古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

岩波新書『独ソ戦』を読みました。

2024年04月21日 22時43分10秒 | 古希からの田舎暮らし
 阪神タイガーズは、快調なスタートではありませんでした。阪神ファンは「あれ? なんか調子がおかしいな」と首をかしげました。しかし一カ月もしないうちに本領を発揮して、セリーグの首位に立ちました。
 いまとなっては、「首位に立つのがちょっと早過ぎたかな」と思ったりします。これはまあ、気分のいいことです。
 一つ、「気分のわるいこと」があります。それは岩波新書『独ソ戦』を読んだことです。
 それをくわしく書きたいです。しかしくわしく書くと気分がわるくなる。しかし書きたい。グズグズして日が過ぎてゆきます。
 本を紹介しておきます。
 独ソ戦というのは、第二次世界大戦での戦争のことです。1941年6月に、ヒトラーは突如ソ連軍におそいかかり、広大なロシアに攻め入りました。この戦いは1945年5月までつづき、ソ連軍がベルリンに攻め入って勝利します。
 すさまじい戦争でした。地球上のすべての戦争のなかで、一番多くの人間が殺しあった戦争です。ちょっと引用してみます。


 しかし、独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大きさだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の本質がある。およそ四年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイツとソ連のあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。そのため、独ソ戦の惨禍も、日本人には想像しにくいような規模に達した。
 まず、比較対照するために、日本の数字を挙げておこう。1939年(昭和14年)の時点で、日本の総人口は約7138万人であった。ここから動員された戦闘員のうち、210万ないし230万名が死亡している。さらに、非戦闘員の死者は55万ないし80万人と推計されている。十分に悲惨な数字だ。けれども、独ソ両国、なかんずくソ連の損害は桁がちがう。
 ソ連は1939年の段階で、1億8879万3000人の人口を有していたが、第二次世界大戦で戦闘員887万8000ないし
1140万名を失ったという。軍事行動やジェノサイドによる民間人の死者は450万ないし1000万人、ほかに疫病や飢餓により、800万から900万人の民間人が死亡した。死者の総数は、冷戦時代には、国力低下のイメージを与えてはならないとの配慮から、公式の数字として2000万人とされていた。しかし、ソ連が崩壊し、より正確な統計が取られるようになってから上方修正され、現在では2700万人が失われたとされている。
 対するドイツも、1939年の総人口6930万人から、戦闘員444万ないし531万8000名を死なせ、民間人の被害も150万ないし300万人におよぶと推計されている(ただし、この数字は独ソ戦の損害のみならず、他の戦線でのそれも含む)。
 このように、戦闘のみならず、ジェノサイド、収奪、捕虜虐殺が繰り広げられたのである。人類史上最大の惨禍というっても過言ではあるまい。

  ※ この項つづく


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