生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

様々なメタ・シリーズ(69)大学のメタ学科

2022年01月27日 07時24分50秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタ・シリーズ(69)社会学系(17)
TITLE:大学のメタ学科

 日本の大学改革が一向に進まない。20世紀の終わりごろから、多方面で議論がすすんでいるのだが、世界でのランクは下がる一方のままのようだ。私は、当時の試みの一つのCOE(Center of Excellence)に数年間参加して、大学院改革の試案つくりのお手伝いをした。当時は、半導体開発競争の最中で、電気・電子業界では、若い博士を熱望していた。そこで、修士課2年、博士課程3年の期間を1~2年短縮するというもので、大学院1年生で博士課程を目指すことを宣言して、その準備を初年度から始めるというものだった。しかし、その制度改革案は、「今の制度でもなんとかなる」とのことで、全学の教授会は通らなかった。主任教授の話では、「大学改革案は、一般的には通らない。三分の一が賛成でも、残りの三分の二が、反対と無関心だから」だった。

 私の所属学科は機械工学で、機械設計の授業がある。改革の一つとして、その授業で芸大の学生とのコラボ授業が試みられた。お互いに得るものがあったように聞いている。そこで、芸大の授業科目に興味を抱いたのだが、それが一般常識とはかなり離れたものであることを知った。それは、二宮敦人著「最後の秘境 東京芸大」(新潮社[2016])からだった。



 この書の副題は「天才たちのカオスな日常」で、著者は作家なのだが、奥さんが芸大の彫刻家で、作品の制作のために家中が凄まじい状態になっていることの描写から始まっている。そこで、様々な学科の芸大生が、どのような生活をしているかに興味を持ち、密着取材をしたようだ。芸大は、大きく分けると美術と音楽で、この二つの学生の生き方はまるで正反対になっている。いわゆる貧乏画家とセレブの音楽(演奏は高級楽器を用いる)家だ。それぞれの学園の年間の行事も面白いのだが、圧巻は音楽環境創造科だ。同じ音楽でも、こちらは貧乏画家の更に下を行く。キャンパスが全く別で北千住の繁華街の迷路の先の小学校を改築した建物で、2002年の創設とある。ちなみに、本校は上野の博物館と美術館街の一角で国立博物館の先にある。開放的で、私は時々その中の売店を覗いてみる。そこだけで、思わぬ美術に触れることができる。
 
 大学のホームページの学科概要では、次のように紹介されている。
 『音楽環境創造科は、従来の枠をこえた観点で音楽芸術の創造と、音楽・文化・社会の関わりについて強い関心を持ち、音楽を中心とした新しい文化環境創造を志す人材の育成をめざし、2002年に設立されました。
 現代社会では、領域を越えた感性、知識、表現技術を活用できる人材が求められています。本学科では、テクノロジーや社会環境の変化に柔軟に対応し、領域横断的な発想を具現化できる能力を養うべく、理論と実践の両面から教育・研究に取り組んでいます。』これだけでも、十分にメタを感じる。
 
 続いて、専攻科目の紹介があるのだが、代表的な授業の内容などが書かれているだけで、それを読んだのでは面白くない。そこが作家の文章との違いだ。
 この学科の代表的な学生の生活は、第10章の「先端の本質」の中で語られている。先ずは、6つの研究分野の紹介から始まっている。第1は作曲。しかし、中身はコンピュータミュージックと口笛。第2は音響録音で、音楽会場のスピーカーの配置など。第3は音響心理で、音が人の心にどんな影響を及ぼすか。第4は社会学で、芸術的な表現と社会との係わり。第5は舞台芸術。第6はアートマネージメントと続く。つまり、「なんでもあり」なのだ。(p.196)
 
 彼らは、思ったことは即実行する。たとえば、「家の中に雨を降らせる」、「荒川で河童を演じる」、「どんぐり渡された人向け相談所」などが延々と続く。しかし、「本質」の話は出てこない。最後に一言だけ『アートは一つのツール、なんじゃないですかね。人が人であるための。』(p.209)との学生の発言でこの章は終わっている。
 
 つまり、アートの本質は「人が人であるためのもの」ということなのだが、この学科の詳細を知ると、まさにそのように感じることができる。芸大は「メタ教育」の場なのかもしれない。


様々なメタシリーズ(67)「メタ認知制御」

2022年01月14日 14時13分10秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタシリーズ(67)
人文学系のメタ(18)                                                           

TITLE: 「メタ認知制御」
初回作成日;2022.1.14 最終改定日;

 北尾倫彦著「深い学びの科学」(図書文化社 [2020] )は、博識者と思慮深い人のどちらが深い学びをしてきた人かの考察から始まっている。著者は文学博士だが、日本教育心理学名誉会員で、教育関係の著書を10冊以上出している。この書も、第1章は、「深い学びとはどういうことなのか」との題で始まっている。



 そして、世間で役に立つのは、知識よりも思考力であると結論している。深い学びは、主体的・対話的の教育から得られるというわけである。(pp.8-9)
 そこから、知識と思考の関係の話が始まり、子供の教育のあり方を語っている。そして、主題の「メタ認知」は、第3章で纏められている。
 
 「メタ認知」という用語は、1980年頃から記憶や読解の研究において使われ始めた、とある。(p.36)
そして項目別に、「算数文章題解決におけるメタ認知」、「国語説明文読解におけるメタ認知」、「高校数学の学習相談におけるメタ認知」、「評価のフィードバック機能とメタ認知」などについての例を示している。成績の違いは、メタ認知力の差によって生じるのである。これらすべては、「認知」ということが、頭の中でどの程度論理的かつ具体的に行われているかどうかの議論になっている。(pp.37-44)
 「メタ認知プロセスモデル」の図が示されている。(p.37)  教育現場のことのようだが、一般に適用できるので、それを解読する。
 
 人の頭が、具体的な認知や思考のために使われているときに、その奥ではメタ認知が働いている。メタ認知の機能は、「メタ認知知識」と「メタ認知制御」の二つがある。
 その図の説明として、「メタ認知知識」とは、認知を深めるためには、どのような要因や方略が影響し、それらを何時、どのように適用するかを知るもの。
「メタ認知制御」とは、認知知識の活動のプランづくりと、その監視と制御とある。(p.37)
 随分と分かりにくい表現だが、メタ的に解釈をすると、認知は、通常の読み書きや問題解決のための思考の中で常に働いている。その場合に、頭の奥で、対象に対する理解がどこまで深く、広く行われているかが決定されるのが、メタ認知というわけであろう。

  つまり、目や耳から入ってくる現象の認知において、頭の中でメタ認知がどの程度働くかによって、理解度が全く異なるというわけである。このことは、通常ではあまり意識されないが、例えば、数学や国語の試験中に、問題を次々に解かねばならない際に、メタ認知能力が働かないと、応用問題が解けなかったり、もっとひどい時には、問題の意味が分からないということが起こってしまう。つまり、これらは全て、頭の中で瞬時に行われている「メタ認知制御」の度合いによることになる。
 例えば、数学の複雑な応用問題に対する態度は、成績の上位グループは、問題を一読した後で、『「もう一度問題を読んで確かめている」とか、「焦らずにゆっくりやった」など、自分の解決過程を意識的にコントロールしていたことが分かった。』(p.38)これは、「メタ認知知識」が正しく働いたことを意味する。
 
 この書は、その後これらのメタ認知力をつけるための教育方法について述べている。一般的に社会で起こっていることに対しても、メタ認知をどこまで瞬時に発揮できるかは、その後の行動や思考に大きく影響することになるのではないだろうか。このことは、長年私が進めている「その場考学」に通じるものがある。

 私のその場考学は、長期間にわたる新型のジェットエンジンの設計と開発時のChief Designerの経験から生まれた。1回のエンジン試験が終わると、エンジンは全分解されて部品ごとの状態を克明に検査する。すると、毎回百点以上の欠陥(Material Reviewと称する保留品の状態)が検査部門から報告される。担当者が初期判断をするのだが、最終的にはChief Designerが、そのまま使用、補修、追加工、新品と交換、設計変更などに区分した判断を下す。それらは、瞬時に行わなければならない。この時に必要なのが、まさに「メタ認知知識」と「メタ認知制御」だった。なお、この場合の「メタ認知知識」としては、過去の同様な経験と、様々な雑学(あらゆる工学は勿論、リスク管理や信頼性など)が含まれる。
 従って、その場考は、「メタ認知知識」の追求と云えないこともない。現実の生活において、その場、その場で認知される目と耳から入る情報を、その瞬間にメタ認知知識が働いて、その情報をメタ情報に代えて,メタ認知制御をスタートさせる、それがその場考学である。


メタエンジニアの眼シリーズ(206)日航123便 墜落の原因

2022年01月09日 07時04分26秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(206)
TITLE: 日航123便 墜落の新事実


初回作成日;2022.1.6 最終改定日; 
 有名な御巣鷹山の事故に関する著書がある。青山透子著(河出書房新社「日航123便 墜落の新事実」[2017] )である。
 著者は元日本航空国際線客室乗務員だが、事故当時は国内線担当で、事故機の生存者の一人の客室乗務員と乗務員女子寮で同じフロアーだったと記されている。しかし、内容から読み取れることは、ノンフィクション作家のそれである。



 事故は、1985年8月に起こったが、この書の発行は、その28年後で、既に細かい事実は忘れられている。事故調査の過程で、一部隔壁板の修理ミスに疑問を呈する記事も見かけたが、それは間もなく消えた。しかし、この書を読むと、また当時の記憶が蘇ってくる。
 内容は、著者の疑問が、年月を経ても消えないことから始まっている。
 ① 現場で事故に直接に携わった人たちには、腑に落ちないことが多数あり、心の奥底で渦巻いていた。
 ② 墜落現場の上野村に出向き、当時の村長と、地元消防団、遺体の監察医の話を、直接に聞いた。
 ③ 他の類似する航空機事故の事故原因と、辻褄の合わない部分が多いことに気づかされた。
 ④ 墜落原因に関する裁判が一切行われなかったことへの疑問。
 ⑤ 事故時に吹飛んだ垂直尾翼の海底調査が、早々に打ち切られた。しかし、他の部品が、2015年に、それほど調査困難ではない海底から、あっさりと発見された。
 ⑥ 国際民間航空条約上は、新発見があった場合には、調査を再開するとの期待があったが、それが行われなかった。再発防止の観点から、時効はないことになっているのも拘わらず。

 以上の観点から、本格的な検討を始めると、過去に葬られた事実が沢山出てきた。
A;墜落現場一面にガソリンとタールが混ざり合う臭いがあったが、そのようなものは民間航空機では使われない。(p.20)
B;本格的な事故調査が始まる前に、隔壁板が大型自動カッターで、5分割されてしまった。(p.20)
C;事故機の頽落現場を上空から視認した人達の事実は隠されて、事故現場の特定は、その10時間後だった。(p.21)
D;当日20時に「ただ今現地救助に向かった自衛隊員数名が何者かに銃撃され、死者負傷者が出た模様」との緊急ニュースがあった。数分後に「誤報」が出たが、2010年まではネット上にあり、その後削除された。(pp.71-72)
E;事故直後の遺体荼毘が早すぎることに、遺族が日航本社で高木社長と面談、その後抗議の為に首相官邸に向かおうとすると、「高木さんはぶるぶると震えだして、そうしたら私は殺される、といった」(p.82)
F;その後、向かった先は、知らぬ間に運輸省になり、「僕は、東大法学部出身です」という人に会わされた。遺体のとり違いも含めて、「一切、法律上の問題はない」と切り捨てられた。(pp.83-85)
G;元自衛隊員に確認すると、ガソリンとタールの混合燃料は、陸上自衛隊の携帯放射器として装備されていることが分かった。(p.158)
H;当日の夕暮れ時には、ファントム2機が、事故機を追尾していることが、地上から確認されているが、墜落現場は不明とされていた。(p.160)
J;その後、大型のC130輸送機が加わり、その機にはアントヌッチ氏が搭乗していたが、間もなくその機体は埼玉方面に飛び去った。(pp.160-161)
K;事故機は、当初横田基地へ向かっていたようだが、ファントム機が接近後に、進路を群馬県方向に変更したことが、視認されていた。(p.162)
L;搭乗中の乗客が寫した写真を解析すると、「円錐もしくは円筒状の物体が、オレンジ帯の方向から、機体に向かって飛んでいる」との画像解析結果だった。
M;新聞報道者と地元の子供の証言から、「ジャンボ機の腹部左側に付着して見える赤色のだ円、または円筒状のもの」が視認されている。(pp.165-166)
N;検視された遺体は、全員、異常な炭化状態だったとの、検視した医師の証言。(p.187)
P;当夜、東京消防庁が出動可能な準備が整っても、出動要請はされなかった。(p.188)
Q;習志野駐屯地の空挺部隊も、同じ状態に置かれた。(p.189)

 このような記述の読後感は、第一には、昨今も安倍政権下では、事件の握り潰しが行われたと思われていることで、当時は中曽根政権の最中だったこと。(文中には、このほかにも、当日軽井沢に滞在中の中曽根総理が、急報で総理官邸に戻る間に、空白の数十分があったことも記されている。)
 第2は、この書が、きちんとしたマスコミ会社(例えば、大手の新聞社)ではなく、一女性の名前で発行されていることへの疑問。
 この書は、偶然に図書館の書棚で目に入ったが、発行当時に評判になった記憶はない。

様々なメタ(63) メタ表現の絵画 

2022年01月03日 10時18分09秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタ 63   社会学系(15)                                                  TITLE: メタ表現の絵画

 近代までの絵画の多くは、写真の代わりだった。大きな行事や、肖像画がパトロンの下で製作された。しかし、写真の開発と印象派の台頭でそのことは変化した。それ以前には、モナリザのように、画家の謎めいた表現が流行したようだが、近代になると、色々な表現が盛り込まれるようになった。
 その中で、「メタ表現の絵画」を考えてみる。この場合のメタは、「従来の習性にとらわれずに、 視点をできるだけ広げる」である。
 そこで、二つの絵を取り上げたい。スーラの「グランド・ジャネット島の日曜日の午後」とターナーの「雨、蒸気、スピード」の二つだ。この二枚の絵は、当時(現在でも)としては、全く初めての画期的なものだった。しかし、その絵画では、当時の世相や産業技術レベル、社会と自然との関係などが、明確に表現されている。



 中野京子著「名画の謎」(文藝春秋[2013] )には、次のように書かれている。この著者は、ドイツ文学者なのだが、西欧画についての多くの著書があり、この「名画の謎」もシリーズ化されている。副題は、「陰謀の歴史編」で、多くの有名な政争を取り上げた絵画が紹介されている。しかし、ここで注目したのは、第2章の「産業革命とパラソル」だ。対象の絵画は、パリ市の中央にある島の川べりで、多くの人が寛ぐなかで、パラソルをさした数人の女性がたたずんでいる、有名な明るい絵だ。スーラの点描の代表作とされている。
 
 前半は、スーラの半生が述べられている。印象派が台頭してきた時期なのだが、彼の画法は全く認められずに、極貧を極めた。点描画法に執着した彼は、『印象派画家の多くはタッチこそ個性と考えていたし、偶然性や直感を利用した躍動感と色彩、そこから生まれる心象描写を重視していたので、スーラの手法は科学偏重、構図も計算しすぎ、非人間的で没個性、と感じられていたのだろう。』(p.33)とある。
 この絵も、売れる見込みは無く、彼のアトリエで死蔵されていた。しかし、フランスの画商からシカゴのコレクターにわたると、米国で俄かに評判となり、シカゴ美術館の所有になった。フランスが、巨額での買戻しを試みたが断られたとある。そこから、絵画の説明が始まる。「謎」ではなく、画家が何を表現したかであり、そのことは明確に描かれている。つまり、市民革命が成功し、産業革命の恩恵を満喫する、それぞれの階層のパリ市民の姿だ。
 数匹の犬の動き、女性の周りを飛び交う蝶、スカートを翻して駆け出す少女、意味ありげな男女(金持ちと愛人)、ヒモで繋がれた猿(悪徳の象徴)。当時の西欧は、キリスト教のために、ダーウインの進化論(特に、ヒトが猿から進化した)は憤激されていた。そして、沢山のパラソルは、当時新開発された、軽い柄で女性が片手で支えられるものだった。それまでの傘は重く、奴隷が支えて付き従うものだったが、産業革命のよる大量生産で、比較的安価で入手できるようになった。
 つまり、この絵は、たった一枚で、いくつもの当時の社会情勢と産業革命の成果を表している。

 ターナーは、Joseph Mallord William Turner(1775 – 1851)イギリスのロマン主義の画家。写実的な風景画家として、同時代のコンスタンブルと並び称せられることが多い。コンスタンブル展は、Covit-19の合間の昨年(2021)春に、三菱一号館で行われたが、その時もターナーの絵が、比較対象物として展示されていた。
 この展覧会では、ターナーが並んでいるコンスタンブルの絵と比べて、物足りなさを感じて、その場で一筆(確か、赤だったと思う)加えたという逸話が述べられていたから、相当なライバルだったのだろう)

 私が、ターナーに初めて出会ったのは、多分開館間もない上野の西洋美術館の展覧会で、学生時代のことだった(半世紀も前のことなので、記憶が曖昧で間違えかもしれない)。宗教や貴族社会とまったく関係ないイギリスの風絵画が、ヨーロッパの自然主義への回帰を思わせた。
 Rolls Royceとの新型エンジンの共同開発中には、毎年数回ロンドンで過ごす日があったが、必ず訪れるのは、大英博物館とテート美術館だった。テート美術館は、おそらく半分はターナーの絵で、当時はターナー専門の建物を建設中で、訪問の度に新たな部屋に、数枚が移動されていた。
 また、美術館の目の前にはテムズ川の船着き場があり、そこからボートに乗ると、ロンドンの中心部の好きなところで降ろしてもらえるのも、魅力だった。
 ターナーの「雨、蒸気、スピード」という絵は、スーラとは対照的で、色は混ざり合い、何色か判別できないほど混濁している。しかし、タッチは強烈で、まさに「スピード」を表している。蒸気は英国の産業革命の象徴であり、霧雨はイギリス南部を表している。
 
 メタ表現の絵画は、これだけではないのだが、絵画の世界にも「メタ指向」が存在し、それに成功した絵画は、時代の流れと共に名画の部類に属するようになると思う。