故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

50年後に回答

2019-07-08 03:36:30 | よもやま話

先生に褒められようと描いた絵がこれです。空に斜めの線を入れました。


タイムカプセルなるものを小学校のグラウンドの隅っこに埋めた。
20年後に、同級生が集まって掘り出した話を聞きます。
20年前のはなたれ小僧は、「こうなりたい」と思いを綴っていました。
そうなった人もいれば、ならなかった人もいる。
嬉しいのは、集まれたことです。

今日のタイトルは、「50年後に回答」です。

私は、60歳の時同窓会に出席した。
島の小学校の私たちのクラスは、一組だけの学年でした。
入学から卒業までずっと一緒でした。
皆が話した。今のことや昔の思い出話をした。
馬面の先生も出席されていました。50年間、お会いしていませんでした。
小学校5年生の時、私のことを皆の前で誉めてくださいました。
「この子は、忙しいお母さんに替わって、繕い物を自分でやっている」と。
褒めてくださったのに、私は素直に喜べず泣いてしまいました。
先生は、「どうして、泣くのか」と問われました。
応えられませんでした。

最後に立った私は、先生の50年前の何故に答えることにしました。
「本当は、お袋に縫ってもらいたかった。お袋はいつも忙しく甘えることはできなかった」と。
幼い私は、本当の気持ちを言えなくて、複雑な心境を吐露できなかったのです。
その頃は、みんなそうでした。着たきり雀の袖口は、洟でてかてかでした。
中に毛糸のパンツを履いていた女の子がいました。
その子だって、甘えることは許されなかった。
半年に一度帰ってくる気帆船の船長(機関長はお母さん)の娘でした。
親は、申し訳ないと高価な毛糸のパンツを娘に買ってきたのでした。
貧乏人の子どもたちに、毛糸のパンツを冷やかされたのです。

やはり50年ぶりに会った同級生と結婚することになりました。
馬面の先生に二人で挨拶に行きました。
島から出たことがない妻に、「それは、東京に行かなければならない」と決断を促しました。
故郷に恩返しと、新妻をモチーフにして書いた短編小説「さなさん」も読んでいただきました。
時代考証について、先生から鋭い質問をいただきました。
相変わらず怖いなと思いながら、調べた経緯を答えました。
絵も見ていただきました。
先生は、島の展覧会に毎年油絵を出展されていました。
この線が生きていると評価してくださいました。
先生は、昨年亡くなられました。90歳でした。

言えないことがたくさんあります。
どう説明したら分かってもらえるのか、苦慮することばかりです。
自分のことが、自分でもわからない。
時は友達。「なんかなあ」と思っていたことのわだかまりが融けていきます。
そんなこと忘れてしまった。

同窓会のあいさつは、私なりに練った凝った作戦でした。
同級生に見透かされ、ずいぶんとやり玉にあげられました。

ほんとはね 言えたらどんなに 楽かしら

2019年7月8日
コメント
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