生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(178) 

2020年07月30日 13時25分01秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(178)                                       
TITLE: 「文明としての徳川日本」
書籍名;「文明としての徳川日本」 [2017]
著者;芳賀 徹  発行所;筑摩書房
発行日;2017.9.15
初回作成日;R2.7.31 最終改定日;
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing



 著者は、比較文化論の著名人。江戸文化という言葉は、よく聞くのだが、徳川文明という言葉は聞いたことが無かった。
しかし、「優れた文化が、他の文化を取り入れながら、合理性と普遍性を持つようになり文明になる」と考えると、江戸時代は、まさに徳川文明と云えそうである。
 目次には、「洛中洛外図屏風」に始まって、多くの絵画の名前が並んでいる。絵画から文明を見出だそうという発想に見える。
 「プロローグ」が10頁近く続いている。英語圏の日本研究では、Tokugawa Japanという呼称が定着しているという。この呼び方を受け入れると、『少なくとも徳川日本に関する従来の二つの迷妄から脱することができるように思う。』(pp.11)とある。「二つの迷妄」とは、
① 歌舞伎、浮世絵、花魁などの言葉で、せっかくの文明の豊麗さを狭く小さくしている
② 封建社会と見下して、暗黒時代の印象を与えている。とくに、「夜明け前」のイメージが広がってしまった
の二つ。確かに、藤村の小説の印象は強い。教科書にも何度も引用されている。私は「夜明け前」という名前の日本酒が大好きだ。(これは、文化とは関係ない)
 江戸時代の265年間は、世界史上稀な、いち政治体制がはっきりと初めと終わりをもった「尾頭付き」の文明体に他ならない。(pp.16)
文明としての要素を挙げてみると、確かに文明と呼ばれても遜色がない。
 ・教育水準の高さ
 ・実学的合理思想の発展
 ・内戦、対外戦争、宗教争いが無い
 ・様々な文化が発展した
 著者は、そのことを二つの「洛中洛外図屏風」を詳細に研究することから見出だした。上杉本に書かれた2485人と、その約40年後に書かれた舟木本の2728人の公家、武家、宗教者、職人、商人、農夫,漁師、巡礼、聖、役者、遊女、、乞食の服装、表情、仕草から読み取ったのだ。
 『上杉本の右隻第四扇では、室町通を東にちょっと入った路地で、駕寵から下りた母親らしい女が医者の竹田法印の家の築地塀の横に向かって子供におしっこをさせている。』(pp.33)とか、
 『このコックスらしき西洋人は、もう一人の従者に黒い大きな洋犬を赤い綱で連れさせているし、コックスの横につきそう帽子の少年も茶色の小さめの犬を曳いている。黒犬が「京都の夏は暑いな」とばかりに赤い舌を出して瑞いでいる』(pp.34)といった具合である。ちなみに、コックスとは平戸のイギリス商館長で、1616年に京都見物をした記録が残されている。
 平安時代からの伝統的なやまと絵にある、月次絵と名所絵(つまり、あらゆるところの四季の景色と風俗)は、その時代の文化を的確に表している。そこから読み解ける江戸時代の文化は、まさに文明の域に達している。

桐始結花 20年前からの記憶をたどる

2020年07月29日 06時52分23秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
桐始結花  (大暑の初候で、7月23日から28日まで)


巣箱の中(平成21年)
 この年は庭の白樺に括り付けたこの巣箱の中で子育てが2サイクル行われた。
前の年の農業大学校の収穫祭で材料込みのタダで作ったものなので、天井板は簡単に外すことができる。中をのぞいてみると、意外に奇麗だ。全部で何羽のヒナが飛び立ったのか分からないが、卵を温めたと思われる場所まではっきりと残っている。敷き詰められた枯れ草はもちろんこの庭か近辺のものだが、きちんと平らに敷き詰められている。
 また、そっと蓋をしておいた。来年が期待できる。
 今年の収穫祭では孫たちがもう一つ巣箱を作ってきた。隣の木に同じように括りつけたが、二つ並んでいるとどういうことになるのだろうか。鳥の巣は、庭の外れの2mほどに成長した杉の木の枝の間にもう一つあったが、そこにはこのような子育ての跡は見当たらなかった。

 この巣箱作戦は5年間ほど続いたであろうか。この巣箱の位置では、親鳥が餌を運ぶ姿を写真にとることができなかった。そこで、巣箱をベランダの柱に移した。すると、親鳥は餌を加えたままTVアンテナの上で一休みをして、周囲を確認してからえさを与えるようになった。これだとゆっくりと写真を撮ることができる。その写真は、目下探索中。

 ここ数年は、ヤマガラの数がめっきり減ってしまった。巣箱も空っぽのまま何年か経ってしまった。

メタエンジニアの眼シリーズ(177) 言語哲学

2020年07月28日 14時27分27秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(177) TITLE: 言語哲学
書籍名;「意味の深みへ」[2019]
著者;井筒俊彦 発行所;岩波書店
発行日;2019.3.15
初回作成日;R2.7.28 最終改定日;
引用先;様々なメタ
参照書;イスラムの神秘主義




このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 スーフィズムという言葉に興味を持った。いわゆるイスラーム神秘主義なのだが、数冊の本を読んでも分かりにくい。判ったようで分からない。そこで1冊だけ選んで、この書を纏めてみる。理由は、この書だけは「メタ言語」の話に行き着いていたからである。「メタ言語」的に考えると、理解できた気がしてくる。

Wikipediaの説明はこうである。
『スーフィズムとは、9世紀から10世紀頃、官僚化したウラマーたちの手によってイスラーム諸学が厳密に体系化され始めた頃、コーランの内面的な解釈を重視し、スンニ派による律法主義・形式主義的なシャリーアを批判した初期のイスラーム神秘主義思想家たちが、虚飾を廃した印として粗末な羊毛(スーフ)の衣を身にまとったことでスーフィーと呼ばれたことに由来すると言われる。
スーフィーは特定の宗派または教義の呼称ではなく、もっぱらイスラーム世界においてこのような傾向をもって精神的な探求を志向した人物や、彼らのまわりに生まれた精神的共同体もしくは教団の総称とされるほか、さらにそれらと結び付いた思想・哲学・寓話・詩・音楽・舞踏などを指すこともある。諸派の間にはある程度まで共通の精神性や方向性が認められるが、諸派の間での違いも大きい。』とある。

この書の副題は「東洋哲学の水位」とあり、様々な東洋思想に言及している。それだけでも、メタ視点が感じられる。
表紙には、「解説」として、次の言葉がある。
 『イスラーム神秘主義、仏教唯識論、空海密教、老荘思想、インド哲学、西洋思想の記号学を論じることで、人間の思考、存在を決定する「コトバの意味」の根源を探求する。』

 冒頭は、現代の「地球社会」のありさまから始まっている。『人類の歴史の上で、未だかつてありませんでした』(pp.14)という状態なのだ。それは、西欧型機械文明のために、世界が機械的に一様化されたということで、次のように述べられている。
 『だいたい同じ型の標準的な住居に住み、形も材料も基本的に同じ衣服を着、平等に汚染された空気を吸い、平等に汚染された肉や野菜を食べつつ、何億という人間が、至るところで均一化された灰色の味気ない生活を生きている。』(pp.17)
 
 この均一化が、生活の外面だけでなく、心の内面に広がっているというわけである。「マスメディアの暴力的な支配によって」とある。
 西洋哲学史で広く使われ始めている熟語の「文化的普遍者」(cultural universals)という言葉が説明されている。「普遍者」とは、ある文化を共有する集団の中で画一化された構造が出来上がることを意味している。そして、現代人間社会は、『遅かれ早かれ、人間生活は、内的にも外的にも、「文化的普遍者」の塊みたいなものになってしまう』(pp.19)というわけである。
 ここから、話はカール・ポパーの文化論になる。ポパーは、およそ文化は本来的に独特な「枠組み」を持っており、『それ自体において整合的な一個の記号論的構造体なのである』(pp.28)としている。
 
つまり、その文化の成員は、その「枠組み」の中で考え、感じ、行動しているというわけである。つまり、持って生まれた深層意識によって「内的な牢獄」に縛られているという。
 『外界のある対象を知覚するというような一見単純な行動でも、ただ外界からやって来る刺激にたいして我々の側の感覚器官が直接反応するのではない。その対象をどんなものとして認識するかは、その時その時に我々の意識の深層から働き出してくるコトバの意味構造の、外界を分節する力の介入によって決まるのであります。』(pp.29)
 
これらは全て、「日常的自然的態度」であって、特に疑問を持たない。しかし、「主体性の探求」が始まると、事情は異なってくる。つまり、自分自身の内面の深層を底の底まで究明しようとすると、多くの東洋哲学に行きつくというわけである。そこから、様々な東洋哲学の『意識の形而上的次元における特異な認識能力を活性化するための体系的な方法』(pp.39)が生まれたというわけである。

 そこから、「意識の多層構造モデル」の話になってくる。
 『意識の多層構造モデルで、一番浅い、表層レベルとして位置づけられるのは、感覚、知覚、思惟、意志、欲動など、普通の意味での心理現象の生滅するレベルでありまして 、このレベルでの意識にたいしてはリアリティは 先ず何よりも、無数の事物、事象に分節された世界として現われます。』(pp.41)
 「枠組み」の中でとらえられた「粗大な」事物が、次第に「微細な」ものになり、意識の特別なレベルに到達する。
 『要するに、「結び目をほどかれた」事物が、元来、日常的感覚の次元で固く保持していた個別的質料形能から己れを解きほぐして、流動的、創造的なイマージュに変形するということです。』(pp.43)

 色々な東洋思想の解説の後で、「スーフィズムと言語哲学」の章に移る。ここでは、『常識的には誠に奇妙な表現がスーフィーの言語世界では成立する』(pp.256)例えば、「神は近いけれども遠い、遠いけれども近い。結局、近くも遠くもない」など。
 ここ言葉は、次の三層構造によって説明される。この三層がタテに貫かれて全体がその語の意味になっているというわけである。 
第1層;文字通りの空間的な隔たり
第2層;比喩的な空間性、つまり精神的な隔たり
第3層;絶対無空間性におけるふたつのものの相互関係
 話は、ここから「天地創造」での、「神は無から創造した」という言葉の解釈になる。「無からの創造」はどう解釈できるのだろうか。「理性の向こう側の領域」で考えると、「存在は、実は存在ではなく、無なのだ」
という無時間的次元の解釈になる。
 
 最後に、「手紙が書かれる手順」の話から、次の結論が語られている。
 『神が存在するというただその一事で世界がそこにある。そこでは手紙の最初の一行も最後の行も、最初の一字も最後の一字も全部まったく同じ資格で「神の顔」の前に立っている。というより、「神の顔」によってそこに仮象的に存在させられている。最初の文字が最後の文字より時間的にも空間的にも先にあるということはない。もし時間空間的に考えるなら、すべての文字が一挙に同時に、そしてその源から等距離に存在しているといるのであります。それが「創造」の事態である。』(pp.261)
 
 次元が異なれば、言語的な表現は全く異なったものになってゆく。メタエンジニアリング的には、「理性の向こう側の領域」の存在論を理解することはできても、その存在が「無」であれば、思考の対象にはなってこない。

オオムラサキ

2020年07月23日 07時52分20秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
大暑(7月23日から8月6日ころまで)
オオムラサキ


 オオムラサキは日本の国蝶だ。いつか見てみたいと思ったが、長坂町には、このためのセンターがあり、一年中大きな檻の中で、自然の草木とともに見ることができる。卵から、幼虫・さなぎ・成虫そしておびただしい死骸までも。



 このセンターには当然専門家が居て、蝶や蛾の幼虫の生態についても丁寧に教えてくれる。烏山の庭に毎年数回現れるキアゲハの幼虫についても、色々なことを知ることができた。
 また、写真展を初め、一年中イベントがあり、子供たちが大勢訪れる。駐車場やピクニック広場も多少あり、崖の下の川までの散歩道も整備されている。ここの水生動植物も全く自然のままなので、子供のころの昔を思い出すのに良いところだ。

このセンターは、中央線に沿った街道に面しているので、交通の便がすこぶる良い。この20年間に5~6回はいった。トイレ休憩や、コンビニランチにも利用できる便利なところ。

 今年は、梅雨明けの前に大暑の季節になってしまった。今朝は、4連休の初日なのに、前の家の小学生はランドセルをしょって、小雨のなか学校へ行った。TVのモーニングショーでは、政府の「Go toトラベル」をもじって「Go to トラブル」といっている。

メタエンジニアの眼シリーズ(176) 「空港公害」

2020年07月20日 14時26分28秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(176)                              
TITLE: 「空港公害」
書籍名;「空港公害」 [1993]
著者;川名英之  発行所;緑風出版
発行日;1993.1.30
初回作成日;R2.7.17 最終改定日;
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
 
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



この書は、科学博物館からの依頼でジェットエンジンの技術の歴史を調べているときに、偶然図書館のリユース本の中から見つけた。「日本の公害」と題するシリーズ本の第8巻で、第1巻の「公害の激化」から始まり、薬害・食害・鉱山・大規模開発などと続いた後の最後の巻になっている。それまでの公害問題は企業相手のものだったが、「空港」は国家が相手の訴訟問題になっている。かつて、司馬遼太郎が「文明とは、支配者が人民を支配するための手段」というようなことを、韓国紀行の際に述べていたことを思い出し、メタエンジニアリング的文明の視点から読み始めた。
 
その感想は、「民主主義というものが、いかに不確かでもろいものか」ということだった。
 本文は、6章に分けられていて、大阪空港、関西空港、横田基地、厚木基地、嘉手納基地問題について語られている。筆者は、毎日新聞の記者で環境問題を担当した後で、編集委員になっている。大阪空港問題は、彼が新聞記者時代のもので、日ごとの経緯が詳しく述べられているのも、特徴になっている。そこで、最もページ数の多い、大阪空港を取り上げる。   
私は、最近は京都・奈良の旅行時にはこの空港を利用することが多い。退屈な新幹線の旅に比べて、空港からリムジンバスでゆっくりと目的の駅前に到着できるからである。しかし、着陸時の眼下の大阪の市街地を、毎回不思議な気分で通過する。なぜ、こんなところの空港が、いつまでも使い続けられるのだろうか、といった疑問だ。しかも、今まさに羽田空港でも同じことが計画されている。それほどまでに、エンジンの性能(信頼性と騒音、排ガス成分)がよくなっているのだろうか。
 文明は、発展途上時には過酷な仕打ちを住民の課す。勿論「武明(武力により支配する)」よりはましなのだが、国家権力による暴力と言えなくもない。この文章を読んでいると、そんな気が起こってくる。北朝鮮は明らかに「武明」なのだが、現代中国は、「文明」なのだろうか。欧米各国と比べれば、文明力と武力が半々のように思える。

 大阪空港は昭和13年に、臨海工業地帯にあった「大阪飛行場」の補助機能としての「第2空港」として計画され、6人乗りの単発機を対象に作られた、とある。従って、全くのローカル線専用で、国際線や大型機の乗り入れは全く考えられていなかった。当時の周辺は見渡す限りの田園地帯だったとある。この時点での政治判断は正しかったのだろう。しかし、日本の経済成長が適時反映されることになり、大きな騒音公害を引き起こすことになった。問題発生時の昭和50年の写真では、敷地の周辺は住宅と工場でびっしりと埋まっている。昭和45年からジェット機が導入された。そのための滑走路延長問題は、当然揺れた。そして、夜間飛行の規制や多くの保証を盛り込んだ覚書が調印され、運用が始まった。しかし、滑走路の延長で、付近の小学校での騒音は92-109ホンになったと記録されている。また、離陸側の悪臭を伴う排ガスによる、頭痛・食欲不振・鼻血・気管支炎が頻発した。
 訴訟は、「騒音による被害の差し止め」を主張して始めらた。1審は敗訴したが、2審は勝訴。9時以降の飛行差し止めの仮処分まで認められる雰囲気が出た。全日空の若狭社長は、弁護団の申し入れの一部を了解した。
 ここで決着と思われたが、、運輸省は上告を敢行した。しかし、最高裁の小法廷は上告棄却の方向へ傾いた。そこで、判決の直前に、小法廷から大陪審への変更が画策され、受け入れられ、判決は逆転して住民敗訴に終わった。
 
この期間の運輸省を始めとする政府関係の画策が細かく記述されているのだが、そこは省略する。いつに時代でも、どこでもあることで、特に興味は湧かない。問題は、その大法廷の13人の判事の判決後の発言だ。
 『差し止め訴えの却下は9対4の評決で、多数意見を採用した』とある。(pp.178) 問題は、被告人(住民側)に、人格権と環境権にもとづく、運輸省行政への差し止め権があるかどうかだった。裁判官の名前の中には、昔し東大教養学部の授業で講義を聞いた教授がいた。以下は、pp.180-185からの少数意見の抜粋。

団藤裁判官;『差し止めに関する限り、民事訴訟の途をとざすことになり、国民に裁判所の裁判を受ける権利を保障している憲法32条の精神から云っても疑問を持つ。』

環裁判官;『現に存在している損害を排除するための客観的に適当と認められる方法を採ることを国に請求することができると解するのが相当である。』

中村裁判官;『航空機の離着陸の規制に関する限り、公権力の行使という性質が含まれているというが、航空法その他の関係法律がこのような趣旨の立法をしたものであると解することには飛躍があり、・・・。』

木下裁判官;『被告人らは運輸大臣による(中略)行政権限の発動またはその行使の禁止を国に求めているものではない。(中略)判決が直接に航空行政権の行使を拘束し、これに対して義務づけをすることになるものではない。』
 など、いずれも筋が通っているように思える。
 
高度成長期の当時でさえ、これほどの反対意見が公表されている。現代に同じ訴訟が起これば、逆の判決が出る可能性が大きいように思う。つまり、最高裁の判決ですら判例として正しいとは云えない。
 
プラトンの対話編にあるソクラテスの言葉が蘇る「正しいこととは、議論することだよ」で、この判決も議論が尽くされたとは言い難い。一般に、民主主義が議論を尽くさずに、多数決で決めてしまうことが多い。特に、「和を以て貴しとなす」日本では、このことが良しとされている。しかし、設計の立場からは、多数決は大いなる危険を伴う。


20年前からの記憶をたどるシリーズ

2020年07月17日 08時06分29秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
鷹乃学習 (小暑の末候で、7月17日から22日まで)
やまがら(H21)





 Wikipediaによれば、「標高1,500m以下にある常緑広葉樹や落葉広葉樹に生息する。和名は山に生息する事に由来するが、山地から平地にかけて生息する。標高1,000m以上の場所に生息する個体は、冬季になると標高の低い場所へ移動する。同科他種と混群を形成する事もある。
食性は雑食で、昆虫、クモ、果実などを食べる。主に樹上で採食し夏季は主に動物質を、冬季は主に果実を食べる。堅い果実は後肢で挟み、嘴でこじ開けて中身を食べる。また樹皮などに果実を蓄える事(貯食)もある。」と記されている。

 この鳥の全くその通りの生態を食事をしながらじっくりと観察をすることが出来る。F君の山中湖の別荘にも沢山やってくる。そこでは、手のひらのひまわりの種をすばやく咥えてゆくのだが、こちらのヤマガラは人見知りをする。人影があると、例え5m離れていても絶対に餌に近付かない。勿論、原因は人の側にあるのだろう。
 しかしここ数年、この小鳥の数が減っている。代わりに、より大型の鳥が増えてきたように思う。と下院生存競争が、山麓までやってきたのだろう。

20年前からの記憶をたどる

2020年07月14日 06時25分55秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
蓮始開 (小暑の次候で、7月12日から16日まで)
睡蓮とコウホネ(H20)

コウホネはスイレン科コウホネ属の水草。
スイレン科には8属100種類があるそうで、この仲間の水草は世界のいたる所にあるのだが、このコウホネだけは原産地が日本なのだ。なぜ、日本原産のスイレンがこのような形になったのだろうか。




名前の由来は川骨、河骨など、根背が人の背骨に似ることであり、ワサビ状の根で地下茎が白くその所々に点々と跡があり、根茎が人の背骨に似ていて、それを川の骨に例えたところからきているそうだ。「かわほね」から「こうほね」に変化したようだ。

これらの写真は、井戸尻遺跡の池のもの。
近辺に数多くある縄文遺跡の中で一番好きな場所で、ここ20年間で10回は訪ねている。
隣接の資料館には、沢山の土偶の中に特殊なものがいくつかあり、何度行っても興味が尽きない。



メタエンジニアリングのちから(第1回)

2020年07月13日 15時40分12秒 | メタエンジニアリングのすすめ
はじめに

 エンジニアリングには強い力がある。20世紀最大の哲学者といわれるマルチン・ハイデガーは、原爆製造の事実を目の当たりにして、俄かに技術論の講演を各地で始めた。その内容と趣旨は、次のようなものだった。人間は、地球上にあるもののすべてを掘り出し、かき集め、自分たちに役立つモノを作ろうとする。その行動は、何者にも止めることはできない強力な力によるもので、これからの人類を支配してゆく。

 この「何者にも止めることはできない強力な力」というのは、全生物の中で,ヒト科だけが持っている能力で、「よりよく生きようとする」本能なのだから、いかんともしがたい。ハイデガーは哲学者として、そのことを言いたかったのだと思う。
 その証拠に、現代はイノベーション時代といえるほど、イノベーションがもてはやされている。その一つ一つが、人類の文明をどのように変えてゆくのか、分からないままに、とにかく進み続けてゆく。そのエンジニアリングに、接頭語の「メタ」が付くと、どうなるのだろうか。それが本書の狙いとなっている。「メタ」は、一般的には、一つ上の次元を示している。エンジニアリングの一つ上の次元は何であろうか。
 
 「メタ」に関する具体例を二つ挙げて、理解を深めていただこうと思う。一つは古代ギリシャ、もう一つは現代の企業の話になる。
 古代ギリシャのアリストテレスは、万学の祖と云われている。彼は、ありとあらゆる自然を詳しく研究した。彼の全集には、動物、植物、人間、自然現象、社会現象など、ありとあらゆるものが取り上げられている。それは「自然学」、英語ではPhysicsと命名されている。彼の死後、それらのおおもとを追求しようとした部分が改めて纏められた。当時の命名は「自然学の後から来るものども」というのだが、英語ではMetaphysicsと呼ばれている。日本語では形而上学なのだが、この日本語は、分かりにくい。
 
 現代の企業の話では、このような著書が発行されている。菊澤研宗著「ダイナミック・ケイパビリティの経営学―成功する日本企業には共通の本質がある」朝日新聞出版[2019] 
 内容は、企業が一皮むけるためには、「ダイナミック・ケイパビリティ」が必要で、通常業務の「オーディナリー・ケイパビリティ」とは、一つ上の次元で考えて行動しなければならない、というものだが、そこから引用する。
 『人間の言語機能には、「叙述する機能」と「論証する機能」があるという。叙述機能とは現実世界を説明したり、記述したり、まさに実在を叙述する言語の役割のことである。これに対して、論証機能とは、現実世界に関する記述や叙述や説明が正しいのかどうかを論証する言語の役割のことである。これら2つの言語機能には階層があり、明らかにより低次の機能は叙述機能であり、より高次の機能が論証機能となる。そして、現実を叙述する言語を「対象言語」と呼び、現実の実在世界と対象言語との関係(真偽)について論証するより高次の言語を「メタ言語」と呼ぶ。その関係は、対象言語(叙述機能)がメタ言語(論証機能)によって柔軟な形で制御されるという関係にある。』(pp.232)
 ここで、「現実を叙述する機能」を通常のエンジニアリングと考えると、「論証する機能」は、まさにメタエンジニアリングにそうとうすることになる。つまり、この「現実世界に関する記述や叙述や説明が正しいのかどうかを論証する言語の役割のこと」が、まさに、エンジニアリングとメタエンジニアリングの関係を表していると思う。マルチン・ハイデガーが云うところの暴走するエンジニアリングに対して、一つ上の次元で正しいかどうかの論証を加えることが、メタエンジニアリングの第一義と思われるのです。

 このシリーズ「メタエンジニアリングのちから」の構成は、つぎのように考えている。
 第1章では、人類の文明史の中では、常にエンジニアリングが次の文明への導きをしたことを中心に、人類社会における歴史的なエンジニアリングの力を説明する。
 第2章では、その結果が現在なのだが、現代の多くの解決困難な問題は、過去のエンジニアリングが創りだしたことを述べる。
 第3章では、それらを解決してゆくのが、メタエンジニアリングのちからでることを説明する。
 第4章では、それらの力が何故メタエンジニアリングに備わっているのか、その中身を解明してゆく。
 第5章では、色々な場でのメタエンジニアリングの実践について述べる。
 最後に、この著作を始めるにあたっては、8年間に及ぶ日本経済大学大学院メタエンジニアリング研究所と、その後に開設されたメタエンジニアリング研究所における研究成果を多く取り入れた。研究所の仲間諸君に謝意を表します。
                                      その場考学研究所 勝又一郎