
絵のタイトルは、「帰ろかな」です。

タイトルは、「真道山より黒神島を見下ろす」です。
いずれもふるさとです。
親父ががまだ元気だったころ、の集まりがあった。
あるときは、激論を交わし、またの時はお酒も入り大騒ぎをしていた。
私達、子どもはのぞき見をしながら周りで遊んでいた。
そしていつものように、親父たちは早朝から夜遅くまで働いていた。
ふと、私は遠くこの地に来て何をしているんだろうと考える。
親父たちが残した山も畑も元の山野に帰ってしまった。
ここで草刈をし、畑を作っている。
親父たちの畑は、草に埋もれてしまい猪が跋扈する土地になってしまった。
ブログのタイトル、「故郷へ恩返し」は出来ないでいる。
故郷が、日本に世界に変わったとて、何か後ろめたさと寂しさがある。
空き家の草を刈り、伸び放題の梅の木を伐る。
なんでそこまでやるの。
家業(カフェ)に優先することでもない。
今の状況で、故郷にいれば同じようなことをしたに違いない。
そうだろうか。
きっとやってはいまい。
金を稼ぐことを優先していることだろう。
これまでと同じ生活をしているだろう。
ここに来たから、こうして毎日考えているからできることだろう。
地縁血縁がない、期待されない「移住の自由」があったからこそ、できるのではないか。
故郷には、薄くなったけれど地縁血縁がある。
こんなに、自由にはならなかったであろう。
親父には申し訳ないが、遠く離れたこの地だから、故郷を想うことができる。
ここを故郷と思えるだろうか。
今となっては、45年前に出た故郷よりこの地に友人が多い。
いつまでも、遠く広島の人、いつかはいなくなる人であってはならないだろう。
空き家の再生の一番の近道は、住むことである。
住めば、片づけ傷んだ個所を治すものである。
周りの草を刈り、庭木の剪定をし、山の低木を刈り、陽を遮る高木を伐る。
そんな風にして、住み心地のよいものに変えていく。
こんなものではなかったと、通りを掃き他人の空き家の草を刈る。
故郷を想うことと現実の暮らしは、遠く離れている。
親父の親父、またその祖先はどこから来たのだろう。
私の今の気持ちと同じではないだろうか。
産まれたところが故郷だと人は言う。
私は、住んでいるところが故郷なのではないかと思うようになってきた。
この先のことはわからない。
故あって、ここに住んでいる。
できないことが故郷へ恩返しであり、できることが知らない土地の草刈である。
個人的には、矛盾はなにもない。
故郷を想うと、矛盾だらけである。
中学生にこの気持ちを伝えられるだろうか。
故郷にいなくたって、故郷へ恩返しはできると自信をもって言えるだろうか。
親父は、故郷へ恩返しなんぞ望んではいなかった。
私が立派な大人になることだけを望んでいたはずである。
子の気持ち 伝えるまでに 半世紀
2019年7月7日