故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

中学で講義

2019-07-03 02:28:12 | よもやま話

絵のタイトルは、「阿吽」です。
運慶が建立した阿吽。
その中に、我が家の菩薩が混ざりました。


今日のテーマは、「中学で講義」です。
テーマは、地域づくりです。サブタイトルは、地域活性です。
何度も書きましたが、この地域には、地縁も血縁もありませんでした。
誰もが関心を持つ「どこから来たの」、「なぜ、来たの」、「何をするの」です。

「どこから来たの」
広島出身だから、広島カープのファンで広島風お好み焼きを焼いています。
故郷が嫌いで、20歳の時に東京の大学に入りました。
広島に仕事で行きました。
仕事で訪れた日本や世界の都市となんら変わりませんでした。
ホテルと仕事場(客先)の往復でした。
60歳の時、小学校の同窓会に出ました。
50年ぶりに妻と再会しました。付き合い始めて、故郷が変わりました。
関心がなかった町並みに意味があることに初めて気づきました。

「なぜ来たの」
故郷に恩返しは、出来ぬものかと考えるようになりました。
やっと、ステレオタイプの期待(家族のため、会社のため、自分のため)から離れられる。
故郷に帰らなくても、恩返しはできると小説を書きました。
故郷は、広島から日本に変わりました。日本から世界そして地球に。
どこでもよかった。新たな仕事は、地域おこし協力隊です。
これから、いやもう抱えている東京一極集中からの脱却であり、地方再生です。

「何をするの」
地域おこし協力隊として、何をしたらよいのか分かりませんでした。
この地の印象は、夜9時になると信号がすべて黄色点滅になることでした。
ここへ来てよかったなと思うことは、「何にもない」ことでした。
何かをやるぞと始めて朽ちた箱モノが見当たらなかったことです。
それが、よかった。
今は、もう一つあります。「移住の自由」です。
何にも期待されないことが、どんなに自由なことか知りました。
仕事を通して、社会に貢献してきたと自負していました。
ここでは、チャラでした。

中学生が聞きたいのは、そんなことではないでしょう。
今までは、個人の気持ちであり感想です。
彼らは、レポートを書かなければならない。
「地域づくり」を学んだ証として、共同で考えレポートにする。
私は、壮大なプロジェクトである「地域づくり」を講義することはできません。
一緒に考えることはできます。

無から有を産む。
考えかたについて、講義はできます。
更地に工場を造ってきた。
そもそも、何を作ったら儲かるのか、客と一緒に考えてきた。
会社では、組織があり、それぞれ責任者がいる。
隣りに座る別の部の者と話し合って何かを決めることはできない。
すべての決め事は、トップダウン(稟議)である。
話(相談事)は上にあげ、決まりごとは下に下げる。
ここでも、国の中心の組織がそのまま埋め込まれていた。
各省庁で出した予算(地方交付税)や補助金が、各組織ごとにばらまかれている。
つまり横の連携が薄い。

プロジェクトを遂行するときは、トップダウンとはいかない。
横の連携が、深みを産み速度を上げる。
決まりごとはただ一つ。このプロジェクトを遂行するコンセプトである。
そのコンセプトを作る手法を中学生に講義したい。
この地のよいことは他にもある。
人口が少ないから、一人何役もしなければならない。
父親でありながら、子どもでもある。
消防団をやりながら、祭りの世話もし、商工会にも入らなければならない。
順番に町内会の惣代をやり、PTAの会長もしなければならない。
俺はできないとは言えないし、言わない。
親父たちがこれまでやってきた。今度は俺たちの番だと息子がやる。孫は自然と組み込まれていく。
こんなこと、一流会社や都会では起こらない。
都会の核家族では、唯一お母さんの役目である。

中学生に難しいことを話すつもりはない。
「自分探し」をしてほしいだけである。
長幼も代表もない。すべての個人が考えることである。
得意不得意は、誰にもある。稚拙でもよい。とにかく関わってほしい。
私が、中学生全員の似顔絵を描くのは、そんな理由からである。
どの子にも、良いところがある。それを表現するのが似顔絵である。

商工会の青年部の部長が持ってきた話に乗った。
来週、その講義をすることになった。

陽が陰り 日向求めて 縁側に

2019年7月3日
コメント
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