生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(66)「寺田寅彦随筆集」

2018年06月24日 20時52分49秒 | メタエンジニアの眼
TITLE: 書籍名; 「寺田寅彦随筆集」[1947]
著者;寺田寅彦
発行所;岩波書店    1947.2.5発行



私のブログは、「生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました」を副題にしている。その中のカテゴリーの一つが、「八ヶ岳南麓の24節季72候」だ。このシリーズを書き始めたのは18年前で、当時はまだブロブは存在しなかった。そこで24プラス72で96項目を小冊子をまとめ、デザイン・コミュニティー・シリーズの第4巻として、平成23年3月23日に発行した。

だから、このブログのカテゴリーは正しくは、その続編になる。
https://blog.goo.ne.jp/hanroujinn67/e/23a4bc39e60204a522a7a3f465d8edc7



初版の冒頭には次の文章がある。「優れた設計者は自然に学ぶ、だから自然に親しむ心が大切だと思う。設計者の頭の中は、寝ても覚めても設計のことでいっぱいな時がある。そんなときの休養は自然の中に身を置くことが一番良い。多くのひらめきを感じることもあるが、心のリフレッシュは人生の楽しみを色々と与えてくれる。
 
私が、八ヶ岳の南麓に小さなログハウスを建てたのは、21世紀の初頭、2001年の夏であった。そこで、「一紀荘」(私と妻の名前の一文字でもあるのだが)と名付けた。標高は、1130m、唐松と白樺を主とする落葉樹の森の中なので、夏は涼しく快適であり、冬はすべての葉が落ちて富士山や甲斐駒、北岳が朝日に輝くところを楽しむことができる。」

 つまり、設計(デザイン)と自然の結びつきを語ろうとしたのだが、これがなかなかに難しい。そんな時にこの書を見た。寺田寅彦は戦前を代表する日本の物理学者なのだが、夏目漱石との交友が密で、「吾輩は猫である」の水島寒月や「三四郎」の野々宮宗八のモデルともいわれるそうだ。
 
この随筆集は、岩波文庫として1947年に発行されているのだが、私が読んでいるのは2011年に印刷された第97版だった。物理学者の著作としては、抜群の長寿と版数だ。その中に、「春六題」と題する短文がある。春の自然と物理学の出会いが語られているので、そこから、冒頭の言葉と、結びの文章を引用する。

第1題は、『暦の上の季節はいつでも天文学者の計画したとおりに進行してゆく。』ではじまり、当時はやりだして間もない、アインシュタインの相対性理論に言及して、『だれでもわかるものでなければそれは科学ではないだろう。』で結んでいる。

第2題は、『暦の上の春と、気候の春とはある意味では没交渉である。』で始まり、平均気温論を述べたあとで、『流行あるいは最新流行という衣装や化粧品はむしろ極めて少数の人しか付けていない事を意味する。これも考えてみると妙なことである。新しい思想や学説でも、それが多少広く世間に行き渡るころにはもう「流行」はしないことになる。』で結んでいる。

第3題は、『春が来ると自然の生物界が急ににぎやかになる。』ではじまり、桜の開花日に言及した後で、『眠っているような植物の細胞の内部に、ひそかにしかし確実に進行している春の準備を考えるとなんだか恐ろしいような気がする。』で結んでいる。この文章は、大正10年に書かれているのだが、このころも桜の開花日は話題だったことがうかがえる。

第4題は、『植物が生物であることは誰でも知っている。しかしそれが「いきもの」である事は通例だれも忘れている。』で始まる。これには大いに異論がある。八ヶ岳南麓の本格的な春の始まりは、5月初旬になる。その時の大木の芽吹きのスピードは、犬の毛が生え代わるどころの騒ぎではない。さらに短期間で花が咲き実がなり、膨大な数の子孫を増やす。私は、動物よりも植物に生きる力の強いさと、変化のスピードを感じる。彼は、『ある度以下の速度で行われる変化は変化として認める事はできない。これはまた吾人が個々の印象を把持する記憶の能力の薄弱なためとも言われよう。』としている。

第5題は、『近年急に年をとったせいか毎年春の来るのが待ち遠しくなった。』で始まる。大正10年で彼はまだ40歳だ。私は70歳を過ぎて同じ考えを持ったので、日本の健康寿命の急速な伸びに感謝。ちなみに彼は57歳で亡くなっている。ここでは、『物質と生命の間に橋のかかるのはまだいつのことかわからない。』とか、『生命の物質的説明という事からほんとうの宗教もほんとうの芸術も生まれて来なければならないような気がする。』としている。近年、遺伝子の全容が明らかになって、「生命の物質的説明」はほんの少しだけ進んだのだろう。しかし、命の解明は、まだいつのことかわからないと思う。

第6題は、『日本の春は太平洋から来る。』ではじまる。太平洋高気圧に押されて沸き上がる雲の動きを解明しようとしている。『磁石とコンパスでこれらの雲のおおよその方角と高度を測って、・・・。(中略)高層の風が空中に描き出した関東の地形図を裏から見上げるのは不思議な見物であった。』としている。

 いずれの項も、素直に発想の連続的な転換が容易に理解できるので、聊かの安心感を覚えた。

メタエンジニアの眼シリーズ(65)鉄砲を捨てた日本人[1991] 

2018年06月12日 07時12分07秒 | メタエンジニアの眼
TITLE: 「鉄砲を捨てた日本人」 KMB3450
書籍名;鉄砲を捨てた日本人[1991] 
著者; ノエル・ペリン   発行所;中央公論社
発行日;1991.4.10
初回作成年月日;H30.6.5 最終改定日;H 
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



 副題は、「日本史に学ぶ軍縮」とある。訳者は川勝平太氏で文化と文明論に明るい。
はにめに、には「世に知られていない物語」とある。種子島での鉄砲伝来は、よく知られた歴史だが、「鉄砲を捨てた日本人」は歴史として知られていない、というわけである。

 先ず、当時の日本人が鉄砲の利用に格別な成功を収めた背景を探っている。16世紀の日本の総人口は2500万人、これはフランスの1600万、イギリスの450万、スペインの700万人と比べて格段に多い。しかも、そのうちの武士の占める割合は、7~10%と推定されている。当時のどのヨーロッパ国での騎士階級が1%に満たないことと対照的であった。

 しかし、徳川政権になって徐々にではあるが、鉄砲は放棄されていった。その原因を5つの要素で述べている。
① 鉄砲嫌いの武士が大勢いた
② 外国に対する日本の国家的統合の維持は、通常兵器で充分であった。
③ 日本では、刀剣が武士の魂という象徴的な意味を持っていた。
④ 西洋伝来の文物を軽視していた。例えば識字率が低い、利得を好む欲ボケの輩など
⑤ 純粋に美的感覚から日本刀を好んだ

例えば、ルース・ベネディクトは、「身から出た錆」という言葉を引用して、「この比喩で自分の身体と刀を同一視している」と述べている。

江戸末期に日本を訪れた欧米人の感想は、その文化に驚嘆するものが多い。そのいくつかが紹介されている。
『日本に行く目的が日本を文明国にするためである、といのは真実から遠い。なぜならば日本にはすでに文明が存在しているからだ。では、異教徒たる日本人をキリスト教に改宗させる目的で日本に行くのか、と言われれば、これも真実ではない。そうした企ては、わたくしたちが受けいれている条約の規定によって厳しく禁じられているからである。それでは、日本国民の幸福の増進をはかる目的で行くのかといえば、これも違う。なぜかというと、日本国民ほど幸福に充ちた国民は他に存在しないからである。わたくしたちは貿易によって利益をあげるという目的以外はもっていない』ーエドワード・ド・バリントン・ フォンブランケ将軍、1861年』(pp.148)

 結論として、「日本はなぜ鉄砲を放棄したか」については、次のように述べている。
『大型輸送船の建造技術が開発されると、小型輸送船は時代遅れとなり、まして帆船時代に後戻りするようなことはない、であるとか、さらに、西暦2001年のコンピューターが、人間の「思考過程」にひっくるめられるさまざまな過程のありかたを、人間よりも効率よくできるようになれば、そのときにはコンピューターが「人間の思考過程」の肩代わりをするようになれる等々・・・・。

このような言い方にあっては、進歩―この多義的な概念がどのように定義されようともー、この進歩なるものが、あたかも、半ば神聖なるものにして、人間のコントロールを超えた仮借容赦のない力の体現者のように用いられている。もちろんそれは妥当性を欠いている。進歩の道しるべを立て、その道筋を管理し、場合によっては その進行を止めることのできるのは、わたしたち人間である。何を記憶にとどめておくか、それを選ぶのは人間である。そして何を忘却の彼方に消し去ってしまうか、わたしたちが「種子島」のことを忘れさったように、それを決めるのも人問である。 』(pp.150)

 この書の著者は、田園での農場経営を好むダートマス大学英米文学の教授だが、核軍縮がなぜうまくできないのかという設問に対する、一つの回答を示そうとしている。核兵器は皆が好まないことは共通なのだが、変わるべき「日本刀」に相当するものがないことが、現代社会の悲劇なのだろう。現代社会では、倫理観に基づく美意識が欠けているのかもしれない。
                                            

メタエンジニアの眼シリーズ(64)「経営進化論」[1990]

2018年06月11日 07時37分20秒 | メタエンジニアの眼
書籍名; 「経営進化論」[1990]
著者;北原貞輔
発行所;有斐閣    1990.1.30発行
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



読み始める前に;

 表紙には、副題の「在ることから成ることへのパラダイム転換」とともに、7行もの但し書きがある。その言葉からは、あまりにも強い「システム論」指向が感じられた。しかし、最後にはガイア論が持ち出されたので、文明論的にも納得することができた。

曰く『本書を通じて読者に注目してもらいたいのは、認識システムの理解であるが、全体を通読して戴ければ、これまで科学や文化、社会の発展・進化がつねに人々の持つ認識システムの進化にあったこと、そして未来を展望するとき、同じくその発展が不可欠なことを理解して戴けるものと思う。その意味で、それは本書の中心概念である。』
 
さらに続けて、『一方、経営学的あるいは組織理論的側面におけるこれまでの変化は、それを概括的にいえば、初期の構造論から機能重視へ、つづいて人間行動の認識、そして第4ステップが意思決定の重視とみてもよかろう。それもまた認識の変化にもとづく。 官僚制モデル、人間関係論、行動科学、分権論、状況適応理論や戦略論などは、この過程で生じたバリエーションといえる。 』

 経営戦略を決めるのは、CEOたるリーダーであり、システムが働くのは、その後の実践段階であろう。科学や文化史を見れば、パラダイムシフトは特定の個人(天才)により始まった事例のほうが多いように思う。システム論は、経営に最も大切な「アジリティー」を失う可能性が高い。認識がすべてを決定づけてゆくという考え方には、数学者独特の哲学的な匂いを感じた。

序文;


「序文」には、全16章の概要が述べられている、古代ギリシャ哲学から現代にいたる認識論の展開なのだが、認識論の説明と、それに基づく経営進化論が交互に記されている。ここでは、著者特有の純システム論については割愛する。

『本書の目的は,経営進化の研究にある。それは科学や文化の進化と不可分の 関係にあり,人びとの持つ認識の変化,つまり世界観の変化と切り離して論じることはできない。』が、すべてを表している。

『第3章では,現代経営に多大の影響を与えてきた還元主義的機械論に基礎をおくテーラーの効率主義哲学と,それにもとづく科学的管理法,その分岐論としての経営科学の諸タイプ,情報理論,制御理論の意義について述べ,すでに今世紀の初頭,先進科学者たちの間で起こっていた還元主義思想からの科学思想の転換について説明する。』つまり、その時代、時代に生まれた様々な新たな論理の認識のもとに、経営が行われてきたというわけであろう。

『第5章は,還元主義的機械論科学を導入した科学的経営についての説明であるが,現実経営は,その発展過程で多くの困難に遭遇する。このため,それらを克服する目的で現れてきたドラッカーの分権論,メィョーに端を発する人 間関係論からハ-ズバーグの行動科学などについて一考する。』
 つまり、経営の進化は「科学や文化の進化と不可分の 関係にあり,」というわけである。

『第8章は経営・経済・社会の変化とそれにともなって生まれた状況適応理論の説明に当てられ,それを前提に第9章でシステミック経営について説明する。』

『第10章では,ダーウイン以降の進化論について述べる。(中略)とくに共生を無視して経営進化について論じれば,それは ダーウインへの逆行に結びつき,弱肉強食の闘争の論理に転落する恐れを秘めていることが理解されるものと思う。』
この辺りから、近代から続く現代の進化の方向性への疑問が始まっている。

『第12章では,サイバネティクス概念の発展について述べ,先端科学者たちへの「制御重視から発展を含む逸脱増幅過程の認識」への変化を説明する。(中略)管理という用語の持つ意味が,制御・順応的適応・ 創造的適応に分けられること,そして後の二者がゆらぎを持つ管理として重要な意味を持つことが理解できるであろう。』
管理の本質は制御なのだが、そこから逸脱する順応型と創造型により発生するゆらぎの認識が重要さを増してきたという事であろう。つまり、通常のシステム論では説明できない複雑性の問題になる。

『第13章は,メタ・インフォーメーションの説明であるが,ここで初めて情報概念の全体像が明らかになる。そのとき組織が意味的メタ情報関連で定義され、動態的かつインビジブルなことが真に理解されるであろう。それらを基礎に、社会や文化の進化から倫理の進化について論究するが、国際的視野に立った経営を考えるとき,この概念の理解は不可欠となる。そして,つねに量の上位に質のあることが理解されるであろう。』
情報概念の全体像として、インフォーメーションの質の階層としての上位であるメタ/4インフォーメーションの説明を試みている。

『最終16章のグローバル・ネオマネージメントは、,経営進化の最終ステップである。それは端的にいってこれまで人間が最下等と見てきた微生物に感謝する経営である。(中略)生理機能を破壊してまでも求める豊かさとは何を意味するのであろうか。人類が、なお未来に希望を持つとすれば、グローバル・ネオマネジメンの概念を無視することはできまい。』(pp.ⅰ~ⅴ)

冒頭の言葉にあるとおりに、経営の進化は科学や文化の進化と不可分であり,論理的な手法でその時代を正しく認識をしていれば、自動的にスパイラルアップしてゆくとしている。その中で、近代に始まる人間圏による唯物論がゆきすぎて、微生物をも含む自然圏でのグローバル・ネオマネジメンの概念が必須となってきたというわけであろう。

各論;


第1章 ギリシャ科学から17世紀の科学革命へ

 プラトンの「自然の世界を数学的に表現可能」という概念と、アリストテレスのか『海洋生物の研究に従事し、その中で植物や動物、さらに人間に対しては数学的形式は適用できないと結論し、機能や過程を重視する立場をとった。』(pp.8)の対比を行っている。

第2章 還元主義的機械論科学の降盛

 ガリレオやニュートンの思想に基礎を置く20世紀の還元主義的機械論万能の産業界は、その哲学が崩壊の方向に向かっていると断言をしている。
『偶然や不可逆性,複雑性の背後に,絶対的かつ不変の数学的真理があるのではなく,偶然を含んで変化してゆく複雑性こそが,自然の真の姿なのである。れわれは、機械はあくまでも機械論者がいう“無知な人間が作った人工物ということを忘れてはならない。 自然科学の世界では,
すでに19世紀,ガリレオ的唯物論科学から大きく転じ始めていたのである 。』(pp.62)

第10章 進化の科学

『ミクロ世界とマクロ世界の関連のなかで生物が生を保持していることを意味するものであるが,このことは,生物が相互に他の生物の環境の一部を構成していて,さまざまな方法で相互に作用し合って生を保っているという事実を示すのである。』(pp.205)
これは、明らかに自然圏から分離独立した人間圏が、再び自然圏の一部に帰ることを意味している。経営と生物圏の相似性を示しているのであろう。

第13章 メタ・インフォーメーション

『科学や文化・社会の進化、あるいは国際的視野に立ったマネジメント,人類の生存といったよりグローバルな問題に目を向けようとすれば、われわれは,メタ情報の持つ意義について考えておかなければならない。』8pp.263)
で始まるこの章は、思考過程におけるシステム的な階層を説明している。
① 0-システムの特質はすべて情報で表される。
② 分子進化を決定づけるのは構造情報である。
③ 構造情報はシステムの発展に応じて発展する。
④ システムを構成する相互関連的要素間には情報の流れがある。』

ここで、0-システムの説明は、第10章に次のようにある。
『ハンガリーの行動遺伝学者ツアニイの解説を用い,以下,その概要について説明する。彼によれば、水素,窒素、 酸素,燐,硫黄などを含む単純な混合物をI つのシステムとしたとき,それが紫外線の照射あるいは放電にさらされると,そのシステムはエネルギーを吸収し,そのなかで物質循環(material cycle) を引き起こし,ますます複雑な混合物になって,そのなかにアミノ酸・糖・有機塩基などのより高い生物的意味を持った混合物が現れるという。彼は,そのようなシステムを0-システム(zero-system)と名づけた。』(pp.200)

 メタ情報については、次のように説明をしている。

『生物の進化は、メタレベルがメタ・メタレベルと自発的に構造化されていくことで成り立つわけであるが 、それは相互関連の変化を通じた階層構造の形成を意味する。相互関連のあると ころには何らかの情報の流れがある。自動接触・反応連鎖・自己言及などの諸現象は,これを無視して説明することはできない。そこに相互関連⇒情報通信⇒上述の現象⇒新たな相互関連の相互因果ループが成り立ち,それを通じて生じる継続的なメタレベルの形成、そしてメタ情報のメタ・メタ情報への継続的な発展が見られる。』(pp.264)

さらに続けて、メタ情報の認識として、『メタ情報とは,相互関連を意義づける一段上位の情報のことであり,通信に ついていえば,メタコミュニケーション情報のことをいう。その意味では進化や発展,そして創発や階層性を意義づける情報のことであるといってもよく, ひとり人間だけでなく,生物・非生物間にも成り立つ上位情報のことと理解しなければならない。』(pp.271)
最近のことで言えば、DNAに含まれる様々な遺伝子情報もメタレベルの情報なのだろう。

第14章 進化的経営

 ここでは、モデルが登場する。
『A・Wスミスは、経営進化の5段階モデルを提示した。その第1段階から第4段階まで象徴的経営,静態的経営、科学的経営、システミック経営で、われわれもそれを大枠として受け入れ、すでに第2,5,9章で説明した。彼の第5段階は、自己実現に目的をおく戦略的経営で,それを彼は未来に対する期待であるという。
ここに自己実現とは、たしかに利己・没我、両者調和の上に成り立つ概念と解釈されているが,それはまた自己の欲するようにありたいりとう意味の個中心の概念でありる。』(pp.301)

第16章 グローバル・マネージメント

全社的品質経営に関して、TQC ⇒TQM ⇒IMQという進化の過程を説明した後で、
『われわれは、すでに第14章で進化的経営について説明したが,そのなかでIMQにふれた。それは仕事の質の重視にもとづく国際性を含めた社会統合的品質経営のことを意味する。けれ,ども,それだけでは自然環境問題は消極的に含まれているだけである。グローバルの意味することは,地球ないしは宇宙次元までも考慮に含めた経営のことをいう。つまり進化的経営それ自体がガイアなかの1つの活動という認識である。』(pp.145)
ガイア論は一時期(この著書が発表された時期に一致)世界的に流行をしたが、あまりに誇大なために、一般化には進まなかった。しかし、人類社会の問題をガイアまで広げたことは、21世紀に相応しい。

『川や海の汚染,人口増にもとづく食糧問題、子供の非行や自殺,工業発展の副産物としての酸性雨郊外などが頻発しているのも否定できない事実である。カプラによれば,それらはすべて還元的科学的経営からの置土産である。われわれは,科学的経営から脱し、システミック経営 ⇒ 進化的経営から,さらにグローバル・ネオマネージメントへ進まねばならない。』(pp.145)

最終章の結論としては、次の一節がある。
『自然という全体,つまりガイアは,そのなかに素粒子,原子,分子,有機体,経営,生態系,国家などといったあらゆる自然的諸実在を含んで成り立っている。このとき,それらの各レベルが生存と満足を満たしていれば,そのような状態こそが,各レペルにとって最高の価値状態を維持していることといわれる。このため状態価値はひとり人間だけを対象に成り立つのではない。』(pp.347)
 
 ここにおいて、副題の「在ることから成ることへのパラダイム転換」が蘇る。さらに、アリストテレスの自然学から倫理学までの進化の過程も復活してくるという状態になったように思う。冒頭にアリストテレスの話が詳しく述べられたのも、このための伏線だったのであろう。