
タイトルは、「ぼくにちょうだい」
彼らと話したい。
面倒が増えるからやめておく。感じるだけにとどめておこう。
今日のタイトルは、「なんかなあ」です。
考えていることの整理がつかない。
60歳で家を出た。
出会った妻と暮らすためである。
興味があり、役に立ちそうだからと、さらに仕事をした。
任された仕事が終わったころ、年齢的に給料が高いと言われた。
コミットした成果を出すのが、仕事と信じてきた。年齢とは関係ない。
必要とされなくなったのである。
経験が生きるだろう。
自分でも未知の世界に飛び込んでみたくて、地域おこし協力隊の仕事に就いた。
採用されるまで半年かかった。転職は、いつものように時間がかかる。
未知の世界とは、地域活性化であった。
すべてが新しい、挑戦のような生活が始まった。
人は、ハードだけでは暮らせない。
持ち家があって、家族がある。
仕事以外のソフトを持たない限り、時間だけ無為に過ぎていく。
女性から学ぶことが多かった。
女性は、生涯を通じて仕事以外の関りが多い。
ハードは男が作ったかもしれないけど、女性はソフトを多く持っている。
私の場合、迷いの老犬のように妻に助けられたと言ってもよい。
残りの人生を拾われた。
地縁も血縁もない新しい生活は、ソフトに溢れていた。
誰からも期待されない。移住とは、そういうものと理解した。
都会では、常に足りないと感じていた。
足りない金と時間のために悪戦苦闘していた。
ここでは、余り過ぎて消費することに苦労している。
溢れる自然。足りないのは、人である。
人がいたころは、回っていたサービスと金であろう。
人が足りないので、一人が何役もしなければならない。
一気に時間が足りなくなった。
生きている限り、経済とは縁は切れない。
どこで暮らそうと、それは同じこと。
食うために、金を稼ぐ。
限られた金と時間をセーブするために工夫をする。
工夫が、ソフトになる。ソフトがあるからハードが生き返る。
私は、妻と二人の生活である。
困ったときの代打はいない。
まとめて仕事をこなせないし、まとまった金も入ってこない。
こつこつと、できることをやるだけである。
やるから、ますます健康になる。
身体も頭も、まだはっきりしている。
自分は何者と、毎日書いている。
自分以外のもの(人や自然)を必然的に見るようになった。
都会では、仕事に夢中な時は、自分以外のものを見る必要がなかった。
今思うと、怖いものがある。
考えるために、庭を見て林を見る。
飽き足らず、田んぼを見て山を見る。
なんかなあ。
答えなんて出てこない。
なんかなあ 生きてる限り 答えなし
2019年7月2日