エンジン部門で調達品の品質を担当していた。当時のGEは、長期にわたる調達品の総コストをいかにして最低値に保つかとの命題の理論的な研究が進んでいた。最も好ましいのは、材料メーカーにもRSP(Revenue Shared Partner)として参加をしてもらうことだったが、次善の策がこのVJPだった。会計制度に敏感なGEは、如何に初期投資を抑えるかが重要な課題だったのであろう。前に述べたようにエンジン部品の長期性を考えれば、その全期間での総利益を最大化することがプロジェクトの目標になるのだが、長期金利が下がるにつれて、この理論は現実から離れつつあるようにも見える。しかし、経営者の眼と頭が短期の業績向上に集中すればするほどこの調達方式は冗長的に見えて、危うい方向へ傾いてゆくように思える。長期的な安定感とそれに伴う相互信頼関係は一旦破綻すると容易に元に戻ることは無い。経済活動の周期性を知れば、VJPから離れることは危険な一時しのぎに見えてくる。

Value justified procurement theory suggests that both customer and supplier are vertically linked in bringing a finished product to market. Therefore, it is their mutual best interest to find solutions that maximize the wealth and well being of all their stakeholders. Adversarial relationships win-lose in nature, should be replaced with win-win scenarios. As much risk, redundant or non-value added effort should be eliminated as possible. Costs are evaluated on a “world class” basis; that is, what does it take to maintain world price, quality, and delivery leadership. The quoting process itself adds little value and should be avoided with long term agreements (LTA) with built in escalation formulas. Once the value justified price is determined then cost improvement curves (C.I.C.) and Value Engineering cost reductions are set in motion to guarantee a competitive advantage for the future. Everything from parametric models, regression analysis, to expert cost quotations can be used to determine should costs. Both supplier requests for quotations and internal value analysis should be started independent of each other then compared and reconciled as part of the contract package
 
5.様々な調達方式とサイクル論

 次の表は私が当時のGE,PWA,RRの調達担当と原価企画担当の緒氏(多くの場合は、ManagerやGeneral Managerクラスであったが、Rolls Royceの場合は担当取締役)との話を基に独自に作成したものである。当時のGE,PWA,RRはそれぞれ独自の考え方に基づいて具体的な行動をとったが、原則的には次の表のいずれかの考え方を採用していた。また、経済サイクルの波の状況に合わせて選択すべき方法もサイクリックに代っていったように感じられた。




横軸の語句の説明は以下である。VJ縦軸の語句の説明は、
P(価値購買方針)
 RSP・・・・・・・Revenue Shared Partnerとして、プロジェクトの参加メンバーの一員になる。この場合には、量産コストに相当する%値の投資と利潤の確保が行われる。
 LOP・・・・・・・Life of Programを通じての調達が継続される。その為に、サプライヤーは初期投資を量産品に割り掛けることができる。
 Rolling Option・・・LOPの期間短縮版ともいえる。ある期間を区切って長期契約を行う。この場合には、2~3社を長期間にわたって競わせることになる。
 LTA-Floating ・・Long Time Agreementを締結するが、価格はVEなどの原価低減活動の結果や各国インフレ状況のなどにより変動する。

MDP(交渉による購買方針)
 LTA-Fixed・・・商談によりLong Time Agreementを締結する。ある期間の調達コストを固定値にする。
 Semi-MDP ・・・商談によりShort Time Agreementを締結する。調達契約の度毎に他社との競合入札等を繰り返し、調達コストを競わせる。


芹乃栄 芹がよく生育する(小寒の初候で、1月5日から9日まで)

2021年01月03日 08時42分44秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓の20年前と今

芹乃栄 芹がよく生育する(小寒の初候で、1月5日から9日まで)

 芹(セリ)は、八ヶ岳南麓の清水の中ではよく育つ。しかし、20年前と比べると群生地の数は減ってしまった。しかし、人里を離れた小川では、一掴みでバケツ一杯の収穫がまだまだ可能だ。

ベランダからの富士


朝焼け時の富士山

我が家のベランダから富士を愛でるのは、冬の日の朝方しかない。
全ての葉が落ちると、微かにその形を知ることができる。このように望遠レンズで見ると、僅か数本の木が邪魔をしているだけなので、いつの日にか、そこの空き地に家が建つことを心待ちにしている。

 甲斐駒についても、条件は全く同じなのだ、たった二本の唐松が枯れてくれると、見事な団十郎の姿を毎朝楽しむことが出来るのだが、近くに家が次々と新築されても、この二か所には依然として林が残っている。
しかし、木の数と、小鳥の数は正確に比例をしているように感じる。このごろめっきりと小鳥の数が減ってしまった。富士が見えるときは、小鳥が見えなくなる時かも知れない。それならば、我慢、我慢。
 ベランダからの富士の眺めは、夕方も可能な時がある。しかし、明け方と違って、こちらは夕日が沈む瞬間だけなので、滅多にお目にかかることはできない。今年の冬に、その写真が撮れた。


 夕焼け時の富士山

重装備での散歩
 キーンと張り詰めた雪の朝の散歩は、格別である。空は青いと云うよりは群青色で、鳥の声は響き渡り、人も車も音はおろか、気配さえも感じることはない。八ヶ岳専用の重装備だけは欠かせない。独特のサクサクとした粉雪を踏みしめて一歩ずつ進む。



 日本の景色と外国の景色で何時も感じることがある。日本の町や村の遠景である。あのけばけばしい色の屋根が無秩序に散らばるのは,なぜ日本独特なのであろうか。ドイツ、イタリア、スイスは高い処からの家並が美しい、しかし、この時ばかりは日本の屋根も白一色になり、外国並みの美しさになる。屋根を葺く建材の種類が豊富なのか、大工が他とは違う家を主張するのか。とにかく、家主の趣味で屋根の色が決まっているようには思えないのだが。

 この地域では、まだ数年に一度のペースで、別荘地が開拓されている。前回は屋根の色が一色に統一された。日本の山里にもそういう時代が始まったようだ。

ジェットエンジンンの設計技師(6)第5話 基本設計時の定量的トレードオフ作業

2021年01月02日 07時32分32秒 | ジェットエンジンの設計技師
ジェットエンジンンの設計技師(6)
作成日;H26.5.12 KTR45121
修正日;2020.1.2

第5話 エアラインのオペレーションから逆算する設計パラメータ

・設計の最初は「トレードオフ」の数字を決めること

 相反するパラメータの間で合理的なトレードオフを行い、全体最適設計を実現するということは、基本設計技術者にとって重要な能力の一つである。しかし、どうも日本のエンジニアたちは、「トレードオフ」即ち、相反することの間での論理的な結論を導き出し、どちらか一方を採る、といったことを好まないようである。

 しかし、私がジェットエンジンの国際共同開発に参加し、その基本設計作業に取り組んで最初に出会ったのは、エアラインのオペレーションコストから逆算して得られる様々な設計パラメータの「トレードオフ」ということであった。トレードオフの関係にあるものごとを整理し、それを定量化し、確定するということからスタートするというやり方、つまり論理的な戦略を決めるところからスタートをするというやり方は、日本の設計の教科書には書かれていなかった。

 ジェットエンジンの話に入る前に、この「トレードオフ」ということについて、少し考えてみたい。それに恰好な本があった。2010年出版の藤井清孝著「グローバル・イノベーション 日本を変える3つの革命」(朝日新聞出版)である。

 藤井清孝氏は、1957年生まれ、灘高等学校卒業、1981年東京大学法学部卒業。1981年、米コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニー入社。1986年ハーバード大学経営大学院(MBA)卒業。1986年ファースト・ボストン投資銀行ニューヨーク本社のM&Aグループに勤務。その後、電子回路設計の米ケイデンス・デザイン・システムズ社の日本法人社長、2000年ERP(Enterprise Resource Planning)ソフトウエアの独SAPジャパン社長、2006年ルイ・ヴィトン・ジャパンカンパニーCEO、LVJグループ代表取締役社長。そして2008年、現在の電気自動車の充電ネットワークを提供するベタープレイス社の代表取締役に就任という経歴の持ち主である。


 
読み始めると、この書が現代のグローバル&デジタルの世界における日本人の弱みと強みを様々な観点から的確に指摘していることに驚かされる。その第5章に出てくる言葉が、「トレードオフの概念が苦手な日本人」である。一部を引用する。

 『対立軸を持った選択肢とは、相手の意見との接点を見いだせないくらい、相容れない根本的な違い、トレードオフを内包した選択肢だ。 例えば政治の分野では、三十年前であれば、「自由主義」対「社会主義」であろう。現在では、「大きな政府」対「小さな政府」、「競争」対「格差是正」、「グローバル化」対「日本独自路線」のようなイメージである。(中略)

 日本はこのトレードオフになる骨太な論点を整理せず、整合性のとれた、総合的な政策のパッケージを提示する力が決定的に弱い。その結果、本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮をあおるのだ。(中略)

 日本人はトレードオフになる論点を深く理解し、その結果複数の選択肢を生み出す思考パターンは苦手だ。これは「正解指向」の教育に根ざしていると考える。』

 厳しい、耳が痛い指摘である。何かを追求すると、何かが犠牲になってしまう。
「あちらを立てれば、こちらが立たず」ということで、当たり前のことなのだけど、ついつい忘れてしまう。

 2012年新年特別号「文藝春秋」の「日本はどこで間違えたか もう一つの日本は可能だったか」という記事は、30人の識者が、それぞれ戦後処理、経済政策、官僚主導など具体例を挙げ、持論を語っており、読み応えがあったが、そこで感じたことは、まさに前述の藤井清孝氏の指摘「本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮」が多くの場合に当てはまってしまうということだった。

 しかし、これは日本文化の根底にあり、美徳とも言えるようなことでもあり、一般社会では良いとされることが少なくない。これが日本社会から消えることはなかなか考えにくいのだが、世界を相手に競争をする場合には、これではやってはいけない。技術が優れている、品質が良い、サービスが良いなどといううたい文句だけでは間違いなく負けてしまう。 ジェットエンジンの新機種の設計に際しても、まずここが検討のポイントとなった。使用者にとっての運用コストが「設計のトレードオフ」との関連で定量的に明示され、その上で評価されつくされたものでなくては厳しい勝負に勝つことはできない。

 かつてジェットエンジンの新機種の設計を開始する時点で、市場開発と設計両部門が協力し、エアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)に関するデータを基に以下のような表を作成した。



TSFC = Thrust Specific Fuel Consumption
W = Weight
MMC = Maintenance Material Cost
MLC = Maintenance Labor Cost
EFH = Engine Flight Hours
MMH = Maintenance Man Hours

この表を使って基本設計の方針や大きな設計変更などについては検討し、判断を下した。
 先の表の項目でエアラインが最も興味を示すのは、燃料消費率(TSFC=Thrust Specific Fuel Consumption)である。

 圧縮機やタービンの効率を上げれば燃料消費率は下げられるが、そうすると圧縮機やタービンの段数を増やさなければならないなどでエンジン重量が増加してしまう。そして、それだけ搭載許容重量・乗客数が減少してしまう。またエンジン重量を抑えるために特殊材料を多用すれば、エンジン原価が上がり、それはエアラインの直接運航費(DOC)を引き上げてしまうことにつながる。

 そうした関係を定量的に示したのが先の表で、これによって燃料消費率を1%引き下げるためにXXXポンドまでの重量増は許されるが、それ以上の重量増は直接運航費(DOC)を引き上げしまい、本末転倒となる。軽量化のため特殊材料を用いると、今度は製造コストが上がってしまう。燃料消費率を1%引き下げのためにX.XX×104ドルまでのコスト増は許されるが、それ以上のコスト増となると、直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、意味がなくなる。こういったことが分かる。

 実際には、重量増加とコスト増加を組み合わせによって燃料消費率向上を実現させている。そして、それをどのような組み合わせにするのかの設計変更の方針が決められる。このようにエアラインの直接運航費(DOC)の観点から「設計のトレードオフ」が行われるのである。

・エンジン燃料消費率の影響

 実際のエアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)の構成の一例を示すと、下図のとおりであり、これを見れば、エアラインが機種選定において最も重視している直接運航費において、いかにエンジン関係経費が大きな比重を占めているかが分かるだろう。エンジン設計技術者としては、設計の目安としてエンジン関係経費がどれほどの大きさになるかを認識しておくことが不可欠である。


 
上図のエンジン燃料の構成比が15%というのは、原油価格が廉価だった当時のもので、実際に設計を開始した時は、原油価格が上昇し、約25%になっていた。実際に使用された表も、この状況に基づいた数字が入っているものであって、それに基づいて「設計のトレードオフ」の作業は行われた。

 ここでは実際に使用された数字を出して説明することはできないので、以下、相対値を使って、この重要なエンジン燃料消費率について説明する。

エアラインの直接運航費(DOC)に占めるエンジン燃料の比率が約25%であるとすると、燃料消費率を4%引き下げることが出来れば、直接運航費(DOC)は1%下がる、良くなるということになる。同様にして直接運航費(DOC)を1%引き下げるのに求められる、燃料消費率以外のエンジン設計担当者が用いる主要パラメータの変化を求めたところ、以下のようになった。

エンジン燃料消費率      約 4%
エンジン重量         約17%
エンジン価格         約 7%
エンジン整備コスト      約18%

 エンジン重量を約17%減少させることができれば、直接運航費(DOC)は1%下がる。エンジン価格を約7%下げることができれば、直接運航費(DOC)は1%下がる。エンジン整備コストを約18%下げることができれば、直接運航費(DOC)は1%下がる。つまりエアラインの支出は1%減少し、それ以上にエアラインの利益率は改善されることにつながる、という次第であった。

 もっとも影響が大きい、つまり%値が小さいのはエンジンの設計パラメータの燃料消費率であったので、それをさらにエンジンの5要素に分解し、それぞれの効率を1%上げた時の燃料消費率の下がりぐあいを見たところ、以下のようになった。

ファン            0.6%
低圧圧縮機          0.2%
高圧圧縮機          0.7%
高圧タービン         0.8%
低圧タービン         1.0%

 ファンの効率が1%上がると、燃料消費率は0.6%下がる。低圧圧縮機の効率を1%上げると、燃料消費率は0.2%下がる。高圧圧縮機の効率を1%上げると、燃料消費率は0.7%下がる。高圧タービンの効率を1%上げると、燃料消費率は0.8%下がる。そして低圧タービンの効率を1%上げると、燃料消費率も1%下がる。それぞれの要素の効率向上が世界中で地道に研究が続けられているが、低圧タービンの効率向上が燃料消費率の改善に最も影響が大きいことが分かった。

 いずれにしてもエンジンではエアラインの直接運航費(DOC)が小さくて済むこと、これが基本であった。私が体験したプロジェクトでは、開発初期段階では、競合機種との比較において高度技術が適用されノイズや排ガスなどの環境指標が優れていることが強調されたのだが、受注はふるわず、その結果、開発設計の途中で、営業サイドから直接運航費(DOC)の低減を計るようにとの設計変更を強く求められることとなった。

 すなわちエンジン燃料消費率の引き下げだけではない。エンジン重量の低減、エンジン整備コストの低減である。とくにエンジン整備コストは競合機種と比較して明らかに高すぎるとの指摘があり、重要部品の寿命の改善や整備性の改善に努力が払われることとなった。

 またエンジン燃料消費率の引き下げには、低圧タービンの性能向上が最も有効であることが分かったので、その性能向上に最大の努力が払われた。

 低圧タービンは過去の開発経験から、新規設計の場合には必ず最後まで緊急の設計変更が要求されるものである。エンジン・コアの空気流量、低圧圧縮機と高圧圧縮機の仕事配分比率の変更など、全ての要素の設計変更のとばっちりを必ず受け、最後のつじつま合わせをする要素だからである。

 一般的には、高圧圧縮機の開発力がエンジン開発プロジェクトの雌雄を決すると考えられているようだが、高圧圧縮機は一旦決定をされれば、変更されることは稀であり、しかも、他のプロジェクト(単独要素研究として多様な条件下での試験)などで十分に性能が確認されたものが適用されるのが常である。極端な場合に他機種のスケール変更や外部調達によっての対応もあり得るので、エンジン開発プロジェクトで、高圧圧縮機の開発力が致命的な影響を及ぼすとは考えにくい。それよりは、むしろ低圧タービンの設計・開発力と、その設計変更のすばやい適用力こそがエンジン開発における最重要課題と私は考える。


・エンジン燃料価格の影響

 過去のオイルショックの経験などから、石油価格が高騰しても一過性のものになるだろうとの認識が広まったことなどもあって、新型エンジンの開発意欲は下火になっているように見える。しかし、燃料価格が上昇すれば、いくら機種の違いによって影響は異なるとか、燃料油価格変動調整金(フューエル・サーチャージ)などで対応すれば済むといっても、現実は、すでにそれだけでは済まされない状況になっているように思う。

 次のB747の直接運航費(DOC)の表を見れば分かるだろう。これまで使用してきた直接運航費(DOC)とは定義は異なっているのだが、それでも、ともかく2004年から2008年には燃料費の占める比率が全体の40%から70%へと急上昇しており、いつまでも、このままでは済まされないという状況は分かるだろう。


B747の直接運航費の推移


・基本設計段階のコストエンジニアリング

 エンジンの基本設計の第一の命題は、そのエンジンが搭載される航空機が競合機種の運航時の性能にいかに勝つようにするかである。航空機によって、複数の種類のエンジンが採用されるケースと、1種類のエンジンしか搭載されないケースとがあるが、いずれにしても機体の選定に際して、搭載されるエンジンの優劣が大きく影響することに変わりはない。

 そこで基本設計段階でのコストエンジニアリングが重要な鍵を握ることになる。そのためにまず行わなければならないことは、これまで説明してきた「設計のトレードオフ」の数字を具体的に決めることである。ここでは搭載される航空機のLife Cycle Costが最小になるようにすることが重要となる。このためには、膨大な過去の経験と世界中のエアラインの計画値と実績値などが必要になる。これを間違えると商談に勝つことが難しくなる。

 そして次には「デリバティブ」(derivative)への対応の仕方を示すことである。この「デリバティブ」とは、先物・スワップ・オプションなどの「金融派生商品」のことではない。「改修エンジン」のことである。エアラインは導入した航空機と半世紀にあまり付き合うことになるものである。その間、燃料を多く搭載する長距離型、乗客数を増やす長胴型など様々な機体の変更が行われる。そして、その度にエンジンに対しても改修要求が出てくる。それにどう対応するか。それがエンジンの「デリバティブ」への対応力となる。出来る限り「小改修」で対応できるようにしなければならない。

 さらに売価から決まってくる「目標原価」(Should Cost)をどのように配分するである。「目標原価」(Should Cost)とは、目標価格を設けて設計を進める「DTC」(デザイン・ツー・コスト:Design to Cost)の考え方から生まれた「原価」(コスト)である。マーケッテイングから要求される売価から製造原価を逆算し、さらにそれを設計単位別に振り分け、各設計担当者は、この「原価」(コスト)以下で製造できるように設計を行わなければならない。
 これは共同開発において、各社が最も神経を使うところであり、担当範囲が決まりつつある中でのネゴの力関係で決まってしまう。従って、交渉のための種々のデータの信頼性が重要であり、それによって交渉の場で相手を説得できるものでなければならない。

 随分と専門的な話になってしまったが、エンジンの設計においては、感覚や定性的な判断ではなく、定量的な「トレードオフ」が出来なければならないということ、そのことの重要性を分かっていただければ幸いです。

雪下出麦 雪の下で麦が芽を出す

2021年01月01日 13時28分05秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
雪下出麦 雪の下で麦が芽を出す(冬至の末候で、1月1日から4日まで)

甲府盆地の朝霧
 天気の良い冬の朝の景色は、白い真綿の布団の上に富士が悠然としかもくっきりと座っている。布団の下にはすっぽりと甲府盆地が隠れている。夜には、そこにキラキラと光る町の明かりがある。



冬の朝の散歩は、他の季節とは違った楽しみがある。どの山々もくっきりと見えるし、それぞれの雪のかぶり方を比べるのも面白い。八ヶ岳の南斜面は、さすがに雪は少ない。少し西に廻ると、裏側はびっしり積もった雪山を見ることができる。甲斐駒の岩肌は風が強いせいなのか、岩肌の性質なのか、雪がつくことはない。しかし、北岳と千丈の頂上は常に真っ白で、どの角度から見ても一目瞭然である。そんな事は、毎回繰り返しのことなのだが、寒さを忘れさせる景色なのだ。

つらら
このあたりのつららは見事なものだ。一晩でも立派なものが何本もぶら下がる。屋根の雪が徐々に解けるときはなおさらだが、そうでなくとも驚くほどの水が滴っているのだ。これは、ログハウス特有のものかも知れない。室内の暖気が直接に屋根に当たるので、夜露はどんどん製造されて、軒先へ下る。そして、その途端にマイナス10℃以下の冷気に晒されて一気に凍るのだろう。だから、留守宅につららは決して下がることはない。一方で、長逗留のお宅のつららが、なんと軒先から地面まで繋がって氷柱になっていたことがある。我が家のつららは、さすがにそこまでは無理なようだ。



長く細いつららと、短く太いつららがある。この差は、気温か湿度か風の影響なのだろう。湿度が高ければ、夜露が大量に流れて、地面まで届くつららになるのかもしれない。
むかし、まだ子供の頃につららをアイスキャンディー代わりにしゃぶったことを思い出す。東京でつららを見かけなくなったのは何時からだろうか。ここには、氷りつくために、トヨと云うものがないが、そのためではなかろう。