
先生に褒められようと描いた絵がこれです。空に斜めの線を入れました。
タイムカプセルなるものを小学校のグラウンドの隅っこに埋めた。
20年後に、同級生が集まって掘り出した話を聞きます。
20年前のはなたれ小僧は、「こうなりたい」と思いを綴っていました。
そうなった人もいれば、ならなかった人もいる。
嬉しいのは、集まれたことです。
今日のタイトルは、「50年後に回答」です。
私は、60歳の時同窓会に出席した。
島の小学校の私たちのクラスは、一組だけの学年でした。
入学から卒業までずっと一緒でした。
皆が話した。今のことや昔の思い出話をした。
馬面の先生も出席されていました。50年間、お会いしていませんでした。
小学校5年生の時、私のことを皆の前で誉めてくださいました。
「この子は、忙しいお母さんに替わって、繕い物を自分でやっている」と。
褒めてくださったのに、私は素直に喜べず泣いてしまいました。
先生は、「どうして、泣くのか」と問われました。
応えられませんでした。
最後に立った私は、先生の50年前の何故に答えることにしました。
「本当は、お袋に縫ってもらいたかった。お袋はいつも忙しく甘えることはできなかった」と。
幼い私は、本当の気持ちを言えなくて、複雑な心境を吐露できなかったのです。
その頃は、みんなそうでした。着たきり雀の袖口は、洟でてかてかでした。
中に毛糸のパンツを履いていた女の子がいました。
その子だって、甘えることは許されなかった。
半年に一度帰ってくる気帆船の船長(機関長はお母さん)の娘でした。
親は、申し訳ないと高価な毛糸のパンツを娘に買ってきたのでした。
貧乏人の子どもたちに、毛糸のパンツを冷やかされたのです。
やはり50年ぶりに会った同級生と結婚することになりました。
馬面の先生に二人で挨拶に行きました。
島から出たことがない妻に、「それは、東京に行かなければならない」と決断を促しました。
故郷に恩返しと、新妻をモチーフにして書いた短編小説「さなさん」も読んでいただきました。
時代考証について、先生から鋭い質問をいただきました。
相変わらず怖いなと思いながら、調べた経緯を答えました。
絵も見ていただきました。
先生は、島の展覧会に毎年油絵を出展されていました。
この線が生きていると評価してくださいました。
先生は、昨年亡くなられました。90歳でした。
言えないことがたくさんあります。
どう説明したら分かってもらえるのか、苦慮することばかりです。
自分のことが、自分でもわからない。
時は友達。「なんかなあ」と思っていたことのわだかまりが融けていきます。
そんなこと忘れてしまった。
同窓会のあいさつは、私なりに練った凝った作戦でした。
同級生に見透かされ、ずいぶんとやり玉にあげられました。
ほんとはね 言えたらどんなに 楽かしら
2019年7月8日