おでかけ大好き

お金のかからないおでかけ&ささやかな幸せ&読書など。毎日楽しいことばかりだといいのにな。

ワンダーガーデン

2014-11-09 22:52:06 | おでかけ
時間が経ちすぎて、記憶がますます曖昧ですが、お許しを。

ある晴れた日、晴れさんと森町、袋井堪能をしました。

涼しくなったので、少し歩きたいと組んだコースなのですが。


とりあえず、いまだ行ったことがなかったワンダーガーデンへ。

入場無料だしね。

広い駐車場に、遊具?的なものもあります。









薔薇の頃は、素敵なのかも。


野外を中心に、立体的なモザイカルチャーが。

ドレス。





こういう骨組みに、ミズゴケ?などを敷き詰めてワイヤーを張って、

そこに植物を植えつけていく、立体寄せ植えといった感じ。



たてがみは長く伸びる植物とか、特性を生かしてるのね。









脈略なくいろいろあります。

浜名湖花博のモザイカルチャーは、ここで製作したものだそうです。




温室の中は、今話題のアレが。

多肉植物です。

今回一番の不思議ちゃん。



コレが伸びるのね~?



アサリの目か、コレ↓の仲間としか思えない。




ぷちぷちしてる~。




これも胡瓜の飾り切りとしか。




これ、かわいいけど、お絵かきで書く草だよ。







和洋な鉢が販売中。





あれ~、もっとたくさん写真撮ったんだけど、

どこいっちゃったのかな~?

みつかったら、出しちゃうかも。

とにかく、多肉のキモかわいさに、今更ズキュンでした。

危うく買ってしまうところだった。


多肉だけでなく、いろいろな苗木も売ってましたよ。

多肉を植える器や缶、鉢、額など色々とおしゃれな入れ物が。

和にも洋にもできるところがいいよね。

多肉寄せ植え教室(要予約?)やってるようです。

センスがよければ、ちょっとしたプレゼントによさそう。

多肉はサボテンの仲間なんだよね?

伸びると印象が変わったり、間からぴゅーと伸びて花が咲いたりと、

その変幻自在ぶりも面白い。

200円くらいからあるので、駄菓子を選ぶ感覚で、

あれこれと買ってしまいたくなるかも。

危険だ、もけらもけら。


大きい施設ではないですが、

小一時間、盛り上がって楽しみました。

また来たいかも。


さて、次は歩く予定なのですが。













新潟の葬儀について書置き

2014-11-09 21:55:44 | 日々喃々


大叔母がおいしいからと、

差し入れてくれたかりんとう饅頭なんですが。

いかんせん、色艶形が・・・。


毎日ブログ見にきてくれてありがとう。

慌しくて更新できなくて、ごめんさい。

新潟から戻ってからの忙しさたるや。

不在の日の仕事や習い事を、その週で取り戻すので、

洗濯物や疲れに加え、日常以上の慌しさ。


祖母が数えとはいえ、97歳だったことにびっくり。

94歳くらいだと思ってたんですが。

おばあちゃん、本当に生き尽くしたよね。

最後は食べれず骨皮でしたが、やはり昔の人だけあって、

骨がしっかり残っていたそうで。

私はお骨を拾ってないので、知らないのですが。


以前も書きましたっけ?

葬儀の風習というのは、各地で違うものですね。


新潟の風習では、お骨を拾うのは身内の数名だけで、

火葬場で見送ったあとは、お骨拾いの特命の数名を残して、

全員斎場に戻り、

お骨不在のまま、35日法要が執り行われるのですよ。

やはり葬儀とは異なる儀式なのか、

お坊さんの衣や鳴り物(ドラから拍子木)、お経、

ロウソクたての色などが変わっていました。

お色直し的な?

法要が行われるので、喪主は火葬場にも行きませぬ。

葬儀はおばあちゃんご本人、、

法要は喪主が主体なのかな。


そして法要が終わると、もちろん骨抜きで、

「お解き」という精進落とし的食事会が始まります。

お坊さまも形だけ食事をした後、

お骨には会わず帰ってしまわれます。

しばしたってから、食事の場がほぐれた頃、お骨入場。

食事の途中で、銘々手を合わせにゆきます。

お骨を拾った方は慌しく食事が始まり、

入れ替わりで、お寺にお花?を届けにいく任務の人が出動です。

車で行くのでお酒を飲めない人が選ばれます。

え~別にこんな夜にお寺行かなくてもいいじゃん。

明朝じゃだめ?

というか、お坊さんが帰るとき持っててくれれば合理的じゃん。

儀式というものは、型と意味が隔離している場合が多いので、

合理的なのか、そうでないのかわからないものです。


ここのところ、祖父、伯父、祖母とほぼ2年置きに、

新潟での葬儀が続き、やっと慣れてきました。

皆も段取りや、それぞれ役割を熟知し、

今回は戸惑いや怒り?はありませんでした。

経験って大切。

残された伯母は元気な人なので、

しばらく空くうちにきっと忘れそう。

そしてまた戸惑い、怒るのであろう。


今回は日程の関係で、こどもたちも一緒に、

祖母の自宅での、湯灌の儀や自宅からのお見送りができて、

本当にありがたかった。

カッパどんも、棺を担がせていただいたしね。

私はこどもの頃、幸か不幸か、身内の葬儀の体験がほとんどなかった。

それでよくわからないまま今に至る。

祖母の場合はやっとやっとの大往生だったので、

周りも悲しみよりも、

やっとおじいちゃんのところにいけてよかったねと安堵のほうが大きく。

悲しみに暮れる儀式ではなかったけど。

生きているところを知っている人が、死んで動かなくなっているところ。

骨皮になっているところ。

お水を口に含ませてあげたときや、

棺を持ち上げたときの気持ち。


そういう実体験が、いつかこどもたちが、

なにかで死を意識したときの、

参考資料の一部になってくれればいいと願う。

それが、現世で少しだけ縁のあったひいおばあちゃんからの、

最後の贈り物なのだよ。

動けず食べれず話せなくなっても生きて、

老いさらばえて死ぬ意味はあるのだなと。

教えてもらったような気がするから。