メタエンジニアの眼(172)
TITLE:ドラッカーわが軌跡(ドラッカーの教え11)
書籍名; ドラッカーわが軌跡[2006]
著者; P.F.ドラッカー
発行所;ダイヤモンド社 発行日;2006.1.26
初回作成日;R2.2.26
このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。
『』内は,著書からの引用部分です。
この書もドラッカーの遺言の一つになっている。彼自身が書いたものは、これだけ。最初に読んだのは、この本の翻訳者でもある上田惇生が生涯の全著作を纏めた3冊の本(メタエンジニアの眼165,168,169)、次が、講談社チームが最晩年にインタビューした本(メタエンジニアの眼170)、そしてドラッカー自身の依頼によりエリザベス・H・イーダスハイムよって書かれた本(メタエンジニアの眼171)で、都合4種類の遺言の書が発行されたことになる。
ユニークなのはこの書で、彼の人となりのすべてが記されている。この書は、当初1979年に「ある観察者の数々の冒険」と題して発行され、これはその新訳とされている。
「プロローグ」には、「こうして観察者が生まれた」と題して、ナチスドイツ時代の経験談から始まっている。それは、彼が13歳の時で、第1次世界大戦でオーストリア帝国が破れて、共和制になった日のことだった。(pp.11)
そこから15の出会いと観察の記録が始まるのだが、それらの人々は全く通常の人で、有名人ではない。『観察と解釈の価値ある人たちだった』(pp.6)と序文にある。
第1話は,1955年のウイーンの街角で、「おばあちゃんと20世紀の忘れ物」と題している。食料品店の女主人との会話で、『でも、あなたのおばあちゃんにはかなわない。素早しい方だった。』(pp.19)とある。
すべて飛ばして、最終話は「お人よし時代のアメリカ」で、なんでも一肌脱いでくれるアメリカ人の話。ここまですべて、古き良き時代の話になっている。それらは、不況がもたらした暖かな心の話だ。しかし、ここで突然の方向転換がアメリカ社会全体に起こってしまう。
・部族化したアメリカ
不況の時代には多くのコミュニティが誕生した。そして、大きな役割を果たすまでに成長した。
『しかし、コミュニティが大きな役割を果たすようになったということは、部族的なもの、郷党的なもの、地域的なものが強化されることを意味した。
したがって、不況下のアメリカは、大恐慌前の一九二〇年代のアメリカよりも、反ユダヤ的となり、反カトリック的となった。同時に親ユダヤ的となり、親カトリック的となった。ユダヤ人の内部ではドイツ系とロシア系、カトリックの内部ではアイルランド系とイタリア系とドイツ系、アメリカ全体では北部人と南部人の亀裂が拡がった。』(pp.325)
そして、そこから複雑な差別関係が生まれてしまった。つまり、「お人好しの時代の終わり」を迎える。それは、真珠湾攻撃の数週間後からだった。
『アメリカは、その約束と信条を捨て、大国となる道を選んだ。カリフォルニア州民を安心させるため、ルーズベルトが日系アメリカ人の収容を命じた』(pp.349)の語でこの著書は終わっている。
それは、彼の少年時代のナチスドイツのユダヤ人に対する態度を思い起こさせたのだと思う。つまり、観察者としてのドラッカーの話は、ヒットラーで始まりルーズベルトで終わっている。彼が、なぜ「新版」として、改めてこの著書を発行したにかは、この構成にあるように思う。
世界的なSNS時代を迎えて、名もない人の発信が世界を動かすことになる可能性がある。それらをよく観察せよ、そして「部族的なもの、郷党的なもの、地域的なものが強化されること」や、「複雑な差別関係が生まれてしまう」などに注意せよ、ということではないだろうか。歴史は繰り返されるのだから。
この書の発行後、10年後にトランプが大統領に選ばれて、この傾向はますます激しさを増した。
ここでも彼は、予知能力を発揮した。
TITLE:ドラッカーわが軌跡(ドラッカーの教え11)
書籍名; ドラッカーわが軌跡[2006]
著者; P.F.ドラッカー
発行所;ダイヤモンド社 発行日;2006.1.26
初回作成日;R2.2.26
このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。
『』内は,著書からの引用部分です。
この書もドラッカーの遺言の一つになっている。彼自身が書いたものは、これだけ。最初に読んだのは、この本の翻訳者でもある上田惇生が生涯の全著作を纏めた3冊の本(メタエンジニアの眼165,168,169)、次が、講談社チームが最晩年にインタビューした本(メタエンジニアの眼170)、そしてドラッカー自身の依頼によりエリザベス・H・イーダスハイムよって書かれた本(メタエンジニアの眼171)で、都合4種類の遺言の書が発行されたことになる。
ユニークなのはこの書で、彼の人となりのすべてが記されている。この書は、当初1979年に「ある観察者の数々の冒険」と題して発行され、これはその新訳とされている。
「プロローグ」には、「こうして観察者が生まれた」と題して、ナチスドイツ時代の経験談から始まっている。それは、彼が13歳の時で、第1次世界大戦でオーストリア帝国が破れて、共和制になった日のことだった。(pp.11)
そこから15の出会いと観察の記録が始まるのだが、それらの人々は全く通常の人で、有名人ではない。『観察と解釈の価値ある人たちだった』(pp.6)と序文にある。
第1話は,1955年のウイーンの街角で、「おばあちゃんと20世紀の忘れ物」と題している。食料品店の女主人との会話で、『でも、あなたのおばあちゃんにはかなわない。素早しい方だった。』(pp.19)とある。
すべて飛ばして、最終話は「お人よし時代のアメリカ」で、なんでも一肌脱いでくれるアメリカ人の話。ここまですべて、古き良き時代の話になっている。それらは、不況がもたらした暖かな心の話だ。しかし、ここで突然の方向転換がアメリカ社会全体に起こってしまう。
・部族化したアメリカ
不況の時代には多くのコミュニティが誕生した。そして、大きな役割を果たすまでに成長した。
『しかし、コミュニティが大きな役割を果たすようになったということは、部族的なもの、郷党的なもの、地域的なものが強化されることを意味した。
したがって、不況下のアメリカは、大恐慌前の一九二〇年代のアメリカよりも、反ユダヤ的となり、反カトリック的となった。同時に親ユダヤ的となり、親カトリック的となった。ユダヤ人の内部ではドイツ系とロシア系、カトリックの内部ではアイルランド系とイタリア系とドイツ系、アメリカ全体では北部人と南部人の亀裂が拡がった。』(pp.325)
そして、そこから複雑な差別関係が生まれてしまった。つまり、「お人好しの時代の終わり」を迎える。それは、真珠湾攻撃の数週間後からだった。
『アメリカは、その約束と信条を捨て、大国となる道を選んだ。カリフォルニア州民を安心させるため、ルーズベルトが日系アメリカ人の収容を命じた』(pp.349)の語でこの著書は終わっている。
それは、彼の少年時代のナチスドイツのユダヤ人に対する態度を思い起こさせたのだと思う。つまり、観察者としてのドラッカーの話は、ヒットラーで始まりルーズベルトで終わっている。彼が、なぜ「新版」として、改めてこの著書を発行したにかは、この構成にあるように思う。
世界的なSNS時代を迎えて、名もない人の発信が世界を動かすことになる可能性がある。それらをよく観察せよ、そして「部族的なもの、郷党的なもの、地域的なものが強化されること」や、「複雑な差別関係が生まれてしまう」などに注意せよ、ということではないだろうか。歴史は繰り返されるのだから。
この書の発行後、10年後にトランプが大統領に選ばれて、この傾向はますます激しさを増した。
ここでも彼は、予知能力を発揮した。