生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

様々なメタ(86)まとめ

2022年11月06日 06時46分38秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
meta-の日本語訳は、その場、その場で適当な漢字が充てられているのだが、中国語ではどうなっているのだろうか。
まず、meta-は「元」と一字で明確に示されている。そこで、色々なmeta-について、調べてみる。

・英語(日本語訳)中国語  

meta- (メタ)元
metabolic(変態する、変形する)新陳代謝
metabolical(変態する、変形する)代謝的
metabolism(物質交代、物質代謝)代謝
metabolite(代謝物質)代謝物
metaboly(変態)代謝
meta doctrine(メタ教義)元學說
metagalaxy(認識しうる全宇宙)超星系
metahistory(多様な歴史的認識の立場)元史
metainfective(感染後におこる)傳染性的
metalanguage(メタ言語)元語言
metalinguistics(メタ言語学)元語言學
metamathematician(超数学者)元數學家
metamorphous(変化の)變質的
metanalysis(異分析)元分析
metaphoric(比喩的な)隱喻的
metaphorical(比喩的な)隱喻的
metaphrase(翻訳、言い換えをする)直譯
metaphrast(翻訳者)隱喻
metaphrastic(直訳的な)比喻的
metaphychic(心霊研究の)玄學的
metaphysic(学問・研究の原理体系)形而上學
metaphysics(形而上学、思弁哲学)形而上學
metapolitician(政治哲学者)元政治家
metapolitics(理論的政治学)元政治
metapsychology(超心理学)元心理學
metastability(準安定状態)亞穩態
metastasize(転移する)轉移
metatheory(超理論)元理論
metaengineering (根本的エンジニアリング)元工程

中国語では、「元」で統一されていることが分かる。

 メタエンジニアリングの研究を始めて、丁度10年間が経過した。その纏めとして、「さまざまなメタの研究」3巻(註1)を記した。その中で、当初は考えていなかったことが、いくつも浮かび上がってきた。
 最も気になったのが、広辞苑の項目だった。「メタ」という前置詞が、第3版[1983]まで登場しない。一方の英和辞典では、すでに山ほどの項目があった。それは何故かを考え始めると、日本文化の矮小性ばかりが気になりだした。
 しかし、多くの単行本に接すると、そのことは全くの誤解で、むしろ日本人の著書に多くのメタが存在した。少し考えれば、分かったことなのだが、日本人の特徴は、ドイツ人同様に、先ずは全体を包絡する理論から入り、そこから各論を導き出す習性がある。アメリカ人と正反対の習性で、アメリカ人は、多くの実例の寄せ集めから、普遍的な理論を考え出そうとする。そのことは、直前に発行した、第28巻の「メタエンジニアリングで考える企業の価値」の中で引用した、米国で発行されたほぼすべてのビジネス書(ドラッカーを始めとして、エクセレント・カンパニーやビジョナリー・カンパニーなど)にあてはまる。

 考えてみると、日本人はもともと「メタ文化民族」なのだ。日本人は森の文化で育ち、西欧人は砂漠の文化で育った。森の複雑さと砂漠の単純さの結果が、日本人は「メタ」を意識せずに、常にメタの中で生活をしていることの原因ではないだろうか。一神教は、宗教とはなにか、絶対神とは何かに言及する必要があるが、多神教はそのようなものを定義する必要はない。つまり、メタ宗教論は必要ではなかった。
 随分とおかしな結論なのだが、「メタ」はいろいろと面白い。 少しでも多くの方が、「メタ」に興味を持ち、なかんずく、「メタエンジニアリング」により、人類の文明が正しい技術によって持続してゆくことを願うばかりです。

 先日「AIと人類」という本を読みました。著者は、キッシンジャー、シュミット(元グーグルのCOEなど)日本経済新聞出版 [2022.8]で、彼らが4年間議論を尽くした結果が書かれています。

 『10年前にデジタル社会が拡大しはじめたとき、クリエイターには哲学的枠組み、あるいは国家やグローバル社会の利害との関係性を考えることなど期待されていなかった。そもそもそんなことを要求された業界はこれまでなかった。 デジタル製品やサービスが適正であるとか評価するのは社会や政府だった。技術者はユーザーを情報やオンライン上の交流スペースと結びつける、乗客を車両やドライバーと結びつける、顧客を商品と結びつけるなど、実用的で効率的なソリユーションを追求した。世間には新たな機能や機会を歓迎する機運があった。そうしたバーチャルなソリユーションが社会全体の価値観や行動にどのような影響を与えるかといった予測へのニーズはほとんどなかった。』(pp.124-125)

 つまり、従来の技術者の機能は新たなものを創り出すだけだった。しかし、AIがすべてに関与する時代では、「ソリユーションが社会全体の価値観や行動にどのような影響を与えるかといった予測へのニーズ」が生じているというわけである。そこには、メタエンジニアリングの基本機能が要求される。我々は、そういう時代に、もはや突入をして、さまよい始めているということの認識がこの書の狙いになっている。

註1;さまざまなメタの研究
メタエンジニアリング・シリーズ (既刊)発行;メタエンジニアリング研究所

 第24巻 さまざまな「メタ」の研究(1) 人文・社会科学編
 第26巻 さまざまな「メタ」の研究(2) 理工・経済学編
 第27巻 さまざまな「メタ」の研究(3) 応用編
 


     
 


様々なメタ(85) 日本語の「メタ」は不確定

2022年11月05日 18時55分55秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
日本語の「メタ」は不確定

 広辞苑で初めて「メタ」(ギリシア語の間に、後に、超えるに由来する接頭語)が登場したのは第3版(1983)だった。私は、岩波書店から「アリストテレス全集」が発行されたのが、1968年-1973年なので、その影響と考えている。当時、この全集の発行は、世界的にも注目をされていたとの記録があった。

 一方で、英和辞典には初版本から多くのmeta-が存在する。そこでここでは、英和辞典での過去からの記述から、日本語の「メタ」とは、いったい何を示すのかを考えてみる。
 ちなみに中国語(英中辞典)ではmetaは「元」と明確に示されている。例えば、Meta-engineeringは「元工程」である。
 約150の英語のmeta-の日本語訳(ちなみに国語辞典では、すべて「メタ何々」とカタカナ表示になっており、僅かに形而上学(Metaphysics)などの例外があるだけである)がどのようになっているかを調べてみた。すると、次に示すように、その意味が一定していないことが明確になってくる。なお、ここではベンゼン核に由来する化学的な「メタ」については、全て除外した。
 後に示す英和辞典の日本語訳の文字から、敢えて「メタ」に関係する文字を選ぶと、以下のようになる。

・日本語訳に出てくるmetaに関係ありそうな漢字( )内はその回数。
「変」(15回)
「後」(14回)
「中」(7回)
「超」(6回)
「異」(6回)
「上」(4回)
「比」(3回)
「準」(3回)
「代」(2回)
「主」「同」「初」「原」「全」「真」「場」「多」(各1回)

となる。
中国語訳の「元」は一つもなかった。このことは、何を意味するのであろうか。どうも日本人の文化は「メタ」になじみが全くないように思われる。

新簡約英和辞典(研究社[1961])

meta- (第5版に記載)
metabolism(物質交代、物質代謝)
metacarpal(掌部、掌骨)
metacarpus(中手骨)
metacenter(傾心)
metagalaxy(認識しうる全宇宙)
metagenesis(真正世代交代)
metamer(異性体の一種)
metameric(異性の)
metamerism(体節性)
metamorphic(変化の、変態の)
metamorphism(岩石の変成作用)
metamorphosis(魔力や超自然力による変形、変態)
metaphor(隠喩)
metaphorical(比喩的な)
metaphrase(翻訳、言い換えをする)
metaphysical(難解な、超自然の、形而上学の)
metaphysician(形而上学的理論家)
metaphysicist(形而上学者)
metaphysicize(形而上学的に考える)
metaphysics(形而上学、思弁哲学)
metaplasm(語形変異)
metapolitics(理論的政治学)
metatasis(変形、変態)
metatarsus(中足)
metathesis(患部移動、音位変換)
metayage(分益小作制度)
matayer(分益農夫)
metazoan(後生動物、原生動物の上位にあるすべての動物)

新英和大辞典(研究社[1992])第5版で、初版は1980

meta- 『1.主に科学用語で次の意味を表す:
   a「・・の後;・・を超えた」:metanephros, metagalaxy, metaphysics. 
   b(位置・状態)の変化:metabolism, metamorphosis.
  c「二次的・・」:metalanguage.
2. 「・・より包括的な;超・・」の意で、既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名を表わす:metalinguistics, metamathematics, metapsychology.  
3,【化学】以下省略。』

以下は[1961]版から追加された項目のみを示す。
metabasis(病状変化、主題転移)
metabiosis(変態共生)
metabola(変態類)
metabolic(変態する、変形する)
metabolical(変態する、変形する)
metabolic water(同化作用によって生物体内に生じた水)
metabolite(代謝物質)
metabolous(動物の変態)
metaboly(変態)
metacentric(染色体の中央部にある動原体)
metacentric height(メタセンターの高さ)
metacentric stability(初期復元力)
metacercaria(吸虫類の幼虫の変形)
metacercarial(後生花被類)
metachlamydeae(後生花被類)
metachromasia(異染性)
metachromatism(細胞科学上の染色現象)
metachronal(多足類の歩脚で一定の位相差で運動する性質)
metanathous(二様式口器類の昆虫)
metahistory(対象を一時代に限定せず、多様な時代を比較しながら共通の歴史法則を追求しようとする歴史的認識の立場)
metahistorian(上記の立場の人)
metainfective(感染後におこる)
metakinesis(細胞分裂の中期)
metalanguage(メタ言語)
metalepsis(比喩的な言葉をさらに換喩する)
metalimnion(地質の変水層)
metalinguistic(メタ言語学の)
metalinguistics(メタ言語学)
metamathematical(超数学的な)
metamathematician(超数学者)
metamathematics(超数学)
metamaeral(動物の体節)
metamorphose(一変させる)
metamorphoses(変態の複数形)
metamorphous(変化の)
metanalysis(異分析)
metanauplius(ある種の幼虫)
metanephros(後腎)
metaphase(細胞分裂の中期)
metaphloem(植物の後生)
metaphoric(比喩的な)
metaphorically(比喩的に)
metaphrast(翻訳者)
metaphrastic(直訳的な)
metaphysic(学問・研究の原理体系)
metaplasia(病理の異形成)
metaplast(後形態)
metapleuron(昆虫の後側板)
metapneustic(昆虫の後気門の閉塞)
metapodium(動物の後ろ足)
metapolitician(政治哲学者)
metaphychic(心霊研究の)
metaphychics(心霊研究)
metapsychology(超心理学)
metastability(準安定状態)
metastable(準安定の)
metastable state(準安定状態)
metastasize(転移する)
metastrongylid(肺虫科の)
metatarsal(中足の)
metatheory(超理論、ある理論を一段と高い立場から解明するのに用いられる別の理論)
metatherian(後獣亜綱の)
metathesize(置換えが起こる)
metathetical(人工的患部移動の)
metathoph(複合有機栄養生物)
metatrophic(複合有機栄養形式をもつ)
metaxylem(後生木質部)
metazoa(後生動物門)
metazoan(後生動物門に属する)
metazoea(節足動物の幼生)

 なぜ、日本語に翻訳された「メタ」はこれほどに不確定なのだろうか、そのことの追求は、後刻。

様々なメタシリーズ(84)メタ・メティエ(異次元の技巧)

2022年07月01日 07時29分01秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
その場考学研究所 様々なメタシリーズ(84)人文系 #21

TITLE:メタ・メティエ(異次元の技巧)
書籍名;「ダ・ヴィンチ・システム」[2022]
著者;河本英夫
発行所;学芸みらい社 発行日;2022.4.25
初回作成日;2022.7.1 最終改定日;

 「メティエ」とは、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説にはつぎのようにある。
métier美術・芸術用語。 (1) 手先を用いる職業。 (2) 画家,彫刻家などが当然修得すべき基礎的な技巧。 (3) 特にすぐれた技巧,手腕,腕の冴え。

 著者は、科学論、システム論、哲学の分野で多くの著作を発表している。この書は、その中の最新刊
になる。並行して,「諸科学の解体」[1987]、「経験をリセットする」[2017]も通読してみた。どれも、以って回った論理構成がなされているのだが、主張は明確に示されているように思う。


 
  この書は、主にダ・ヴィンチの「手稿」について書かれているのだが、読売新聞の書評欄で、西成活裕東大教授が紹介をしている。
『対象を素描と言語という二重の方法で表現することで、言語の力を借りつつ、同時にその制約から逃れることもできる。これが対象をより自然に記述しようとする彼のメチエ(技法)だ。』
 
  更に、『対象の人が笑っているのをそのまま描いているのではなく、時間軸の中で一連の動きを一枚の静止画に盛り込んで表現しているらしい。そのためには、対象の力学的なしくみをきちんと理解していなければならない。』確かに、本文の要旨はそのようになっている。
 
 「はじめに」では、世界中で、毎年何冊ものダ・ヴィンチ本が出版されるが、「誰であっても、幾分かこんわくする」とある。著者は、『この言葉による届かなさの印象は、ダ・ヴィンチ自身の「異次元性」に由来すると、言い訳がましく語ることもできる。そうした異次元性にそれとして触れることも、たしかに貴重な経験なのである。』(p.7)

 異次元性は、すなわち「メタ」と云うことになる。
 異次元性の一つは、『ダ・ヴィンチの構想には、ルネッサンスの「人文主義」の影響は、ほとんどない。』(p.7)と云うことで、同時代の文化的環境と文化的手段を離れたところから出発をしているというわけである。

 ダ・ヴィンチは「私は言葉からではなく、自然から学ぶ」と何度も繰り返し述べている。例えば、色についての言葉は、赤、黄、青などせいぜい50~80程度(中世からの日本語の表現では、もっと多いように思う)だが、色合いの区別は3万5000種程度できる、とある。(p.9)
 人類は、様々な方面で進化を遂げている。しかし著者は、「進化の閉回路」として、『進化枝は先端では分岐してゆく。そしてどんどん細い道筋に入って行く。(中略)進化とは気が付いたときにはおのずと自分自身の選択肢が減っていく仕組みのことである。』(pp.14-15)という。そこから抜け出すには、「能力の発現」即ち、異次元への脱皮が必要になる。

 「動きを描く」については、いくつかの「手稿」示されている。
『空中を降下する水滴の各側面は水滴の運動と反対に運動して、各末端からその上部の中心に向う円形で、連続的な波をつくりだす。こういう波は周辺の中心に打ちかえさないで、その円の中心に 沈んで底深く入り、下側から出て、さきにそこから降ったところ、すなわちもっとも高い個所にふたたびたちかえり、ここであらためて円形の波を再び生じて、あらためてその中心に沈むのである。(「手記 下、一〇九頁」』(p.54)が、その一例だが、通常では見えないものを描写している。
 
 激しく動く馬の絵がある。馬の動作は、歩くときも走るときも、特有の反復がある。しかし、その反復は完全には同じではない。『どの運動の変化の局面(変化率)を切り取れば、最も馬らしいのか』(p.60)
ダ・ヴィンチは、「変化率と個体性との内的かかわり」を探るために、多くの馬の素描を残している。

 『ある意味で、ダ・ヴィンチの膨大なデッサンはAI的なのである。』(p.65)という。これは、AIが膨大なデータから答えを出すことが、人間の数学的規則や言語的判断とは全く別物になっていることと同じこととしている。

 また、アリストテレスの考え方との対比を示している。アリストテレスの「自然学」では、同時代の多くの議論を検討し、整理して一つの答えを導いている。
 『ダ、ヴィンチの構想とアリストテレスの議論は、本当は小さな変更をかければ、十分に連動しながらやっていける局面がある。それはアリストテレスが、個物の認識のさいに取り出している、「質料ー形相」の二つ一組の概念対にある。この概念対は、アリストテレスの仕組みの中でも、最も重要なものの一つである。質料は素材であり、形相は形である。個物の認識には、形の認定がつねにともなっている。だからアリストテレスは、個物の認識の最も標準形を取り出しているように見える。だが個物の成立そのものに立ち入ってみると、まったく別のことが起きている。たとえば同じ素材を用いても、異なる形の建築物を作ることはできる。逆に異なる素材を用いても同じ建築物を作ることはできる。たしかにそうなのだが、これは質料と形相の間にマトリックス的な対応関係があるという指摘に留まっている。』(p.91)
 
 そして、『ダ・ヴィンチは、アリストテレスの議論の枠の中で、四元素説(土、水、空気、火)はほぽ継承しており、重さを運動にとっての要因であるとする点も継承している。ただしダ・ヴィンチにとって最も重要な事柄は、(一)物の直接的な相互作用の仕組み、(二)運動の継続の仕組み、(三)事象の出現の仕組みであり、概念的な分析に代えて、自然事象を徹底的に観察、記述することである。こうした事態の記述に、言葉や文章ではなく、デッサ ンを持ちいたのである。』(p.95)
 聊か難しい論理だが、結論としてはダ・ヴィンチの自然学はアリストテレスとも近代科学とも異なる、まったく別のものであるとしている。

西成教授の書評の最後は、こんな言葉で結ばれている。
『自然を見る事をすっかり忘れてしまっている自分に気がついた。もはや現代科学を勉強してしまった我々は、その色眼鏡でしか自然を見られなくなっている。読後、一度すべての理論を忘れて、ダ・ヴィンチの視座で自然を追ってみたくなった。』







メタ思考の国家プロジェクト

2022年06月19日 08時11分21秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
さまざまなメタシリーズ 83             その場考学研究所 

社会学系のメタ 24        
TITLE:メタ思考の国家プロジェクト(2022.6.20)

 過去から現在まで、国家の大型プロジェクトはいくつもあったが、それらを中国の場合と比べると、彼らとの戦略性の違いが見えてくる。中国の巨大な国土と人口と複雑な民族関係の中では、常にメタ的な視点からの発想が必要とされているのだが、我が国の場合には戦略性が見えない場合が多い。

週刊東洋経済(2022.3.26)に「財新」(中国の独自経済報道)の記事には、
南水北調;南部の豊富な水資源を北部に送る
西気東輸;西部で生産される天然ガスを東部地域に送る
西電東送;西部の山間部の水力発電の電気を東部に送電する
東数西算;東部地域の大量なデジタルデータを、西部地域で演算処理する
この4つが示されている。

 日本は、南北に長く、また東西では歴史的な文化の違いに特徴がある。しかし、国家的なプロジェクトは常に全国平等が建前になっている。一例が地方活性化なのだが、地域ごとの国家に対する役割が、前述の中国のようには明確でない。

 中国風に発想をすれば、例えば、北海道の役割(主機能)、東北地方の主機能は何かを考えると、酪農や大規模耕地農業は、北海道の主機能になるのだが、同じことを全国どこでもやろうとしている。
 東北地方の主機能は、林業と米作かもしれない。しかし、米つくりも全国各地で競っているが、適材適所ではない。発電で考えれば、北海道と東北地方は、地熱が良い。温熱の利用価値も高くなる。
 地方活性化プロジェクトも、この様に先ずはおお繰りの地方の地政学的な特徴から、それに適した主機能を策定して、その後、その地方の県なり、主要都市でそれをどのように機能分担することが全体最適になるかの手順が求められる。

 このように考えると、やはりこの場合にも日本的な取り組みは、基本的な戦略を曖昧にしたままで、いきなりのWhat &How だが、中国ではWhyから始まっているように思えて仕方がない。

その場考学半老人 妄言

様々なメタ81: 文化人類学のメタデータ

2022年04月07日 14時39分32秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタ 81 ( 人文系のメタ  20 ) その場考学研究所
                                  
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

TITLE:文化人類学のメタデータ
初回作成年月日;2022.4.7 最終改定日;

 文化人類学には、「通文化的比較研究」という言葉がある。ある文化を研究するために、他の文化と比較しながら、理解を進める方法で、文化人類学では一般的に行われている。
 船曳建夫 他編「文化人類学」(有斐閣[1997])には、色々な用語の解説が述べられている。 それによると、通文化的比較研究を有効に行うために、膨大なデータベースが1925年頃から米国のエール大学で進められている。名前を「HRAF(Human Relations Area Files)」といい、人間のあらゆる行動様式を図書分類のように3桁の数字と、小数点以下2桁の数字を割り振ったものになっている。



 例えば、「婚約指輪の交換」についての記述は、584.09で、58の「Marriage」の中の584の「Arranging of Marriage」で、更に、-09の「婚約」という項目に分類される。ちなみに、大分類の58「Marriage」の次は、59「Family」になっている。すべてのデータは、その行動様式が行われている場所に紐づけされている。まさに、人類の行動に関するメタデータになっている。

 人類の行動の歴史は、文化人類学により明らかにされているので、文化の優劣や進化として語られることが多い。しかし、多様化の時代である近年では、文化の優劣や、ましてや本当に進化しているのかといった疑問が持ち上がっている。つまり、西欧中心の考え方が、否定される場面が見受けられるようになっている。

 文化人類学には、「進化主義」という言葉がある。はたして、人間の文化は進化してきたのだろうか、という設問を考える際に、色々な進化のパターンを想定して、評価する仕組みになっている。
 進化主義は、旧進化主義と新進化主義に分けられる。従来型の進化主義は、「単系進化」と呼ばれ、どの民族も同じ進化の道を辿るはずだと考えられた。つまり、下記のような道筋である。
・乱婚制 ⇒母権制 ⇒夫権性 (J.バハオーヘン)
・アニミズム ⇒多神教 ⇒一神教 (E.タイラー)
・野蛮 ⇒未開 ⇒文明 (L.モルガン)
等である。民族ごとに、進化のスピードが異なるために、それぞれの民族特有の文化が現存するわけで、その中で、進化の途中で以前の慣習がそのままの残っている状態を「残存」とした。

 しかし、20世紀になって従来の単系進化という前提はおかしい、非科学的であるとの議論が高まり、様々な新進化主義が唱えられてた。
・普遍進化 年間一人当たりの捕捉エネルギーとそのための技術の積などで評価
・一般進化 一般的に考えられる定量化できる物理量による比較
・多系進化 環境によって、進化の道筋が異なるという考え方
・特殊進化 特殊な環境による、特殊な進化のあり方
などである。

 現在では、これらすべてを包含した説として、次の道筋が広く受け入れられている、とされている。
・バンド社会 ⇒部族社会 ⇒国家社会 ⇒産業社会 (M.サーリンズ)

 しかし、歴史的に人類の行動に最も影響があったのは、政治や都市のあり方ではなく、宗教であったように思う。そこで私が、どうにも納得できないのが、「アニミズム ⇒多神教 ⇒一神教」という文化進化論だ。これは、そもそもが、人間対地球の自然という西欧的な二元論によるもので、この考え方は、ダーウインの進化論以来、徐々に否定されつつあると認識している。ダーウインの進化論は、明治維新の頃の西欧では、賛否両論が争っていたが、日本では、ごく自然に受け入れられた。
 
 江藤淳著「漱石とその時代 第一部」(新潮選書[1970])には、その時の様子が詳しく書かれている。
 西郷隆盛が西南戦争で敗れた年の10月に、その春に新設された東京大学で、モースによる記念講演が行われた。モースとは、あの来日直後に汽車の窓から大森貝塚を発見したことで有名な、生物学者のエドワード・S・モースで、「進化論三講」の第一講を、数名の教授と約500人の学生に講演を行った。彼は、講演中にほとんどの人がノートをとっていたことに感銘したのだが、『
米国でよくあったような宗教上の偏見に衝突することなしに、ダーウインの進化論を説明するのは、誠に愉快であった。』(p.81)とある。
 そのことは、アニミズムと多神教が日本に根強く残っていたためで、特にキリスト教徒には、現在でも否定論者が多い。古代ローマ帝国の歴史から容易に分かるように、当初弾圧していたキリスト教を、俄かに国教にしたのは、皇帝にとって多民族を統治しやすく為で、現在でもローマ法王はその手法を使っている。
 自然回帰が当然のようになった現在では、一神教 ⇒アニミズム(勿論、その内容は古代とは異なる)が文明の進化の方向になるのではないだろうか。

様々なメタ(78)科学へのメタ懐疑論

2022年02月21日 07時03分54秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタシリーズ(78)
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

TITLE:科学へのメタ懐疑論(理学系 11)

初回作成年月日;2022.2.20 最終改定日;

 科学的な知見への信頼が揺らいでいる。日本では,福島原発事故が影響しているようだが、世界的には地球温暖化の議論のなかで出ている。いわば「科学に対する懐疑論」なのだが、それをアリストテレスまで遡って、メタ的に捉えた記事があった。
 Wedge 2020.12月号に載っている、「温暖化やコロナで広がる懐疑論、深まる溝を埋めるには」と題した,読売新聞の英字新聞部次長で、長くワシントン支局に勤めた三井誠の記事だ。

 2018年のギャラップ調査では、「人類の活動が地球温暖化の原因だ」と答えた人は、民主党支持者は89%で、共和党支持者は35%だった。この傾向は既に広く知られている。
 しかし、問題はこの先にある。つまり、学歴が高く、科学的な知識が高いほど、このギャップが大きくなる傾向があることだ。筆者はそれを、「確証バイアスconfirmation bias」のせいだとしている。

 『さらに問題を深刻にするのは、学歴が高いほど、あるいは、科学の知識が豊富であるほど、こうした党派間のギャップが広がることだ。ここでは、エール大学のダン・カハン教授の研究を紹介したい。「人間活動が地球温暖化の原因かどうか」についての回答と科学的知識の有無などとの関係を分析した結果、知識が少ないグループでは支持政党による違いは目立たなかったが、知識が増えるほど支持政党の違いに応じた考え方のギャップが際立った。「人は自分の主義や考え方に一致する知識を吸収する傾向があるので、知識が増えると考え方が極端になる」』と。(p.25)

 さらに続けて、『トランプ大統領がマスクの義務化に消極的な姿勢を示し、厳しい外出規制を課す一部の州知事に批判的なコメントを繰り返した。米ピュー・リサーチ・センターの調査(6月実施)によると、「公共の場でマスクを常にするべきだ」と答えた割合は、民主党支持者の63%に対 し、共和党支持者は29%にとどまった。こうした溝をいかに埋めていくのか。「科学はデータだけでは伝えられない」と気付いた科学者たちの活動が、米国で活発化していた。』(p.25)

「科学はデータだけでは伝えられないと気付いた科学者たちの活動が、米国で活発化していた」とは、いかにも米国らしい。その活動は、賛否両論で行われているようだ。

 米国では、保守系のシンクタンクが「温暖化は人類のせいとする証拠はない」との懐疑論の小冊子を30万冊作り、政治家、理科教師、メディアに無料配布したと記されている。

 そこから説明は、弁論術に移る。
『弁論術』(Rhetoric)は、アリストテレスによって書かれた。古代ギリシャのみならず、古代ローマや、その後の欧米諸国の政治文化・演説文化に大きな影響を与えたとされている。
 アリストテレスは、弁論を以下の3種類に分類し、それぞれの相違点や共通点を述べている。

議会弁論 - 何事かを奨励・慰留させる弁論
演説的弁論 - 人を賞賛・非難する弁論
法廷弁論 - 告訴・弁明する弁論
 
 この三種の弁論に関して、その際の説得手段のあり方について、3つの側面から考察されている。

logos(ロゴス、言論) - 理屈による説得
pathos(パトス、感情)- 聞き手の感情への訴えかけによる説得
ethos(エートス、人柄)- 話し手の人柄による説得

 アリストテレスはこの3つのうち、logos(言論)を技術の中心に据え、秩序立てようと努めているが、残りのpathos(感情)とethos(人柄)という2要素も、他者を説得する上では決して無視できない要素であるとしている。
 しかし、この筆者は『科学者が事実を重視して論理的に説得を試みても、それは3分の1の要素でしかない。』(p.25)と断じている。確かに、「反知性主義」が多くを占める米国では、「ロゴス」の力は、3分の1なのかも知れない。トランプの演説を見れば、そのことは歴然としているように思う。
 日本ではどうであろうか。米国までにはいかないまでも、やはり、pathos(感情)とethos(人柄)が過半であるように思うことが、しばしばある。



様々なメタシリーズ(77)タメッセージ

2022年02月19日 10時41分09秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタシリーズ(77)社会学系(22)  
   
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
初回作成日;2022.2.19 最終改定日;

TITLE: メタメッセージ


 養老孟子が、あるところで「メタメッセージ」という言葉を使った。そのことは、「新型コロナと人生100年時代」(新聞通信調査会[2021])に示されている。
 この書は、2020.11.7にプレスセンターで行われた新聞通信調査会が主宰するシンポジウムの記録で、A5版の小冊子になっている。主要部分は、養老孟子を含む4人のパネリストの対談だが、その基調講演を養老孟子が行い、その中で、「メタメッセージ」が説明されている。




 『皆さんが、メッセージそのものの内容を聞いているときには、それを聞いていることによって受け取る「裏」があります。その「裏」というのは、メッセージの裏じゃなくて、今「メタメッセージ」と申し上げたようなことです。』(p.18)
 
 彼は、その前段で「社会そのものの固定化」について述べている。平安時代の和歌、鎌倉時代の文学などは自由だったが、江戸時代以降は、社会の固定化が進んだ。そして、現代はそれが顕著になってきた。それは、「格差」として、また「スマホのボタン」などによって表されている。

 『「なんで今そのボタンを押したのか」ということについては、「こうするにはここを押すしかないんだよ」って、こういう話になります。日常使うものですから,これに従うしかどうしようもないのです。』(p.17)
 つまり、日常社会の色々なことの裏に、「社会の固定化のせいで、・・」というメタメッセージが隠されているというわけである。
 
 さらにその前段では、「情報の特徴とは何か」について話をしている。彼は『意外に「情報とは何か」という議論が無い。まあ、分かっているということかもしれません。私は、これの特徴をよく考えます。それは、「時間と共に動かない」ということですね。』(p.15)
 
 これは、例えば「動画」は動くが、何度見ても、どこでいつ見てもおなじ「動画」であることを示している。『情報をしょっちゅう扱っている人は、時間と共にひとりでに変化してゆくものについて、あまり考えない。つまり、毎日扱っている情報そのものが現実だと考えるようになります。しかし、その情報の特徴は、今申し上げたように、動かないって云うことです。』(pp.15-16)
 この話は、彼の情報化時代に対するメタメッセージということなのだろう。一人の人間は常に変化しているので、情報で固定化されてはならないということか。

 事例としては、「本人確認」の「本人」とは何かについての経験が語られている。養老孟子が銀行で「本人確認」を要求された。銀行員は、勿論彼とは顔見知りだが、マイナ・カードとか健康保険証を要求したが、彼はその場で持っていなかった。つまり、「本人」が目の前に居るのに、「本人」では「本人確認」ができない。
 彼は、この現象を『本人は「ノイズ-雑音」なのです。』(p.19)と言い切っている。つまり、病院ではカルテが、会社の業務ではパソコン上のデータが「本人」であって、常に変化する「真の本人」はノイズが多くていちいち対応するのが難しい、ということのようだ。

Wikipediaでは、次のように説明されている。
 『メタメッセージ(metamessage)とは、メッセージが伝えるべき本来の意味を超えて、別の意味を伝えるようになっていることを指す社会学用語。
グレゴリー・ベイトソンによって設定された概念であり、メッセージとメタメッセージという構図によってコミュニケーションを考えようとされた。ベイトソンによればこれはメタ言語的な位置づけの意味になるかと思えば、表現されたメッセージに対する裏の隠されたメッセージという意味にもなりうる。
デボラ・タネンによればメタメッセージというのは人間関係における立場や気持ちを伝えるものであり、しばしば真の意図を伝えるということになるものである。例えば親が子を叱る場合には、親が子の一段上に立って見下すような構図が見て取れる。ここからはまず人間関係におけるパワーの差や上下関係の差が伝わる。メタメッセージは、言葉の選び方、声の調子、トーン、表情、話すスピードなどといった言葉に覆いかぶさっているさまざまな要素によって伝わる。』

 実は、このことは我が国では起こりやすい。日本社会では、ある一つの言葉から、その言葉の裏の情報を読み取ることを美徳としており、それができない人は社会的なコミュニケーションが不得意な人という認識を持たれることが多い。忖度が起きやすいのは、その一面だと思われる。

様々なメタ(76)アメリカ人のメタ認知

2022年02月18日 07時11分10秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタ(76)社会学系(21)  
 このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
                 
TITLE: アメリカ人のメタ認知 
書籍名;「情の技法」[2006]
初回作成日;2022.2.17 最終改定日;
 
 「情」について、「情の技法」(慶応義塾大学出版会[2006])の冒頭の「はじめに」には、次のように書かれている。
『「情」という言葉の指すものが、半ば自動的、無自覚的に扱われがちであり、明確な姿を取ることなしに広い領域に渡るものだからである。我々は日々を暮らしてゆく中で、他者の、あるいは自己の心のさまざまな働きを感じ取る。「情」とは、言わばそうして知覚された心の作用を総称する言葉だと考えることができるだろう。「情」の「技法」を論ずることは、たとえるなら、意識することなく繰ることのできる母語の「技法」を、改めて一から論ずることに近い。』(p.ⅰ)とある。



 さらに続けて、『知は既に体系化された形で人々の間に存在し、それに参加し、支え、新たな展開を担うことへと、意欲ある人々を誘っている。 しかし「情の技法」を論ずる際に、同様な状況は期待できない。無論、さまざまな領域、特に芸術の世界においては、技巧を開発し伝承する過程において、「情の技法」とも呼ぶべきものの確立と継承が行われてきた。しかし一般化された「情」そのものの姿が、体系化されたものとして我々の眼前に存在しているわけではない。「情」を理解するためには、さまざまな領域での具体的な「技法」を個別に諭じ、積み重ねて行くこと、またそれを手がかりとして、正面から「情」の姿と働きを捉えるべく試行錯誤を繰り返すことが必要であろう。この論文集はそうした 試みのーつである。』(p.ⅱ)
 随分と難解な文章なのだが、「情」というものを学際的に捉えてみようとのことらしい。

 具体的には、この書の内容は慶応大学文学部での授業(2003-2004)の内容を基に執筆されたとある。それだけでも、十分にメタと云えるのだが、その中で「メタ認知」を強調した章があった。題名は「反知識人とは何か」となっており、内容は「反知性主義のアメリカ文学思想史」になっている。

 米国での初期の移民と独立の歴史から現代に至る歴史は、『ヨーロッパ系の知性主義が、紆余曲折を経て反知性主義の伝統と表裏一体になってゆく足取りを辿ることである。』(p.14)とある。たまたま最近の4年間に亘って、米国を支配した「トランプ主義」も、この仲間かもしれない。つまり、アメリカの反知性主義は、文学から始まって、政治の世界にまで広がっている。

 トランプの熱烈な支持層として、キリスト教福音派が有名になったが、ここでは、次のように書かれている。『キリスト教徒の中では、「精神Mindと心情Heart, 情緒Emotionと知性Intellectの緊張関係」はさほど珍しくないのであり、知性を中心に理論を重視する向きと、知性を感情や熱狂よりも劣るものと見なす向きとが、たえず衝突し合っていたことから説き起こす。そして、アメリカの地が、その初期には、ヨーロッパの不満分子や非抑圧者を数多くひきつけ、当時宗教的な「熱狂主義」enthusiasmと批判された預言者たちにとって理想の国となったこと、熱狂主義の根本は個人が教会を媒介せずとも直接神と語り合う衝動であることが、確認される。それでは、このような思想はどのように歴史的発展を遂げたのか。』(p.15)から、文学史の具体的な説明が始まっている。

 文学の話はさておいて、反知性主義は米大陸の西部開拓史の中で力を得てゆく。そして、南北戦争の敗北による奴隷解放などで、その力を失うが、第2次世界大戦でノルマンジー上陸作戦を成功させたアイゼンハワー将軍が大統領になると、一気に力を盛り返すことになる。そこで、『複雑怪奇ではなく単純明快を求めるのは、アメリカ的反知性主義の伝統』(p.19)ということになる。
 
 そして、『いってみれば情緒と思われてきた素材を、すべて形式面で活かしていく仕事である。プロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神を構成したと定式化したのはマックス・ウューバーであったが 、同じように、簡潔明快な「かたち」の中には、これ以上分割できず、破壊できず、いつまでも存在しうるものを切望する「きもち」が巧妙に刷り込まれている。』(p.19)となる。このことは、種々雑多な移民の集団の中では、
「簡潔明快なかたち」しか、あり得なかったことを示している。
 
 そして結論としては、ソローの文学を引き合いに出して、次のように述べている。
 けだし、「ソロー」とは、『ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau、1817年 - 1862)は、アメリカ合衆国の作家・思想家・詩人・博物学者。自身の没後に『メインの森』(1864年)や『コッド岬』(1865年)などの旅行記や、自然誌エッセー、日記、書簡集等、数多くの作品が出版されている。ソローの作品は、人間と自然との関係をテーマにしたものが多く、自然文学、今で言うネイチャーライティングの系譜に位置づけられる。多くの著作に現在の生態学に通じる考え方が表明されており、アメリカにおける環境保護運動の先駆者としての評価も確立されている。日本においてもアウトドア愛好家などに信奉者が多い。
』Wikipediaより。

  文末は、『すで充分にアメリカという名の森を生きているだろう。反知性主義はたしかに「情の技法」の典型であるように見える。だが、反知性主義すら体系化するメタ知識の方法論こそは、アメリカ的知識人の最も本質的な条件を成すように思われることもまた、否定することはできない。』(p.21)で終わっている。

 「メタ知識の方法論」が、反知性主義すら体系化したということは、トランプ政権によって見事に証明されている。

様々なメタシリーズ(73)メタ人文社会学誌

2022年02月07日 13時19分05秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタシリーズ(73)
社会学系(20) 
                  
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
初回作成年月日;2022.2.6 最終改定日;

TITLE:メタ人文社会学誌

 歴史書の中で、「アナール」という言葉が目に付いた。
 Wikipediaには「アナール」という項目は無く「アナール学派」として、概要が次のように記されている。
 『アナール学派(英: Annales School)は、20世紀に大きな影響力を持ったフランス現代歴史学の潮流のひとつ。「アナール」は「年報」の意味で、幾度か誌名を変えながら現在でも発刊が続くフランスの学術誌「社会経済史年報 」に集まった歴史家が主導したために、この呼び名がある。
 旧来の歴史学が、戦争などの政治的事件を中心とする「事件史」や、ナポレオンのような高名な人物を軸とする「大人物史」の歴史叙述に傾きやすかったことを批判し、見過ごされていた民衆の生活文化や、社会全体の「集合記憶」に目を向けるべきことを訴えた。この目的を達成するために専門分野間の交流が推進され、とくに経済学・統計学・人類学・言語学などの知見をさかんに取り入れた。民衆の生活に注目する「社会史」的視点に加えて、そうした学際性の強さもアナール派の特徴とみなされている。』

 そこで、伊東俊太郎編「アナールとは何か」(藤原書店(2003))で、その中身を覗いてみた。この書の副題は、『進化しつづける「アナール」の100年』で、まさに進化し続けていることが分かる。カテゴリーとしては、歴史雑誌なのだが、その学際性に加えて、進化し続けるところにもメタを感じる。つまり、メタ的な進化が行われてきた。



 原流は、20世紀初頭の二つの雑誌から始まっている。アンリ・ベールの「歴史総合雑誌」と、エミール・デュルケームの「社会学年報」だ。この二つを統合しようとの流れが起こった。当初は、社会学者の歴史家に対する批判は強く、「歴史記述偏重」への異論が絶えなかった。
 しかし、1920年に「人類の進化」という叢書(当初の計画では100タイトル)の刊行が始まり、多くの著名人が加わった。その流れは、次のように記されている。
『1931年、歴史総合雑誌」は守備範囲を自然科学にまで広げ、やがて「総合雑誌」と改名する。』(p.17)

 その後、1929年に「社会経済紙年報」という雑誌が生まれ、この「年報」が「アナール」と呼ばれるようになった。以降、現在まで続いており、まとめて単行本が発行され続けている。
 初期には、経済的・社会的な投稿が多く、マルクス主義的と言われた時代もあったが、幅広い文明論的な論文が多くを占めるようになり、中立性が保たれているように思われる。日本人の論文も、少数ながら、掲載された年がある。

 雑誌に取り上げられた論文は、十数年ごとに単行本として日本でも発売されている。定価は¥8800と高価なので、個人向けではない。その中の第Ⅲ巻(1929-1945)の目次を紹介する。ここには、3人の日本人が登場している。

第Ⅲ巻序文 プ口ーデルの時代1958-19紹年 アンドレ・ビュルギェール
第1章 長期持続 フェルナンブローデル
第2章 オートメーションーいくつかの心理・社会学的局面と効果  ジョルジュ・フリードマン
第3章 アステカおよび古代エジプトにおける記数法の比較研究  ジュヌヴィェーヴ・ギテル -
第4章 歴史と気候 工マニュエル・ル・口ワ・ラデュリ
第5章 歴史学と社会科学一長期持続 ウォルト・W・ロストウ
第6章 中世における教会の時間と商人の時間 ジャック・ル・ゴフ
第7章 トリマルキオンの生涯 ポール・ヴェーヌ
第8章 日本文明とヨーロッパ文明 豊田尭
第9章 日本近代史についての異端的覚書 河野健二
第10章 貴族社会における「若者たち」一北西フランスの12世紀  ジョルジュ・デュビー
第11章 精神分析と歴史学→スパルタの歴史への適用  ジョルジュ・ドウヴルー
第12章 18世紀におけるイギリスとフランス ―両国の経済成長に関する比較分析試論 フランソワ・クルーゼ
第13章 女神の排泄物と農耕の起源 吉田敦彦
第14章 デモクラシーの社会学のために クロード・ルフォール 轟
第15章 イングランドの農村蜂起、1795-1850年  エリック・ホブズボーム
第16章 黒い狩猟者とアテナイ青年軍事教練の起源  ピエール・ヴィダル・ナケ

 メタ指向の所以か、表題に統一性は見えないのだが、これを纏めてアナール学派と云われているようだ。ちなみに、日本の歴史家の網野善彦もこの派との記述があったが、彼の論文は見当たらなかった。

様々なメタ・シリーズ(69)大学のメタ学科

2022年01月27日 07時24分50秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタ・シリーズ(69)社会学系(17)
TITLE:大学のメタ学科

 日本の大学改革が一向に進まない。20世紀の終わりごろから、多方面で議論がすすんでいるのだが、世界でのランクは下がる一方のままのようだ。私は、当時の試みの一つのCOE(Center of Excellence)に数年間参加して、大学院改革の試案つくりのお手伝いをした。当時は、半導体開発競争の最中で、電気・電子業界では、若い博士を熱望していた。そこで、修士課2年、博士課程3年の期間を1~2年短縮するというもので、大学院1年生で博士課程を目指すことを宣言して、その準備を初年度から始めるというものだった。しかし、その制度改革案は、「今の制度でもなんとかなる」とのことで、全学の教授会は通らなかった。主任教授の話では、「大学改革案は、一般的には通らない。三分の一が賛成でも、残りの三分の二が、反対と無関心だから」だった。

 私の所属学科は機械工学で、機械設計の授業がある。改革の一つとして、その授業で芸大の学生とのコラボ授業が試みられた。お互いに得るものがあったように聞いている。そこで、芸大の授業科目に興味を抱いたのだが、それが一般常識とはかなり離れたものであることを知った。それは、二宮敦人著「最後の秘境 東京芸大」(新潮社[2016])からだった。



 この書の副題は「天才たちのカオスな日常」で、著者は作家なのだが、奥さんが芸大の彫刻家で、作品の制作のために家中が凄まじい状態になっていることの描写から始まっている。そこで、様々な学科の芸大生が、どのような生活をしているかに興味を持ち、密着取材をしたようだ。芸大は、大きく分けると美術と音楽で、この二つの学生の生き方はまるで正反対になっている。いわゆる貧乏画家とセレブの音楽(演奏は高級楽器を用いる)家だ。それぞれの学園の年間の行事も面白いのだが、圧巻は音楽環境創造科だ。同じ音楽でも、こちらは貧乏画家の更に下を行く。キャンパスが全く別で北千住の繁華街の迷路の先の小学校を改築した建物で、2002年の創設とある。ちなみに、本校は上野の博物館と美術館街の一角で国立博物館の先にある。開放的で、私は時々その中の売店を覗いてみる。そこだけで、思わぬ美術に触れることができる。
 
 大学のホームページの学科概要では、次のように紹介されている。
 『音楽環境創造科は、従来の枠をこえた観点で音楽芸術の創造と、音楽・文化・社会の関わりについて強い関心を持ち、音楽を中心とした新しい文化環境創造を志す人材の育成をめざし、2002年に設立されました。
 現代社会では、領域を越えた感性、知識、表現技術を活用できる人材が求められています。本学科では、テクノロジーや社会環境の変化に柔軟に対応し、領域横断的な発想を具現化できる能力を養うべく、理論と実践の両面から教育・研究に取り組んでいます。』これだけでも、十分にメタを感じる。
 
 続いて、専攻科目の紹介があるのだが、代表的な授業の内容などが書かれているだけで、それを読んだのでは面白くない。そこが作家の文章との違いだ。
 この学科の代表的な学生の生活は、第10章の「先端の本質」の中で語られている。先ずは、6つの研究分野の紹介から始まっている。第1は作曲。しかし、中身はコンピュータミュージックと口笛。第2は音響録音で、音楽会場のスピーカーの配置など。第3は音響心理で、音が人の心にどんな影響を及ぼすか。第4は社会学で、芸術的な表現と社会との係わり。第5は舞台芸術。第6はアートマネージメントと続く。つまり、「なんでもあり」なのだ。(p.196)
 
 彼らは、思ったことは即実行する。たとえば、「家の中に雨を降らせる」、「荒川で河童を演じる」、「どんぐり渡された人向け相談所」などが延々と続く。しかし、「本質」の話は出てこない。最後に一言だけ『アートは一つのツール、なんじゃないですかね。人が人であるための。』(p.209)との学生の発言でこの章は終わっている。
 
 つまり、アートの本質は「人が人であるためのもの」ということなのだが、この学科の詳細を知ると、まさにそのように感じることができる。芸大は「メタ教育」の場なのかもしれない。