第22章 第5世代(2000年代)の民間航空機用エンジン
この時代の開発機種の代表例はBoeing787 Dreamlinerで、Boeing767と777の一部を後継するための次世代中型ジェット旅客機として開発がすすめられた。特徴は、機体が有する多くの機器の電動化で、大容量のリチウムイオン電池の採用により、その充電のためにエンジンからの抽出動力の割合を大幅に増したことであった。しかし、この開発は当初から難航し、商業飛行の時期が大幅に遅れるとともに、使用開始から数年後の2013年には、電池からの発火事故が複数回起こり、世界中で一時期全便飛行停止処分を受けることになってしまった。
Boeing787は長い航続距離が可能な中型機として登場し、従来は大型機では収支の採算が厳しいとして特定空路にしか採用されなかった国際間長距離航空路線の多くが開設可能となった。2004年にローンチ・カスタマーとして全日本空輸が50機を発注して開発が始められた。開発当初のスケジュールでは2008年5月に連邦航空局(FAA)の型式証明取得を予定し、全日本空輸(ANA)に引き渡す予定であった。ANAは8月の北京オリンピック開催時に東京- 北京間のチャーター便に使用すると発表していた。
しかし、新素材を用いた胴体や多くのシステムの電子化を採用したエンジンなどの新設計と、国際共同開発での足並みが揃わなかったことで、開発が大きく後れ、初飛行が行われたのは当初の予定から2年以上遅れた2009年12月であった。
エンジンは、RRのトレント1000と、GEのGEnxが採用されたが、この2種類のエンジンの交換が可能で、将来も異なるメーカーのエンジンと取り替えることが可能となる設計を初めて採用した。
GEnxは、当初からBoeing787と747-8用に開発され、1970年代から多用されていた既存のCF6を置き換えることを予定し、2008年2月に最初の運転試験が行われた。
第1の特徴は、スタータジェネレータがエンジン始動と発電の両方を行うことで、従来スタータタービンにより行われていたエンジン始動の電動化、空調用のエアコンやアンチアイシング装置などもエンジンからのブリードエアを使わず電気化することとした。このために、エンジン圧縮機からの抽気のほとんどを廃止することが可能になり、燃費が向上した。さらに、ファンケースやファンブレードなどに複合材を使用し、大口径エンジン(787-8用ファン直径は2.82m)での軽量化に成功した。
図22.1 GEnxエンジンの先端技術要素(11)
図22.2 GEnxエンジンの各社担当部位(11)
一方で、中型機用に1990年代に開発されたV2500エンジンは、派生型が次々と発表され、中型中距離機のAirbusA320の驚異的な伸びにより生産台数が大幅に予想を超えて、日本のエンジン3社の売上高に大いに貢献した。また、LCCやリース会社所有のエンジン台数が増加して、オーバーホウルのビジネス形態もめまぐるしく代わった。すなわち、エンジンメーカーが、運行時間数に対するオーバーホウル費用を受け持つことであり、このことは、運行中のエンジンデータが十分に蓄積されたことと、設計の進歩により、部品寿命が正確に見積もれるようになったことに起因すると云える。
22.1 日本国内の状況の変化
この時期の国内のエンジン3社の動向は、それ以前とは様変わりになってゆくことになる。それは、各社にとって赤字続きのお荷物だったエンジンビジネスが、一気に稼ぎ頭になったことである。原因は3社共通で、2000年前後からV2500エンジンのオーバーホウル台数が急激に増加し、採算性の良い交換部分の販売数が急激に伸びたことと、同エンジンの月間の新製台数の飛躍的な増加で、量産効果により製造単価が大幅に低減したためであった。
このために、3社それぞれの将来に対する思惑から、それまでは歩調を合わせていた動きが俄かに別々の動きを始めることになっていった。新生エンジンの開発に巨額の費用が掛かり、かつその回収に少なくとも15年間がかかることには変わりはなく、国家補助を継続的に受けることのできるJAECのもとでの参加に変わりはないのだが、GEのGEnxにはIHIとMHIが参加し,RRのTrent1000にはKHIとMHIという棲み分けになった。IHIの思惑はGEとの繋がりを一層強固にすること、KHIの思惑は部品ではなく、常に特定な部位をモジュールとして基本設計から受け持つこと、MHIは燃焼器分野での最新技術を習得して、発電用ガスタービンへの応用を図ることと推察される。しかし、日本としての総合力が分散されることにより、担当するワークシェアーの割合は、V2500の23%から、それぞれ14%と15.5%に減少した。
1970年に国の大型プロジェクトとして、巨費と10年以上の歳月をかけて、3社一致協力のもとに目指していた、世界市場に通用する新型のエンジンを日本主導で開発をするという夢は、このような分裂とシェアーの減少とともに、エンジン全体の基本設計にまで立ち入るチャンスはほぼなくなってしまった。
この時期の世界の航空機用エンジンの国別の売上高のシェアーを図22.3に示す。
図22.3 世界の航空機用エンジンの国別の売上高のシェアー(12)
この中にあって、次世代のエンジンとして更なる高バイパス比の実現に向けて、従来研究がすすめられてきた多くのコンフィギュレーションに対して、実現に向かった絞り込みが行われた。その中から、民間航空機用エンジンとしては、もっとも堅実なギアード・ターボファンが選ばれるようになった。
図22.4 高バイパス化に向けた各種のコンセプトと課題(12)
この時代の開発機種の代表例はBoeing787 Dreamlinerで、Boeing767と777の一部を後継するための次世代中型ジェット旅客機として開発がすすめられた。特徴は、機体が有する多くの機器の電動化で、大容量のリチウムイオン電池の採用により、その充電のためにエンジンからの抽出動力の割合を大幅に増したことであった。しかし、この開発は当初から難航し、商業飛行の時期が大幅に遅れるとともに、使用開始から数年後の2013年には、電池からの発火事故が複数回起こり、世界中で一時期全便飛行停止処分を受けることになってしまった。
Boeing787は長い航続距離が可能な中型機として登場し、従来は大型機では収支の採算が厳しいとして特定空路にしか採用されなかった国際間長距離航空路線の多くが開設可能となった。2004年にローンチ・カスタマーとして全日本空輸が50機を発注して開発が始められた。開発当初のスケジュールでは2008年5月に連邦航空局(FAA)の型式証明取得を予定し、全日本空輸(ANA)に引き渡す予定であった。ANAは8月の北京オリンピック開催時に東京- 北京間のチャーター便に使用すると発表していた。
しかし、新素材を用いた胴体や多くのシステムの電子化を採用したエンジンなどの新設計と、国際共同開発での足並みが揃わなかったことで、開発が大きく後れ、初飛行が行われたのは当初の予定から2年以上遅れた2009年12月であった。
エンジンは、RRのトレント1000と、GEのGEnxが採用されたが、この2種類のエンジンの交換が可能で、将来も異なるメーカーのエンジンと取り替えることが可能となる設計を初めて採用した。
GEnxは、当初からBoeing787と747-8用に開発され、1970年代から多用されていた既存のCF6を置き換えることを予定し、2008年2月に最初の運転試験が行われた。
第1の特徴は、スタータジェネレータがエンジン始動と発電の両方を行うことで、従来スタータタービンにより行われていたエンジン始動の電動化、空調用のエアコンやアンチアイシング装置などもエンジンからのブリードエアを使わず電気化することとした。このために、エンジン圧縮機からの抽気のほとんどを廃止することが可能になり、燃費が向上した。さらに、ファンケースやファンブレードなどに複合材を使用し、大口径エンジン(787-8用ファン直径は2.82m)での軽量化に成功した。
図22.1 GEnxエンジンの先端技術要素(11)
図22.2 GEnxエンジンの各社担当部位(11)
一方で、中型機用に1990年代に開発されたV2500エンジンは、派生型が次々と発表され、中型中距離機のAirbusA320の驚異的な伸びにより生産台数が大幅に予想を超えて、日本のエンジン3社の売上高に大いに貢献した。また、LCCやリース会社所有のエンジン台数が増加して、オーバーホウルのビジネス形態もめまぐるしく代わった。すなわち、エンジンメーカーが、運行時間数に対するオーバーホウル費用を受け持つことであり、このことは、運行中のエンジンデータが十分に蓄積されたことと、設計の進歩により、部品寿命が正確に見積もれるようになったことに起因すると云える。
22.1 日本国内の状況の変化
この時期の国内のエンジン3社の動向は、それ以前とは様変わりになってゆくことになる。それは、各社にとって赤字続きのお荷物だったエンジンビジネスが、一気に稼ぎ頭になったことである。原因は3社共通で、2000年前後からV2500エンジンのオーバーホウル台数が急激に増加し、採算性の良い交換部分の販売数が急激に伸びたことと、同エンジンの月間の新製台数の飛躍的な増加で、量産効果により製造単価が大幅に低減したためであった。
このために、3社それぞれの将来に対する思惑から、それまでは歩調を合わせていた動きが俄かに別々の動きを始めることになっていった。新生エンジンの開発に巨額の費用が掛かり、かつその回収に少なくとも15年間がかかることには変わりはなく、国家補助を継続的に受けることのできるJAECのもとでの参加に変わりはないのだが、GEのGEnxにはIHIとMHIが参加し,RRのTrent1000にはKHIとMHIという棲み分けになった。IHIの思惑はGEとの繋がりを一層強固にすること、KHIの思惑は部品ではなく、常に特定な部位をモジュールとして基本設計から受け持つこと、MHIは燃焼器分野での最新技術を習得して、発電用ガスタービンへの応用を図ることと推察される。しかし、日本としての総合力が分散されることにより、担当するワークシェアーの割合は、V2500の23%から、それぞれ14%と15.5%に減少した。
1970年に国の大型プロジェクトとして、巨費と10年以上の歳月をかけて、3社一致協力のもとに目指していた、世界市場に通用する新型のエンジンを日本主導で開発をするという夢は、このような分裂とシェアーの減少とともに、エンジン全体の基本設計にまで立ち入るチャンスはほぼなくなってしまった。
この時期の世界の航空機用エンジンの国別の売上高のシェアーを図22.3に示す。
図22.3 世界の航空機用エンジンの国別の売上高のシェアー(12)
この中にあって、次世代のエンジンとして更なる高バイパス比の実現に向けて、従来研究がすすめられてきた多くのコンフィギュレーションに対して、実現に向かった絞り込みが行われた。その中から、民間航空機用エンジンとしては、もっとも堅実なギアード・ターボファンが選ばれるようになった。
図22.4 高バイパス化に向けた各種のコンセプトと課題(12)
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