絵のタイトルは、「距離感」です。
この人は、盆栽を見ています。興味があれば、近づきます。
私とあなたは友達だから、1m。
親しくなったら30cmです。
中学校に行き、講義をした。
シミュレーションはばっちりで、あとで使ってもらおうと資料を持参した。
すべて、この地に来てからの自作のレポートである。
空き家、6次産業化に代わるもの、インバウンド、カフェの活用や移住の自由などである。
自分の持ち時間は、わずかに15分でした。
資料を渡し、中身についてインデックス的に説明した。
そして、残り10分。
準備したものは、50分のストーリーでした。
今日のタイトルは、「年齢」です。
講義を企画したのは、商工会の青年部でした。
中学生を通じて、未来へ続く活動を試みたのでした。
講義などしたこともない、若い人が壇上に立ち、にわか講師をする。
今まで、「お兄ちゃん」だった人から話を聞く弟や妹たち。
説明するのは、多岐にわたり、この地の産業から暮らしまでであった。
私の担当は、「地域づくり」でした。
多くのことは語れません。
半分は、何が言いたいのとついていけない。
残りは、なんか違う、聞いたことがないけど面白そう。
地域づくりを10分で語れるわけでもなく、私はこの子たちとわずかな時間触れ合った。
生徒8人中、4人は将来就きたい職業があるという。
女の子が、その大半であった。
残りの子は、自分は何者と自問している感じでした。
その場にいて、年齢を超越していると感じました。
家にいると、お兄ちゃんにお母さんそしてお爺ちゃんである。
教室に入るだけで、それは消えていた。
一人の若者と大人の会話でした。
地域おこしに年齢は関係ない。
若者、馬鹿者そしてよそ者が望まれる候補者です。
経験者は、やる前から「ノー」と言い、
これからの人は何でもやってみなければとイエスマンです。
どっちも相応しいのです。
中学生は、3年もすると選挙権が得られる年齢です。
責任ある行動と考えを持っている。今がその発露の途中です。
冒頭で、私は外人と英語で会話できます。と伝えた。
自分から英語で話す。相手は、私の英語力を瞬時に理解する。
分からないことは、すぐに「なーに」と幼子のように質問する。
今日は、そんな風に説明中理解できないことを聞いてください。
途中、人の眼を通して評価されるより、自分の目で人を判断してください。
私は、似顔絵を描いています。
その人も知らない素敵な笑顔を抜きたいと格闘しています。
最後に私は、「お利口さん」は、わずか10年の賞味期限です。
「変人」は、センチュリーカンパニーとなる助け人である。
理解できなくてもよい。
教育とはそういうもの。
オリジナリティーこそ、教育を活かすと伝えたかったのです。
「年齢」を超越した瞬間でした。
誘ってくれた青年部部長に感謝する。
陽の光 若木に当てよ 老木は
2019年7月12日
<<投稿後>>
経験は、年齢と共に積み上げるものと思われがちです。
なにか違う。感動と共に積み上げると言った方が近い。
ただ、年齢を重ねたものが経験者とは言えない。
そんな深みを表現できなかった。
またの機会とする。