生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

ホトトギスとルリタテハ

2017年09月30日 09時26分09秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
秋分(9月23日から10月7日ころまで)

秋の七草(その2)ホトトギスとルリタテハ

 秋の七草は、万葉集の山上億良の次の歌に始まるといわれている。
秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花、萩の花 尾花 葛花 撫子の花、女郎花 また藤袴 朝貌の花。



 ここに活けた花々は、風のために庭で倒れたものを集めた。ホトトギスはこちらでは今が盛りだが、東京ではとっくに終っているのが通常。しかし、今年の東京の庭ではまだつぼみが漸く膨らみ始めたところだった。残暑のせいとも考えられるが、今年は、烏山の庭に瑠璃タテハが卵を産んでいった。瑠璃タテハの幼虫は食欲旺盛で、一匹で2本分の葉を平らげてしまう。この幼虫はこの葉っぱしか食べないので、食べ尽くすと大変なことになる。数年前の前回は危機だった。八ヶ岳では、葉は見事に茂るのだが、瑠璃タテハはついぞ見かけたことがない。第一、あの超グロテスクなトゲトゲの芋虫はこの辺りの景色には似合わない。



 ここまでは、2013年10月12日の原稿だ。

 やっと涼しくなった東京に戻って5日目。パソコンが壊れてアタフタとした日々がようやく終わって、庭の手入れを始めた。ちなみに私のパソコンは東京と八ヶ岳南麓を300回以上往復している。新たなパソコンを買うときに、「HDDは車の振動に弱いので、SSDに替えなさい」と言われた。今度は大丈夫だろうか。

 

 ところで、東京の庭のホトトギスがやっと一輪咲いた。しかし、横を見ると、2本が丸坊主になっている。少し離れたところに数十株があるのだが、そこは日陰で生育がわずかに遅く、つぼみが固い。


 
 まさかと思ったが、すべての葉の裏を調べた。「いたいた」わずか一匹だが、明らかにルリタテハの幼虫だ。




 4年たって戻ってきたのであろうか。とにかく、貴重な一匹なので、成長を見守ることにした。

その場考学研究所 メタエンジニアリング シリーズ (KME498) 北朝鮮の長期戦略

2017年09月17日 21時05分17秒 | メタエンジニアの眼
 その場考学研究所  メタエンジニアリング シリーズ498
          
TITLE: 北朝鮮の長期戦略
 北朝鮮は、なぜ執拗にミサイルと原爆の開発に執着をするのだろうか。この命題をメタエンジニアリング的に考えてみた。アメリカが北朝鮮を領土としたり植民地にしたりするとは、考えられない。それなのに、なぜアメリカを敵国と名指しにした兵器を開発するのだろうか。それは、彼らが将来に備えて、ある目的のために強い仮想敵国が必要なのだ。
 歴史的、地政学的にみて北朝鮮の脅威は対中国が最大だろう。紀元前の前漢の時代から、高句麗をはじめとして、すべての朝鮮王朝は中国(現代の中国は、かつての北方民族も含む)からの脅威に晒され続けてきた。地政学的にも北朝鮮は中国が日本海に出るための重要な拠点になる。満州にはない利点が存在する。
 日本や韓国が侵略した時の対応は、歴史的に何度も経験済みだ。つまり、中国が真剣に対応してくれる。しかし、中国からの侵略があるときに、日本や米国の応援は期待できない。
 将来の中国からの脅威に対抗するためには、中国の主要都市を直接攻撃する能力の兵器の所有が必要になる。しかし、現状においてそれらを表立って開発することはできない。そこで考えたのが、アメリカを仮想敵国にすることだった。国連安保理から受ける制裁は短期的なものだが、彼らが目指すものは長期的なもので、価値は後者が圧倒的に大きい。
 必要以上にアメリカを口撃し、本土殲滅などと、まったくできもしないことを言い続けるのは、注意をアメリカにそらし続けることであり、アメリカが北朝鮮を攻撃しても、イラクの時のような利益は何も得られないことを知っている。勿論、トランプの経営者感覚(敢えてリスクをとって、何か全く別のものを得る)で局所的な攻撃はあり得るが、それでも、一度開発された技術を完全に消し去ることはできない。
したがって、この北朝鮮の戦略は成功を収める可能性がかなり高い。南と北からの脅威に常に対峙してきた北朝鮮民族の智慧なのだと思う。「金」王族は、歴史上つねに漢民族と敵対していた。先祖からの家系に拘る朝鮮民族特有の文化から発した戦略だと推察する

メタエンジニアの眼シリーズ(47) 「異文化理解力」

2017年09月15日 08時11分10秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(47)

このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。


書籍名;「異文化理解力」 [2015] 

著者;エリン・メイヤー 発行所;英治出版   
発行日;2015.8.25
初回作成年月日;H29.9.2 最終改定日;H29.9.11 
引用先;文化の文明化のプロセス  



 著者は、フランスとシンガポールに拠点を置くビジネススクールの客員教授。異文化マネージメントのプログラム・ディレクターなどを務める。

第3章の「多文化世界における説得の技術」-「なぜ」vs「どうやって」
『相手を説得して自分のアイデアを支持してもらう力がなければ、支持を集めてアイデアを実現することはできない。そして多くの人は気づいていないものの、あなたが説得を試みる方法や説得力があると感じる議論の種類は、あなたの文化の哲学的、宗教的、そして教育的前提や意識に深く根ざしている。そのため、普遍的であるどころか、説得の技術は極めて深く文化と結びついたものなのである。』(pp.119)

様々なセミナーなどでの事例は、彼女の説の裏付けのためだ。彼女は、事例から一般論を導くタイプだ。
『ドイツでは、まず理論的概念を理解してから、それを現実の状況に当てはめようとします。何かを理解するには、まずあらゆる概念的データを分析してから結論を下したいのです。』
『アメリカで暮らした日々はヒューバートにアメリカ人は全く異なるアプローチをとるのだと教えた。彼らは理論よりも実用性に重点を置くため、提案から始める可能性がとても高いのだ。』(pp.122)といった具合だ。

・説得の指標における各国の位置づけ
 
ここでは、アングロサクソン系とラテン・ゲルマン系を明確に分離している。さらに、『ある国の指標における絶対的な位置よりも二国間の相対的な位置のほうが重要である。』(pp.126)と述べている。

例えば、アングロサクソンのなかでも、『他のヨーロッパ文化に比べると、イギリスはかなり応用優先である。しかしアメリカと比べると、極めて原理優先的だと言えるー文化の相対性がいかに私たちの認識を作っているかを浮き彫りにする一例だ。』(pp.127)

 図3-1には、「説得の各国分布」が示されている。

最右翼は「応用優先」で、アメリカとカナダ。この国の文化は、『各人は事実や、発言や、意見を提示した後で、それを裏付けたり結論に説得力を持たせる概念を加えるように訓練されている。まとめたり箇条書きにしてメッセージや報告を伝えるのが好ましいとされている。議論は実践的で具体的に行われる。理論や哲学的議論はビジネス環境では避けられている。』
 
一方の最左翼は「原理優先」で、イタリヤ,フランス、スペインなどである。この国の文化は、『各人は最初に理論や複雑な概念を検討してから事実や、発言や、意見を提示するように訓練されている。理論的な議論をもとに報告を行ってから結論へ移るのが好ましいとされている。各状況の奥に潜む概念的原理に価値が置かれる。』(pp.127)なお、ここではアジア各国は含まれない。全く別のジャンルになっている。
 
しかし、私なりに日本の立ち位置を考えると、教育は「原理優先」で、ビジネスは「応用優先」であるように思われる。つまり、ハイブリッドなのだが、それが有利でもあり、不利でもある。どっち憑かずは、国際間ではよろしくない。

 応用優先思考の代表はアリストテレスで、その方法論を近代に広めたのは、ロジャー・ベーコンとフランシス・ベーコンといったイギリスの哲学者としている。またデカルトやヘーゲルといった大陸系の哲学者は、「原理優先」のアプローチをとっている。

『応用優先の思考を持つ人々はまず実例をほしがる。その実例の数々から結論を導くのである。同じように、応用優先で学ぶ人々は「事例研究法」に親しんでおり、彼らはまずケース・スタディーを読んで現実世界のビジネスにおける問題や解決方法を学び、そこから帰納的に一般原理を引き出そうとする。』(pp.133)

・包括的思考―アジア的な説得のアプローチ

『西洋諸国の間には、応用優先と原理優先の思考という大きな違いがある。しかしアジアと西洋の思考パターンの違いを考えるにあたっては、別の観点を用いる必要がある。アジアの人々はいわゆる「包括的な」思考パターンを持っていて、西洋の人々はいわゆる「特定的な」アプローチをとっている。』(pp.135)

ここでも、いくつかの事例が紹介されている。象徴的なのは、「人物の写真を撮る」である。アメリカ人は、クローズアップの写真(左)を撮り、日本人は、背景を含めた全身の写真(右)を撮った。これに対する意見が記されている。
『西洋の参加者・・・だけど人物の写真を撮れといわれたんだから、左こそが人物の写真だよ。右の写真は部屋の写真だ。どうして日本人は人物の写真を撮れと言われて部屋の写真を撮るんだ。』
『アジアの参加者・・・左写真は人物写真とは言えない。顔のクローズアップ写真だ。これを見てその人物の何がわかるっていうんだ?右の写真は人物が、彼女の全身が、背景と一緒に写っているから彼女の人となりを推し量ることができる。どうしてアメリカ人は大事な細部を省いて、顔のクローズアップを撮るんだ?』(pp.140)


 アジア人はマクロからミクロへ、西洋人はミクロからマクロへと考える。それは、住所の書き方や、年月日や氏・名を書く順番に現れているとしている。

 しかし、同じアジア人でも日本人と中国人は異なる。『中国人は日本人が決断に遅く、柔軟性に欠け、変化を好まないと不満を言います。日本人は中国人がよく考えもせず、性急な決断をし、混乱を増長させると不満を言います。このアジア二か国は一緒に働くのが難しいだけでなく、日本人はあらゆる点で中国人というよりドイツ人的です。』(pp.298)

 そこで、「4つの文化のカルチャーマップ」が登場する。4つの文化は、フランス、ドイツ、中国,日本である。カルチャーは8分類されており、①コミュニケーション(ハイコンテクストかローコンテクストか)、②評価(直接的なネガティブフィードバックか間接的なネガティブフィードバックか)、③説得(原理優先か応用優先か)、④リード(平等主義か階層主義か)、⑤決断(合意志向かトップダウン式か)、⑥信頼(タスクベースか関係ベースか)、⑦見解の相違(対立型か対立回避型か)、⑧スケジューリング(直線的な時間か柔軟な時間か)

 ここで、日本人は赤字のカルチャーに極端に偏っている。中国人とは、⑤,⑥、⑧で逆方向であり、ドイツ人とは、①,②,③,⑥、⑦で反対方向である。
 『日本人は直線的な時間の文化です。彼らは慎重に計画を立て、そこから逸れません。系統立て、組織化されていて、直線的な時間のドイツ人の同僚たちと同じように時間通りであることに価値が置かれています。実際、指標⑤と⑧では、日本人はドイツの文化と近く、フランスと遠く、中国とはさらに遠いのです。』
 『中国人は素早く決断し、計画は頻繁かつ簡単に変更し、計画に固執するより柔軟性や適用性に重きを置いています。これら二つの指標(⑤と⑧)では、中国人は日本人よりフランス人に近いのです。』(pp.300)

 この評価は、美人巣面でのことであり、政治の局面では異なるように思う。

・私たちはみんな同じで、みんな違う
 
『私たちが育った文化は、私たちの世界の見方に深い影響を与えている。どの文化でも、世界を特定の見方で理解するようになり、特定のコミュニケーションのパターンを効果的であるとか不適切だと感じるようになり、特定の議論を説得力があるとか受け入れがたいと考えるようになり、特定の決断方法や時間への認識を「自然だ」とか「変だ」と思うようになる。
 リーダーたちはビジネスで成功するために人間の性質や性格の違いをいつでも理解しておく必要あるーそれは何も新しいことではない。21世紀のリーダーたちに求められている新しいものとは、いまだかつてないほど豊かで広範な働き方を理解するためにそなえることであり、人々のやり取りのなかでどこまでは単純に性格によるものなのか、どこからが文化の違いによるものなのか特定する能力である。』(pp.306)

 この著書は、グローバルビジネスをリードする人宛てに書かれたもので、文明には直接に関係がない。しかし、「どこまでは単純に性格によるものなのか、どこからが文化の違いによるものなのか特定する能力」は、言い換えれば、「どこまでは単純に特定な地域における文化によるものなのか、どこからが文明に対する考えの違いによるものなのか特定する能力」は、文化の文明化には必要である。
 ちなみに、私の40年間の航空機用エンジンの国際共同開発を通じて得た結論も、「どこまでは単純に性格によるものなのか、どこからが文化の違いによるものなのか特定する能力」は、最終的な結論がどちらへ傾くかにとっては、重要なセンスということであった。



メタエンジニアの眼シリーズ(47) 「異文化理解力」

2017年09月15日 08時04分59秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(47)                                  
                                                   
TITLE:異文化理解力」KMB3382このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

書籍名;「異文化理解力」 [2015] 
著者;エリン・メイヤー 発行所;英治出版   
発行日;2015.8.25
初回作成年月日;H29.9.2 最終改定日;H29.9.11 
引用先;文化の文明化のプロセス  



 著者は、フランスとシンガポールに拠点を置くビジネススクールの客員教授。異文化マネージメントのプログラム・ディレクターなどを務める。

第3章の「多文化世界における説得の技術」-「なぜ」vs「どうやって」
『相手を説得して自分のアイデアを支持してもらう力がなければ、支持を集めてアイデアを実現することはできない。そして多くの人は気づいていないものの、あなたが説得を試みる方法や説得力があると感じる議論の種類は、あなたの文化の哲学的、宗教的、そして教育的前提や意識に深く根ざしている。そのため、普遍的であるどころか、説得の技術は極めて深く文化と結びついたものなのである。』(pp.119)

様々なセミナーなどでの事例は、彼女の説の裏付けのためだ。彼女は、事例から一般論を導くタイプだ。
『ドイツでは、まず理論的概念を理解してから、それを現実の状況に当てはめようとします。何かを理解するには、まずあらゆる概念的データを分析してから結論を下したいのです。』
『アメリカで暮らした日々はヒューバートにアメリカ人は全く異なるアプローチをとるのだと教えた。彼らは理論よりも実用性に重点を置くため、提案から始める可能性がとても高いのだ。』(pp.122)といった具合だ。

・説得の指標における各国の位置づけ
 
ここでは、アングロサクソン系とラテン・ゲルマン系を明確に分離している。さらに、『ある国の指標における絶対的な位置よりも二国間の相対的な位置のほうが重要である。』(pp.126)と述べている。

例えば、アングロサクソンのなかでも、『他のヨーロッパ文化に比べると、イギリスはかなり応用優先である。しかしアメリカと比べると、極めて原理優先的だと言えるー文化の相対性がいかに私たちの認識を作っているかを浮き彫りにする一例だ。』(pp.127)

 図3-1には、「説得の各国分布」が示されている。

最右翼は「応用優先」で、アメリカとカナダ。この国の文化は、『各人は事実や、発言や、意見を提示した後で、それを裏付けたり結論に説得力を持たせる概念を加えるように訓練されている。まとめたり箇条書きにしてメッセージや報告を伝えるのが好ましいとされている。議論は実践的で具体的に行われる。理論や哲学的議論はビジネス環境では避けられている。』
 
一方の最左翼は「原理優先」で、イタリヤ,フランス、スペインなどである。この国の文化は、『各人は最初に理論や複雑な概念を検討してから事実や、発言や、意見を提示するように訓練されている。理論的な議論をもとに報告を行ってから結論へ移るのが好ましいとされている。各状況の奥に潜む概念的原理に価値が置かれる。』(pp.127)なお、ここではアジア各国は含まれない。全く別のジャンルになっている。
 
しかし、私なりに日本の立ち位置を考えると、教育は「原理優先」で、ビジネスは「応用優先」であるように思われる。つまり、ハイブリッドなのだが、それが有利でもあり、不利でもある。どっち憑かずは、国際間ではよろしくない。

 応用優先思考の代表はアリストテレスで、その方法論を近代に広めたのは、ロジャー・ベーコンとフランシス・ベーコンといったイギリスの哲学者としている。またデカルトやヘーゲルといった大陸系の哲学者は、「原理優先」のアプローチをとっている。

『応用優先の思考を持つ人々はまず実例をほしがる。その実例の数々から結論を導くのである。同じように、応用優先で学ぶ人々は「事例研究法」に親しんでおり、彼らはまずケース・スタディーを読んで現実世界のビジネスにおける問題や解決方法を学び、そこから帰納的に一般原理を引き出そうとする。』(pp.133)

・包括的思考―アジア的な説得のアプローチ

『西洋諸国の間には、応用優先と原理優先の思考という大きな違いがある。しかしアジアと西洋の思考パターンの違いを考えるにあたっては、別の観点を用いる必要がある。アジアの人々はいわゆる「包括的な」思考パターンを持っていて、西洋の人々はいわゆる「特定的な」アプローチをとっている。』(pp.135)

ここでも、いくつかの事例が紹介されている。象徴的なのは、「人物の写真を撮る」である。アメリカ人は、クローズアップの写真(左)を撮り、日本人は、背景を含めた全身の写真(右)を撮った。これに対する意見が記されている。
『西洋の参加者・・・だけど人物の写真を撮れといわれたんだから、左こそが人物の写真だよ。右の写真は部屋の写真だ。どうして日本人は人物の写真を撮れと言われて部屋の写真を撮るんだ。』
『アジアの参加者・・・左写真は人物写真とは言えない。顔のクローズアップ写真だ。これを見てその人物の何がわかるっていうんだ?右の写真は人物が、彼女の全身が、背景と一緒に写っているから彼女の人となりを推し量ることができる。どうしてアメリカ人は大事な細部を省いて、顔のクローズアップを撮るんだ?』(pp.140)


 アジア人はマクロからミクロへ、西洋人はミクロからマクロへと考える。それは、住所の書き方や、年月日や氏・名を書く順番に現れているとしている。

 しかし、同じアジア人でも日本人と中国人は異なる。『中国人は日本人が決断に遅く、柔軟性に欠け、変化を好まないと不満を言います。日本人は中国人がよく考えもせず、性急な決断をし、混乱を増長させると不満を言います。このアジア二か国は一緒に働くのが難しいだけでなく、日本人はあらゆる点で中国人というよりドイツ人的です。』(pp.298)

 そこで、「4つの文化のカルチャーマップ」が登場する。4つの文化は、フランス、ドイツ、中国,日本である。カルチャーは8分類されており、①コミュニケーション(ハイコンテクストかローコンテクストか)、②評価(直接的なネガティブフィードバックか間接的なネガティブフィードバックか)、③説得(原理優先か応用優先か)、④リード(平等主義か階層主義か)、⑤決断(合意志向かトップダウン式か)、⑥信頼(タスクベースか関係ベースか)、⑦見解の相違(対立型か対立回避型か)、⑧スケジューリング(直線的な時間か柔軟な時間か)
 
ここで、日本人は赤字のカルチャーに極端に偏っている。中国人とは、⑤,⑥、⑧で逆方向であり、ドイツ人とは、①,②,③,⑥、⑦で反対方向である。
 
『日本人は直線的な時間の文化です。彼らは慎重に計画を立て、そこから逸れません。系統立て、組織化されていて、直線的な時間のドイツ人の同僚たちと同じように時間通りであることに価値が置かれています。実際、指標⑤と⑧では、日本人はドイツの文化と近く、フランスと遠く、中国とはさらに遠いのです。』
 『中国人は素早く決断し、計画は頻繁かつ簡単に変更し、計画に固執するより柔軟性や適用性に重きを置いています。これら二つの指標(⑤と⑧)では、中国人は日本人よりフランス人に近いのです。』(pp.300)

 この評価は、美人巣面でのことであり、政治の局面では異なるように思う。

・私たちはみんな同じで、みんな違う 

『私たちが育った文化は、私たちの世界の見方に深い影響を与えている。どの文化でも、世界を特定の見方で理解するようになり、特定のコミュニケーションのパターンを効果的であるとか不適切だと感じるようになり、特定の議論を説得力があるとか受け入れがたいと考えるようになり、特定の決断方法や時間への認識を「自然だ」とか「変だ」と思うようになる。
 リーダーたちはビジネスで成功するために人間の性質や性格の違いをいつでも理解しておく必要あるーそれは何も新しいことではない。21世紀のリーダーたちに求められている新しいものとは、いまだかつてないほど豊かで広範な働き方を理解するためにそなえることであり、人々のやり取りのなかでどこまでは単純に性格によるものなのか、どこからが文化の違いによるものなのか特定する能力である。』(pp.306)

 この著書は、グローバルビジネスをリードする人宛てに書かれたもので、文明には直接に関係がない。しかし、「どこまでは単純に性格によるものなのか、どこからが文化の違いによるものなのか特定する能力」は、言い換えれば、「どこまでは単純に特定な地域における文化によるものなのか、どこからが文明に対する考えの違いによるものなのか特定する能力」は、文化の文明化には必要である。
 ちなみに、私の40年間の航空機用エンジンの国際共同開発を通じて得た結論も、「どこまでは単純に性格によるものなのか、どこからが文化の違いによるものなのか特定する能力」は、最終的な結論がどちらへ傾くかにとっては、重要なセンスということであった。



メタエンジニアの眼シリーズ(46)「21世紀の日本」[1977]

2017年09月13日 08時00分34秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(46)

このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
                                         
TITLE: 書籍名; 「21世紀の日本」[1977]著者;松下幸之助発行所;PHP研究所     1977.1.1発行

初回作成年月日;H29.9.5 最終改定日;

 この書は、1977(昭和52年)に発行された。副題は、「私の夢、日本の夢」とあり、「PHP研究所創立30周年記念出版」とある。巻頭には、出版責任者の言葉として、『弊所ではこの三十年を記念し、所長松下幸之助著「私の夢・日本の夢 21世紀の日本」を出版させていただきました。本書は「混迷の現代日本に欠けているものは将来にわたるビジョンである。その日本のあるべき姿というものを一日本人として描いてみたい」という著者の願いから書き下ろされた、いわば混迷に本への提言の初でございます。』



 まえがきは7ページに亘っている。著者の思いからすれば、当然のように思われる。何か所かを引用する。
当時の現状認識としては、

『急速な復興発展の一面に、そのヒズミともいうべき、さまざまな問題も生じてきました。公害であるとか、過疎過密、物価高騰といったこのましからぬ現象が社会の各面に見られるようになっています。それとともに、経済というか物の面の急速な成長発展に対して、心の面、精神面の進歩向上がそれに伴わず、そこに物心のアンバランスが起こり、それからまたさまざまな弊害がもたらされているわけです。』とある。

そして原因を、日本人の戦略思考の欠如にもとめている。『まず経済を復興させ、生産を盛んにして、お互いの生活物資をつくらなければならない、ということは、当時の国民が言わず語らずのうちにひとしく考えたとは思います。しかし、そういういわば必要に迫られてのことであって、しからばどのように復興再建を行い、どういう好ましい国に日本をしてゆくのかといった明確な方針はなかったわけです。』

したがって、今後最も大切なことは、『20年後の日本、30年後の日本をこのような国にしてゆくという目標を国民の合意によって定め、その目標に向かって、国民それぞれの場において努力してゆくということです。』

しかし、このことはワンマン社長の大会社では可能であっても、日本という国においては難しいと思う。かつて、徳川家康が考えたこと、明治維新の志士たちが考えたことに相当する。何より、昭和52年当時も現代にもそれに相当する危機感がない。

 あまり知られていないのだが、『昭和7年には会社の使命産業人としての使命を達成してゆくための二百五十年計画というものを発表し、その実現に努めてまいりました。物質を水道の水のごとく豊かに生産し安価に供給することによって、この社会から貧困をなくしていくことをもって会社として産業人としての真使命と考えたのです。その使命の達成期間二百五十年と定め、これを二十五年ずつの十節にわけて、当時の従業員はその最初の一節をになうことを自分たちの使命と考えて活動してゆこうと訴えたわけです。このことによって、従業員の自覚も高まり、会社もそれまでにくらべて飛躍的な発展をとげることになりました。』

1932年形既に85年が経過している現在は、第3節の半ばということになるのだが、彼には節ごとの目標があったのかどうかを確かめてみたい。松下幸之助の250年計画はどこへ行ってしまったのであろうか。

最後に、『本書の内容はいわゆる未来予測ではありません。』との断りがある。つまり、彼の夢物語なのである。

序章は、次の言葉で始まっている。『西暦2010年のはじめ、権威ある国際機関が、世界人類の真の繁栄、平和、幸福実現の資とするために、各国の協力を得て、百万人に及ぶ人々を対象に行った大がかりな国際世論調査の結果が発表された。』(pp.17)で始まる。
その結果は、アメリカ、スイス、カナダ、オーストラリアなどの名前が挙がったが、圧倒的な一位は日本だった。勿論、これは1977当時の松下幸之助お夢なのだが、あながち間違ってはいない。それは、次の文章になって表れている。

『極東という位置から来る魅力とあいまって、年々日本を訪れる人は増加の一途をたどっている。世界の多くの人人にとって、一生に一度は日本を訪ね、その美しい自然に接することが一つの夢になりつつある。』

『しかし二十一世紀の今日においてもなお、いろいろな形で自由が規制され抑圧されている国は少なくない。一方一部の国では、大幅な自由が認められているものの、人びとが自由の意味をはきちがえ、自分勝手な気ままな言動が多く見られ、社会に混乱をきたしている。その点日本には個人の生活に起きても、団体や企業の活動についても、世界のどの国にも劣らない自由がある。だから人びとはみなのびのびと自分のもち味を発揮して生活をし仕事をしている。それでいて、そのじゆうがいきすぎることなく社会各面の秩序も保たれている。だから治安も安定し、犯罪はどこよりも少ない。』(pp.18)

これもまさに夢なのだが、相対的な意味にとるならば半分くらいは当たっている。そして、この結果、訪日外国人の数は飛躍的に伸びて、一般の観光客ばかりでなく、「多くの政治家、経済人、学者、文化人が視察に来た」としている。しかし、現状はどうであろうか、文化はともかくとして、政治・経済・学者に示すことができるモデルは失われた20年を境に激減している。

 話はさらに、これらの分野の4か国代表団が、日本国内を調査して、その結果を議論したストーリーへと続く。彼らは、一様に日本のあり様を称賛するのだが、国際貢献、インフレの克服、不景気なき発展、過疎過密のない社会などをあげている。しかし現代世界は、これらのいずれの点でも、日本を優等生のモデルとしては、認めていないと思われる。

どこで間違えたのであろうか。やはり、当時の松下幸之助が指摘をした、『20年後の日本、30年後の日本をこのような国にしてゆくという目標を国民の合意によって定め、その目標に向かって、国民それぞれの場において努力してゆくということです。』が、未だにできていないからではないだろうか。

日本は、相変わらずの官僚支配の国なのだから、このことは官僚に任せるしかないのだろうか。



メタエンジニアの眼シリーズ(45)

2017年09月10日 09時44分56秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(45) TITLE:  「古代渦巻文の謎」KMB3370
    
書籍名;「古代渦巻文の謎」[1995] 
著者;大谷幸市  発行所;三一書房   発行日;1995.3.15
初回作成年月日;H29.8.20 最終改定日;H29.9.10 
引用先;文化の文明化のプロセス  
 
 著者の経歴や専門分野は本には書かれていないが、過去に数冊の古代史の本を著している。1995~2007に発行された大谷幸市の著書3冊を読んだ。
 その中の「古代渦巻文の謎」から引用する。




・序章 今、なぜ「古代史と渦巻き」か



 「記・紀」の神話の中に、いくつかの渦巻きを想定させる逸話や和歌が登場する。それらを紹介しながら、次のように述べている。
 『確かにわが国の古代人も他の民族同様「渦巻き」に関心を持っていた。しかし、わが国の場合その関心の度合いと表現の方法は、比類のないものだったと考えられる。
 
渦巻きは「時間の経過による空間の拡大・縮小」現象を明らかに示している。この「時間の経過による空間の拡大・縮小」現象は、ものの生成に必要な条件になっている。また、この現象は空間の「拡大・縮小」現象に示されるように相対性をもっている。そして、この相対性もものの生成になくてはならない要素と認められる。
 
すなわち、わが国の古代人は、渦巻きに、時間の経過による空間の拡大・縮小現象を、さらにものの生成に必要な相対性を読み取り、それらを幾何学図形の形で表していた。それは、彼らの究極的な願望、復活祭性の信仰に結ばれるものであった、このように考えられる。』(pp.10)
 いきなりこのように言われても、俄かには理解できないのだが、3部作を続けて読むと概ね理解することができる。

渦巻き文様は、古代文明を起こした民族に共通の文様なのだが、『我が国の古代人が、渦巻きに対峙する姿勢において他の民族に相違するところは、縄文として表現されていた(ちなみに古代中国においては太極図として表現されていた)「二重らせん」を基本に眼形・菱形文・向かい三角文・同心円文などの表現方法を使っていたところに見いだされると思う。換言すれば、わが国の古代人は、自然界におけるものの生成に関わる諸現象を幾何学図形を通して把握しようとしていた、このようにいえるのではないかと思う。』(pp.10)


ここで、「二重らせんを基本に眼形・菱形文・向かい三角文・同心円文など」との説明は一見不思議に思われるのだが、やはり3部作を続けて読むと、その関連性が明確になってゆく。そこに、3部作を続けて読む楽しみが生まれる。また、図には示されているのだが、太極図は、円に内接するS字二重螺旋の線の部分を消したものになっている。

『縄文が先行して現れ、その後に渦巻文の出現を見たことは、次のように説明できると思う。つまり、「わが国の縄文人はさまざまな組縄による回転施文を繰り返し行たっているうちに、縄文の断面の形に気づき、縄文と渦巻文の相即不離の関係をみいだしていた』と。
「縄文と渦巻文は同根である」。』(pp.26)

縄文土器を作る際の3次元的な感覚は、渦巻き文様を立体的にとらえたり、横からみたり縦から見たりする感覚を縄文人に与えたと考えられる。一万年間も作り続けたのだから、その進化は当然であろう。

『縄文時代の山の信仰が、蛇の信仰として具体的に表現され、それがさらに渦巻文として抽象化されるという過程を想定するか、それとも螺旋という形が本質的に意味があり、それが円錐形のカムナビの山や蛇を神聖視してゆく過程があったのか、早急な結論を出すことはできない。』(pp30)との説が引用されているが、著者は圧倒的に後者(すなわち、「螺旋という形が本質的に意味がある」を主張している。

つまり、蛇が格別に強い生命力を持っていたと考えたわけではなく、蛇が神聖視されたわけは、その形態にみいだされるらせんや渦巻きに求められていると、主張している。

図16(省略)では、「蛇の形態の図形化」として、①直線(静止形)、②波形(蛇行)、③渦巻き(とぐろ)、④二重螺旋(交尾)を示している。
『イザナギとイザナミが天の御柱を旋回する話からは、同じく④にしめす「蛇と二重らせん」を想定できるだろう。イザナギとイザナミの組みあわせは、中国に伝えられる伏義と女媧に該当すると考えられる。伏義と女媧の下半身は、蛇身でらせん状に絡み合っている。』(pp.32)

 縄は紐や弦を「撚る(よる)」ことでできる。2本、3本を撚れば強くなる。反対方向に撚ったものを撚り合わせると格段に強くなる。このようなことは縄文人の常識だったのだろう。そこで、より合わせた紐を少しほぐして長く伸ばし、横から見ると眼の形や、菱形の連続形になる。つまり、眼の形や、菱形の連続形は、3次元の二重らせんを2次元化したことになる。これが、著者の発見であったようだ。

『眼形は左巻と右巻きの螺旋の合体によって生み出されるというわけである。(同じ巻き方の渦巻きではそのような形は生じない)。換言すれば、眼形は二重らせん(左巻と右巻きの螺旋の合体形)を内含する形といえる。』(pp.36)
さらにここでは、「左巻き・右巻きという相対関係が絶対的な条件となる」としている。

また、九州地方の有名な幾何学模様が描かれた「虎塚古墳」の模様について、『①二連結の三角文、②二つの同心円、③鋸歯文、④S字形渦巻文が同時に描かれている』(pp.394)4つの文様が同時に示されていることを重要視しており、これら4つが全て「渦巻き」に由来する一連のものであるとしている。

また、弓矢で的を射る神事が、あれほど単純な形で守られていることに関しては、「二つの円錐形と鏡の原理を内包する的射神事」として、二つの渦を合体させるという意味が込められているとしている。(pp.307)
文化は、合理的に単純化してゆけば普遍的なものとなってゆく。この著者の説明はすべて正しいとは言い切れないが、一般的な文化の文明化のプロセスの一端を示しているように思う。


メタエンジニアの眼シリーズ(44) 「井戸尻」KMB3384

2017年09月08日 14時41分28秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(44)       
                                                            
TITLE:「井戸尻」KMB3384
書籍名;「井戸尻 第8集」[2006] 

編集;井戸尻考古館 発行所;富士見町井戸尻考古館   発行日;2006.2.1
初回作成年月日;H29.9.2 最終改定日;H29.9.7
引用先;文化の文明化のプロセス  

 講談社から「日本の原始美術」シリーズが発行され、「土偶」と「縄文土器」の詳細が語られたのは1979年。それから30年近くが経過している。その間の建設ラッシュにより縄文遺跡の遺物の量は急激に拡大し、研究も盛んになった。この「井戸尻 第8集」は、その間の集大成のような位置づけに思われる。





 井戸尻遺跡には大賀蓮の池があり、古代米の収穫期には縄文祭りが行われるので、何度も訪れたことがある。今回は、ある著書で重要視された文様である頭に∞のしるしを付けた特殊な土偶の実物を見るために、考古館の内部をじっくりと見学し、帰りがけにこの書を購入した。
 
 井戸尻遺跡群は、塩尻・伊那谷・諏訪湖周辺から甲府盆地の全体に至る広大な遺跡群で、井戸尻文化の名前もある、およそ5000~4000前の縄文中期を中心とする遺跡群のようだ。
1000年間が13の時代区分に分けられて、それぞれに名前(例えば、九兵衛尾根Ⅰ,Ⅱなど)が付けられている。この書は、その間の700年間に栄えた220の遺跡を対象に、生活用具から始まり、土器・土偶、集落のすがたなどが詳しく述べられている。中でも、縄文土器の解析は詳しい。最大の特徴は、様々な土器を種類分けして、それぞれの用途と文様を特定したことだ。縄文土器は、決して作者の気まぐれで形や文様がつくられたものではない。
 平和で安定した生活を長期間営む民族集団の700年間の文明的な進化は、ゆっくりとはしているが、着実に正しい方向に向かっていると考えられる。

 

『食を担う生活用具である土器は、いくつかの器種によって構成されている。井戸尻文化の主要な器種は、深鉢・浅鉢・有孔鍔付土器であり、どれにも台のつく場合がある。これに数は少ないが鉢と椀が加わる。また、藤内期からは香炉型土器が登場する。
 
たいていの深鉢は煮炊きに用いられ、浅鉢は粉を練って団子や餅、しとぎの類をつくり、またそれらを盛る器、有孔鍔付土器は酒造器だとみられる。すなわち、折々の祭りには雑穀の酒を醸し、団子や餅をつくって神人共に食したことがうかがえる。作物栽培に依拠し
た食文化の体系は、こうした器種構成に具現されている。』(pp.23)
 
・深鉢
 『15種類以上の形式が数えられる。食物ごとに定められた器として、または料理方法により使い分けられたり、一年を通じての様々な祭りに応じて、使い分けられていたことだろう。』(pp.24)
現代日本人が、日常的に食事のたびにさまざまな形の器や鉢を使うのは、ここに起源があるのかもしれない。土器は金属器に比べて、圧倒的に形の変化や造形が自由であり、そのような変化を楽しむ文化が生まれたのであろう。

・蒸器形深鉢
 『腰がキュッと括れた独特の形をしている。井戸尻期に大流行した器種である。この括れに竹などを編んだサナを置き、団子や芋などを蒸したと考えられる。蒸気を逃がさないための蓋を受けられるよう、口縁が外傾気味に作られている。蓋は、木の皮、あるいは草を編んだものらしい。』(pp.25)
 数万点にも及ぶ土器が発掘され、年代づけが行われると、多くの実例からこのようなことまで分かってきたのである。

・有孔鍔付土器
『数ある土器のなかでもことに精緻につくられ、磨き込まれた器膚は黒漆と赤色顔料で彩られている。小孔にはヤマドリの羽を挿したらしい。酒は主作物の精粋であり、折々の祭事にあたって神や精霊と人との仲立ちをするものだった。』(pp.26)

・浅鉢
 『粉をこねたり生のしとぎを丸めたりして、団子や餅を作り、それを盛る器。黒漆や赤色顔料で彩られたもの、台のついたものもある。団子や餅は日常の食べ物ではなく、折々の祭日に神々や精霊に供えるべきものだった。。』(pp.29)

・蛙と太陰的世界観
 『蛙に対する最も古くて伝統的な観念は、古代中国に見いだされる。紀元前後をさかのぼる漢代の文物において月と蛙、また月と水に関する確かな観念の存在したことが知られている。ついで、その起源は、およそ7000年~4000年前に黄河の中、上流域で展開した仰韶文化にさかのぼることが推察される。この文化における蛙文や半人半蛙文のあり方は、これらのものと驚くほど符合する。』(pp.31)

・月を呑んだ蛙
 蛙は月の動物

・赤ん坊の手
 三本指は、月の暗闇に三日間を著している

・不死の水

・新しい月に抱かれた古い月
 スコットランド民謡の歌詞

・月の腕
 『この種(蒸し器形深鉢)の土器の腰の部分には、決まって三日月形の凸線と縦の平行線を組み合わせた文様がある。』(pp.39)

・季節を司る精霊 『蛙とも人ともつかぬ半人半蛙の精霊像。大きく振り上げた両腕は三日月を暗示し、その手首のあたりから分かれて下方内側に巻く別な両腕は、月の生長と減殺の軌跡を著しているのだろう。』(pp.40)
 この表現は、新月から日ごとに生長する月の夕方の形と位置の行程の軌跡を描くと分かりやすい。また、満月から次第に闇夜になる軌跡も全く同様に現わすと、上記のような両腕の形になる。
 
これらの文様に対する同様な解釈は、他の著書にも多く見ることができる。