故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

よそ行きの服

2015-06-30 06:29:24 | よもやま話
  
子どもの頃も、今もよそ行きの服がないのです。
普段着が通勤服で、仕事着は作業着です。
背広を着る機会が減りました。

背広を着た人と、作業服の人が並んでいます。
なんとなく背広の方が偉い人じゃないかなと錯覚します。
銀行にも作業着で行く先輩は、
お前らの背広は制服であり、俺らの作業着と一緒なんだ。
と威張っています。

先輩一行は、余市の由緒あるゴルフ場にトラックで乗り付けました。
玄関に出てこられた支配人風の方が、
「今日は、工事はなかったはずですが」といぶかしげに対応しました。
先輩がキャンバスシートをめくって、立派なバッグを取り出しました。
支配人は、いつものお客さんに見せる満面の笑顔に変わりました。

どちらも、ちょっと違うんだけどの話です。

作業着も洗い古した少しよれっとした方が着やすいのです。
作業服のポケットには、ピッチと会社のスマホと個人の携帯電話が入っています。
万歩計も加わります。
マスター鍵、玄関の鍵とボールペンも入っています。
首には、ピッチ用とボールペンを吊るすひもが2本回っています。
ヘルメットのひもが顎にかかり万全です。
腰に安全帯を巻けば完璧です。
やれやれ。結構重いのです。汗が加わると作業服は鎧のようです。

よそ行きの服を着て、飲みに行きたいのです。

ある現場で、作業員全員(総勢30人位)、クラブを貸切にして、
慰労会を開きました。施主も一緒でした。
皆さん、風呂に入ってきたようでした。
中にはコロンを振っている人もいました。
カラフルなおしゃれ着で来られました。
店の女の方たちも、大喜びでした。
大いに盛り上がりました。

翌日の朝礼には普段通りの人数でした。
どの顔も心なしか赤いようでした。
現場を回ると、作業員が見当たりませんでした。
日陰で休んでいました。その日は早仕舞で帰っていただきました。

皆さん、その時のためのよそ行きの服を持っておられました。
洗濯やから持ち帰ったまま吊るされていたのか、突っ張っているようでした。
よそ行きの言葉なんか使っちゃって、
がらもいくぶん変わっていたように感じました。

撫子の 戦い終わり ONとOFF

2015年6月30日

コメント
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