生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(15) 第6話 その8

2015年07月30日 10時38分38秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その8)

資本主義以後―科学・人間・社会の未来

最近出版された二つの著書を読み進めると、現代の西欧科学と資本主義により生じている様々な問題の根本的な解決の方向は、西欧と較べて現在でもなお独特であり続ける旧来の日本的文化と一致しているとの考えが深まってゆく。従って、優れた日本文化の文明化のプロセスを導き出すことの重要性を、改めて感じざるを得ない。

1.中谷 巌「資本主義以後の世界」徳間書店(2012.1) KMB391



・「デザイン・イン」という手法の強さ
 日本の自動車メーカーは「デザイン・イン」という手法で日本車の信頼度を高めてきた。これは新車を開発し、市場に投入する時、組み立てメーカーと主要部品メーカーとの間で技術情報を頻繁にやり取りしながら、最新鋭の車を開発してゆくシステムのことである。
企業間の長期的関係がないところではデザイン・インというシステムは成立しない。なぜなら、いつ取引を止めるかもわからない相手に、最新の木密技術情報を開示することはできないからである。(中略)長年そうした暗黙のルールでやってきたのだが、ここ十数年のアメリカからの構造改革要求によってそのような日本的な長所はかなりの程度崩れてしまった。

・中国が体現しているアダム・スミスの「資本主義」
 アダム・スミスの「国富論」の中味を精読すれば、実は西洋の資本主義より中国の市場経済の方がアダム・スミスが理想とした資本主義の姿に近いというのである。アダムスミスが「国富論」の中で考えていた資本主義発展のあるべき姿は、まず農業の生産性を引き上げることからスタートして、国内の社会基盤を整え、徐々に工業化へと進んでゆく。そして余力ができたら、国内の商業、金融を整備し、最後に外国との交易を通じて豊かな社会をつくってゆく。(アングロサクソン型の資本主義は、新大陸の発見 ⇒海外の開拓・投資 ⇒国内の経済の発展、という アダム・スミスの「資本論」とは逆の不自然なもの)

・「文明の転換」という視点
 日本の経済体制はこれまで「異質だ」「閉鎖的だ」「非効率だ」などマイナス・イメージで語られることが多かった。しかし、西洋型資本主義が苦戦するなか、日本の経済社会体制やそれを支える文化や精神風土を再評価する動きも出てきた。日本が西洋諸国から見て異質な体質をもった国だからこそ、西洋主導の資本主義体制に代わる新しい経済社会システムを生み出せるのではないか。

・自らの歴史・文化・伝統を忘れたら生き残れない
 英語を普遍語と見なして公用語化し、自国語を忘れるということは、自国文化の重要性を忘れ去ってしまう恐れがあるということだ。西洋の植民地となり、言語も統一されてしまった南米やアジア・アフリカ諸国が文化的に根なし草となり、もともとあったはずの独自性を喪失したことは歴史の教えるところである。

・「文明の転換」を如何に実践するのか
 少なくとも近代以前の日本人は自然からの「贈与」のありがたみを深く理解していた。「じぶんたちは自然の恵みによって生かされている」という自然に対する感謝の気持ちは、日本人にとって極めて自然な感情であった。(中略)大事なのは、日本が「交換」から「贈与」への「文明の転換」を意識し、資本主義が行き詰った後の「資本主義以後の世界」を主体的に構想してゆくことができるかどうかだ。
         

2.広井良典「ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来」岩波新書(2015.6) KMB403

 この著書を読み進めると、現代の西欧科学と資本主義により生じている様々な問題の根本的な解決の方向は、旧来の日本的文化と一致しているとの考えが深まってゆく。



・読売新聞(H27.7.20)新書論壇の書評(中島隆信)より

 同書は、「資本主義=限りない成長志向」とみなし、成長とは時間の流れを早めることだという。そして。科学の進歩は人類による自然への支配力強化を通じて、短時間でより多くの利益を引き出しことを可能にした。しかし、成長を追求する生き急ぎは、実物経済拡大の潜在力があるうちは持ち堪えられるが、そこを越えると貨幣という非現実世界での拡大へと移行する。貨幣的拡大は格差をもたらし、格差を埋めるためにさらに成長が必要という悪循環に陥るのだ。この連鎖を断ち切るため、広井は時間がゆっくり流れる社会への転換を提言する。人間を共同体に、さらには自然に帰属させてゆくことで時間の流れは緩やかになってゆく。

・近代科学の先にあるもの
 
 自然観や生命観といった次元にさかのぼった上での、これからの新たな科学のありようである。一つの手がかりは、先ほどの近代科学の二つの柱あるいは軸として論じた点についての再考にあるだろう。つまりそれは、
(1)「法則」の追求(背景としての「自然支配」ないし「人間と自然の切断」)
(2)帰納的な合理性(ないし要素還元主義)(背景としての「共同体からの個人の独立」)
という二点だったのだが、この二つの次元に即してごく単純に言うならば、両者について、近代科学が前提としたような方向でないようなありかた、つまり、
(1)については、人間と切断された、かつ単なる支配の対象としての受動的な自然ではなく、人間と相互作用し、かつ何らかの内発性を備えた自然という理解。また、一元的な法則への還元ではなく、対象の多様性や個別性ないし事象の一回性に注目するような把握のあり方。
(2)については、個人ないし個体を共同体(ないし他者との)関係性においてとらえるとともに、世代間の継承性(generativity)を含む長い時間軸の中で位置付けるような理解。また要素還元主義ではなく、要素間の連環や全体性に注目するような把握のあり方。と呼べるような科学の方向が、一つの可能性として浮かび上がってくる。

・日本の位置と現在

 日本においては、(工業化を通じた)高度成長期の成功体験が鮮烈であったため、「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という発想から(団塊の世代などを中心に)抜け出せず、人と人との関係や労働のあり方、東京―地方の関係、税や公共性への意識、ひいては国際関係(「アメリカー日本―アジア」という序列意識など)等々、あらゆる面において旧来型の世界観を引きずっているという点が挙げられる。

 若干誇張して言うならば、地震研究など現代の科学が行う地震予知や警告に従うよりは、「何かあったらできるだけ早く近くの神社仏閣へ行け」という古くからの素朴な戒めを遵守した方が、津波の被害は少なかった可能性があるとも言える。
ちなみに、上記の熊谷は纏めの文章で次のように述べている。「報道等でも周知のとおり、このような規模の津波被害は数百~数千年周期で起こっていたことが科学研究からわかってきている。では、千年後に伝えられる防災とは、なにか?今回の津波被害を経て、防災体制や防災教育がみなおされはじめているが、はたして先年後の社会にまでいきつづけることができるのだろうか

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(14) 第6話 その7

2015年07月29日 08時19分52秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その7)
文明の衝突

 「文明の衝突」という言葉はあまりにも有名で、著書の紹介では省いたのだが、改めて二人の著書を紹介したい。人類発生以来の文明にまで思考を広げると、状況は正反対の結果を導く可能性もある。同じ「文明の衝突」という言葉を使った、欧米流と日本流の思考の展開を比較した。

 1.サミュエル・ハンチントン著「文明の衝突」集英社1998.6(KMB1008)
 
20世紀から21世紀に向かって、巨大イデオロギーの対立から次の文明のあり方について解説をした伝説的な名著。初出は、1993.7の「フォーリン・アフェアーズ」誌だったが、反響が大きく、1996.11に「The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order」の題名で出版された。「文明の衝突」とは、衝撃的で名訳なのだが、ClashとかRemakingとは、ニュアンスが異なり、特に原題の「Remaking」の意図が伝わってこない。
 ここでは、日本文明に関する事柄に注目するが、日本自身にもかなり問題があることが分かってくる。



・日本語への序文
 第一に、この五年の多くの事態の推移から裏付けられることは、世界政治における文化・文明的なアプローチが妥当かつ有用だということである。(中略)第二の重要な進展は、異なった文明に属するグループのあいだの衝突を阻止し、封じ込める必要性に対する認識が高まっていることである。

日本が明らかに前世紀に近代化を遂げた一方で、日本の文明と文化は西欧のそれとは異なったままである。日本は近代化されたが、西欧にはならなかった。(中略)日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接につながりをもたない。(中略)日本は、現在アメリカとイギリス、フランスとドイツ、ロシアとギリシャ、中国とシンガポールの間に存在するような、緊密な文化的パートナーシップを結べないのである。そのために、日本は他国との関係は文化的な紐帯ではなく、安全保障および経済的な利害によって形成されることになる。(1998.5)

・西欧の力:支配と衰退
第一に、進行がゆっくりしていること。(地位を築くまでに400年、衰退にはおなじ時間)
第二に、衰退は直線的に起こるものではない。(その過程は極めて不規則、止まったり逆行)
第三に、力とは、個人あるいは集団が他の個人あるいは集団の行動を変えさせる能力のことである。(行動は、誘導、威圧、説得のいずれかによって帰ることができるが、その為には力を行使する国が、経済、軍事、制度、人口動態、政治、科学技術、社会などの面で必要な力をそなえていなければならない)

・西欧の再生はなすか?
第一に、西欧文明はそれだけで一類をなす新種で、これまでに存在した他の全ての文明と比較のしようがないほど異なっているだろうか?
第二に、それが世界的に拡大することは、他の全ての文明が発展する可能性をなくすおそれ(あるいは望み)があるのだろうか?
多くの西欧人の気持ちとしては、当然、イエスと答えたいところである。そして、おそらくそれも正しいかもしれない。だが、過去に他の文明の人たちが同じような考えをいだき、その答えは誤っていた。
 経済や人口統計よりもずっと重要な意味をもつものは、西欧における道徳心の低下、文化的な自殺行為、政治的な不統一である。

・来るべき時代の文明間の戦争を避けるには、第一に・・(中略)そして第三に普遍主義を放棄して文明の多様性を受け入れ、そのうえであらゆる文化に見出される人間の「普遍的な性質」、つまり共通性を追求してゆくことが必要。(中略)世界中の人々が同時に同じ映像を見ても、それぞれの文明の価値観によって異なる解釈をする。


2.崎谷 満、「DNAでたどる日本人10万年の旅」昭和堂(2008.1) KMB401

ミトコンドリアDNAとY染色体の亜型の詳細解析とビックデータのおかげで、人類がアフリカで進化するたびに全世界に拡散していった歴史が、急速に明らかになり始めた。アダムと、第2のアダムというモデルの存在などは、すでに広く認知されたと言っても過言ではなさそうに思う。この著者は、その先鞭を開いた京都大学の研究室で博士課程を修了した方で、まさにその正当派といえよう。
文化と文明の観点からのこの著書は、日本文化と日本文明を考える上での基本的な大著とも云えるのではないだろうか。それは、P82に表された「表2-2」に集約されている。
 ここ著書に示される人類10万年の歴史から見ると、文明の衝突が日本国内でも既に始まっていることが分かってくる。



・日本列島では維持できた高いDNA多様性
 日本列島へは、後期旧石器時代にC3系統、O系統のヒトの集団(移動性狩猟文化)が、新石器時代にはD2系統(縄文文化)、C1系統(貝文文化)およびN系統のヒト集団が、金属器以降にはO2b系統・O2a系統のヒト集団(長江文明)、またその他、O3系統(O3e系統は黄河文明と関連)、O1系統(オーストロシア系)などの集団が渡ってきて、現在までもその集団を維持している。このように日本列島は非常にDNA多型性が高い地域である。それもかなり遠隔なヒト集団が現在も共存している世界的に珍しい地域である。
(世界の他の地域では、民族移動の度に虐殺や追放・逃走が起こり、先住民族がその地に留まることは少なかった。日本に全ての先住民族が集団として残った理由は後に述べられている。)

日本列島には東アジアの古い歴史に関わる貴重な人びとが今でもそのDNAを保存することができたこと、時代ごとに東アジアの変動を表すヒト集団の避難場所として古いものから新しいものまで重層したヒト集団の複雑な構造を示していることなどの点で、日本列島は貴重な地域であるものと考えることができる。

・日本列島におけるDNA多様性維持の諸条件
 第一に、この日本列島は気候が温暖で降雨量が多く、暖温帯林および冷温帯林の豊かな植物相を提供している。
 第二に、日本列島周囲には暖流や寒流などによるプランクトンの豊かな海があり、新石器時代に導入されて漁労技術により、・・・
 第三に、このような豊かな環境要因が、低い人口密度であれば、大きな争いがなくても人びとが安定的に生存を可能にした・・・
 第四に、金属器時代(弥生時代)以降になり、ユーラシア東部の混乱により難民化した人びとが日本列島に渡ってきたが、最近の研究では少数の人々が数次にわたり少しずつ移動したことが推定されている。

・日本列島における多様性維持の意義、支配の原理から共生の原理へ
 この100年ほどの短い間にこの日本列島では言語的文化的多様性が急激に失われてきた。その同化の圧力は、国内では東京文化圏に基礎をもつ中央集権的国家による支配、また国際的には世界的ヘゲモニーを持つ欧米の文明圏による支配、という2重構造になっている。このような特定の文化圏による世界的な支配の原理、およびそれに内包される同化の原理は、世界各地でさまざまな文明圏・文化圏のあつれきを生じさせている。このような原理が勢いを増している21世紀は「文明の衝突」の世紀として特徴づけられる。(「  」は追加した)
    


3.崎谷 満「DNAが解き明かす日本人の系譜」勉誠出版(2005.8) KMB405


前出の3年前に発行された著書。Y染色体の亜型分類表とミトコンドリアDNAの亜型分類表により、人類発生以来のヒト集団の移動の歴史が全世界に亘ってほぼ全て系統的に説明がされている。



・A系統、B系統
 人類発祥の地アフリカには、Y染色体亜型の中では最も古い系統であるA系統とB系統がいずれもみられる。そしてA系統とB系統は他の地域では見られないため、アフリカに留まった集団だと考えられる。これに対してアフリカを出て全世界に広がっていったグループ(出アフリカグループ)は、C系統、DE系統、FR系統の3大系統に分類できる。

・ミトコンドリアDNAの亜型の最近共通祖先年代の推定値の表
 (表の一部を紹介すると)
 A亜型  32,300年前  標準偏差は7,600年
 C亜型  28,300年前  標準偏差は5,500年
L2亜型  91,100年前  標準偏差は11,800年

(今後のデータで標準偏差が縮小されると、人類の世界への広がり方の推定と、旧約聖書の話や歴史的な事実との合致などが明らかになってゆくと思う。それにより、最も古い人類の文化がどのように世界各地に残されているかと云った、文化に対する世界観が変わってくると考えられる。例えば、日本の神社の建築様式が中国奥地の民家と似ていることは知られているが、同じ亜型の民族であることが期待できる。日本各地の神社や伝説や祭りなどが、アフリカから日本列島に至るまでの道筋に見つかり、それがDNAで関連付けられれば、新たな国際関係と文化の結合が期待される。)



メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(13) 番外1

2015年07月28日 10時52分12秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
優れた日本文化の文明化のプロセス(番外1)

鰹節
和食文化が海外進出を続けているが、まだ独特の文化に留まっている。既に世界文明の地位を得ている、中華、フレンチ、イタリアンなどと較べると、どのようなところに不合理なことが潜んでいるかを考えざるを得ない。食材の新鮮さや、特殊な盛り付け、器との相性など数々あると思われるが、最近のニュースで注目をされたのが、「鰹節」だった。
懐石料理はともかく、ポピュラーな一般の和定食には味噌汁がつきものなのだが、ヨーロッパの味噌汁は全く出汁の味がしないそうだ。原因は簡単で、EU全域で鰹節が輸入禁止になっていることのようだ。その理由は定かではないのだが、安部首相の談話では、「カビ」と言われ、ニュース解説では「焦げ」だそうだ。どちらもありそうなことなのだが、鰹節が、日本と原産地のモルジブの二か国でしか一般的な食材になっていないことに真の原因がありそうだ。鰹節は、味噌や納豆などと較べると、欧米人には受け入れやすいと思うのだが、現実は全く違っている。そこで、文明化のプロセスが必要になる。
先日のTV番組は、「フランスに鰹節製造工場をつくる」というもので、日本の老舗(枕崎)が開業を決意したとあった。1日1トンの鰹節製造が当面の目標だそうで、UE全体で約5000店舗の日本料理店が当面のマーケットだと報じていた。EU域内での生産物であれば、輸出入の問題はないわけで、さらに関税もかからず、流通でも有利になる。輸出に拘らずに、思い切って製造工場を建ててしまうことは、米国内での日本酒や醤油の経験があるわけで、色々な基本食材にこのプロセスを発展させることが、文化の文明化へのプロセスの一つになると考える。
輸入禁止製品を、その地域内で生産するための工場を建設するということは、相当なリスクが伴うが、将来性については、国内生産の一部を変更して輸出に拘るよりは、現地生産の方が格段に大きくなるし、安定したマーケットも得ることができる。

フランス産かつお節誕生へ 来夏、枕崎から出資で新工場
www.asahi.com/articles/ASG7K52K1G7KUHBI01H.html


メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(12) 第6話(その6)

2015年07月16日 09時26分13秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(12)
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その6)


2010年代の文化と文明に関する著書                                                                
2010年代に発行された文化と文明に関する著書と記事を12件列挙します。

西欧発の現代科学・技術文明に関する否定的な議論が様々な視点から展開された。それらは、歴史から見ると、我々が優れた文明と思っている現在の状況が、マヤやローマ帝国の文明の衰退から消滅までのプロセスにあまりにも類似しているという結論に至っている。
 例えば、「社会が柔軟性と多様性を失って、硬直化・脆弱化していた専門分化された知をどんなに深めていっても、横につながらなければ意味をなさない」(文献1)、「専門分化という危険により、ローマは崩壊以前に衰退していた。経済的な複雑さのおかげで、人びとは大量生産された物品(しかも高品質)を入手できるようになった。」(文献11)、などに表されている。

 一方で、本当に西欧が優れているのだろうか、と云った疑問が、いくつかの歴史上の事実からの反証として挙げられている。例えば、匈奴などの騎馬民族の文化と、漢民族の農耕文明の比較において、
「いったん砂漠になれば、もとの草原には決してもどらない。」文明的な行為であるとした耕作が、草原地帯では砂漠の拡大につながることを明確にしめしていることである。」(文献4)とか、今回の文明の基礎となった西欧のルネッサンスについて、「西欧がイスラムの学術を吸収し始めるのは、アラビアから遠く離れたイベリア半島においてである。(中略)レコンキスタがイベリア半島の中ほどに達した12世紀、ヨーロッパ人の中からイスラムのアラビア語文献を次々にラテン語に訳してゆく人たちが現れ、西欧は「大翻訳時代」に突入する。これは、15~16世紀のルネサンスに、知的には勝るとも劣らない歴史的転換点だった。かれらがイスラム世界から知識を吸収して西欧の学術の背骨をつくり、それが17世紀の科学革命へとつながった。」「かれらがイスラム世界から知識を吸収して西欧の学術の背骨をつくり、それが17世紀の科学革命へとつながった。デカルト、ガリレオ、ニュートンの時代になって初めて、西欧が世界を指導するようになった。この歴史的事実を、今のイスラム世界は知っている。しかし、西欧社会は認めず、西欧の見方をうのみにする国の人々は知らないままだ。これは、イスラム側にとっては大きな屈辱だ。」(文献12)などです。

 つまるところ、現代のスーパーミーム「広く浸透し、強固に根付いた信念、思考、行動で、他の信念や行動を汚染したり、抑圧したりするもの。」(文献10)を、「徹底的に超領域的(trans-disciplinary)に、しかも現代文明のなかで苦闘する全ての人々と連帯する」(文献4)という態度で先ずは潜在する課題のMiningというプロセスが見えてきました。



1.姜尚中「大学の理念と改革」中央公論2011 (KMB221)

・「想定外の背景にある社会の硬直化・脆弱化」
3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故から明らかになったのは、日本の社会が柔軟性と多様性を失って、硬直化・脆弱化していたということです。これを端的に表しているのが「想定外」という言葉です。これには諸外国も驚いたはずです。日本のように最先端の技術を誇る成熟した社会が、如何に未曾有の災害であるとはいえ、想定されない事態にうまく対応できなかったわけですから。

・専門家の見解に懐疑や不信感を抱いて違った行動を起こす。一方、専門家は非専門化が無知蒙昧ゆえに理解しないのだと非難する。専門分化された知をどんなに深めていっても、横につながらなければ意味をなさないのです。新しい発見をしたりモデルを開発したりする知とは別に、それが人間社会にどのような影響を与えるかを考え、その良否を判断する知が必要です。これは主に哲学や人文科学が担ってきた領域です。


2.春秋コラム「文化と文明のちがい」日経新聞2011.4.24

・文化と文明の違いを、画家の安野光雅さんが「文化は方言のように範囲が限られているが、文明は標準語のように普遍性がある」と語っている。

・印刷された画集で名画を見るのは文明であって文化ではない。文化に接するには、ルーブル美術館ならルーブルまで行って見なければならない。

・震災からの復旧とは、多かれ少なかれ、失われてしまった文化を文明によって埋め合わせてゆく作業だ。空っぽになった額縁にとりあえず複製の絵をはめ込んでいくように。


3.川勝平太「鎖国と資本主義」藤原書店(2012)KMB354



・はしがき
 世界史において最初に資本主義を確立させたのは、西洋ではイギリスであり、東洋では日本である。
双方の資本主義はともにアジアの海という共通の母胎から生まれたのである。
中世から近世への移行期における海洋アジアを共有した。
 イギリス資本主義では資本家が経営をしたが、日本資本主義では経営者が資本を運用した。
イギリスで経営が所有から分離するのは、日本よりも三世紀余り遅れ、20世紀になってからである。

・開国後に西欧経済に蹂躙されなかった秘密
 つまり、まともな競争にさらされる条件をもっていたということであり、イギリス製品の市場になってしまう危機の度合いがたかかったということである。そうならなかったのは、扱う商品は似ていても物の使用価値(品質や用途)が違っていたからです。社会の衣食住を支える物の集合を「社会の物産複合」呼びます。


4.比較文明学会30周年記念出版編集委員会「文明の未来―いま。あらためて比較文明学の視点から」東海大学出版会(2014) KMB039



・比較文明学会の設立趣意書
今日、われわれは、一つの宇宙船(地球号)遊曳のなかで生きつづけ、世界文明の形成というあらたな段階へ前進しようとしている。それだけに国際関係論および平和研究はいうにおよばず、科学、思想、芸術、宗教などすべての比較学の営為を集結して、過去・現在・未来へとわたる諸文明の構造や接触・変動を比較研究し、世界文明形成の一翼をになう運動に主体的にかかわってゆくことが求められる。その意味において、学際的(interdisciplinary)であるどころか、徹底的に超領域的(trans-disciplinary)に、しかも現代文明のなかで苦闘する全ての人々と連帯するために、開かれた学会として運営されることを目ざさなければならない。

・序文 文明の未来を問う 伊東俊太郎
 まず第一に、文明の未来について考えるべきことは、科学技術の進路変更ということである。これはとくに3.11の東日本大震災における原発事故に象徴的に示されたような危機から脱出せねばならないとういことである。17世紀の「科学革命」において、近代科学が成立したときに、デカルトやガリレオが、その著作を当時の学会語ラテン語ではなく、フランス語やイタリア語で書いたのは、この新科学を市民との対話の上でつくり上げてゆくという意図をもっていたからだ。
 従来の科学的知識には、真か偽かという評価基準しかなかった。しかし今やそれが健全であるか不健全であるか、すなわち我々が生きる地球という生命体を保全するものであるかどうかが重要な評価基準となる。このことは科学を現実生活に応用する技術については、いっそう強く云える。

・司馬遼太郎の文明観―古代から未来への視野 高橋誠一郎
 「匈奴などの騎馬民族はみずからの歴史を書くことがまずなかったため、彼らの南下と侵略が悪として中国史に書かれてきた」「遊牧の適地である草原というのは、元来、地面が固いので、農民が鍬を突っ込んで固い表土を掘り返し、やわらかい畑」「掘り返された土はすぐ乾き、風がそれをふきとばして、砂漠になってしまうのである。いったん砂漠になれば、もとの草原には決してもどらない。」文明的な行為であるとした耕作が、草原地帯では砂漠の拡大につながることを明確にしめしていることである。


5.科学技術研究開発センター「科学技術と知の精神文化Ⅱ」丸善プラネット(2011)KMB198



・文明とよばれるには、文化にプラスアルファとなる「X」がなければならないのではないでしょうか。この「X」が、工業化や民主化のようなヨーロッパ近代の社会組織に係わるものとすれば、古代エジプト文明も、古代ローマ文明も、古代中国文明も、メソポタミヤ文明も、「文明」と呼ばれなくなるはずです。(中略)では、civilizerあるいはcivilizeという動詞、つまり「市民化する」とか、もう少し別の意味を用いれば「都市化する」と云う言葉は、どういう成立過程があったのでしょう。(中略)すると、先ほどの「X」にあたるものはどういうものになるのでしょうか。「文化」になにがプラスされれば「文明」とよばれるようになるのでしょうか。私の仮説では、自然に対する攻撃的な支配が文明のもつ一つの特徴になると思います。つまり、自然を自然のままほおっておくのはむしろ悪であり、人間が徹底して自然を管理したり、矯正したりすべきという考え方が「X」に来るわけです。


6.加藤尚武、「災害論―安全工学への疑問」世界思想社(2011)



・まえがき
学問と学問の間の接触点に入り込んで問題点を探し出す仕事を、昔は、大哲学者がすべての学問をすっぽりと包み込む体系を用意してその中で済ませてきたが、現代では、「すべての学問をすっぽりと包み込む体系」を作らずに、それぞれの学問の前提や歴史的な発展段階の違いや学者集団の特徴を考え、人間社会にとって重要な問題について国民的な合意形成が理性的に行われる条件を追求しなければならない。それが現代における哲学の使命である。
 


8.大阪大学イノベーションセンター監修「サステイナビリチー・サイエンスを拓く」(2011)



・オントロジー工学によるサステイナビリティー知識の構造化
オントロジィーの重要な役割は、知識の背景にある暗黙的な情報を明示するという点にある。(以下略)社会のビジョン(マクロ)と、個々の科学技術シーズ(ミクロ)を効果的につなぎ合わせるための理論的・実践的研究、すなわちメゾ(中間)領域研究の開拓である。(中略)学術的に見ても、このメゾ領域を対象とした理論的研究は未開拓であり、ビジョンと科学技術シーズを有機的につなぐための学術領域を発展させることが求められるのである。


9.ドミニク・テュルパン/高津 尚志「なぜ、日本企業は「グローバル化」でつまずくのか」、日本経済新聞出版社(2012)



・評者 内山 悟志が、日経コンピュータ 2012年7月5日号で述べた書評より
「日本の驚異的な成長に学びたい」──。そんな思いを抱き1980年代に来日したテュルパン氏は、その後の日本の凋落ぶりも内と外から見てきた。IMDが毎年発表する世界競争力ランキングで、日本は1980年代半ばから1992年まで首位を保っていたが、最新の2011年調査では59カ国中26位まで順位を下げている。その過程で自信を失ったためか、多くの日本企業が中国やインド、ブラジルなど新興国への進出で立ち遅れたと指摘する。
 著者はこの凋落ぶりの原因を、過度な品質へのこだわりやモノづくり偏重による視野狭窄、地球規模での長期戦略の曖昧さなどにあると分析する。根源には異文化に対する日本人の理解力不足があり、打開するには真のグローバル人材の育成が急務だと警鐘を鳴らす。
 スイスのネスレや米GEなどのグローバル人材育成の先進事例とともに、既に中国やブラジルなど新興国の企業でも人材育成に多大な資金と労力を投じている事実を紹介している。
著者はこれらの事例を踏まえ、日本企業が取り組むべき人材育成策を次のようにまとめている。人事異動をもっと効果的に使う、幹部教育を手厚くする、外国人も人材育成の対象にする、英語とともにコミュニケーションの型を学ぶ、海外ビジネススクールを有効に活用する、の5点である。特に「人材育成に国籍の区別はない」との考え方には強く共感した。日本人だけを集めて研修したり、特定の日本人を海外に赴任させたりするだけでは、本当の意味で多様性は芽生えない。異文化を理解する力は、様々な国や地域の多様な人材と共に学び、切磋琢磨するなかで育まれるものだ。
当時(1980から1990年代前半)、日本の企業の多くはもう海外から学ぶものは無いという態度が強く見受けられました。どの企業も自信に満ちあふれ、どこかしら傲慢な雰囲気も漂っていた。結果的に日本企業は、工場管理に「よい常識」を持ちこんで非ホワイトカラーのマネジメントには成功したものの、それ以上の成果を出すことはできませんでした。さらにもっと苦手なのがダイバーシティー(多様性)のマネジメントでした。いまだに男女平等とは言えず、マイノリティー(少数派)の採用や活用には消極的です。(中略)東洋と西洋の間の難しい異文化マネジメントをも相互理解に努めることで乗り越えようとしています。中国は急速学んでおり、今後十年間で世界経済において確たる地位を占めるであろうことは言うまでもありません。
著者は、自分以外の他者や異文化に心を開くこと、加えて、共感性(Empathy)を養い、おもいやり(Sympathy)をもって他を尊重することが不可欠と断じています。一見当たり前のことのようですが、実際に日本のエンジニアは、業務の遂行にあたって、或いは新製品の開発に際してそのような心持を持っていたでしょうか、おおいに疑問です。この様なことから筆者は、日本語での「グローバル化」とか、「グローバル人材育成」といった表現に疑問を呈しています。安易にカタカナにせずに、正確に「全地球的」とか「全地球的人材」という表現だと、もっと広範囲な思考に至るのではと指摘をしています。その意味において、日本企業のグローバル化におけるつまずきの原因を以下のように挙げているのです。
① もはや競争優位ではない「高品質」にこだわり続けた
② 生態系の構築が肝心なのにモノしか見てこなかった
③ 地球規模の長期戦略が曖昧で、取り組みが遅れた
④ 生産現場以外のマネジメントがうまくできなかった


10.レベッカ・コスタ「文明はなぜ崩壊するのか」原書房(2012)



・なぜ文明は螺旋状を描いて落ちてゆくのか
そもそも生存の可能性を高めるためには、生物の複雑性と環境の複雑さはあらゆる面で釣り合っていなければならない。
複雑な環境とは、正しい選択をしないと成功できない環境のことである。誤った選択肢が沢山あり、正しい選択肢がほんの少ししなない状況では、正しい選択肢を見つけないと成功はおぼつかない。

・マヤ末期を襲った難問―気候変動、内情不穏、深刻な食糧不足、急速に蔓延するウイルス、人口爆発―が複雑すぎて、人々は事実を把握して分析し、対応策を練って実行することができなくなったといえる。このように問題が深刻で複雑になるあまり、社会が対応策を「考えられなくなる」限界は認知閾と呼ばれる。社会が認知閾に達してしまうと、問題は未解決のまま次の世代に先送りされる。それを繰り返すうちに歯車が外れてしまうのだ。これが文明の崩壊のほんとうの原因だ。

・ミームからスーパーミームへ、スーパーミームの君臨
スーパーミームとはー広く浸透し、強固に根付いた信念、思考、行動で、他の信念や行動を汚染したり、抑圧したりするもの。
①反対という名の思考停止、②個人への責任転嫁、③関係のこじつけ、④サイロ思考、⑤行き過ぎた経済偏重

・不合理な世界で見つけ出す合理的な解決策
・ひらめきを呼び起こす


11.南雲泰輔訳「ローマ帝国の崩壊、文明が終わるということ」白水社(2014) KMB381



原本はBryan Perking「The Fall of Rome and End of Civilization」Oxford Univ. Press(2006)

・スコットランドの歴史家ウイリアム・ロバートソンは、1770年にこのような見かたを実に力強く述べている。その言葉は、広く通用してきた「暗黒時代」のイメージを喚起させるものである。
 新しい征服地に番族諸国家が定着して一世紀の経たぬうちに、ローマ人がヨーロッパ中に広めた知性と教養と教育の影響力はほとんどすべて失われた。贅沢に仕え、また贅沢によって支えられてもいた優雅な技術のみならず、それなくしては生活が快適であるとはほとんど考えられぬ、数多くの有用な技術もまた、顧みられず、あるいは失われた。

・ローマは崩壊以前に衰退していた
 公私の富のかなりの部分が慈善と献身というもっともらしい要求のために聖別され、兵士らの給料に充てるべき金銭は、禁欲と貞操の美徳を説く以外に能のない、役にも立たぬ大勢の男女の上に浪費された。

・ローマ経済の所産
 ローマ人は日用品を含む物品を、きわめて高品質、しかも莫大な量で生産した。そして、それらを社会のあらゆる階層に広く普及させた。これらの日常生活のささやかな諸側面について詳しく記述した証拠はほんのわずかしか残っていないので、かつては、生産地から離れて遠くまで運ばれるような物品は殆ど無く、ローマ時代の経済的複雑さは国家の需要と支配者層の気まぐれを満たすために存在し、社会の大多数にはほとんど影響することはなかった、と考えられていた。しかし、・・(中略)ローマ陶器の三つの特徴は並外れているうえ、西方においてはその後何世紀ものあいだ存在しなかったものである。第一に、すばらしい質と相当に統一された規格。第二に、はなはだしい生産量。第三に、広く普及したこと。これは地理的だけでなく、社会的にもあてはまる。私が最もよく知っているローマ世界の地域、すなわちイタリア中央部・北部においては、この洗練の水準は、ローマ世界が終焉を迎えたのち、約八百年後、すなわち十四世紀までおそらく再び目にすることはないものである。

・専門分化という危険
 経済的な複雑さのおかげで、人びとは大量生産された物品を入手できるようになった。そのために自分が必要とする品物の多くを、ときには何百マイルも離れた場所で働く専門家なり準専門家なりに依存するようになった。(中略)現代の西洋世界と比較すれば、ことは明白かつ重要である。複雑さの点では明らかに、古代経済は二十一世紀の発展した世界経済とは比較にならない。私たちの生活は細分化され、高度に専門化された世界経済にわずかな貢献をしている。そして、需要については、世界中に散らばった、それぞれ自分自身のささいな仕事をしている何千何万という他の人びとに、全面的に依存している。緊急のときでさえ、地元のみだは自分たちの必要を満たすことは事実上不可能だろう。(中略)帝国の終焉に際して起こった経済的崩壊の激震は、ほぼ間違いなくこの専門分化の直接的な結果であった。

・この最善なる可能世界において、あらゆる物事はみな最善のか
 ローマ帝国の終焉は、じぶんなら絶対に遭遇したくない類の、恐怖と混乱の経験だった。しょしてそれは複雑な文明を崩壊し、西方の住民たちを、先史時代の典型的な生活水準まで戻した。崩壊以前のローマの人たちは、今日の私たちと同様、彼らの生活が、実質的には変わりなく永遠に続くであろうと疑いもしなかった。彼らは間違っていた。彼らの独善を繰り返さないよう、私たちは賢明でありたいものである。


12.伊東俊太郎「歴史を動かした12世紀ルネサンス」毎日新聞出版、週刊エコノミスト (2015.6.2)

・現在のヨーロッパ史を読むと、ある歴史上の重要な局面が消されている。それは、イスラム世界が西欧文明の成立に重要な役割を果たしたという事実だ。

・4世紀末にローマ帝国が分裂した時、ギリシャ学術の95%は西のローマにはゆかず、東のビザンツ帝国へ行った。その理由はいくつかあるが、一つはローマ人が非常に実践的な民族だったことだ。ローマの政治家のキケロが、「純粋科学に頭脳を浪費してはならない」と言ったように、ローマ人は土木工事などを重視した半面、純粋科学を尊重しなかった。

・5世紀に、(中略)現在のシリア付近に移り住んだネストリウス派の人々は、シリア語で神学の講義を始めた。当時の進学には自然学、つまり科学も含まれた。その結果、5~7世紀にかけて、ギリシャのさまざまな科学文献がシリア語に翻訳された。

・イスラム王朝(ウマイヤ王朝)に次いで興ったアッバース朝でも、ギリシャ学術の吸収が進んだ、主とバクダットでは、(中略)こうしてシリア・ヘレニズムの土壌の上に、アラビア学術が大いに振興される「アラビア・ルネサンス」が起こった。(中略)フナインは意味をくんだ上でアラビア語の構文に変えた。これは福沢諭吉や西周が西欧文献の意味を理解して日本語に置き換えていったのと同様、見事な作業だった。

・西欧がイスラムの学術を吸収し始めるのは、アラビアから遠く離れたイベリア半島においてである。(中略)レコンキスタがイベリア半島の中ほどに達した12世紀、ヨーロッパ人の中からイスラムのアラビア語文献を次々にラテン語に訳してゆく人たちが現れ、西欧は「大翻訳時代」に突入する。これは、15~16世紀のルネサンスに、知的には勝るとも劣らない歴史的転換点だった。

・かれらがイスラム世界から知識を吸収して西欧の学術の背骨をつくり、それが17世紀の科学革命へとつながった。デカルト、ガリレオ、ニュートンの時代になって初めて、西欧が世界を指導するようになった。この歴史的事実を、今のイスラム世界は知っている。しかし、西欧社会は認めず、西欧の見方をうのみにする国の人々は知らないままだ。これは、イスラム側にとっては大きな屈辱だ。

    

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(11) その5

2015年07月14日 13時54分27秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その5)

2000年代の文化と文明に関する著書
2000年代に発行された文化と文明に関する13件の著書を列挙します。

 この時代になると、インターネットの急速な普及により様々な専門家による多様な文明批判が交わされ始めた。その反面、情報の氾濫と、それをコントロールするアーキテクチャのあり方など、問題点も続出。
「レッシングは憲法学者として、物事を設計するための設計が存在することを指摘する。」(文献3)とか、「それはあたかも近代の合理主義への懐疑から、もう一度非合理的なものを見直そうという動向に合致したものであった。」(文献4)などの表現が続出し始めた。

この時期からは、「メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立」いう命題を設定した経緯とも関係が深まるので、文章の引用だけではなく、メタエンジニアリング的な感想やコメントを追加することにしました。特に、「物事を設計するための設計が存在する」(文献3)とは、エンジニアリングに対するメタエンジニアリングの位置を示したものにも捉える事ができるのです。
更に、比較文明学から導かれた、「正確には、真だけでは不十分、真と善だけでも不十分、真・善・美の三位一体を備えたものであってはじめて文明に値するということである」(文献5)との結論は、真=自然科学、善=哲学、美=芸術と大胆に置き換えると、その合体により新たなもの創造することは、まさにメタエンジニアリングの基本機能となっている。

また、西欧のルネッサンスが現代文明の基になったとのことから「ガリレオは学者であると同時に職人(技術者)だった。デカルト、ダビンチも同じ、知識人がものに触れていた。職人的伝統と学者的伝統が市民社会で結合した」(文献5)との説には、現代の科学・技術の極端な専門分化と、原子力村という表現の如き、明らかな市民生活との乖離への反省をともなう、ルネッサンスへの回帰が次の文明へのプロセスであることを暗示している。


1.藤原正彦「この国のけじめ」文芸春秋2006 (MMB219)

・「情報軽視、お人好しの日本の悲劇」
ところが近代となり、日本が生き馬の目を抜くような国際社会に投げ出されると、これが国益を大いに損ねる原因となった。現実よりも精神を上位におく、という民族的美徳が、強固な精神さえあれば現実を変えうる、何事もなしうる、という精神原理主義に飛躍したのである。そして、信じたくない現実には目をつぶり、信じたくない情報には耳をふさぐ、という態度にまでつながった。世界は自分や国益のことしか考えない小人ばかりだから、当然つけいられることとなった。


2.藤原正彦「藤原正彦の日本国民に告ぐ」文芸春秋(2001.7)

「一学究の救国論」との副題で始まるこの寄稿は、26頁およぶ長いもので、中間には彼のかなり右傾化した考えが一方的に主張されており、全面的には共感できないのだが、彼の日本文化に対する洞察は、著書の「国民の品格」に示されたように定評が高いので、その部分に限って引用し、メタエンジニアリング的な感想を付け加えてみよう。
冒頭は、次の文章で始まる。

・日本が危機に立たされている。何もかもがうまくゆかなくなっている。経済に目を向けると、・・・、政治に目を向ければ相変わらずの・・・、自国の防衛さえ、・・・、
・全文の構成は次のように組まれている。
「誰もがモラルを失いつつある国」  (  )は、本論と関係が薄い部分。
・独立文明を築いた日本
・現代知識人の本能的自己防衛
     ・外国人を魅了した日本文化の美徳とは何か
    (・アメリカによる巧妙な属国化戦略)
    (・魂を空洞化した言論統制)
    (・法的な根拠を欠くアメリカの言い分)
    (・二つの戦争は日本の侵略だったか)
    (・事実上の宣戦布告だったハル・ノート)
    (・独立自尊のための戦争は不可避だった)
     ・日本が追求した穏やかで平等な社会
・日本文化が持つ普遍的価値
・「過去との断絶」「誇り」を回復せよ


3.宮台真司「21世紀の現実―社会学の挑戦」ミネルヴァ書房2004 (KMB076)



・「インターネット技術の文化的前提」
「所有」が個人に紐づけられる資本主義社会を前提として生きてきた人にとっては、コンピュータやプログラムはコミュニティーの所有物であるという感覚は新鮮なものだったのかもしれない。
こうしたコミュニティーへの貢献のためにプログラムソースを改編する人たちが、いわゆる「ハッカー」であった。今ではコンピュータに不正に侵入して悪さをする人だと捉えられがちだが、普通はそういう人たちのことは「クラッカー」という。

・インターネットとコンピュータがあらゆるものごとの中心に据えられるようになってきた社会では、OSやソフトウエアは単なる商品ではなく、公的なサービスのインフラとして機能するからだ。ということは、例えば行政サービスに商用のあるソフトウエアを採用することで寡占状態が発生するだけでなく、サービスそのものが一企業の裁量に任されるという事態を呼び起こしかねない。

・「アーキテクチャと設計の思想」
レッシグによれば、個人の振る舞いをコントロールする手法は4つあるそれが「規範」「法」「市場」「アーキテクチャ」である。アーキテクチャによるコントロールとは、個人ではなく個人の環境を設定することで間接的に個人の振る舞いを規制する手段である。
レッシグが問題と考えるのは以下の2点だ。アーキテクチャによるコントロールはそれに従うものにとって意識されにくく、「コントロールされている」という不自由感を味わうことが少ないということ。これはアーキテクチャをいじればユーザーに気付かれることのないままコードの記述者の思い通りにユーザーをコントロールできるということを意味する。第2の問題点は、現実の社会の基幹的な部分にネットやコンピュータが入り込んでくると、ネットの外でさえもコードの記述の仕方によって完全にコントロール可能になってしまうことだ。

・「設計の思想、選択すべき価値の不在」
絶望的なかかる状態に対してレッシングが考える処方箋は「設計の思想を問う」というものだ。レッシングは憲法学者として、物事を設計するための設計が存在することを指摘する。例えば、憲法であれば、その意義は国民に対する義務を記述することではなく、法律や行政など国民に対する命令がどのように記述されなければならないかという「統治権力に対する義務」を記述することにある。そこで行われているのは、憲法の記述によって社会をどのように設計するか、といゆ「価値」を選択するという振る舞いだ。それゆえにレッシングは、アーキテクチャのような完全な管理が可能なテクノロジーを前にして、アメリカ国民がそもそもどのような「価値」を選択したなか、その「設計の思想」を思い起こせと主張するのである。

・「社会学からの全体性の脱落」
今日の社会学から「全体性」が失われて久しい。個別領域への穴籠りが進み、異なる穴の住民同士では言葉さえ通じにくくなった。それに並行して、過去三十年間、なだらかに一般理論志向が失われて、理論社会学は低迷している。むろんこれは社会学だけの問題ではない。経済学や政治学からも・・・。


この全「体性の脱落」は、あらゆる分野で進行した。特に、学術の分野では「個別領域への穴籠り」でないと、論文として認められ難いという、基本問題が存在する。技術(エンジニアリング、設計)の場でも同様なのだが、その弊害はこの分野が、直接に日中生活に影響を与えるので恐ろしい。したがって、我田引水ですが、「メタエンジニアリングのすすめ」なるわけです。


4.京都国立博物館・他編集「弘法大師入唐1200年記念 空海と高野山」NHK大阪放送局(2003)



本書は、2003年に京都国立博物館を初めとして全国的に行われた展覧会の図録である。335頁の大型本で解説が充実している。その中から、末木文美士(東大教授)の「空海と日本の密教」から引用する。

・近代の研究者によって、密教は仏教の中でも前近代的なものとして否定的に見られることが多かった。近代の日本は、西欧に追いつくことを至上命令としてきたが、仏教界でも近代性にかなったプロテスタント的な要素が重視された。具体的に言えば、いわゆる鎌倉仏教、即ち、法然や親鸞の浄土教、道元の禅、そして日蓮らがもっとも日本仏教を代表する高い水準の仏教であり、密教は彼らのよって否定されて、克服されるべきものと考えられた。鎌倉仏教の祖師たちが単純で明快な実践を説いたのに対し、密教は複雑な儀礼と呪術の集合体であり、到底近代的な合理主義の批判に耐えられないものとみなされた。密教ブームが起こってその再評価が進んだのはやっと1980年代からのことである。それはあたかも近代の合理主義への懐疑から、もう一度非合理的なものを見直そうという動向に合致したものであった。


5.川勝平太「文化力 日本の底力」ウエッジ(2006)KMB002&346



(1)日本的な融合をする・ハイブリッド文化
・パックスヤポニカ
日本史における平安時代の250年間と、江戸時代の270年間の平和な時代を指す。
戦後の日本の60年間が、第3のパックスヤポニカになり得るのだが、・・。
パクス(Pax)は、ラテン語の「平和の女神」。
この時代は、人口が定常状態になる傾向にある。すなわち、「女のルネッサンス」。
地球環境問題における立脚すべき価値は何か?
⇒「美」⇒地球は美しいか
西洋社会の価値観は、真⇒善⇒美
日本文化の価値観は、美⇒善⇒真 とは逆である。

・縄文文化や江戸文化への見直し論。

・17世紀以降の科学革命の時代は、初めは「真」だったが、21世紀になって「善」への移行が見られる。

・文化力の時代
1985のプラザ合意から始まった。⇒円高、ドル安の要請 ⇒日本の資金が米国に流れる
⇒日本が豊かになる 
文化の元義は、「文を以て、人民を教化する」⇒文化大革命
文化力とは、「美の文明」になること、へ。
Culture= way of life、生き方、暮らし方

・日本文明論
唯物史観から格物史観へ
唯物史観は、生産する人間の社会関係を重視
「格物」は、「大学」の言葉、ものにいたる、ものをただすの意味。

・格物致知 意味(GOO辞典より)
物事の道理や本質を深く追求し理解して、知識や学問を深め得ること。『大学』から出た語で、大きく分けて二説ある。宋の朱熹は出典を「知を致いたすは物に格いたるに在り」と読んで、自己の知識を最大に広めるには、それぞれの客観的な事物に即してその道理を極めることが先決であると解釈する。一方、明(みん)の王守仁(おうしゅじん)(王陽明)は「知を致すは物を格ただすに在り」と読んで、生まれつき備わっている良知を明らかにして、天理を悟ることが、すなわち自己の意思が発現した日常の万事の善悪を正すことであると解釈している。他にも諸説ある。▽「致知格物ちちかくぶつ」ともいう。

・格物史観は、デカルト以来の「もの」と「こころ」の二分を一体化させるもの。
万物には、神が宿る。
「日にその物をみてすなわち心を入れ、心にその物を通じ、物通してすなわちいう」(空海)

・戦国時代に世界最大の鉄砲製造・使用国だった日本が、なぜ江戸時代は刀の時代になったのか?
 ⇒審美感、西欧(特に現代の米国)との違い

・主たる食器が、金属器や木器から陶磁器になった。この事実は、西洋科学文明化らは出て来ない。

・科学革命から、人間革命・環境革命へ

・神仏習合
  文字に書かれなかった縄文の自然信仰と文字に書かれた仏教信仰
  無文字文化と文字文化の融合

(2)伊東俊太郎との対話

・8~9世紀のアラビア・ルネサンス ユークリッド・アルキメデス・アリストテレス等のギリシャの科学書の翻訳
・12世紀のアラビヤ語からラテン語への翻訳
専門用語の語源はアラビヤ語で残った(代数学のアルジェブラ)
 スペインのトレドでヨーロッパ人に伝達 & 1453コンスタンチノーブル陥落でビザンチンの学者がイタリアに亡命
・イタリア・ルネッサンスへ

相互交流を通じてアイデンティティーが豊かになる(川勝)

・なぜ科学革命だけがヨーロッパに限定されているのか?
伊東俊太郎の考え
① ギリシャ科学の伝統が中国やインドに伝わらなかった
② 市民社会の成立によるマーケットの拡大
③ ガリレオは学者であると同時に職人(技術者)だった
デカルト、ダビンチも同じ、知識人がものに触れていた
職人的伝統と学者的伝統が市民社会で結合した
アリストテレスはどんな実験をしましたか。実験はギリシャでは十分でなかった、観察はしたが実験はなかった
④ 17世紀のヨーロッパは貧しかったし、気候も悪い。外へ出たいと外へ出たいと
東はオスマントルコなので、西へ出た ⇒大航海時代


6.川勝平太「美の文明をつくるー力の文明を超えて」ちくま書房(2002) KMB355



川勝氏は、オクスフォード大学の哲学博士の称号を持つ比較経済史の専門家と云われているが、私は、比較文明学会の役員としての著書に興味を覚えた。
 この著書は、プロローグが意味深い。「日本の明日を考える」と題して、次の文章で始まる。

・戦後半世紀の内外の日本論の基調は「日本文化論」であった。しかし、これからの日本論の基調は「日本文明論」になるとみこまれる。地球環境を意識した新しい国づくりと連動して、未来志向的な性格を帯びた文明論になるだろう。未来志向であることによってそれは実践論となり、国民運動ともなって、日本を一新するだろう。

・この著書では、内外の多くの文献がリファーされている。全てを紹介できないが、いくつかを挙げてみる。
  ・ルース・ベネディクトの「菊と刀」からは、「欧米の罪の文化と日本の恥の文化、欧米の個人主義と日本の集団主義」
  
・ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」からは、「戦後から立ち直ってゆく戦後の日本人の精神文化が、(中略)膨大な資料によって検証し、「日本人は特殊だ」という思いこみをしりぞけた。日本異質論は90年代に入って下火になったのである。」
  ・ハンチントンの「文明の衝突」からは、「地域政治では民族が中心になって民族紛争が生じ、世界政治では文明が中心になって文明の衝突が起こることを予想した。予想はほぼ的中している。ハンチントンは文明を八つあげている。その一つが日本文明である。
  ・西郷隆盛の「西郷南州の遺訓」からは、「文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々と説論して開明に導くべきに、さはなくして未開蒙味の国に対するほど、むごく残忍のことを致し、おのれを利するは野蛮だと申せしかば、その人口をつぼめて言無なかりきとて笑われける。」
  ・湯川秀樹博士の「人間にとって科学となにか」からは、「私は自分の専門の物理学でも、ある法則なり論理体系なりを宜しいと納得するときは、そこになにか美しいものを感じ、・・・ある種の美意識や好悪感がある」

 などを挙げている。そして、
   文化には反対語がない。文明には負の価値をもつ野蛮という反対語がある。「力の文明」を超えて「美の文明」をつくりあげることをもって日本の文明の道(civilized way)としてよいのではないか。
 で結んでいる。

本文の第1章では、次の言葉がある。
・科学法則は応用ができる。科学が技術と結びついて十八世紀に産業革命が始まった。その結果、はやくも十九世紀にはいると、機械技術を悪の権化として、機械を打ち壊すラッダイト運動がおこった。機械打ち壊し運動はイングランド中・北部でとくに激しく、一八一〇年代に頂点に達した。
   富を公平に分配する平等を正義とする人々と、富を獲得する自由を正義とする人々の争いとなり、・・・。(中略)司馬遼太郎はそれ(イデオリギー)を「正義の体系」と言いかえていた。(中略)自由をもって正義と信じる集団と、平等をもって正義の体系と信じる集団とに分かれたのである。

 ・地球環境保全とは、「地球を汚してはならない」と云うことである。汚さないというのは、価値としては「美」に立脚している。(中略)正確には、真だけでは不十分、真と善だけでも不十分、真・善・美の三位一体を備えたものであってはじめて文明に値するということである。

 このように論理を辿ると、やはり文化の文明化のプロセスとしては、メタエンジニアリングの応用が最も適しているように感じらてくる。


7.梅棹忠夫、「近代世界のおける日本文明、比較文明学序説」中央公論新社 (2000) KMB077



国立民族学博物館で1982年から1998年まで開催された谷口国際シンポジウム文明学部門での梅棹忠夫氏の基調講演の内容が纏められているものだ。
 第10回のテーマは「技術の比較文明学」であり、その中で興味深い記述がいくつかあったので、メタエンジニアリングの研究の一部として考察を試みる。
その前に、比較文明学について少し触れておこう。梅棹は、「比較文明学というような学問領域は、純粋に知的な興味の対象になり得ても、どのような意味でも、実用的な、あるいは、実際的なものにはならないであろう」と言い切っておられる。なんと工学と対照をなす領域ではないか。

文明と文化の関係についての見方は、「時間的な前後関係をもつものと考えてよいのかどうか、すこし違った見方をしています。文化というものは、その全システムとしての文明のなかに生きている人間の側における、価値の体系のことである。」としている。また、システム学とシステム工学の違いを、「システム工学は目的があるけれども、システム学は必ずしも目的を持っていない。「目的なきシステム」というものもあるのではないか」と記している。


8.関、中澤、丸山、田中共著「環境の社会学」有斐閣(2009)



・「冒頭の言葉」
環境の社会学は、私たちがこの時代に、この社会の中に生きているということの意味を問うための学である。環境を考えることは生き方を考えることである。
 社会学での言葉に「目的移転」という表現がある。「いったん技術とか制度が安定すると、それらの手段を使って達成するはずだった目的がどこかへ行ってしまい、手段の維持をめぐる問題にエネルギーがそそがれるということになりやすい。」ということなのだ。
一般に、リスクが見つかる度に、それを新たな科学技術によって抑え込むと云うのが、20世紀後半の社会がとってきたやり方である、と社会科学者が指摘をする。しかし、原因が地球単位で複雑化をすると、自然科学者は不確実な予測を出さざるをえなくなる。そこからエンジニアリングのジレンマが始まっているのだ。

・「国的移転」とは、エンジニアリングでは、手段の目的化と云えることなのだろう。実は、エンジニアリングの世界ではこのことが頻繁に起こっているのではないだろうか。目先の技術的な成果に集中してしまい、本来の大目的からそれてしまうことがしばしば見受けられる。このことは、過去の環境問題ではしばしば見受けられたことであり、環境問題が社会学への傾倒となった一つの原因であったように思えてくる。

・工学から社会学への主役の移動について、なぜそうなったかを考えてみる。この著書には、「信用されなくなった専門家たちは、「科学的知識が足りない」「ゼロ・リスク症候群にかかっている」といって大衆を攻撃する。リスクについて述べる場合には、われわれはこう生きたい、という観点が入ってくるのである。リスクというのは煎じつめると価値観と文化の問題であるとの指摘が古くからある。」とある。これが、社会学から見た工学への見方になる。

・以前に、「物理学はなぜを問わない。なぜ万有引力が存在するのか。なぜ相対性原理があるのかは問わない。」と書いた書を紹介した。工学も近代機械文明の中にあっては、WhatとHowに夢中になり、次第にWhyが軽視されてきたように思える。そこに落とし穴があったようだ。
一方でメタエンジニアリングは、学問分野を超えた根本的な「なぜ」を問い直すことを一つの手段としている。


9.堺屋太一「東大講義録、文明を解く」講談社(2003)



・これからの知価社会で経済閣僚は一体、何をすればいいか。第一は、市場の機能を保つ番人。
第二は、外部経済を内部化する。環境問題は典型です。公害をまき散らせばその分だけコストは安くできます。しかし、社会全体としては環境が悪化するという不経済が生じます。そのときに各企業に対してどのようなシステムによってこれをコスト負担させるか、つまり内部コストにするか。公害防止の技術や施設をつくらせ、産業廃棄物をきちんと処理させる、など外部経済を内部化することが必要になるでしょう。


10.日下公人「21世紀、世界は日本化する」PHP研究所(2000) KMB196




・日本から世界へ発信している文化が沢山ある
脱軍備、脱武器輸出、脱宗教、脱イデオロギー、経済第一、清潔第一、勤勉第一、陛下第一、少子高齢化、女尊男卑、民主主義、自由主義、家族主義、省エネ、巨大都市、教育の普及、知識と文化の尊重


11.中西輝政「国民の文明史」産経新聞社(2003) KMB083



・文明史観なき国家は、必ず滅ぶ。過去の歴史と未来の歴史をつなげてゆくもの、それが文明史である。文明史---それは、歴史をマクロな視野から、長いスパンで洞察する眼差しです。単なる歴史研究を超えた、一国を取り巻く文明全体の大きな流れを見極める目を持たないと、国家衰亡の危機には対処できません。グローバリゼーションの挑戦、国家観の喪失、教育の荒廃、治安の悪化、そして「危機」に気づかない国民精神の堕落…。

・文明の定義
① 文明とは、世界を構成する単位
② 文明は、国家や社会を動かす「活力の源)
③ 日本における、「文化」と「文明」の使い分けの問題
・世界の中の日本文明
 現代の日本人の多くは、「日本文明」があったとしても、それは「中華文明と西欧文明の混合体のようなもの」だろう、と思っているかもしれないがそれこそまさしく「自虐的」文明史観といえよう。従来からの欧米の文明史家の間では、日本文明は、その独自性と体系性において、中華文明あるいはイスラム文明などと並んで、世界の主要文明の次の六たう、ないしは七つに分析している。

・90年代には「民間活力」とか「民でできることは民で」という言葉が口喧しく唱えられてきたが、このような「民間の力」の衰え、とりわけその技術応用力とそれへの強いコミットメントの減退は、つまるところ社会の創造性につながる知的・精神的な活力の低下に見いだすしかないのではないか。

・「短期の楽観、長期の悲観」は、滅びの構図


12.中西輝政「日本文明の興廃」PHP研究所(2006) KMB082



・文明史的岐路に立つ日本
 今の日本人に必要なことは、文明的視野をもってこの時点を捉え直すことである。「文明的な視野」というのは、分かりやすくいえば、百年や二百年の単位ではなく、最低限千年の単位で考えるような歴史の視野である。千年の単位で見るならば、当然のこととして物質的なものはほとんど影をとどめない。問題になるのは、文化や国民の精神、民族性などというもの、つまり、「それがあったからこの国がずっと続いている」といえるような、「歴史を動かす精神的な核」である。
 戦後の日本が「大いなる嘘」に立脚して出発せざるをえなかったということである。それは、誰もが知っていながら見過ごしてきた嘘であった。
 かつて、日本にやってきた多くの西洋人が日本人の倫理性の高さを賞賛しているが、それを支えてきたのが、このような人としての美しさを重んじる「こころ」のあり様だったのである。しかし、その「こころ」自体が、「大きな嘘」で傷つけられてしまった。「まこと」を基調とする日本人の精神伝統つまり日本文明は、戦後という時代が遺した「嘘」と「賎め」の傷跡によって、いまその生命力を大きく全体させている。


13.松本健一「泥の文明」新潮社(2006) KMB384



・泥の文明こそ、西欧文明が生んだ環境・人口問題を解決できる
 世界は、「石」「砂」「泥」の三文明に分けることができる。「石の文明」すなわち西欧文明は「外に進出する力」を特徴とし、「砂の文明」であるイスラム文化圏は「ねーっとワークする力」が本質だ。そしてアジアに広がる「泥の文明」の本質は「内に蓄積する力」である。このアジア文明こそ、近代社会を牽引してきた「石の文明」の欠点を補える唯一の文明なのである。

・和辻が「モンスーンの風土」とよぶものと、わたしが「泥の文明」とよぶものは、「緑豊か」という点で共通する。しかし、和辻はその風土に「受容的・忍従的」な精神類型と文明が育つと説くのに対して、わたしがその「泥の文明」が「内に蓄積する力」をはぐくむと説いている。
 わたしがその仮説を立てた根拠は何か、という点については、後に詳しく触れることにしよう。いま「モンスーンの風土」にしろ「泥の風土」にせよ、そこには農耕が主産業として成立するが、それによって生まれる民族の「エートス」(精神類型)なり文化の本質を、和辻は「受容的・忍従的」と捉え、わたしが「内に蓄積する力」と捉えている点に大いなる違いがある、ということのみ確認しておきたい。

・ヨーロッパの風土を和辻は「牧場」と捉えているが、それは松本も同じ。しかし、その牧場を20センチも掘れば石にぶち当たるので、松本は「一の文明」とするのである。そして牧畜がいかに広大な土地を必要とするかという話から、「石の文明」が「外に進出する力」を醸成するという話へとすすむ。それがヨーロッパ列強がアジア進出へとむすびつくのだが、この辺りの記述は、これまでのしゃかいがくの古典とされてきた大塚久雄の「共同体の基礎理論」をも論破して、迫力に富む。

・「もの作り」の文化
 半導体の生産は欧米よりも、日本や韓国、台湾、中国、マレーシアなど、長年「田つくり」に微妙な精度と、その土から不純物を排除することに努力してきた国々ばかりである。更に触れたように、石川県たったかの山際に精確に作られ、水をゆっくりとすべての田に流してゆく棚田をみたソニーの技術者が、「これ(棚田)は半導体だ」と叫んだというエピソードを思い出さざるを得ない。
               

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(10) その4

2015年07月13日 08時23分22秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その4)

1990年代の文化と文明に関する著書

1990年代に発行された文化と文明に関する参考著書を5件列挙します。

いよいよ世紀末の直前となり、文明・文化論と持続性社会論が統合して考えられる次元にはいった。MECIサイクルのConvergingの段階になったと言うことができる。
具体的には、世界中の様々な文化を公平な目で比較するための「文化の内容の細分化」が進み、日本の文化に対するより踏み込んだ解析が進められた。
その中では、「日本文化は普遍性を欠いている」と断言したものもある。潜在する課題のMiningに再び戻ったことになる。しかし、その日本文化の歴史を辿れば、「なぜ極東の小国・日本のみが西洋文明輸入の先がけ、独り近代化し、植民地にならずにすんだのか」とか「日本が西洋とも東洋の他の国とも全く違った独自の文明を持つ証拠」などの文脈に至る。これらからの結論と持続性社会論との融合は、「自然共生型文明(Ecologically Sound Civilization)の復権」ということになり、日本の文化が次の文明への基になるのでは、といった期待感が膨らんでゆくことになる。


1.山口 修「比較文化論―異文化の理解」世界思想社(1995) KMB075



・人々のつくる集団的な活動が、その社会特有な生活のかたちを生み出してゆくことになるのだが、こうしたもの全体を称して文化といっている。

・本来文化には優劣の区別は一切ない。

・第2次世界大戦後になって旧植民地が独立し、西欧以外のいわゆる第3世界が形成されるようになると、当然のことながら新たに自覚するようになった自分たちの国や民族をもとにして自己の文化を主張するようになった。こうした過程を経て、ようやく文化は比較されるものとなり、西欧文化以外のさまざまな文化を、それぞれが独自の価値をもつものとして公平に眺める目ができたのである。

・「文化項目分類」
文化の項目的理解は、伝播主義的研究の進展と関連して発達した。文化の構成内容をより正確に捉えてゆこうとすると、文化の内容をどのように細分化できるかという問題に突きあたる。その問題を最初に取り上げたのは、アメリカのC.ウイスラーで、かれは普遍的文化パターンとして、次の九項目を挙げている。言語、物質文化、芸術、神話と科学知識、宗教、家族と社会組織、財産、政治、戦争の九項目である(1923)。


2.梅棹忠生「日本文化の表情」講談社(1993) KMB357



・どうして日本人は「日本人とは何か」というテーマに熱中するのか。
一つには、日本文化の官能性ということである。その現場で、その素材にふれたとき、はじめてその意味が分かるーそういう例が多い。ということは、逆にいえば、普遍性をこの文化は欠いているということだ。刺身のうまさはやはり江戸前でないとわからない、といったことである。
 ところで、今日のように世界の交通が激しくなると、日本文化はこうこうですと、普遍的な意味を抽象して説かねばならない。こうした不安のうえにたった熱狂が「日本人とは何か、日本文化とは何か」というあきず繰り返される設問である。

・日本文化には現場の素材に密着して感じとられるものが多い。


3.中村雄二郎「日本文化における悪と罪」新潮社(1998)KMB212



・ルース・ベネディクト「菊と刀―日本文化の型」1946の要点の列挙
 ① 西欧的な「罪の文化」と区別されるものに日本の「恥の文化があり、後者のなによりの特色は、各人が自分の行動に対する世間の目をつよく意識していることである。
 ② 「罪の文化」の基礎が罪責性であるのに対して、「恥の文化」は羞恥心が道徳の原動力をなし、恥の基本は誰でも知っている善行の明白な道標に従えず、バランス感覚を欠くことである。
 ③ 「恥の文化」の最高の徳目は「恥を知ること」にあり、恥を知る人こそ徳の高い人であって、それは西洋倫理における「良心の潔白」に匹敵している。


4.清水馨八郎「日本文明の真価」祥伝社(1999)KMB072



・本書では、文化と文明をほとんど同じ意味で使っている。文化は各民族の暮らしの立て方、生き方の総体である。これが救心性を得て、地域を超えて他に影響を与えたり、国々の文化を対比するときには、文明として扱うことにしている。
なぜ極東の小国・日本のみが西洋文明輸入の先がけ、独り近代化し、植民地にならずにすんだのか。当時の西欧の植民地帝国主義の時代に、有色人種の中で独り独立を保持、できたのはなぜか。これらの事実こそ日本が西洋とも東洋の他の国とも全く違った独自の文明を持つ証拠でなくしてなんであろうか。


・日本人vs欧米人
食;  草食文化vs肉食文化
生産; 和服(植物から)vs洋服(動物の毛・皮)
住居; 木、紙の家vs石、煉瓦の家
自然観;自然と調和vs自然を征服
労働; 「手」の文化、勤勉vs「足」の文化、労働忌避、奴隷使役
宗教; 多神教(寛容)vs一神教(排他、独善)

・日本語には、「手」のつく言葉が千以上


5.内藤正明「持続可能な社会システム 10」岩波書店(1998) KMB078



・現状をもたらした歴史的背景
 今後の持続的社会の一つの方向として、自然共生型文明(Ecologically Sound Civilization)の復権を唱える主義に注目するならば、このような歴史的視点から歴史を振り返る必要になってくる。そして、二つの文明のタイプが主としてその発生地の自然環境条件や地球の気候変動との関係で形成され、その後の世界史の変遷過程で、自然共生型の文明が都市型の文明に次第に呑み込まれていったという歴史の経緯を認識しておくことは、「自然共生」の意味と再生可能性を考えるためにも必要であろう。


メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(8) 第6話(その2)

2015年07月11日 08時27分29秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その2)

1970年代の文化と文明に関する著書

1970年代に発行された文化と文明に関する参考著書を6件列挙します。
20世紀文明の発達と、それをつくりだした科学と技術(エンジニアリング)の加速度についての幅広くかつ公正な見方がひろがり、その背景を探る議論が沸き起こった。そして、反面これで良いのだろうかとと云った疑問も出始めた期間だった。それが、有名な「成長の限界」に繋がってゆく。
また、文化と文明の観点から、それ以前とは異なり、異国の文化に対する研究も公平な視点から行われるようになり、その中で、日本人の考え方と文化についての考察も深まっていった。

1.伊藤俊太郎「文明における科学」勁草書房 (1976)KMB048
彼は、「知のエートス」について、次のように述べている。



・科学の制度化やその専門職業化はどのように進行したか、科学的活動の中心がどの用に移動したか、-などを問題としてとりあげ、科学知識の内容そのものに関わる科学社会学的考察は断念され、・・・

・如何なる文化圏にも、その文化活動を支える基本的な「価値志向」というものがあり、これが他の文化的営為と同様に、科学的営為にも色濃く影響を与えているのだと思う。そしてこれをこそ先ず捉えてゆかなければならない。そこでこの知的営為に関わる「価値志向」をウエーバーの「経済倫理」(Wirtschaftsethik)になぞらえて、「知のエートス」(Wissensethons)となづけておきたい。

このような前置きの後で、古代のギリシャ、インド、中国の普遍的な思想を次のように網羅し、さらに知のエートスを表で表している。

求められる対象 知的営為の目的 世界に対する態度 方法
ギリシャ イデア 観照的認識 世界直視 理論的
インド 涅槃 宗教的解脱 世界超脱 思弁的
中国 道 倫理的実践 世界適合 直感的

この様にやや大胆に整理した後に、「知のエートス」については、次の表に纏めている。

知のエートス 科学の担い手 科学の支持者
ギリシャ meta-physics 哲学者 市民
インド meta-religiosa バラモン バラモン層
中国 meta-ethica 士大夫 為政者
アラビア meta-magica ハーキム 王侯

2.ノベルト・エリアス「文明化の過程」法政大学出版局(1997) KMB079



・科学・技術上の進歩の経験のみでは、進歩の理想化、人間状況のいっそうの改善に対する革新の契機となりえないことは、20世紀において明確に証明されている。今世紀における科学・技術上の実際上の規模と速度は、過去の数世紀における進歩の規模や速度を遥かに凌駕している。20世紀の一般住民の生活水準も、最初の工業化の波を受けた国々では、過去の数世紀に比して高い。健康状態は改善され、寿命は伸びた。しかし、「時代の大合唱」の中では、進歩を価値のあるものとして肯定し、人間状況の改善に社会的理想の核心を認め、確信をもって人類のより良き未来を信じる人の声は、過去数世紀に比して、著しく弱まっている。他方、これらすべての発展の価値を疑い、人類のより良き未来、もしくは自国の未来に対してさえ特別な期待も抱かず、かれらの主要な社会的信念がもっぱら眼前のこと、自国の保全・現存社会体制・過去・伝統・因習的秩序を最高の価値として、それらに集中しているような人々の声が20世紀において高まり、漸次優位を占めつつある。

・「文明化」と「文化」という対立概念の発展の過程について


3.ベン・ダヴィッド(1971)の邦訳本「社会における科学者の役割」「科学の社会学」潮木守一、天野郁夫訳、至誠堂(1974)

・この書物は近時の科学社会学の主要な動向を代表する好著と言ってよいが、この中で著者は科学社会学の方法として、(a)科学と社会制度の関係を論ずる制度論的アプローチと、(b)科学者相互の社会的関係を問題とする関係論的アプローチを区別し、さらに他方において、(a’)その社会的条件の影響が、専ら科学者の行動や科学活動だけに及ぶと考えるか、それとも(b’)さらに科学者自身の中味にまで、つまりその基礎概念や科学理論の内容にまで影響を与えるとするかという二つの立場を区別する。


4.角田忠信「日本人の脳」大修館書店 (1978)



・日本では認識過程をロゴスとパトスに分けるという考え方は、西欧文化に接するまでは遂に生じなかったし、また現在に至っても哲学・論理学は日本人一般には定着していないように思う。日本人にみられる脳の受容機構の特質は、日本人及び日本文化にみられる自然性、情緒性、論理のあいまいさ、また人間関係においてしばし義理人情が論理に優先することなどの特徴と合致する。西欧人は日本人に較べて論理的であり、感性よりも論理を重んじる態度や自然と対決する姿勢は脳の需要機構のパターンによって説明できそうである。西欧語パターンでは感性を含めて自然全般を対象とした科学的態度が生まれようが、日本語パターンからは人間や自然を対象とした学問は育ち難く、ものを扱う科学としての物理学・工学により大きな関心が向けられる傾向が生じるのではないだろうか?明治以来の日本の急速な近代化や戦後の物理・工学における輝かしい貢献に比べて、人間を対象とした科学が育ちにくい背景にはこの様な日本人の精神構造が大きく影響しているように思える。 (P85)

・左脳ばかりを使って論理のみをいじくりまわしていると、どうしても模倣になってしまい勝ちで、やはり何か新しいものを生みだすのは右の脳も使ってやらないといけない。(中略)それには西洋音楽を聴くことですよ。邦楽では語りが中心だし、自然に密着していますから、やはり充分な効果はない。全く異質という意味で、西洋楽器の音はよい刺激になります。 (副題「右の脳を活用しよう」(P22)

・西洋文明の危機が叫ばれているが、それは西洋人の窓枠を通しては、新しい時代に即した想像が生まれ得ない苦悩の表明ではあるまいか。数ある文明国の中で、異質の、しかもまだ充分に創造性の発揮されていない文化の枠組みを持つのは、実は日本以外にはないのである。
しかし、このことを日本と西洋の優劣というような価値観に結び付けて必要以上に劣等感に悩まされたり、逆に自信を持ちすぎることもない。必要なのはこの違いを如何に活かすかということである。著者は日本人が、日本人の窓枠の異質性にめざめて、借りものでない自分の頭で考え抜くときにはじめて日本人の独創性が発揮され、その所産は世界の文化に貢献できる可能性のあることを信じたい。 (P378)


5.芳賀綏「日本人の表現心理」中公叢書 (1979)



人文科学や社会科学を追求する上でも、「語らぬ」「わからせぬ」「いたわる」「ひかえる」「修める」「ささやかな」「流れる」「まかせる」というのが日本人のコミュニケーションの特徴であり、これに対する知見も持つことが大切であるなどと述べられている。


6.D.C.バーンランド「日本人の表現構造」サイマル出版会(1973)



人間の人格構造について、「未知なる自己」(U)、「私的自己」、「公的自己」という3重の同心円モデルを提唱し、それによって個人レベルの異文化コミュニケーションの摩擦のメカニズムを説明している。そして実験によって、日本人は比較的「私的自己」が厚く「公的自己」が薄く、逆にアメリカ人は比較的「私的自己」が薄く「公的自己」が厚い。そのためアメリカ人にとって快適な心的距離のコミュニケーションを行うと、日本人は自分の「公的自己」を突き破って「私的自己」の内までアメリカ人の自己が入ってくることになり、不愉快なコミュニケーションと感じるなどと説明されている。

次回の(その3)では、1980年代の8冊を紹介しようと思います。

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(9) 第6話(その3)

2015年07月11日 08時03分13秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その3)1980年代の文化と文明に関する著書

1980年代に発行された文化と文明に関する参考著書を8件列挙します。

この期間では、文明と文化の具体的な関係の解明、文明の成長と衰退のサイクルの特定、独特の文化や文明が育った原因などが、更に徹底的に研究されました。そして、人類の歴史以来800年サイクルで文明が入れ替わり、西暦2000年がその節目であることまで指摘されてしまった。
21世紀が文明の転換期であることが、一般論としての基礎を築きはじめた年代と云えるのではないでしょうか。

1.司馬遼太郎 「歴史の世界から」中央公論社1980 (KMB215)



・「競争原理を持ち込むな」
儒教と云うものは、社会体制そのものであり、生活規範であり、極端にいえば人間を飼いならす原理であり、システムであるのでしょう。日本人は律令時代といえども、儒教とそれにともなう官僚制度とを、滑稽なほどの粗雑さで取り入れただけで、本当の儒教というものは、僕らが考えているものとは随分と違うんですね。
 世界中のたいていの民族は・・・

・「織田軍団か武田軍団か」
絶対原理を一つ持っていて、その絶対原理で人間を作り変えてしまう。そうでなければ人間は猛獣で手に負えない動物だと思っているらしい。中国では儒教でもって人間を飼いならしているし、ヨーロッパではキリスト教でそうしている。回教圏もむろんそのことは強烈に行われてきた。

・儒教体制のもとでは汚職が付きものです。一人の大官の足元には何十人という親類縁者がカキ殻の如くにくっついて利益を得ようとしています。大官はそれを拒否することはできないし、今日することはむしろ主義ではない。ところが、困ったことに資本主義というものは官吏が清潔でなければならない。

・これまで二千年間、儒教という原理で社会的存在としての人間の猛獣性、つまり無用の競争性の毒牙を抜いてきたものを、今度は短期間で新しい原理でやらなきゃならない。二千年間読んできた「論語」という孔子語録を「毛沢東語録」に切り替えるためには、八億が一見集団発狂したような勢いで繰り返し高唱してゆくという時期が要る。
⇒知識人のグループは儒教を捨てきれない。
⇒集団ヒステリー現象を作り出して、叩き出した。

2.司馬遼太郎「アメリカ素描」読売新聞社(1986)



・ここで、定義を設けておきたい。文明は「たれもが参加できる普遍的なものも・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的でない。



3.伊東俊太郎「東京大学公開講座33、人間と文明」東京大学出版会 (1981)KMB048




・文化と文明の言葉の由来
日本において“文明”を最初に論じた書物は福沢諭吉の「文明論之概略」(明治8年 1875 年)といってよい。ここで福沢が“文明”という言葉をどのような意味で用いたかというと、それは英語の「シヴィリゼイション」(civilization)の訳であるとことわり、「文明とは人の身の安楽にして心を高尚にするを云うなり、衣食を豊かにして人品を貫くするを云うなり」といい、「又この人の安楽と品位とを得せしめるものは人の知得なるが故に、文明とは結局、人の知得の進歩と云て可なり」としている。

・文化・文明の五つの段階
  人類がこれまで経験してきた巨大な文明史的転換期とは次の五つである。
  ①人類革命、②農業革命、③都市革命、④精神革命、⑤科学革命
  そして現在は、五番目の「科学革命」がひとつの袋小路に入って新しい文明の形態が模索されている六番目の大きな転換期だろうと思う。

・「文明」と「反文明」、「反文明」のフロンティア(初期と現代のアメリカ)


4.有賀喜左衛門著「文明・文化・文学」お茶の水書房(1980)KMB048



・外国文明と日本文化、文明と文化の意味
私が文化と考えているものは特定の民族が示している個性的な生活全体を意味しているのであります。これは通例いわれているように政治や経済、社会を除外したものではないと重ねていっておきます。だから特定の民族の歴史的、社会的、心理的、情緒的特質が認められるのであります。
(中略。この間に、資本主義や共産主義が国によって異なった形態で存在することを例証として挙げている。)単純に言えば、特定の民族の文化は、他の民族に伝播させることができるのでありますが、伝播させることのできる文化は特定の民族から抽出することのできる側面であり、普遍化することのできる要素に限られているのであって、この民族の生活全体として他の民族に移し植えることはできないのであります。

・文化という言葉も文明という言葉も日本においては元来翻訳語あら生じた言葉でありますから、日本の英和辞典をみても。cultureとcivilizationの双方に文化とも文明ともあって、この意味を区別しがたいのでありますが、私は、cultureに文化という日本語を、civilizationに文明という日本語をあてたいと思います。

・外国文明の受け入れは通例諸民族から多面的におこなわれるのであります。例えば、明治の初期に日本が受け入れた西欧文明を見ても、民法はフランス、憲法はドイツ、資本主義はイギリス、フランス、民権運動はフランス、文学は初めイギリス、造船は初めフランス等々というような選択がありました。


5.高坂正堯「文明が衰亡するとき」新潮新書(1981)



・巨大なものの崩壊
 経済的な要因にローマの衰亡の原因を求める説は多い。それは20世紀における支配的な説と言ってよいだろう。その中でも、紀元2世紀以降のローマ経済の停滞と穏やかだが着実な委縮を重視するものもあるし、5世紀における急激な崩壊を強調するものもある。
 奴隷が新しく入ってくることも少なくなった
 消費水準は高まった
 国家は福祉政策をとるようになる
 富の少数者への集中が進んだ

・変化に対応する能力
 プラトンの指摘したことはやはり正しいのではないだろうか。通商国家は異質の文明と広範な交際をもち、さまざまな行動原則を巧みに使いわけ、それらをかろうじて調和させて生きている。しかし、そうすることは当時者たちに、自信もしくは自己同一性(アイデンティティー)を弱めさせる働きをもつ。自分を大切にするものが何であり、自分が何であるか徐々に怪しくなる。すなわち、道徳的混乱がおこる。

・ヴェネチアの衰退を説明したストーリーが興味を引く。
海洋国家であり、かつ通商国家であり独特の文化も栄えたヴェネチアは少し以前の日本と似通った面が多くある。衰退の過程は次のように記されている。

① 所有するガレー船の数が減少し始める。これは、建造費が急激に上昇してしまったためである。
② 船価の上昇は、ヨーロッパ全体の繁栄が進んできたことによる木材(特に堅い材質の高級材)価格の急上昇による。
③ 海洋貿易の成功神話の弊害の露出。
歴史では、大航海時代の幕開けはオランダによるアフリカ周りの航路の開発が定説だが、実際にはその直前にヴェネチア自身がこの機会を拒否したとある。

・オランダ人がアフリカ周りの航路で大きな収益を上げ、ヴェネチア人から香料貿易を取り上げる少し前の1585年、スペインとポルトガルを統治していたフィリップ2世は、リスボンとアントワープでの香料貿易の独占権をヴェネチアに提供しようとしたのである。
   この提案は、自分たちが行って余り収益が上がらなかったため、海運の上で名声が高かったヴェネチアに事業を委任しようという考慮に依るものであろう。また、スペイン、ポルトガルは当時すでに財政難に悩んでいたので、権利を売って手堅い収入を得たかったのかもしれない。しかし、ヴェネチアは結局この申し出を受けなかった。そこにも、既にある方向で成功しているものが新しい冒険に乗り出すことの難しさを見ることができる。新しい事業はつねにリスクを伴う。また、それよりは全体的な体質変化に通ずることが多い。既成勢力は反対する。
しかし、なんといってもヴェネチアの文化の国際的貢献の最大のものはパドヴァ大学である。その基本精神は多元主義と自由であった。それはパドヴァ大学が競争講義という制度を持っていたと云う事実に端的に現れている。同一の主題について二人の教授が任命され、同じ時間に講義することを要求された。学説が競争にさらされ、教条とはなり難かったことは明白である。
(中略)
残念ながら、十七世紀に入るころから、ヴェネチア人はそうした強さが失われていったように思われる。それは有名なガリレオ・ガリレイの地動説に対してパドヴァ大学の同僚たちがとった態度に良く現れている。ガリレオはフィレンツエの生まれであったのだが、1592年にパドヴァ大学の教授に任命され、知的活動のひとつの中心となった。地動説の主張に至る彼の業績は、自由で合理主義的なパドヴァ大学の雰囲気なしにはありえなかったであろう。しかし、彼が望遠鏡によって木星の衛星などを発見し、やがて地球は動いているという説を持つにいたったとき、パドヴァ大学の他の教授たちはその説を否定したいという気持ちに動かされた。ガリレオは1610年にパドヴァ大学を去る。


6.司馬遼太郎「韃靼疾風録」中央公論(1987) 「あとがきにかえて」より、



 文明というのは、それをどの民族にも押しひろげうるというシステムであるらしい。文化のようにこみ入ってはいない。また他からみれば理解しがたいほどに神秘的なものでもなく、文明は大きな投網のように大ざっぱなものである。儒教の場合も、服装を正しくして、長幼の序を重んじ、両親に孝であればそれだけでよい。大ざっぱであればこそ、諸文化の上を越えてひろびろとゆきわたることができ、そういう普遍的な機能をもって文明というのである。それだけのもので、それ以上のものではない。ところが、文明が爛熟すれば文明ボケして、人間が単純になってしまうらしい。文明人というのは「文明」という目の粗い大きな物差しをいつも持っていて、他民族の文化を計ろうとする。くりかえしいうが、文化は必ず特異で他に及ぼせば不合理なものであり、普遍性はない。ないからこそ、文化なのである。それを文明の尺度で計ろうとするのは、体重計で身長を計ろうとするのに似ている。


7.村山 節「文明の研究」-歴史の法則と未来予測」光村推古書院(1984) KMB211



・本の帯に記された書評より、
長大周期のバイオ・サイクルの実在;人間の持つ大きな生命力は自然の力を活用して、壮大な文明を培ってきた。いま、この驚くべき巨大な法則の中に、六千年の諸文明の営みが見事に包括され説明されている。宇宙的リズムに連動するバイオ・サイクルは、人類がこの地上で美しく雄大に一定の周期で悠久に進化して、すばらしい社会をつくれることを意味している。この新しい発見は道の文明の創造を暗示しながら、21世紀以後の文明の方向を示しているように見える。

・文明も春夏秋冬、四季のサイクルを持っているんです。(1サイクル800年、四季のリズムで1600年)壮大なロマンにふれてみてください!

<<第一文明サイクル>>
●西の文明  原始エジプト文明 BC3600~2800  
    人類の建築土木技術の発達、エジプト古王国のピラミッド
    ナイル川の潅漑工事、外国人侵入 エジプト衰微
 [裏 原始シュメ-ル]   

<<第二文明サイクル>>    
●西の文明  エジプトおよびエーゲ文明 BC2000~1200
     衣服・食生活の向上、夏 クレタ文明興隆(エーゲ文明開花)
      秋ミケーネ文明・エジプト新王国、エーゲ文明                  [裏 アジア未開時代 東洋の冬と春]

<<第三文明サイクル>>
●西の文明 ギリシャ・ローマ大帝国文明 BC400~AD400  
     キリスト教の発展 科学技術発展、パックスロマーナ
     ギリシャを中心に芸術・哲学・科学が花開

<<第四文明サイクル>>
●西の文明 ヨーロッパ文明 AD1200~2000       !
   物質文明・機械文明 生産力拡大         



そして現在は、只今激変期
 新たなる民族大移動発生か、民族大移動でドイツは心配、バブル崩壊・アメリカが痛手、金融大国日本も狂乱の中で踊っている、イスラム教の台頭と云う訳だ。
また、現在の文明サイクルはこれまで3サイクルを経て西東・西東・西東・西(東) 4サイクルの前半を終えようとしている。すなわち5600年の 西と東の文明の興亡交替の歴史を持っている。


8.並木信義「現代の超克」ダイヤモンド社(1987)KMB382



・間もなく歴史は二十一世紀を迎える。おそらく二十一世紀から二十二世紀へかけての世界は、十六世紀以降の一連の流れが最高潮に達し、新たな時代への脱皮を遂げる画期となるであろう。われわれにその転換方向が見定められるであろうか。

・われわれにとって、経済は回転軸にすぎず、問題は、感性であり、思想であり、哲学であり、宗教であり、社会諸制度である。

・欧米に経済の面ではキャッチアップを終えたわれわれの次の課題は、文化、社会、科学技術、諸制度の面で、先進国の現状を超克し、東西南北各地域を対象にして、世界全体に普遍的に妥当する文明の原理を発見することでなければならない。

・現代はまた、人間社会を律する二つの哲学、つまり、共同体協調の制度学派的見方と、個人主義的合理性追求の私的自由主義的見方のうち、著しく後者に比重が傾いている時代である。人間社会にはこの両者の適当なバランスの維持が重要である。現在のように、私的合理性追求社会は、経済的投機旺盛程度にとどまらず、家庭生活に及ぶまで浅薄な経済理論的割り切りが行われるに至る。(中略)人間社会は、1990年代に入ると、おそらく前者の方向への転換が見られ始めるであろう。家族、経営、国家、国際社会のすべてにおいて、現在のあり方は一方の極にある。目に見えぬ動きながら、穏やかに、確実に、歴史は他の方向に転進しつつある。そして転進の未来にほのかに見えるのは、人類の現代史の第3期せある。この方向こそが、現代日本の超克、そして現代世界の超克を可能にするであろう。

次回の(その4)では、1990年代に発行された5冊を紹介します。

小暑(7月7日から22日ころまで) ハガキの木

2015年07月09日 13時43分26秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
小暑(7月7日から22日ころまで)

ハガキの木


この季節の植物の成長の勢いは、如何なる動物もかなわない。日本特有の種々の雑草は云うに及ばず、大きな木さえも、新たな枝を伸ばして葉を茂らせる。
我が家の庭先には、ハガキの木と呼ばれる木があり、年々成長を続けて、遂に電線に掛かるようになってしまった。そこではしごに上り、電動のチェーンソウを駆使して大枝を切り落とすことにした。

Wikipediaには次のように書かれている。静岡以西に自生とあるので、関東地方では少ないのかもしれない。

タラヨウ(多羅葉、学名:Ilex latifolia)はモチノキ科モチノキ属の常緑高木。
本州静岡以西~九州、中国、四国に分布する。関東にも植樹されていることがある。中華人民共和国にも自生する。雌雄異株で、花期は4~5月頃、4mmほどの小さな淡黄緑色の花が群れて咲く。秋には8mmほどの小さな球形の赤い実がなる。
葉は肉厚で20センチほどもある長楕円形をしており、その縁は鋸のように細かいきざぎざとなっている。日本では葉の裏面に経文を書いたり、葉をあぶって占いに使用したりしたため、その多くは寺社に植樹されている。また、葉の裏面を傷つけると字が書けることから、郵便局の木として定められており、東京中央郵便局の前などにも植樹されている。


切った部分の小枝を払って、並べたのが次の写真。このように枝の根本が残っている長めの木は、庭作業の色々なところで利用できる。



せっかくなので、大きめの葉っぱに字を書いてみた。数年前に未だ孫が小学校の低学年だった頃に、学校に持って行って楽しんでもらったことが思い出される。今回は、本当に昔ハガキに使えたかどうかのチャックをしてみる。

残念ながら、検索をすると既に切手を貼って投かんした人がブログを書いていた。不定形郵便物として、無事宛先に届いたと記されていた。



書くのは、爪楊枝が良いように思う。かなり複雑な漢字でも問題はない。

4日後に写した写真が次のもので、殆ど変わりがない。葉の強度も充分に保たれている。



8日後になると、さすがに色が変わってくるが、まだ文字を読み取るには問題がない。
古代でも、これくらいの日数で相手に届く距離ならば、充分に機能したことがうかがえる。



中央郵便局の前にあると記されているのだが、果たして立て直しで残されたのだろうか、今度確かめてみようと思う。


メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(7) 第6話 (その1)

2015年07月09日 08時15分08秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その1)font>


日本工学アカデミーにおける根本的エンジニアリングの研究は、そもそもは技術立国に伴うイノベーションの推進にその目的があったのですが、メタエンジニアリングと云う方向で視野を広げてゆくと、更に大きなイノベーションとしての新たな文明つくりに挑戦する、というテーマに行きつきます。
21世紀初頭の社会は20世紀に端を発した多くのイノベーションで溢れています。自動車、航空機、インターネットなどが代表ですが、これらは全てハイデッガーが述べたようにエンジニアリングの賜です。むしろ、溢れすぎていて多くの弊害が生まれてしまいました。そこで、持続性社会への方向転換が必要になったわけですが、文明とか文化のレベルで見ますと、20世紀後半からは、しきりに現代西欧科学技術文明の行き詰まり論が叫ばれています。

文明が健全な方向に育って行くのは、「優れた文化の場」です。文化は文明よりも長く続くものと考えるのが一般的ですが、ローカルであり不合理性を含んでいます。一方で文明はトインビーや司馬遼太郎等が述べたように、発生・成長と衰退がありますが、普遍性と合理性を備えたものです。

メタエンジニアリングのMECIサイクルは、持続的なイノベーションを創生するための一つの方法論なのですが、その応用として、「最高のイノベーションは優れた文化の文明化」と云う命題を掲げてみました。そして、従来の比較文明論をエンジニアリング的に前進させて、「文化の文明化へのプロセスの確立」についての研究を始めたいと思います。

なぜメタエンジニアリングを用いるかというと、エンジニアリングには次の機能があるからです。
① 様々な科学に基づく技術を用いて、人間社会に役立つものを新たにつくりだす
② 不合理性を取り除き、合理的なものを創造する
③ 新たなスキームの実現の為の具体的なプロセスを設計し、それを実行する手段を見つける

もう一つの理由は、現在のイノベーション重視の風潮に流されて、大衆受けを唯一の目的として新製品を設計している現在のエンジニアリングに対する危惧です。便利・簡単・安価、あるいは刺激的などのキーワードで開発されたものは、将来の文明に正の価値を与えられるでしょうか。40年間のエンジニアとしての経験から、どこまで文化や文明に踏み込めるかのチャレンジでもあります。
まったくの、大それた研究テーマなのですが、半老人には良い脳トレになることを期待しています。

 そこで、手始めとして20世紀から今までに発行された文明と文化に関する書籍を検討してみることにします。10年単位で纏めてみますと、21世紀が文明の交代期であることが見えてきます。

参考文献の数(今後、多少の増減あり)
1960年より前;  3
1960年代の文献; 2
1970年代の文献; 6
1980年代の文献; 8
1990年代の文献; 5
2000年代の文献;13
2010年代の文献;12


1945年までに発行された文化と文明に関する著書と、そこからの引用

 第1次世界大戦を経て、世界の主要大国では、ほかの国の文化に注目する流れができましたが、それはあくまでも後進の文明に対する興味本位のものでした。日本は、注目された国のひとつですが、松山の坂の上の雲ミュージアムの最上階にある当時の英米の新聞記事や、アインシュタインが日本を訪問なしたときに書かれた記事を見ると、同じような目で見られていたことが明白になります。しかし、当のアインシュタイン博士の見方は、違っていました。


1.アインシュタイン「日本を去るにあたって述べたメッセージ」(1923)(清水馨八郎「日本文明の真価」祥伝社(1999)「アインシュタインの予言」からの引用)


 近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一か所ぐらいなくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。その時人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主成るものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本と云う尊い国をつくっておいてくれたことを。


2.金子 務「アインシュタイン・ショック、第1部 大正日本を騒がせた四十三日間」
河出書房新社(1981)1922.11.17~12.29のアインシュタインの日記



・訪日当時アインシュタインが日記をつけていたことは間違いなかった。(中略)この現物のマイクロコピーがプリンストン大学のアーカイヴに保管され、しかるべき研究者には見せる用意がある、私もしくは代理人にそこで読んではどうか、と教えてくれた。

・博士は車内備え付けの机に向かって原稿の訂正を始め、いつの間にやら姿が見えなくなっていた。こうして書き上げたのが、「日本における私の印象」と題された日本感想記である。

・個人がそれぞれ感情表現を抑圧するという躾は、ある内的な貧しさ、自分自身の抑圧を生じるだろうか?私はそうは信じない。かような伝統の発達は、確かにこの国民に固有な繊細な感じや、ヨーロッパ人よりもずっと勝っていると思われる同情心の働きによって容易にされた。・・・どれほどしばしば日本人は荒々しいことばをあえて使い得ないことで、それを謙虚にまた不正直であると解されていることであろう。

・私がここで「芸術」というのは、美的な意図あるいは副次的意図をもって、人間の手で永続するもの、を目指して制作しているものを指している。この点で私は瞠目と驚嘆の念から逃れることができない。自然と人間とは一体様式以外の何物をも生まないほどに一つに結ばれている。実際にこの国に由来するすべてのものは、愛らしく、晴れやかであり、抽象的でも形而上学的でもなく、常に自然によって与えられたものとかなり密接に結びついている。

・すべてが日本人には形および色彩における体験であって、自然に忠実である。しかし常に形式化が先行する限りにおいて、自然から遠ざかる。明晰性と単純な線とを何よりも愛好する。絵画は強く全体として感得せられている。

・なお私の心にある一つのことがひっかかっている。確かに日本人は、西洋の精神的所産に驚嘆し、成果と大いなる理想とをもって学問に沈潜している。しかしながらその場合にも、西洋よりも優れて持っている大いなる宝、すなわち生活の芸術的造形、個人的欲求の質朴さと寡欲さ、および日本的精神の純粋さと静溢さを純粋に保たれんことを。
 
・予が、1か月に余る日本滞在中、特に感じた点は、地球上にも、また日本国民の如くに爾く謙虚にして且つ篤実の国民が存在していたことを自覚したことである。世界各地を歴訪して、手にとってまったく斯くの如き純真な心持の好い国民に出会ったことはない。(中略)故に予はこの点については、日本国民がむしろ欧州に感染しないことを希望する。

                  
1960年までに発行された戦後の文化と文明に関する著書と、そこからの引用

第2次世界大戦が終了すると、従来の西欧の植民地が徐々に独立を始めた。それと呼応するかのように、世界のあらゆる民族の文化や文明の研究が進んだ。しかし、まだ研究の対象は未開文明を中心とする文化人類学的なものが多く、広範な文明論には至っていなかったように思われます。

1.掘 嘉望「文化人類学」法律文化社(1954) KMB091



・人類学が、我が国の大学で講義科目として広く採用されるようになったのは、ようやく戦後のことである。そして、人類学の体系的な叙述が、ハースコウィツやギリンなどのより新しい規模で提起されたのも、また、その頃であった。

・大学で哲学の研究を出発とした自分が、実証科学としての人類学の著を世に送るにいたった曲折を省みて、感概深いものがある。

・近世のヒューマニズム思想が、開けゆく人間と世界の知見を実質的背景として形成された事実は、人類学の全体的理解にとって基本的な方向を示すものであろう。


1960年代に発行された戦後の文化と文明に関する著書と、そこからの引用

1960年代に発行された文化と文明に関する著書の代表例を示す。この頃から、文明について時間的・空間的に包括的に研究を深めようという潮流が生まれ、それを受けて日本国内でも文明論が一般的にも語られるようになった。

1.A.トインビー「歴史の研究」経済往来社(1969)strong>元本は、1934~1972にわたって順次発行された4000頁の大著。



トインビーは、1925年にロンドン大学の教授を辞して、王立国際問題研究所(チャダムハウス)の研究部長に迎えられた。そして、年1回発行される「国際問題大観」の編集の傍らこの著書を執筆した。(吉沢五郎「トインビー 、 人と思想」清水書院1982 より)

・日本文明は、西洋物質文明に感化されて衰退に向かっている。

・第2編 文明の発生
第3編 文明の成長 第13章 問題の性質
第4編 文明の衰退
第5編 文明の解体

・文明の衰退の問題は、成長の問題よりも明白である。(中略)二十八のうち、十八までがすでに死滅し、埋葬されてしまったことがわかる。今日生き残っている十の社会は、わが西欧社会、近東地方における正教キリスト教社会本体、ロシアにおけるその分派、イスラム社会、ヒンズー社会、シナにおける極東社会全体、日本におけるその分派、それにポリネシア人、エスキモー、遊牧民の三つの発育停止文明である。この十の現存社会をさらにくわしく観察すると、ポリネシア人と遊牧民の社会は今や臨終の状態にあり、他の八つの社会のうち七つは、程度の差はあってもすべて、八番目の社会、すなわちわが西欧文明のために、絶滅するか、さもなければ吸収されるかの脅威にさらされていることが判明する。
 
・文明の衰退の性質は、少数者の創造的能力の喪失、それに呼応する多数者の側におけるミメシスの撤回、その結果生じる社会全体の社会的統一の喪失の三点に要約することができる。

(ミメーシスとは西洋哲学の概念の一つ。直訳すれば模倣という意味であり、これはプラトンの提唱した自然界の個物はイデアの模造であるというティマイオスという概念からの由来である。アリストテレスがこの概念を受け継ぎ、ミメーシスこそが人間の本来の心であり、諸芸術の様式となっているとした。ミメシスとも。(Wikipediaより)


2.谷川哲三「「歴史の研究」の邦訳の意義」経済往来社(1969)トインビーの「歴史の研究」の第1回配本に挟まれたニュースペーパー



・トインビーの「歴史の研究」は、現代という時代に対する切実な関心から生まれたものである。彼自身、偉大な歴史家の好奇心は、常にその時代にとって実際的な意義を有する何らかの問いに答える仕事に向けられてきたと言っているが、トインビーの場合もまさしくそれである。自分がその一員である西欧文明の前途、これが彼にとって最大の関心事であった。既に「西欧の没落」を予言している恐るべき書も出ている。そのシュペングラーの書にトインビーは衝撃を受けた。そこにトインビーの独自の文明論が生まれたので、「文明から次の文明へと文明が相続される文明の親子関係を設定する彼の独創的な考え方も、独自な角度からこの問題に答えようとしたものである。

・現代を見るトインビーの視点は三つの事実の認識の上に立っている。その第1は、現在、西欧文明は現存する文明の中で、解体期の明白な兆候を示していない唯一の文明だという事実である。他の6つの文明、すなわち正教キリスト教文明の主体とロシアにおけるその分派、イスラム文明、ヒンズー文明、東亜文明の主体と日本におけるその分派とは、いずれも多少の程度の差こそあれ解体期に入っている。
第2は、その現存する6つの文明は、世界中に行きわたった西欧文明のー特に技術文明の波の中に多かれ少なかれ飲み込まれているという事実である。第3は、人類の歴史において初めて全人類というものが意識されたばかりでなく、共通の運命にさらされているという事実である。

次回は,1970年代の著書(6例)を紹介いたします。