その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(58)
TITLE: 文明の停滞は広範囲に統一された地域で起こる
書籍名;「銃・病原菌・鉄(下)」(2000) 発行日;2000.10.2
著者;ジャレット・ダイヤモンド 発行所;草思社
初回作成年月日;H30.1.21 最終改定日;H30.1.
引用先;メタエンジニアの歴史
テーマ;メタエンジニアリングが文明を変える
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
上巻では、メタエンジニアリング思考のMiningとExploringのプロセスが行われた。この下巻では、いよいよ結論ともいうべきConvergingが行われている。その記述を順を追って引用する。
『オーストラリアには、世界でもっとも豊富な鉄やアルミニウムの鉱床があり、銅、錫、鉛・亜鉛が埋蔵されていることを考えると、オーストラリア先住民が、金属器をまったく知らず、石器時代そのままの生活をしていたことも信じがたいことである。』(pp.134)
さらに続けて、『オーストラリア大陸は、先住民とヨーロッパ人を実験材料に、人間社会の変化のちがいを再現したような場所である。この実験では、オーストラリア先住民社会とヨーロッパ系オーストラリア人社会は、構成要員こそ異なれ、舞台はまったく同じである。つまり、二つの社会のちがいは、構成要員のちがい、ということになる。しかし人種差別的な結論を導きだし、一見説得力のありそうなこの考え方には、論理上の単純な問違いがーつふくまれている。』(pp.134)
単純な問違いとは、オーストラリア大陸が近くのニューギニアや東南アジア諸国とも隔絶された歴史を持っていたこと。一方で、ヨーロッパ人は古代から現代にいたるまで、常に周辺地域との抗争や簒奪に明け暮れており、技術の伝搬が世界中で最も密に行われ続けた、という違いである。つまり、人種としての固有さではなく、その民族が古代以来暮らしてきた地理的な環境による違いであるとしている。
『古代において、ギリシアを含む地中海地方東部および肥沃三日月地帯のほとんどは森林におおわれていた。それが、風化の進んだ砂漠地帯や濯木地帯へと変わっていった過程については、古植物学者と文化人類学者によって解明されている。この地域の森林は、農地を広げるために開墾されたり、建築用や燃料用、加工用製制として伐採されていった。降雨量が少なく、降雨量に比例する森林再生率が低かったために、破壊に追いつくスピードで伐採跡地に草木が茂ることはなかった。』(pp.306)
『それでは、中国の場合はどうだったか。中国は、肥沃三日月地帯と同じくらい古い時代に食料生産を始めていた。北部から南部に、そして沿岸地帯からチベット高原にまで広がる中国は、地形や環境の変化に富み、多様な作物や家畜や技術が誕生している。世界最多の人口を誇り、生産性に富む広大な土地を所有している。肥沃三日月地帯ほど乾燥していない。生態系も肥沃三日月地帯ほど脆弱ではない。そのため、西ヨーロッパより環境問題が深刻化しているとはいえ、食料生産の開始から一万年を経た現在でも、生産性の高い集約農業がおこなわれている。これらを考慮すると、中国がヨーロッパに遅れをとってしまったことは意外である。』(pp.307)
この疑問は、その後完全に解明されている。
文明と技術の伝播について、15世紀初頭の鄭和の大船団による南海遠征とコロンブスの航海の歴史的な結果の違いが挙げられている。鄭和の場合は、数百隻の大船と28000人の巨大船団であり、二百年後のコロンブスの船団とは雲泥の差であった。しかし、中国はそれ以上には発展しなかった。それは、『これらの謎を解く鍵は、船団の派遣の中止にある。』としている。1404年から1433年までの7回の派遣は、突然中止された。
『中国は国全体が政治的に統一されていたという点でそれらの国々とは異なっていた。政治的に統一されていたために、ただ一度の一時的な決定によって、中国全土で船団の派遣が中止されたのである。ただ一度の一時的な決定のために中国全土から造船所が姿を消し、その決定の愚かさも検証できなくなってしまった。造船所を新たに建設するための場所さえも永久に失われてしまったのだったのだった。
中国とは対照的だったのが、大航海時代がはじまった頃のヨーロッパだった。当時のヨーロッパは政治的に統一されていなかった。イタリア生まれのクリストファー・コロンブスが最初に仕えたのはフランスのアンジュー公である。そこがだめになると彼はポルトガル王に仕えたが、探検船団の派遣を拒絶され、つぎにメディナ・セドニア公のもとに行く。そこでも自分の願いがかなえられないとわかり、メディナ・セリ伯のもとに行くが、やはり船団派遣の願いは断られる。今度はスペインの国王と女王に仕え、初めは断られたものの、最後の最後に願いは聞き入れられた。コロンブスは三人の君主に断られ、四番目に仕えた君主によって願いがかなえられたのである。もしもヨーロッパ全土が最初の三入の君主のうちの一人によって統一支配されていたら、ヨーロッパ人によるアメリカの植民地化はなかったかもしれない。』(pp.309)である。この説明には納得させられてしまう。日本の平安時代、安土桃山時代、江戸時代にも当てはまりそうな理由だと思う。
つまり、新発明が広く伝わり、改善を重ねて文明の進化の原因となるか、そうはならないかは、『中国の長期にわたる統一と、ヨーロッパの長期にわたる不統一の理由を理解することになる。』(pp.311)としている。
・環境とはまったくかかわりのない文化的な要因
ここで著者は、「カオス理論」を持ち出している。つまり、最初の状態の小さな差異が、時間とともに大きく変化をして、予測不能な結果をもたらすというものだ。その好例として挙げられているのが、キーボードの配列である。
我々が慣れ親しんでいる「QWERT」配列は、まさにこの「カオス理論」があてはまってしまう。タイプライターの普及当初はいくつもの配列があった。その状態が、1888年のタイピング競技会の勝敗の結果が派手に宣伝されたために、商社の配列が一気に独占に傾いてしまったというわけである。
さらに、他の例としては、「シュメールの十二進法」(現代でも1時間は60分、一日は24時間、円周は360°など)が挙げられている。
これらのことを総合すると、「歴史に影響を与える個人とは」という問題が発生すると、最後に著者は記している。ヒットラーは、暗殺計画と交通事故の2度奇跡的に死を免れた。現代社会は、国家ごとに統一された政府によって政策が決定される。そして、技術の伝播は早い。そのような状態での文明の転換は、どこで何が原因となり、どの方面に広がってゆくのかは、わからないという結論になってしまう。しかし、それでも「銃・病原菌・鉄」が大きな影響力を持つことには変わりはなく、メタエンジニアリングがキーとなっていることになる。
TITLE: 文明の停滞は広範囲に統一された地域で起こる
書籍名;「銃・病原菌・鉄(下)」(2000) 発行日;2000.10.2
著者;ジャレット・ダイヤモンド 発行所;草思社
初回作成年月日;H30.1.21 最終改定日;H30.1.
引用先;メタエンジニアの歴史
テーマ;メタエンジニアリングが文明を変える
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
上巻では、メタエンジニアリング思考のMiningとExploringのプロセスが行われた。この下巻では、いよいよ結論ともいうべきConvergingが行われている。その記述を順を追って引用する。
『オーストラリアには、世界でもっとも豊富な鉄やアルミニウムの鉱床があり、銅、錫、鉛・亜鉛が埋蔵されていることを考えると、オーストラリア先住民が、金属器をまったく知らず、石器時代そのままの生活をしていたことも信じがたいことである。』(pp.134)
さらに続けて、『オーストラリア大陸は、先住民とヨーロッパ人を実験材料に、人間社会の変化のちがいを再現したような場所である。この実験では、オーストラリア先住民社会とヨーロッパ系オーストラリア人社会は、構成要員こそ異なれ、舞台はまったく同じである。つまり、二つの社会のちがいは、構成要員のちがい、ということになる。しかし人種差別的な結論を導きだし、一見説得力のありそうなこの考え方には、論理上の単純な問違いがーつふくまれている。』(pp.134)
単純な問違いとは、オーストラリア大陸が近くのニューギニアや東南アジア諸国とも隔絶された歴史を持っていたこと。一方で、ヨーロッパ人は古代から現代にいたるまで、常に周辺地域との抗争や簒奪に明け暮れており、技術の伝搬が世界中で最も密に行われ続けた、という違いである。つまり、人種としての固有さではなく、その民族が古代以来暮らしてきた地理的な環境による違いであるとしている。
『古代において、ギリシアを含む地中海地方東部および肥沃三日月地帯のほとんどは森林におおわれていた。それが、風化の進んだ砂漠地帯や濯木地帯へと変わっていった過程については、古植物学者と文化人類学者によって解明されている。この地域の森林は、農地を広げるために開墾されたり、建築用や燃料用、加工用製制として伐採されていった。降雨量が少なく、降雨量に比例する森林再生率が低かったために、破壊に追いつくスピードで伐採跡地に草木が茂ることはなかった。』(pp.306)
『それでは、中国の場合はどうだったか。中国は、肥沃三日月地帯と同じくらい古い時代に食料生産を始めていた。北部から南部に、そして沿岸地帯からチベット高原にまで広がる中国は、地形や環境の変化に富み、多様な作物や家畜や技術が誕生している。世界最多の人口を誇り、生産性に富む広大な土地を所有している。肥沃三日月地帯ほど乾燥していない。生態系も肥沃三日月地帯ほど脆弱ではない。そのため、西ヨーロッパより環境問題が深刻化しているとはいえ、食料生産の開始から一万年を経た現在でも、生産性の高い集約農業がおこなわれている。これらを考慮すると、中国がヨーロッパに遅れをとってしまったことは意外である。』(pp.307)
この疑問は、その後完全に解明されている。
文明と技術の伝播について、15世紀初頭の鄭和の大船団による南海遠征とコロンブスの航海の歴史的な結果の違いが挙げられている。鄭和の場合は、数百隻の大船と28000人の巨大船団であり、二百年後のコロンブスの船団とは雲泥の差であった。しかし、中国はそれ以上には発展しなかった。それは、『これらの謎を解く鍵は、船団の派遣の中止にある。』としている。1404年から1433年までの7回の派遣は、突然中止された。
『中国は国全体が政治的に統一されていたという点でそれらの国々とは異なっていた。政治的に統一されていたために、ただ一度の一時的な決定によって、中国全土で船団の派遣が中止されたのである。ただ一度の一時的な決定のために中国全土から造船所が姿を消し、その決定の愚かさも検証できなくなってしまった。造船所を新たに建設するための場所さえも永久に失われてしまったのだったのだった。
中国とは対照的だったのが、大航海時代がはじまった頃のヨーロッパだった。当時のヨーロッパは政治的に統一されていなかった。イタリア生まれのクリストファー・コロンブスが最初に仕えたのはフランスのアンジュー公である。そこがだめになると彼はポルトガル王に仕えたが、探検船団の派遣を拒絶され、つぎにメディナ・セドニア公のもとに行く。そこでも自分の願いがかなえられないとわかり、メディナ・セリ伯のもとに行くが、やはり船団派遣の願いは断られる。今度はスペインの国王と女王に仕え、初めは断られたものの、最後の最後に願いは聞き入れられた。コロンブスは三人の君主に断られ、四番目に仕えた君主によって願いがかなえられたのである。もしもヨーロッパ全土が最初の三入の君主のうちの一人によって統一支配されていたら、ヨーロッパ人によるアメリカの植民地化はなかったかもしれない。』(pp.309)である。この説明には納得させられてしまう。日本の平安時代、安土桃山時代、江戸時代にも当てはまりそうな理由だと思う。
つまり、新発明が広く伝わり、改善を重ねて文明の進化の原因となるか、そうはならないかは、『中国の長期にわたる統一と、ヨーロッパの長期にわたる不統一の理由を理解することになる。』(pp.311)としている。
・環境とはまったくかかわりのない文化的な要因
ここで著者は、「カオス理論」を持ち出している。つまり、最初の状態の小さな差異が、時間とともに大きく変化をして、予測不能な結果をもたらすというものだ。その好例として挙げられているのが、キーボードの配列である。
我々が慣れ親しんでいる「QWERT」配列は、まさにこの「カオス理論」があてはまってしまう。タイプライターの普及当初はいくつもの配列があった。その状態が、1888年のタイピング競技会の勝敗の結果が派手に宣伝されたために、商社の配列が一気に独占に傾いてしまったというわけである。
さらに、他の例としては、「シュメールの十二進法」(現代でも1時間は60分、一日は24時間、円周は360°など)が挙げられている。
これらのことを総合すると、「歴史に影響を与える個人とは」という問題が発生すると、最後に著者は記している。ヒットラーは、暗殺計画と交通事故の2度奇跡的に死を免れた。現代社会は、国家ごとに統一された政府によって政策が決定される。そして、技術の伝播は早い。そのような状態での文明の転換は、どこで何が原因となり、どの方面に広がってゆくのかは、わからないという結論になってしまう。しかし、それでも「銃・病原菌・鉄」が大きな影響力を持つことには変わりはなく、メタエンジニアリングがキーとなっていることになる。