古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

亡くなった人を思う。

2024年05月15日 21時02分03秒 | 古希からの田舎暮らし
 星野富弘さんが先日(4月28日)亡くなりました。昭和21年生まれで78歳でした。
 明石の中学校で教育実習の学生を担当しました。教育実習が終わったとき「お礼に」本をもらいました。星野富弘さんの『風の旅』という本でした。40年近く前のことです。「星野富弘さん」という人の存在をはじめて知りました。あれからずっとぼくのこころに住んでいる存在です。「星野富弘詩画展」が神戸のデパートでひらかれたときは時間をかけて原画を見ました。というか、原画を見る人がみんな詩を読みます。人の流れが遅くなり、列がなかなかすすみませんでした。
 星野富弘さんのことはネットにゆずります。この国の多くの人の〈こころ〉を「やさしくつつんでくれる存在」です。
 星野富弘さんの死亡ニュースを見て「そうだなあ。だんだんみんなが居なくなるなあ」。

 いま早乙女勝元の『戦争を語りつぐ』という本を読んでいます。(岩波新書 副題 「女たちの証言」 1998年刊)作家・早乙女勝元は1932年生まれ(昭和7年)です。あの戦争の敗戦のときは12歳でした。東京に住んでいたので昭和20年3月10日夜の「東京大空襲」を体験しています。10万人が焼け死にました。彼は一生をかけてあの「東京大空襲」を語りつぎます。多くの戦争の証言を取材して後世の人々に残しています。
 いま読んでる本では、女性15人の話を記録しています。あの「杉原千畝」の奥さん・杉原幸子さん/敗戦後『リンゴの唄』を歌った並木路子さん /など著名な人、地道に活動している人、に話をきいています。早乙女勝元さんがきくから、「ほんとの気持ち」を伝えようとする女性たち。いい本にめぐり合いました。
 西宮で活動していたとき、早乙女勝元さんの講演会をしたことがあります。ぼくより5歳年上の早乙女勝元さんは、「文学者の中で一番講演がうまい三人」のなかの一人でした。戦争の悲惨を心に食い込むように語ってくれました。
 早乙女勝元さんは2022年90歳で亡くなりました。 …… みんないなくなるんだなあ。
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手元の道具を確かめてから注文しよう。

2024年05月14日 21時46分15秒 | 古希からの田舎暮らし
〈電気のコード式〉剪定バリカンは電気コードを気にして扱いにくい。コードを引いてこないといけない。やはり〈バッテリー式〉剪定バリカンがほしい。思い立って写真の剪定バリカンを買いました。

 実はコード式の剪定バリカンは、15年前に買った古い品物でした。「15年も使えばもういいだろう」。という気持ちもありました。ところが今日、物置きから現物を出してみました。
 ぼくの思い違いです。コード式剪定バリカンを2,3年前に新しく買っていました。パワフルで、軽くて、扱いやすい。玄関先のカイヅカイブキ垣根の剪定、裏山のボックスウッド垣根の剪定、公民館の中庭の垣根剪定などでよく使い、便利でした。そのことを忘れて、このたび剪定バリカン(バッテリー式)を買ってしまいました。むかしのことは覚えていても、最近のことは忘れやすい。記憶から抜け落ちる。こんないいコード式剪定バリカンを2,3年前に買ったのを、思い出しませんでした。
 これからは、現物の道具をたしかめて、「ほんとに必要なのか」時間をおいて考えてから買うことにします。 反省!

 高齢者の運転免許証更新には、認知症のテストが必要です。高齢者講習は自動車学校で受けますが、通知が来て(5カ月前)すぐに申し込んでも、誕生日を過ぎた頃にやっと予約できるほど混んでいます。
 87歳になる年に運転免許更新をするのですが、このたびは電話をかけてすぐに、5月22日の予約がとれてしまいました。5ヵ月も前に予約がとれた‼ びっくりします。
 早速「認知症テストの勉強をしよう」と本を買いました。あと8日、しっかり勉強します。

 今日は、バッテリー式の草刈り機で裏山の草を刈りました。歯をつける軸のネジ山がおかしくなっています。歯がしっかりつきません。修理してもらいに、ホームセンターに行きました。これから草がよく伸びるので、なるべく早く直してほしいなあ。
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雨のあとは〈外仕事〉をしました。

2024年05月13日 19時10分30秒 | 古希からの田舎暮らし

 裏山は真竹の竹藪です。去年花が咲きました。遅れた竹の花が今年も咲いています。竹は葉っぱが小さく、雨が降っても〈おじぎ〉しませんが、花が咲いてるときは重くなって、おじぎします。雨がやんだので裏山のおじぎしている竹を伐りました。高い枝が手の届くところに低く垂れさがっている写真です。枝を電動ハサミで切り、竹はノコで切って、片づけます。
 何本も垂れさがっていて、時間がかかりました。

 これは「スズメバチ」の女王蜂の捕獲器です。大きなスズメバチが入っているのが見えます。道子さんは裏山のあちこちにこの捕獲器をぶら下げています。いまはスズメバチの女王蜂がどこに巣をつくるか物色中です。飛びまわっています。〈オオスズメバチ〉は木の根元とか地中に巣をつくります。一番危険な蜂です。一昨年は樹の根元に作った巣をセメントで封鎖しました。なんとか「女王蜂が巣の場所を物色している段階」で捕獲したい。

 これはミモザの根元に植えたソバの苗です。ぼくは生えてる笹を刈るだけですが、道子さんは「笹を根絶しよう」とソバをまきます。ソバが生えてくると笹が生えてこなくなります。竹を伐ると笹が生える。その笹をなくそうと道子さんはがんばります。

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つぎつぎと花が咲きます。

2024年05月12日 17時39分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日はむかしの家族にもどって、おしゃべり/抹茶/イチゴ摘み/お昼寝/昼の食事/で一日を過ごしました。久しぶりに父と母と二人の娘の家庭です。それぞれに家庭をもって、元気に暮らしてる。恵まれていると感謝します。

 女性三人と男一人。写真を撮ったお父さんは、あと昼寝とテレビで阪神の試合。
 おじいさんは一番親しかった人たちが逝ってしまい、一人残された気がしています。あの世と携帯電話が通じるいいけど、掛かってくるのは自動車の車検案内とか。おばあさんのお友だちはそれぞれになにかあったりして、互いの交流が長い話になります。
 こうして人生は暮れていくのですね。

 電気コードの剪定バリカンは持っているのですが、バッテリーの剪定バリカンがほしくなりました。石垣斜面の草木を刈ったりするのに、コードではむずかしいのです。そこで6000円ほどで写真の機械を買いました。かなり強力に剪定できそうです。この機械のバッテリーは電動草刈り機と共用できます。バッテリーは買わなくてよかったから、強力なバリカンが入手できました。「刃の付け替え」が簡単にできます。まだ使っていませんが、作業がたのしみです。
 道子さん丹精の花がつぎつぎと咲きます。大きな花・シャクヤク。

 壁を這いあがるクレマチス。

 ぼくも見とれるくらいだから、咲かせた道子さんはしあわせでしょうね。
 花はつづきます。 
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「篠山」はいいなあ。

2024年05月11日 23時52分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 イチゴの最盛期で手入れがいるし、花花の季節で〈水やり〉に手がかかるし、夏野菜の苗を植えなくてはならないし、「道子さんに言っても、いま篠山に行く気はないな」と思いましたが、「明日、篠山の音楽会に行かないか」と声をかけてみました。田園交響ホールで「オペラのいいとこどり」(蝶々夫人)があり、問い合わせたら、チケットがまだあるそうです。
 彼女のこたえは意外にも「ウン、行こう!」。今日は朝10時に出掛けました。
 篠山の町は1995年(地震の年)、篠山町内の乾新町にアパートを借りて2年間暮らしたところです。この2年間のお陰で、いまの〈田舎暮らし〉があります。「行く」と「暮らす」はおおちがいです。篠山の暮らしは30年も前になりますが、いま思い出しても「こころがほころび」ます。
 道子さんもこころがはずんでいます。
 まず乾新町のアパート前の道を通り、〈藤岡ダム〉に行きました。アパートから2,3キロ山に向かって走ると大きな農業用ダムがあります。笹山のアパートにはお客さんに泊まってもらい、朝食はバスケットに入れて藤岡ダムで食べました。自然にかこまれての朝食は、もてなすぼくたちも、こころがはずみました。

 篠山は田植えが早い。五月の連休には田植えをすませます。雨がよく降ったからでしょう。田植えのあとなのにほぼ満水のダムでした。
 食事は篠山特産館でして、音楽会の前に「雲部車塚古墳」に行ってみました。ここで1995年にはじめて「ヌートリア」を見かけ、「こんな大きなネズミがいるのか」と気持ちがはずんだところです。

 古墳のまわりに濠があり、そばの田んぼは田植えがおわっています。
 音楽会は、兵庫芸文センターでのオペラ『蝶々夫人』の「ええとこどり公演」です。出演する歌手が歌います。字幕が出るのでオペラの流れがわかります。音楽会のあと、出演者のみなさんが記念撮影に出てこられました。

 西宮の芸文センター・ホールにはもう行く元気がありませんが、オペラのスピリットは歌で伝わりました。
 なにより、二人が「篠山はいいなあ」と思い出にひたることができました。道子さんは「また秋に来ようね」。家から一時間以内で行けます。人生の陽だまりのような、とてもいい一日でした。
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「毎日しよう」と思うこと

2024年05月10日 16時59分00秒 | 古希からの田舎暮らし
〈MCI〉(エム・シー・アイ)=「軽度認知障害」と宣告された(山本朋史さん)の本を読んで、「認知症にならないように頑張っているんだなあ」と感心しました。ぼくはいまは〈MCI〉でないし、MCIになりそうでもありません。しかし「老い」は一日一日すすんでいるでしょう。そこで心身の健康寿命を伸ばすために二つ「毎日やろう」と思うことを書きます。

〇 電動ウオーカーで毎日歩く。  ……  去年は1月から5月まで100日間、時速4,2キロで30分歩きました。今年は歩いてません。「歩く気力」が出ません。「気力が出ない」が自分の「老い」だと思っていました。たしかに「老い」でしょう。でもやりはじめたら、つづけられる気がします。歩くことに痛みやしんどさを感じてませんから。時間はだんだん30分に近づければいい。明日からはじめようと思います。
〇 ピアノの練習をする。  ……  「86歳の手習い=ピアノを弾く練習をする」。去年急に思い立って、電子ピアノを買いました。しばらく練習しましたが、今年は全然練習していません。頭や指先をつかうピアノの練習は認知症予防にはよさそうです。自分のきらいなことではないし。ずーっと練習するつもりだったのに、「立ち消え」になっていました。それを復活します。音楽では/ハーモニカを吹こう/リコーダーを吹こう/を思ったときもありますが、実現しませんでした。

 この二つ。再開するなら、いまやりはじめないと、あとの長くない生涯でもうやらなくなります。だからこのブログに「宣言」して、自分を追い込むつもりです。
「今日から」でなく「明日から」というところが〈ワタクシ〉らしい。ワタクシはそういうおじいさんなんです。

 二度咲きの胡蝶蘭です。仏壇横に置いてます。一度目よりきれいに咲いて、まだつぼみもあります。道子さんの丹精です。葉っぱに霧吹きをして、少し水をやっています。胡蝶蘭は二度咲きの力をもっています。力を出させてあげましょう。

 去年イノシシ防御の頑丈な柵をつくった一坪ほどの〈百合園〉です。伸びてきました。花が待ち遠しい。
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『MCI』とは? 覚えましょう。

2024年05月09日 18時28分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 東条図書館で本を物色しているとき「時代劇や〈あの戦争の本〉ばかりでなく、〈老人の健康〉の本も読んでみよう」と本棚を見てびっくり。腰・膝が痛い/誤嚥を防ぐ/生活習慣病/などの本が並んでいるかと思いきや、なんと〈認知症の本〉がずらっと並んでいるではありませんか。
 わからないので手に取った本を借りました。そして読みはじめたのが『認知症がとまった!?』(ぼけてたまるか)=(山本朋史 著 2016年刊 朝日新聞出版)という本です。著者は週刊誌(『週刊朝日』)の記者をしている人です。
 読みはじめるとすぐに『MCI』という言葉が出てきます。脳を検査する『MRI』(脳の画像診断をする)のことであはありません。はじめて聞く言葉です。『MCI』って何だろう。〈認知症〉のことだろうか。
 今日の新聞の第一面を見たら、『MCI』のことが書いてあります。その解説を丸写しします。


                         軽度認知障害(MCI)
 記憶力の低下などの症状があっても、家事や買い物などの日常生活では支障が出ていない状態のこと。認知症になる手前で、その後に生活機能障害が出て、認知症に移行する場合もあれば、生活習慣の見直しといった認知症予防の取り組みによって、健常な状態に戻る可能性もある。厚生労働省によると、MCIの人のうち5~15%程度の人が1年で認知症に移行する一方で、16~41%程度の人は1年で健常な状態になるという。


  読んでいる本を書いた山本朋史さんは「MCI」と診断された人です。この本の文章を、ちゃんと立派に書いている。〈認知症〉ではありません。〈MCI〉は病気でもありません。上の解説にあるように「どちらにもなる状態」です。MCIの人は、いまは65歳以上の人の13パーセントですが、「これから〈MCI〉の人が増える」と書いてあります。
 MCIって何のこと? これから大事なキーワードになりそうです。覚えておきましょう。
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畑の石垣下を〈草刈り〉しました。

2024年05月08日 17時08分18秒 | 古希からの田舎暮らし
「今年はいつ草刈りしたかなあ」時間の遠近感がとぼしくなりました。 自分のブログを見ると、畑の石垣下を〈草刈り〉したのは3月30日でした。今日で39日ぶりの〈草刈り〉になります。

 石垣下に降りる階段にも雑草がからみついてます。8月までは30日以内に刈るようにします。今日はマムシはいませんでした。草はよく伸びています。左側の笹竹も生えています。石垣の間から笹や草が生えています。

 この草を20メートルほど刈っていきます。バッテリーは4つ全部使いました。

 刈った写真です。刈りながら「来年は刈れるかなー。足元のふらつき具合もみて考えるとしよう。もう刈らないほうがいいかも」と思いました。
 夕方、村の中に用事があって軽トラで出かけました。うちの村の用事をすませて、緑の田舎道を走ってみたくなり、口吉川町の各部落をまわってみました。

 保木の恵比寿神社の楠です。昭和元年(1925年)、昭和天皇の即位を記念して、全国の神社に楠が配られました。あれからちょうど100年になります。100歳になった楠です。ここの楠は樹形がよく、ぼくの〈お気に入りの樹〉です。
 仕事の合間にちょっと息抜きで村々を走ってみる。いいねえ。
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『神の国に殉ず』を読みはじめました。

2024年05月06日 15時10分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 去年の冬読んだ気がしますが、「いつ読んだか」を自分のブログでさがしてみましたが、わかりません。とにかく二カ月ほどかけて読んだ気がします。本は阿部牧郎の『神の国に殉ず』(小説 東条英機と米内光正)ー平成22年刊ー です。上下二巻で928ページある大作です。
 また東条図書館で借りて、読みかえしています。一回目に読んで引用しているところは覚えています。
〇 海軍通信の暗号はアメリカに見破られて、解読されていました。ミッドウエイ海戦でやられたのも、山本五十六が現地視察をしようとして撃墜されたのも、暗号を解読され、ねらわれました。首相の東条英機が「海軍の暗号がもれてるんじゃないか」といい、秘書が問い合わせ、海軍が否定した。とこの小説には書いてあります。小説だから自由に書けます。案外、本当かもしれません。
〇 昭和20年、日本と戦争中のアメリカの大統領=ルーズベルトが死去しました。ヒトラーは「ざまーみろ!」ののしりましたが、日本の鈴木貫太郎首相は「死者への弔意」を伝える談話が報道されました。そのことにふれて海外の評価が書かれていました。 

 ほかにも引用したところがある気がしますが、二度目に読んでみると「前とちがった箇所」が心に残ります。
 作家はよほど歴史を調べ、登場人物の心にもぐり込み、生きた人間として読者に見せてくれる。そんな箇所がたくさん出てきます。大部な小説ですから、前はチャレンジするつもりで読みすすめました。このたびは少しずつ、当時を想像しながら、読んでいます。引用するとしたら、政治家や軍人が「生きた人間として立ち上がる」感じのところです。〈大日本帝国〉が昭和12年にはじめた日中戦争(戦争と言わずに「支那事変」と呼びました)。その当時の世相と政治家を活写しているところを引用します。


 群衆のどよめきが遠くからきこえてくるような気がする。野球場や両国国技館にいるように、群衆が陽気にさわぎ立てていた。
 それは世論のどよめきだった。陽光にうす赤く染まって諸官邸や陸軍省、海軍省へ流れこみ、閣僚や幕僚たちの心を熱く揺さぶる。戦争をやれ。つづけろ。蒋介石を屈服させろ。華北を第二の満州国にしろ。新聞の立てるそうした雑音が、日本の空気を赤く染める。    
 新聞はつねに強硬意見を吐いて国民を煽り立てる。そのほうが読者受けして新聞が売れるからだ。国民を昂(たかぶ)らせ、売り上げ増をはかっている。
 軍人はそれを読んで強硬意見を吐いて国民を煽り立てる。もともと軍人は勇者を気どりたがる。敵に向かって勇ましく怒号を発することで彼らは国民のご機嫌をとる。思慮のたりない若い将校にも支持される。そしてこの種の軍人は強硬姿勢こそ軍の王道と思いこむ。
(いま閣議をしている場面です。近衛文麿首相の発言)
 「 ーー 要するに私はもう蒋介石を相手にする必要はないと思うのだ。首都(南京を首都にしていた)が陥ちて(中国の奥地に逃げ込み)蒋政権は田舎の一政権にすぎなくなった。新しい和平条件を呑もうと吞むまいともう問題ではない。新しい政権をつくり育成して、新しい日支関係を確立すべきです。私はその方針でゆく」
 近衛首相はようやく結論を出した。
 戦争の長期化に近衛もなやんでいたことはたしかである。だが、彼も世論の反発を恐れて、和平の申し入れはできなかった。かといって蒋介石を打倒するため全面戦争に踏みきる度胸もない。


※ 当時は新聞が世論をあおって、戦争気分をたかぶらせました。新聞にあおられて、「戦争だ。支那をやっつけろ」が多くの国民が叫んでいました。新聞の責任は大きい。そして、いまや新聞は落ち目ですね。新聞をとっていない家がどんどん増えています。
 
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久しぶりに〈勢ぞろい〉

2024年05月05日 17時33分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 ゴールデン・ウイークのニュースを見ると、田舎に帰省する場面が出てきます。「コロナで長らく田舎の祖父母に会わなかったから新幹線や飛行機に乗って帰省するのだな」とテレビ・ニュースを見ます。
 さて我が家も久しぶりに〈勢ぞろい〉しました。一時間の車運転で帰省してもらえるのは、親にとっても子にとってもありがたいことです。
 86歳・82歳になるおじいさんおばあさんは、朝から掃除機をかけ、食卓をきれいに拭き、イスを出して並べました。

 二人ともなんとか元気に、子たち孫たちをむかえられるのはありがたいことです。
 道子さんが今年も丹精して、一年がかりで育てたイチゴを、摘んでいます。

 イチゴの最盛期は来週くらいになりますが、今日もしっかり摘むことができました。でもかがんで仕事をするイチゴづくりは、かなりハードです。ぼくは手伝えないし、「無理しないほうがいいな」とながめています。

 気候もいいし、ウッドデッキでイス・ブランコに乗ったり、おしゃべりしたり、いつもの気持ちのいい時間をすごして、帰っていきました。おじいさんは特に話すこともないし、子たち孫たちがたのしくすごしてくれればいいし、昼寝をたっぷりしました。
 今日もナイターで阪神・巨人戦があります。8時頃に寝てしまわないように。

※ 今日はデイゲームだったのですね。夕方TVをつけて知りました。阪神が勝ってよかった。ぼくは、見るといっても「阪神が攻撃をしているときだけ」。ま、勝ってたらしあわせです。
 
 
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草刈りをしました。

2024年05月04日 17時46分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 雨がよく降って、草刈りがのびのびになっています。今日は玄関前の道路と裏山の草刈りをしました。草刈りのバッテリー4個を使いました。充電しておき、明日は畑の石垣下を刈ろうと思います。
「グイグイ仕事をする」というわけにはいきません。「30分しては1時間休む」ペースです。これが自分の年齢に合った仕方だと思います。「頑張らない」はぼくのモットーですし。でも30歳代の後半5年間は「ほんとに頑張りました。頑張るしかなかった。心身を擦り減らして頑張りました」。
 一度そういう体験をすると「学校の仕事なんてどうにでもなる」という気分です。

 今日は玄関先から山の方の電柱まで片づけました。道子さんは「道沿いにコスモスを植える」といいます。そこで草を刈り、小枝などを片づけました。いい感じになるでしょうね。
 仕事をしている途中で、ガンジキ(サラエ、熊手)の柄が折れてしまいました。500円ほどのモノですが、修理すれば使えます。
柄がはまるサイズの竹を伐って、折れた柄をつなぎ、ビス止めしました。

「手近に竹がある」ってとても便利ですね。もう10年も前になるでしょうか。神戸のシルバーカレッジで同級だった方が、「竹を伐らせてほしい」と電話してきました。きくと「絵を描くときに絵の具を〈竹のへら〉で練る。その〈へら〉を自作するので10センチほど竹がほしい」。お安い御用です。伐ってさしあげました。
「わざわざ大変ですね」といったら「ちょっとの竹でも、知らない竹藪に勝手に入るわけにいきませんからね」。
 田舎の自然、竹藪、田んぼ、草刈り、竹伐り、などなんでもないけど、恵まれてる気がします。
 
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裏山を見守っていただき、ありがとうございます。

2024年05月03日 18時14分27秒 | 古希からの田舎暮らし
「裏山、裏山」と自分の庭のようにブログに書いていますが、裏山は我が家のものではありません。村の方が分割所有する竹藪です。竹がびっしり生えていました。
 17年前の2006年12月に引っ越したときは、暗い裏山の竹藪でなく、東側の田舎の田園風景を眺めてよろこんでいました。ウッドデッキをつくり、友人に来てもらいました。2007年にはいろんな友人を呼んでウッドデッキで9回BBQをしました。裏山のほうに気がいったのは2009年からです。うす暗い竹藪の裏山に入り、2000本の竹を伐りたおしました。竹を伐るのはわりと簡単ですが、倒れた竹の処理に手がかかります。
 そこで活躍したのが母・妙子さんでした。ハサミをもって裏山に入り、竹の山に挑戦してくれました。伐りたおした竹を積みあげておくと、枝をはらって枝先を切り刻んでくれました。数年間つづいた母の仕事のお陰で、「竹伐り」がすすみました。
 いまでは、裏山に/キウイ棚/花見デッキ/イス・ブランコ/ビオトープの池/テントハウス/たき火場/百合園/バラ園/生きもの塚/バードフィーダー/楠台/シイタケホダ木置き場/などをつくり、たのしんでおります。
 裏山を使わせてもらっているおうちの高齢の婦人が亡くなりました。こころよく使わせてもらっていただけに、いつまでも見守っていただきたい方でした。私たちも、裏山でごそごそするのはそんなに長くないでしょうが、「あたたかり見守り」に感謝します。
 ありがとうございます。
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5月22日は「運転免許更新の講習」です。

2024年05月02日 17時34分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 朝寝とか昼寝とかして、目が覚めて「えーと、いまは〈朝かいな〉〈晩かいな〉としばらく思案する」。〈この世かいな〉〈あの世かいな〉と思案してもええような気分です。年をとりました。そんなおじいさんおばあさんでも、一日にはいろいろなことがあります。
〇 まず予約の歯医者さんへ。痛い歯の治療をしてもらいました。
〇 お昼は「よかたん」まえの『さわい食堂』に行って天ぷらそばを食べました。

 立派な食堂です。この食堂については、我が家との関連で長いストーリーがあります。この食堂に来たのは2007年の5月頃でした。大豆畑トラスト「むーな村」でお世話になった方を三木の新居に招待し、食事は〈よかたん〉にしようとやってきました。ところがよかたんは休業日。仕方なく前の「さわい食堂」に行きました。食事はそれなりにおいしかったと思います。それから一度もこの食堂に入っていません。「死ぬまでにもう一度食堂に行こう」と二人で話し合い、今日実現しました。
〇『ホ・ジュン』の再放送の最後を家で見ました。2007年1月にはサンテレビで再放送していた韓国テレビドラマです。何度も再放送されたけど、ちゃんと見てないところがあったもので。
〇 東条図書館に本を返しに行ったら、〈コスミックホール:落語会〉のチケットを事務所で売っています。2枚ゲットしました。6月に行くところができました。
〇 おじいさんの運転免許更新案内ハガキが来ました。認知症や運転の講習を受けて、免許の更新をします。その講習が超満員になるので早速電話で申し込みました。今回はずいぶん早く講習を受けることができます。5月22日。
〇 竹藪の竹が枯れたらどうなるか。

 いま花が咲いています。これから花が散り、葉が枯れます。枯れた竹は数年したら倒れるでしょう。それより次の写真を見てください。細い笹か竹がいっぱい生えてきます。竹の根は枯れてないのでしょうか。60年に一度という竹の花。もう少し観察します。
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阪神タイガースは負けへんなー。

2024年05月01日 23時18分32秒 | 古希からの田舎暮らし
 阪神タイガースはセ・リーグの首位になってるし、阪神だけあんまり独走してもおもろないし、そろそろ負けてもええか。そう思って、今日は9回の阪神の攻撃が終わったところでテレビを消しました。でもちょっとは気になって、起き出してきて「試合はどうなったかな」とテレビをつけて見たら、「延長12回〈2対2〉の同点で引き分け」になってました。
 心の中では勝ったほうがうれしいけど、勝ってばかりのプロ野球なんてありないし、そろそろ負けてもええけどなあ。
 でも、阪神は負けへんなあ。こんなことはなかったなあ。長い人生には、こういう年があってもええか。
 心おぼえに記録しておきます。5月1日に散髪しました。前回は4月1日にしています。すっきりしました。これから各月の1日をめどに散髪することにします。日曜日などは避けて、いちばん空いているお昼の時間に。

 今日も雨がちの天気でした。外仕事はできません。家の中でぐずぐずしていました。夜寝ていても、起き出してきて、思うことがあります。あの戦争で、「威張りくさって、多くの兵士を死地に追いやり、自分は敗戦後も軍人恩給をもらってのうのうと生きた人」が処罰されたり、有罪になったり、世間の非難をあびたり、部下だった人に殺されたり、傷つけられたり、敵前逃亡の罪で軍事裁判で銃殺刑になったり。そういうことがあれば、せめても気持ちが少しははれますが、全然ない。牟田口廉也とか富永恭二とか卑劣な上官がのうのうと生きたのです。
 いまさらどうしようもないけど、特に陸軍の上層部はひどかった。あの世にいってから「おそらく地獄でいじめられてる」だろうけど、そんなことでは気分がおさまらない。 作家の結城昌治みたいに「ひどいことをした上層部の軍人に復讐する作品」が書けたらいいけど。
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