故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

なんかなあ

2019-07-02 05:28:04 | よもやま話

タイトルは、「ぼくにちょうだい」
彼らと話したい。
面倒が増えるからやめておく。感じるだけにとどめておこう。


今日のタイトルは、「なんかなあ」です。
考えていることの整理がつかない。

60歳で家を出た。
出会った妻と暮らすためである。
興味があり、役に立ちそうだからと、さらに仕事をした。
任された仕事が終わったころ、年齢的に給料が高いと言われた。
コミットした成果を出すのが、仕事と信じてきた。年齢とは関係ない。
必要とされなくなったのである。

経験が生きるだろう。
自分でも未知の世界に飛び込んでみたくて、地域おこし協力隊の仕事に就いた。
採用されるまで半年かかった。転職は、いつものように時間がかかる。
未知の世界とは、地域活性化であった。
すべてが新しい、挑戦のような生活が始まった。

人は、ハードだけでは暮らせない。
持ち家があって、家族がある。
仕事以外のソフトを持たない限り、時間だけ無為に過ぎていく。
女性から学ぶことが多かった。
女性は、生涯を通じて仕事以外の関りが多い。
ハードは男が作ったかもしれないけど、女性はソフトを多く持っている。
私の場合、迷いの老犬のように妻に助けられたと言ってもよい。
残りの人生を拾われた。

地縁も血縁もない新しい生活は、ソフトに溢れていた。
誰からも期待されない。移住とは、そういうものと理解した。
都会では、常に足りないと感じていた。
足りない金と時間のために悪戦苦闘していた。
ここでは、余り過ぎて消費することに苦労している。
溢れる自然。足りないのは、人である。
人がいたころは、回っていたサービスと金であろう。
人が足りないので、一人が何役もしなければならない。
一気に時間が足りなくなった。

生きている限り、経済とは縁は切れない。
どこで暮らそうと、それは同じこと。
食うために、金を稼ぐ。
限られた金と時間をセーブするために工夫をする。
工夫が、ソフトになる。ソフトがあるからハードが生き返る。

私は、妻と二人の生活である。
困ったときの代打はいない。
まとめて仕事をこなせないし、まとまった金も入ってこない。
こつこつと、できることをやるだけである。
やるから、ますます健康になる。
身体も頭も、まだはっきりしている。

自分は何者と、毎日書いている。
自分以外のもの(人や自然)を必然的に見るようになった。
都会では、仕事に夢中な時は、自分以外のものを見る必要がなかった。
今思うと、怖いものがある。
考えるために、庭を見て林を見る。
飽き足らず、田んぼを見て山を見る。

なんかなあ。
答えなんて出てこない。

なんかなあ 生きてる限り 答えなし

2019年7月2日
コメント
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