八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(36)
テーマ;生物の本能
場所;東京の庭 月日;2022.7.6
作成日;2022.7.7
TITLE: メジロの子育て
半夏生(夏至の末候で、7月2日から6日まで)
半夏生(はんげしょう)は七十二候の1つで、Wikipediaには次のようにある。
『半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃。一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも。様々な地方名があり、ハゲ、ハンデ、ハゲン、ハゲッショウなどと呼ばれる。
「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。』
半夏と同じころに生える別名マムシ草と呼ばれるこの花にはハエ科の小昆虫が誘引され、付属体と仏炎苞の間の隙間を通過して花の周囲の部屋に閉じ込められる。雄花ではこの部屋の下部に雄しべから出た花粉が溜まっており、閉じ込められた小昆虫は花粉まみれになる。雄花の仏縁苞の合わせ目の下端には小さな孔状の隙間があって、花粉をつけた小昆虫はここから脱出する。雌花ではこの穴がないため、閉じ込められた小昆虫は外に出られず、いずれ死亡する。この雌花に閉じ込められた小昆虫の中に花粉を体につけて雄花を脱出してきたものがいたときに受粉が成立する。
八ヶ岳の我が家の山野草ガーデンの中央でぽつんと一本だけ毎年花を咲かせて楽しませてくれる。里山歩きをしていても、林の中でぽつんと一輪だけ咲いている姿をよく見かける。花がその姿を保っている期間も長く、また実がついて、色づくまでの期間も長い。一輪だけで十分に楽しむことのできる独特の植物なのだ。だが、油断大敵、毎年数株が、庭のあちこちに出てくる。これらがすべて、小さな種の中の細胞内の遺伝子によるものなのだから驚かされる。
代って、動物の方はどうだろうか。東京の我が家の庭には小鳥が良く来る。今年は巣作りをするものが現れた。メジロだ。
庭のほぼ中央に沙羅双樹の木がある。高さはせいぜい2メートルの小さな木で、毎年よく花が咲く。
そこに、メジロが巣をつくった。暫くすると、雛がかえったようで、頭が見えるようになった。
雛がかえってから、飛び立つまではほんの数日だったと思う。他の鳥に襲われないように早めの巣立ちのようだ。空になった巣を枝ごと切り離してみた。
驚いたのは、細い二股の付け根に、うまく固定されるようになっている。巣の材質は雑多のようだが、繊維がうまく絡んでいて、丈夫だ。中は、卵の殻はおろか、小鳥の糞も一切なく、きれいだった。
小鳥の巣作りは、親の動作で覚えられるわけは無く、これら一連の作業は、すべて本能に仕込まれているのだろう。
動物の本能は、生まれる前に完成するものと思うのだが、人間の場合は、大いに複雑なようだ。他の動物に比べて、脳が異常に発達して大きくなってしまったために、脳が完成する前に、生まれ出なければならなくなった。完成まで待つと,子宮を出られなくなるそうだ。だから、本来は本能だった行動の一部は、生まれてからの環境によって付加される。
有史以来の人間社会の有様を概観すると、この中途半端な本能は悪いことばかりに影響しているように思われる。例えば、もし倫理的なものが本脳だとするならば、もっと平和な社会になっていたはずである。
テーマ;生物の本能
場所;東京の庭 月日;2022.7.6
作成日;2022.7.7
TITLE: メジロの子育て
半夏生(夏至の末候で、7月2日から6日まで)
半夏生(はんげしょう)は七十二候の1つで、Wikipediaには次のようにある。
『半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃。一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも。様々な地方名があり、ハゲ、ハンデ、ハゲン、ハゲッショウなどと呼ばれる。
「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。』
半夏と同じころに生える別名マムシ草と呼ばれるこの花にはハエ科の小昆虫が誘引され、付属体と仏炎苞の間の隙間を通過して花の周囲の部屋に閉じ込められる。雄花ではこの部屋の下部に雄しべから出た花粉が溜まっており、閉じ込められた小昆虫は花粉まみれになる。雄花の仏縁苞の合わせ目の下端には小さな孔状の隙間があって、花粉をつけた小昆虫はここから脱出する。雌花ではこの穴がないため、閉じ込められた小昆虫は外に出られず、いずれ死亡する。この雌花に閉じ込められた小昆虫の中に花粉を体につけて雄花を脱出してきたものがいたときに受粉が成立する。
八ヶ岳の我が家の山野草ガーデンの中央でぽつんと一本だけ毎年花を咲かせて楽しませてくれる。里山歩きをしていても、林の中でぽつんと一輪だけ咲いている姿をよく見かける。花がその姿を保っている期間も長く、また実がついて、色づくまでの期間も長い。一輪だけで十分に楽しむことのできる独特の植物なのだ。だが、油断大敵、毎年数株が、庭のあちこちに出てくる。これらがすべて、小さな種の中の細胞内の遺伝子によるものなのだから驚かされる。
代って、動物の方はどうだろうか。東京の我が家の庭には小鳥が良く来る。今年は巣作りをするものが現れた。メジロだ。
庭のほぼ中央に沙羅双樹の木がある。高さはせいぜい2メートルの小さな木で、毎年よく花が咲く。
そこに、メジロが巣をつくった。暫くすると、雛がかえったようで、頭が見えるようになった。
雛がかえってから、飛び立つまではほんの数日だったと思う。他の鳥に襲われないように早めの巣立ちのようだ。空になった巣を枝ごと切り離してみた。
驚いたのは、細い二股の付け根に、うまく固定されるようになっている。巣の材質は雑多のようだが、繊維がうまく絡んでいて、丈夫だ。中は、卵の殻はおろか、小鳥の糞も一切なく、きれいだった。
小鳥の巣作りは、親の動作で覚えられるわけは無く、これら一連の作業は、すべて本能に仕込まれているのだろう。
動物の本能は、生まれる前に完成するものと思うのだが、人間の場合は、大いに複雑なようだ。他の動物に比べて、脳が異常に発達して大きくなってしまったために、脳が完成する前に、生まれ出なければならなくなった。完成まで待つと,子宮を出られなくなるそうだ。だから、本来は本能だった行動の一部は、生まれてからの環境によって付加される。
有史以来の人間社会の有様を概観すると、この中途半端な本能は悪いことばかりに影響しているように思われる。例えば、もし倫理的なものが本脳だとするならば、もっと平和な社会になっていたはずである。