故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

肩書だけが人生か

2015-06-18 04:33:58 | よもやま話
  
子どもの幼稚園に肩書は必要ないのです。

会社の延長のような評価はないのです。
何ちゃんのお父さん、お母さんであるべきです。
肩書を振りかざして勘違いされている人に会うことがあります。
どうあるべきかを判断しないで、旦那(家族)が良ければと考えられる
女の方もいらっしゃいます。

会社の中でも一緒です。
仕事ができるかそうでないかで評価されるべきです。
肩書のある人は自分のいうことを聞く人を評価しがちです。
情報が偏るので、一生懸命働く人がどう思っているか分からなくなります。

上の人に、会社(社会)のためにではなく、自分のためにが見えてくると
急に冷めてしまいます。
上の人がそうなら、周りを固めている人もそうなりがちです。
上の人がこう言ったで、すべての疑問と反対意見を抑えてしまうのです。
上の人は、そんな風に利用されているのを知らないのです。
いや知っていて知らぬふりです。これはコンプライアンスに反するのです。

会社(仕事)以外では、とても付き合う人ではないのです。

意見を求められるので、おかしいと思ったら正直に反対意見を言います。
肩書のある人の中には、感情的になられる方がいます。
冷静に反対意見を聞くだけの度量がないのです。自信がないのでしょう。
公平に物事を判断できる人から見ると裸の王様に見えます。

こういう人は、汗を流すべきです。
毎日、若い時のことを思い出すべきです。
感覚がずれていくのを自覚できなくなるのです。
取り巻きも崩れていく上司を黙って見て見ぬふりです。
尊敬されていないのです。利用されているだけなのです。

こんな会社(仕事)は上手くいかないのです。
活気がないからです。意志のない人だけが増えていくのです。
奥さんがまともならまだ救いがあるのです。
旦那の肩書を謳歌されているようでは、もう道はありません。
会社をやめたら、きっと寂しい人生を送られることになるでしょう。
その人は、それでバランスが取れるかもしれません。

しかし、一生懸命働く人はたまったものではありません。
良い人材ほど流出してしまうでしょう。
人が会社を迷わせることほど悲しいものはありません。
個人の病気なら薬で治せます。
自覚症状のない病人にはつける薬はありません。

上の人は、「自由にものが言える場所」を作らなければなりません。
下の人が、「思ったことを堂々と主張する場所」でなければなりません。

会社から給料をもらっている限り、正しいと思う方向に動かなければなりません。
黙っているとしたら、私は給料泥棒です。

ハイエナは ライオン獲った 肉奪う

2015年6月18日
コメント
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