第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その4)
1990年代の文化と文明に関する著書
1990年代に発行された文化と文明に関する参考著書を5件列挙します。
いよいよ世紀末の直前となり、文明・文化論と持続性社会論が統合して考えられる次元にはいった。MECIサイクルのConvergingの段階になったと言うことができる。
具体的には、世界中の様々な文化を公平な目で比較するための「文化の内容の細分化」が進み、日本の文化に対するより踏み込んだ解析が進められた。
その中では、「日本文化は普遍性を欠いている」と断言したものもある。潜在する課題のMiningに再び戻ったことになる。しかし、その日本文化の歴史を辿れば、「なぜ極東の小国・日本のみが西洋文明輸入の先がけ、独り近代化し、植民地にならずにすんだのか」とか「日本が西洋とも東洋の他の国とも全く違った独自の文明を持つ証拠」などの文脈に至る。これらからの結論と持続性社会論との融合は、「自然共生型文明(Ecologically Sound Civilization)の復権」ということになり、日本の文化が次の文明への基になるのでは、といった期待感が膨らんでゆくことになる。
1.山口 修「比較文化論―異文化の理解」世界思想社(1995) KMB075
・人々のつくる集団的な活動が、その社会特有な生活のかたちを生み出してゆくことになるのだが、こうしたもの全体を称して文化といっている。
・本来文化には優劣の区別は一切ない。
・第2次世界大戦後になって旧植民地が独立し、西欧以外のいわゆる第3世界が形成されるようになると、当然のことながら新たに自覚するようになった自分たちの国や民族をもとにして自己の文化を主張するようになった。こうした過程を経て、ようやく文化は比較されるものとなり、西欧文化以外のさまざまな文化を、それぞれが独自の価値をもつものとして公平に眺める目ができたのである。
・「文化項目分類」
文化の項目的理解は、伝播主義的研究の進展と関連して発達した。文化の構成内容をより正確に捉えてゆこうとすると、文化の内容をどのように細分化できるかという問題に突きあたる。その問題を最初に取り上げたのは、アメリカのC.ウイスラーで、かれは普遍的文化パターンとして、次の九項目を挙げている。言語、物質文化、芸術、神話と科学知識、宗教、家族と社会組織、財産、政治、戦争の九項目である(1923)。
2.梅棹忠生「日本文化の表情」講談社(1993) KMB357
・どうして日本人は「日本人とは何か」というテーマに熱中するのか。
一つには、日本文化の官能性ということである。その現場で、その素材にふれたとき、はじめてその意味が分かるーそういう例が多い。ということは、逆にいえば、普遍性をこの文化は欠いているということだ。刺身のうまさはやはり江戸前でないとわからない、といったことである。
ところで、今日のように世界の交通が激しくなると、日本文化はこうこうですと、普遍的な意味を抽象して説かねばならない。こうした不安のうえにたった熱狂が「日本人とは何か、日本文化とは何か」というあきず繰り返される設問である。
・日本文化には現場の素材に密着して感じとられるものが多い。
3.中村雄二郎「日本文化における悪と罪」新潮社(1998)KMB212
・ルース・ベネディクト「菊と刀―日本文化の型」1946の要点の列挙
① 西欧的な「罪の文化」と区別されるものに日本の「恥の文化があり、後者のなによりの特色は、各人が自分の行動に対する世間の目をつよく意識していることである。
② 「罪の文化」の基礎が罪責性であるのに対して、「恥の文化」は羞恥心が道徳の原動力をなし、恥の基本は誰でも知っている善行の明白な道標に従えず、バランス感覚を欠くことである。
③ 「恥の文化」の最高の徳目は「恥を知ること」にあり、恥を知る人こそ徳の高い人であって、それは西洋倫理における「良心の潔白」に匹敵している。
4.清水馨八郎「日本文明の真価」祥伝社(1999)KMB072
・本書では、文化と文明をほとんど同じ意味で使っている。文化は各民族の暮らしの立て方、生き方の総体である。これが救心性を得て、地域を超えて他に影響を与えたり、国々の文化を対比するときには、文明として扱うことにしている。
なぜ極東の小国・日本のみが西洋文明輸入の先がけ、独り近代化し、植民地にならずにすんだのか。当時の西欧の植民地帝国主義の時代に、有色人種の中で独り独立を保持、できたのはなぜか。これらの事実こそ日本が西洋とも東洋の他の国とも全く違った独自の文明を持つ証拠でなくしてなんであろうか。
・日本人vs欧米人
食; 草食文化vs肉食文化
生産; 和服(植物から)vs洋服(動物の毛・皮)
住居; 木、紙の家vs石、煉瓦の家
自然観;自然と調和vs自然を征服
労働; 「手」の文化、勤勉vs「足」の文化、労働忌避、奴隷使役
宗教; 多神教(寛容)vs一神教(排他、独善)
・日本語には、「手」のつく言葉が千以上
5.内藤正明「持続可能な社会システム 10」岩波書店(1998) KMB078
・現状をもたらした歴史的背景
今後の持続的社会の一つの方向として、自然共生型文明(Ecologically Sound Civilization)の復権を唱える主義に注目するならば、このような歴史的視点から歴史を振り返る必要になってくる。そして、二つの文明のタイプが主としてその発生地の自然環境条件や地球の気候変動との関係で形成され、その後の世界史の変遷過程で、自然共生型の文明が都市型の文明に次第に呑み込まれていったという歴史の経緯を認識しておくことは、「自然共生」の意味と再生可能性を考えるためにも必要であろう。
1990年代の文化と文明に関する著書
1990年代に発行された文化と文明に関する参考著書を5件列挙します。
いよいよ世紀末の直前となり、文明・文化論と持続性社会論が統合して考えられる次元にはいった。MECIサイクルのConvergingの段階になったと言うことができる。
具体的には、世界中の様々な文化を公平な目で比較するための「文化の内容の細分化」が進み、日本の文化に対するより踏み込んだ解析が進められた。
その中では、「日本文化は普遍性を欠いている」と断言したものもある。潜在する課題のMiningに再び戻ったことになる。しかし、その日本文化の歴史を辿れば、「なぜ極東の小国・日本のみが西洋文明輸入の先がけ、独り近代化し、植民地にならずにすんだのか」とか「日本が西洋とも東洋の他の国とも全く違った独自の文明を持つ証拠」などの文脈に至る。これらからの結論と持続性社会論との融合は、「自然共生型文明(Ecologically Sound Civilization)の復権」ということになり、日本の文化が次の文明への基になるのでは、といった期待感が膨らんでゆくことになる。
1.山口 修「比較文化論―異文化の理解」世界思想社(1995) KMB075
・人々のつくる集団的な活動が、その社会特有な生活のかたちを生み出してゆくことになるのだが、こうしたもの全体を称して文化といっている。
・本来文化には優劣の区別は一切ない。
・第2次世界大戦後になって旧植民地が独立し、西欧以外のいわゆる第3世界が形成されるようになると、当然のことながら新たに自覚するようになった自分たちの国や民族をもとにして自己の文化を主張するようになった。こうした過程を経て、ようやく文化は比較されるものとなり、西欧文化以外のさまざまな文化を、それぞれが独自の価値をもつものとして公平に眺める目ができたのである。
・「文化項目分類」
文化の項目的理解は、伝播主義的研究の進展と関連して発達した。文化の構成内容をより正確に捉えてゆこうとすると、文化の内容をどのように細分化できるかという問題に突きあたる。その問題を最初に取り上げたのは、アメリカのC.ウイスラーで、かれは普遍的文化パターンとして、次の九項目を挙げている。言語、物質文化、芸術、神話と科学知識、宗教、家族と社会組織、財産、政治、戦争の九項目である(1923)。
2.梅棹忠生「日本文化の表情」講談社(1993) KMB357
・どうして日本人は「日本人とは何か」というテーマに熱中するのか。
一つには、日本文化の官能性ということである。その現場で、その素材にふれたとき、はじめてその意味が分かるーそういう例が多い。ということは、逆にいえば、普遍性をこの文化は欠いているということだ。刺身のうまさはやはり江戸前でないとわからない、といったことである。
ところで、今日のように世界の交通が激しくなると、日本文化はこうこうですと、普遍的な意味を抽象して説かねばならない。こうした不安のうえにたった熱狂が「日本人とは何か、日本文化とは何か」というあきず繰り返される設問である。
・日本文化には現場の素材に密着して感じとられるものが多い。
3.中村雄二郎「日本文化における悪と罪」新潮社(1998)KMB212
・ルース・ベネディクト「菊と刀―日本文化の型」1946の要点の列挙
① 西欧的な「罪の文化」と区別されるものに日本の「恥の文化があり、後者のなによりの特色は、各人が自分の行動に対する世間の目をつよく意識していることである。
② 「罪の文化」の基礎が罪責性であるのに対して、「恥の文化」は羞恥心が道徳の原動力をなし、恥の基本は誰でも知っている善行の明白な道標に従えず、バランス感覚を欠くことである。
③ 「恥の文化」の最高の徳目は「恥を知ること」にあり、恥を知る人こそ徳の高い人であって、それは西洋倫理における「良心の潔白」に匹敵している。
4.清水馨八郎「日本文明の真価」祥伝社(1999)KMB072
・本書では、文化と文明をほとんど同じ意味で使っている。文化は各民族の暮らしの立て方、生き方の総体である。これが救心性を得て、地域を超えて他に影響を与えたり、国々の文化を対比するときには、文明として扱うことにしている。
なぜ極東の小国・日本のみが西洋文明輸入の先がけ、独り近代化し、植民地にならずにすんだのか。当時の西欧の植民地帝国主義の時代に、有色人種の中で独り独立を保持、できたのはなぜか。これらの事実こそ日本が西洋とも東洋の他の国とも全く違った独自の文明を持つ証拠でなくしてなんであろうか。
・日本人vs欧米人
食; 草食文化vs肉食文化
生産; 和服(植物から)vs洋服(動物の毛・皮)
住居; 木、紙の家vs石、煉瓦の家
自然観;自然と調和vs自然を征服
労働; 「手」の文化、勤勉vs「足」の文化、労働忌避、奴隷使役
宗教; 多神教(寛容)vs一神教(排他、独善)
・日本語には、「手」のつく言葉が千以上
5.内藤正明「持続可能な社会システム 10」岩波書店(1998) KMB078
・現状をもたらした歴史的背景
今後の持続的社会の一つの方向として、自然共生型文明(Ecologically Sound Civilization)の復権を唱える主義に注目するならば、このような歴史的視点から歴史を振り返る必要になってくる。そして、二つの文明のタイプが主としてその発生地の自然環境条件や地球の気候変動との関係で形成され、その後の世界史の変遷過程で、自然共生型の文明が都市型の文明に次第に呑み込まれていったという歴史の経緯を認識しておくことは、「自然共生」の意味と再生可能性を考えるためにも必要であろう。