第12話 閑話休題(1)
メタエンジニアリング的な思考で新聞記事を読んでいると、共感を覚える記事にかなりの頻度で出あうことになる。7月19日の日経新聞の最終頁に「私の履歴書」が連載されているが、今月はインドの大富豪のラタン・タタ氏で、その半生の話は面白い。この日は第⑱で、バラバラだった一族の企業群をどうやって統一に導いたかの見事な戦略が語られている。同じことが日本では、独立した元子会社の株式を買って、再び完全支配下に置くやり方で行われ始めて、多くの場合に企業群の総合力を増すことに成功しているが、彼のやり方はもっとスマートだった。これらもメタエンジニアリングの考え方なのだが、今回の注目は、その隣の「文化」という記事だ。
記事の筆者は、文化部記者の千場達矢氏とある。見出しは、「思考停止へ警鐘、現代に響く」「哲学者アレートンに脚光」「原発や企業不祥事 読み解くヒントに」とある。はじめの2段抜きの部分にはこの様にある。
全体主義や公共性をテーマに思索したドイツ出身の政治哲学者ハンナ・アレートン(1906~75)への関心が高まっている。意味を深く考えない行が 大きな破局を引き起こすという指摘は、企業不祥事や原子力発電など現代の問題を読み解く視点も与えてくれる。関連書籍の刊行も活発で、その思想にふれる好機だ。気になった個所のみを取り出してみる。
・自分のやっていることの意味を考えない普通の人が、途方もない災厄を引き起こす
・大衆社会の到来が全体主義を生み出す契機となったと分析
・「複数性」という概念を提唱した。
・それぞれが違った意見をぶつけ合っている状態の方が正常である
・アレートンは現代の巨大な科学技術との向き合い方についても思索を重ねた
ここまで読むと、何冊か読んでみたいとの衝動にかられる。そこで、手っとり早く図書館で検索をすると、最近刊行の多くは予約で詰まっている。幸い3冊が在庫中で、その分だけを読むことにした。そして、メタエンジニアリングと共通する言葉をいくつか知ることができた。以下は、それらからの抜書きであるが、最大の共通語は次の文章にある言葉である。
「アレートンは、事物や現象の背後に潜む根源的なものを追求することに格別の情熱を抱いている思想家である。そしていったん捉えられたこの根源的なものから逆に事物や現象を眺め返してみると、その光景は、普段私たちが見馴れて居るものとまるで異なって見え、ある場合には逆立ちして見える。」
1.精神の生活(上),佐藤和夫訳、岩波書店1994)
・私は、「悪の動機になったのは、私がイエルサレムのアイヒマン裁判に傍聴に行ったことである。その報告の中で、私は「悪の陳腐さ」について述べた。その背後には、テーゼや評論が合ったわけではない。しかしながら、ぼんやりとはいえ、私はそれが悪という現象についてわれわれの思想伝統―文学・神学・哲学上のーとは違っているものだという事実に気付いていた。
・私は、この犯罪者の行いがあまりにも浅薄であることにショックを受けた。ここでは彼の行為の争う余地のない悪を、より深いレベルの根源ないしは動機に遡って辿ることができないのだ。やったことといえばとんでもないことだが、犯人(今、法廷にいる、少なくともかつては紀和寝て有能であった人物)は、まったくのありふれた俗物で、悪魔のようなところもなければ巨大な怪物のようでもなかった。彼には、しっかりしたイデオリギー的確信があるとか、特別の悪の動機があるといった兆候は無かった。過去の行動及び、警察による予備尋問と本審の過程での振る舞いを通じて唯一推察できた際立った特質と云えば、全く消極的な性格のものだった。愚鈍だと云うのではなく、何も考えていないということなのである。
・「人間の条件」というのは出版社がつけた巧みなタイトルであって、私はもっと控えめに「活動的生活」の研究とするつもりであった。
・ハイデガーは、哲学と詩とはきわめて密接に結びついているのだと切り返している。二つは同じというのではないが、同じものに起源を持っており、思考がその起源なのである。アリストテレスについて、彼がただ「たんに」詩だけを書いているといって非難する人はいないが、彼も同じ考えで、詩と哲学は同じものに属しているという意見だった。
解説;
・ナチズムに代表される全体主義的傾向がけっして20世紀の例外的突発的事件ではなく、むしろ、20世紀という時代全体にもっとも深く結びついた現象だということを捉えて分析した。
・現代ヨーロッパの深刻な現状、フランス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、イタリアといった国々でいずれも急速な極右勢力の進出があり、選挙によって20%を上回る得票率を獲得しているような地域も珍しくない。ファッシズム、全体主義は過去の問題ではない。ことによったら、近代民主主義そのものと深くかかわった問題かも知れない。
2.人間の条件、志水速雄訳;ちくま学芸文庫(1994)
文末の解説より;
・彼女の全著作に流れている暗流は、現代社会に対するかなり切迫した危機意識である。
・人々は自分を他人から区別するために活動するのではなく、他人にならって行動する。大衆社会とは公的領域も私的領域も完全に消滅した社会にほかならない。
・アレートンは、事物や現象の背後に潜む根源的なものを追求することに格別の情熱を抱いている思想家である。そしていったん捉えられたこの根源的なものから逆に事物や現象を眺め返してみると、その光景は、普段私たちが見馴れて居るものとまるで異なって見え、ある場合には逆立ちして見える。
・彼女の場合、根源的なものへの遡及は、しばしば古典古代への復帰を採っているからである。
・本書の中心的テーマは、「私たちが行っていること」を考えることである。いいかえると「人間の条件の最も基本的な要素を明確にすること」であり、・・・。
3.アーレトンーハイデガー往復書簡、大島かおり・木田元共訳、みす書房(2003)
この本の内容は割愛する。教師と生徒間の恋愛感情がからまった1925~1975の手紙やメモの中味がそのまま記されている。アレートンの学生時代から死の直前までの長い付き合いのようが、愛情を一方的に告白しているのが、あのM.ハイデッガーであり、翻訳者がその研究の第1人者である木田元氏であることに、驚きを感じた。
これら3冊を通じて思うことは、彼女の人間の基本的条件とは、深く思考することであり、つまり「人は考える葦である」と同じことと感じた。また、近代の民主主義は大衆社会が基であり、この特質が、一般的な不安から全体主義への発展をもたらす危険性に富んでいると、主張しているように捉えられる。
一般的な不安も、「背後に潜む根源的なものを追求」しないと、とんでもない負の遺産を生じるという主張は、正にメタエンジニアリングの主張と完全に一致する。
メタエンジニアリング的な思考で新聞記事を読んでいると、共感を覚える記事にかなりの頻度で出あうことになる。7月19日の日経新聞の最終頁に「私の履歴書」が連載されているが、今月はインドの大富豪のラタン・タタ氏で、その半生の話は面白い。この日は第⑱で、バラバラだった一族の企業群をどうやって統一に導いたかの見事な戦略が語られている。同じことが日本では、独立した元子会社の株式を買って、再び完全支配下に置くやり方で行われ始めて、多くの場合に企業群の総合力を増すことに成功しているが、彼のやり方はもっとスマートだった。これらもメタエンジニアリングの考え方なのだが、今回の注目は、その隣の「文化」という記事だ。
記事の筆者は、文化部記者の千場達矢氏とある。見出しは、「思考停止へ警鐘、現代に響く」「哲学者アレートンに脚光」「原発や企業不祥事 読み解くヒントに」とある。はじめの2段抜きの部分にはこの様にある。
全体主義や公共性をテーマに思索したドイツ出身の政治哲学者ハンナ・アレートン(1906~75)への関心が高まっている。意味を深く考えない行が 大きな破局を引き起こすという指摘は、企業不祥事や原子力発電など現代の問題を読み解く視点も与えてくれる。関連書籍の刊行も活発で、その思想にふれる好機だ。気になった個所のみを取り出してみる。
・自分のやっていることの意味を考えない普通の人が、途方もない災厄を引き起こす
・大衆社会の到来が全体主義を生み出す契機となったと分析
・「複数性」という概念を提唱した。
・それぞれが違った意見をぶつけ合っている状態の方が正常である
・アレートンは現代の巨大な科学技術との向き合い方についても思索を重ねた
ここまで読むと、何冊か読んでみたいとの衝動にかられる。そこで、手っとり早く図書館で検索をすると、最近刊行の多くは予約で詰まっている。幸い3冊が在庫中で、その分だけを読むことにした。そして、メタエンジニアリングと共通する言葉をいくつか知ることができた。以下は、それらからの抜書きであるが、最大の共通語は次の文章にある言葉である。
「アレートンは、事物や現象の背後に潜む根源的なものを追求することに格別の情熱を抱いている思想家である。そしていったん捉えられたこの根源的なものから逆に事物や現象を眺め返してみると、その光景は、普段私たちが見馴れて居るものとまるで異なって見え、ある場合には逆立ちして見える。」
1.精神の生活(上),佐藤和夫訳、岩波書店1994)
・私は、「悪の動機になったのは、私がイエルサレムのアイヒマン裁判に傍聴に行ったことである。その報告の中で、私は「悪の陳腐さ」について述べた。その背後には、テーゼや評論が合ったわけではない。しかしながら、ぼんやりとはいえ、私はそれが悪という現象についてわれわれの思想伝統―文学・神学・哲学上のーとは違っているものだという事実に気付いていた。
・私は、この犯罪者の行いがあまりにも浅薄であることにショックを受けた。ここでは彼の行為の争う余地のない悪を、より深いレベルの根源ないしは動機に遡って辿ることができないのだ。やったことといえばとんでもないことだが、犯人(今、法廷にいる、少なくともかつては紀和寝て有能であった人物)は、まったくのありふれた俗物で、悪魔のようなところもなければ巨大な怪物のようでもなかった。彼には、しっかりしたイデオリギー的確信があるとか、特別の悪の動機があるといった兆候は無かった。過去の行動及び、警察による予備尋問と本審の過程での振る舞いを通じて唯一推察できた際立った特質と云えば、全く消極的な性格のものだった。愚鈍だと云うのではなく、何も考えていないということなのである。
・「人間の条件」というのは出版社がつけた巧みなタイトルであって、私はもっと控えめに「活動的生活」の研究とするつもりであった。
・ハイデガーは、哲学と詩とはきわめて密接に結びついているのだと切り返している。二つは同じというのではないが、同じものに起源を持っており、思考がその起源なのである。アリストテレスについて、彼がただ「たんに」詩だけを書いているといって非難する人はいないが、彼も同じ考えで、詩と哲学は同じものに属しているという意見だった。
解説;
・ナチズムに代表される全体主義的傾向がけっして20世紀の例外的突発的事件ではなく、むしろ、20世紀という時代全体にもっとも深く結びついた現象だということを捉えて分析した。
・現代ヨーロッパの深刻な現状、フランス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、イタリアといった国々でいずれも急速な極右勢力の進出があり、選挙によって20%を上回る得票率を獲得しているような地域も珍しくない。ファッシズム、全体主義は過去の問題ではない。ことによったら、近代民主主義そのものと深くかかわった問題かも知れない。
2.人間の条件、志水速雄訳;ちくま学芸文庫(1994)
文末の解説より;
・彼女の全著作に流れている暗流は、現代社会に対するかなり切迫した危機意識である。
・人々は自分を他人から区別するために活動するのではなく、他人にならって行動する。大衆社会とは公的領域も私的領域も完全に消滅した社会にほかならない。
・アレートンは、事物や現象の背後に潜む根源的なものを追求することに格別の情熱を抱いている思想家である。そしていったん捉えられたこの根源的なものから逆に事物や現象を眺め返してみると、その光景は、普段私たちが見馴れて居るものとまるで異なって見え、ある場合には逆立ちして見える。
・彼女の場合、根源的なものへの遡及は、しばしば古典古代への復帰を採っているからである。
・本書の中心的テーマは、「私たちが行っていること」を考えることである。いいかえると「人間の条件の最も基本的な要素を明確にすること」であり、・・・。
3.アーレトンーハイデガー往復書簡、大島かおり・木田元共訳、みす書房(2003)
この本の内容は割愛する。教師と生徒間の恋愛感情がからまった1925~1975の手紙やメモの中味がそのまま記されている。アレートンの学生時代から死の直前までの長い付き合いのようが、愛情を一方的に告白しているのが、あのM.ハイデッガーであり、翻訳者がその研究の第1人者である木田元氏であることに、驚きを感じた。
これら3冊を通じて思うことは、彼女の人間の基本的条件とは、深く思考することであり、つまり「人は考える葦である」と同じことと感じた。また、近代の民主主義は大衆社会が基であり、この特質が、一般的な不安から全体主義への発展をもたらす危険性に富んでいると、主張しているように捉えられる。
一般的な不安も、「背後に潜む根源的なものを追求」しないと、とんでもない負の遺産を生じるという主張は、正にメタエンジニアリングの主張と完全に一致する。