故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

年齢

2019-07-12 05:32:56 | よもやま話

絵のタイトルは、「距離感」です。
この人は、盆栽を見ています。興味があれば、近づきます。
私とあなたは友達だから、1m。
親しくなったら30cmです。


中学校に行き、講義をした。
シミュレーションはばっちりで、あとで使ってもらおうと資料を持参した。
すべて、この地に来てからの自作のレポートである。
空き家、6次産業化に代わるもの、インバウンド、カフェの活用や移住の自由などである。
自分の持ち時間は、わずかに15分でした。
資料を渡し、中身についてインデックス的に説明した。
そして、残り10分。
準備したものは、50分のストーリーでした。

今日のタイトルは、「年齢」です。
講義を企画したのは、商工会の青年部でした。
中学生を通じて、未来へ続く活動を試みたのでした。
講義などしたこともない、若い人が壇上に立ち、にわか講師をする。
今まで、「お兄ちゃん」だった人から話を聞く弟や妹たち。
説明するのは、多岐にわたり、この地の産業から暮らしまでであった。
私の担当は、「地域づくり」でした。

多くのことは語れません。
半分は、何が言いたいのとついていけない。
残りは、なんか違う、聞いたことがないけど面白そう。
地域づくりを10分で語れるわけでもなく、私はこの子たちとわずかな時間触れ合った。
生徒8人中、4人は将来就きたい職業があるという。
女の子が、その大半であった。
残りの子は、自分は何者と自問している感じでした。

その場にいて、年齢を超越していると感じました。
家にいると、お兄ちゃんにお母さんそしてお爺ちゃんである。
教室に入るだけで、それは消えていた。
一人の若者と大人の会話でした。

地域おこしに年齢は関係ない。
若者、馬鹿者そしてよそ者が望まれる候補者です。
経験者は、やる前から「ノー」と言い、
これからの人は何でもやってみなければとイエスマンです。
どっちも相応しいのです。
中学生は、3年もすると選挙権が得られる年齢です。
責任ある行動と考えを持っている。今がその発露の途中です。

冒頭で、私は外人と英語で会話できます。と伝えた。
自分から英語で話す。相手は、私の英語力を瞬時に理解する。
分からないことは、すぐに「なーに」と幼子のように質問する。
今日は、そんな風に説明中理解できないことを聞いてください。

途中、人の眼を通して評価されるより、自分の目で人を判断してください。
私は、似顔絵を描いています。
その人も知らない素敵な笑顔を抜きたいと格闘しています。

最後に私は、「お利口さん」は、わずか10年の賞味期限です。
「変人」は、センチュリーカンパニーとなる助け人である。
理解できなくてもよい。
教育とはそういうもの。
オリジナリティーこそ、教育を活かすと伝えたかったのです。

「年齢」を超越した瞬間でした。
誘ってくれた青年部部長に感謝する。

陽の光 若木に当てよ 老木は

2019年7月12日

<<投稿後>>
経験は、年齢と共に積み上げるものと思われがちです。
なにか違う。感動と共に積み上げると言った方が近い。
ただ、年齢を重ねたものが経験者とは言えない。
そんな深みを表現できなかった。
またの機会とする。
コメント
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