12.3.2 ホイットルエンジンの初飛行までの道のり
ホイットルは、1953年自伝を執筆し「Jet, the Story of a Pioneer」と題して発行した。この書は翻訳されて「ジェット、ある先駆者の話」(6)として発行されている。その中には、技術者への示唆に富む話が述べられているので、一部を引用する。
最初の特許の申請については、『科学課目の課題として,われわれは学期毎にーつの論文を書かねばならなかった。第4学期のとき,私は“Future Development in Aircraft Design” という題目を選んだ。この課題がジェット推進に関する私のその後引続く仕事の事実上の出発点となったものである。この下調べをしている間に,非常な高速と,大きな航続距離とを同時に満足させようとするならば,空気密度が小さく,したがって速度に対する空気抵抗が大巾に減ずるような,高高度を飛行することが必要である,という結論に達した』。(p.11)
また、当時の大学側との軋轢に関しては、『数年間の実地の経験を経て大学に入ったということは、いろいろの場合に大きな利益であった。何故なら私自身の経験の中で遭遇した多くの現象について,その理由を知りたいという強い願望を抱いていたからである。勿論,私の最大の関心事は航空工学に密接に関係した問題であった。私にとっては極めて実際的な意義をもっているような諸問題が、学校から直接大学に進んだ人々から見ると,むしろ学問上丈の問題と思えるらしかった。』(p.43-44)(6)と述べている。このことから、彼が特許の提出時点から、最終目的であるジェット機の飛行を念頭に置いていたことが分かる。
図12.11 グロースター・ホイットルE28-39(8)
ジェットエンジン搭載機による初飛行は、1941年5月15日にグロースター・ホイットルE28-39(図12.11)により達成された。1930年の実用機の特許から11年が費やされたことになる。その間の事情は、英国の機械学会誌に投稿された次の論文に詳しく述べられている。そこには、58の図表と写真が掲載されている。
THE FIRST JAMES CLAITON LECTURE「The Early History of the Whittle Jet Propulsion Gas Turbine」(Int.MechE,1946)
最初の実験機から実用機に至るまでの試験機の設計―製造―試験のすべが、「Diagram Illustrating the Principal Events in Early History of the Jet Propulsion Gas Turbine」として纏められている(図12.12)。そこには、実験の総運転時間は1000時間に及んだことが示されている。
図12.12 ホイットルエンジンの試験運転の年表(8)
図表中で注目されるのは、実験用エンジンW.1とW.1.Xの複雑な動向である。「SENT TO GE.C LYNN, Mass.OCT.1941」とある。つまり、母国である英国から米国に引き渡された。その間の事情は詳しくは述べられていないが、本文による経緯は以下のようにある。
1941年初めにGloster Aircraft CompanyによりE28の機体が完成し、WX1が搭載された。初回試験では滑走路でのタキシング中に、わずかに地表を離れたとある。初飛行は5月14日に行われた。ここに至る経緯については、1939年に空軍省から、一切の基礎試験を中断して、実用機による試験飛行用のエンジンとしてのデータを取りそろえることが要求された。そのために25時間の特別なカテゴリーのテストを短期間で完結しなければならなかった。その結果は、エンジンの回転数―燃料消費率―排気温度のグラフが示されている。試験飛行用の機体に搭載する燃料は、全体の軽量化のために最小限でなければならない。
試験機の概略が図に示されている(図12.11)。いずれのエンジンも、短期間で設計・製造され、試験運転に供されていることが分かる。
さらにアメリカへの輸送に関しては、次のような簡単なメモ書きで済ませれている。
「英米両国政府のアレンジにより、WX1機とW2Bに関する図面一式、Power Jet社の小チームが1941年秋にGeneral Electric社のLinn工場に送られた。集中開発テストの為である。」
筆者の推定ではあるが、ホイットルは、ジェットエンジンの構成要素である、圧縮機、燃焼器、タービンなどの基礎試験の積み重ねが無ければ、確かなエンジンを設計することはできないことを確信していた。一方で英国では、そのために必要な十分な資金も援助も得られないことを、過去の経験から認識していたのではないだろうか。つまり、技術の伝承に関して当時の英国には大きな問題が存在していた。しかし、大戦中という非常事態ではあったが、独空軍の爆撃を避けるための選択という事情があったとはいえ、有能な頭脳と試験機に関するすべてを米国に移す決断をした英国政府の判断は正しかった。
第12章の参考・引用文献
(1)John Golley「WHITTLE The True Story」Airlife Publishing Ltd.(1987)
(2)吉中 司「数式を使わないジェットエンジンの話」酣灯社(1990) p.16-17
(3)吉田英生「George Braytonとその時代」日本ガスタービン学会誌(2009.5) p.126
(4)八島 聰「最近の航空エンジンの動向」日本航空宇宙学会誌(1992) p.230
(5)岩井 裕(抄訳)、「Whittle Turbojetの開発」日本ガスタービン学会誌(2008.5) p.134-139
(6)Sir F. Whittle著、荒木四朗他訳「ジェット・ある先駆者の話」一橋書房(1955)
(7)小茂鳥和夫「ホイットル自伝より」日本ガスタービン会議誌(1975) p.40-46
(8)THE FIRST JAMES CLAITON LECTURE「The Early History of the Whittle Jet Propulsion Gas Turbine」Int.MechE, Vol.152(1946)p.419