
絵のタイトルは、「素」です。
ボーイッシュなクールビューティーです。
今日のテーマは、「私にも与えるものがある」です。
子の恩返しは、4歳までに完了している。
それ以上の恩返しは、求めない。対等な人間として生きていける。
貧しい家に育った人たちは多くいる。
自分と同じ思いはさせられないと、叶えられなかった教育を子供に受けさせる。
子供は、親の言う通り順調に育ち、今の肩書と暮らしを得た。
親たちは、先輩たちは死に物狂いで生きてきた。
その体験を子供や後輩はすることがない。
それが、コンプレックスであった。
足りないものと自覚してはいるけど、死に物狂いにはなれない自分がいる。
親父は、毎晩100Kgのみかんを背負い、あぜ道を朝方まで運んだ。何度も、何度も。
それから、農業以外の現金収入のため工場に行った。
そんな真似は、到底できぬと中学生の私は思った。
100Kgを背負って同じ道を歩いたのは高校生のころで、こんなことをしてはいけないと思った。
親父が汗水たらして運んだみかんのお陰で、大学に行けた。
いただいた恩は、山ほどある。
返すことは、これっぽちもない。
そう思い生きてきた。
息子が、私の仕事(プロジェクトエンジニアー)をしたいと言い出した。
60歳を過ぎても現役で、仕事に見合う報酬を得ているのが動機であった。
息子は何度も挫折した。自分に足りないのは何だろうと思ったことだろう。
コンプレックスの塊の若者が、親から感謝される日が来る。
あきらめかけていたけど、お前の一言でまた頑張れると生き返った。
頑張った証がある。しかし、それはもう時代遅れなのである。
お父さん、あなたのこんなところが素晴らしいと、本気で息子が言った。
語る息子の目には涙が溢れている。
俺にも、親父のためになることがある。
双方、信じられない瞬間である。
「私にも与えるものがある」でした。
追いつけぬ 死ぬまでこれか 生きてこそ
2019年7月30日
<<投稿後>>
私達が越えられない壁があるとしたら、戦争体験者の苦労や戦後復興の頑張りであろう。
大きな壁と感じていた。
今の若者たちは、それはもう過去のものと思うかもしれない。
しかし、毎日生きていてちっとも楽しくない。
親父たちもきっと同じであったろうと思う。
これではいけないと、個人の責任で這い上がってきた。
私達も同じ、息子たちも似たようなものだろう。
「本気」だけが、世代を超越して感謝の言葉となるのだと感じた。
(筆者)