
絵のタイトルは、「阿吽」です。
運慶が建立した阿吽。
その中に、我が家の菩薩が混ざりました。
今日のテーマは、「中学で講義」です。
テーマは、地域づくりです。サブタイトルは、地域活性です。
何度も書きましたが、この地域には、地縁も血縁もありませんでした。
誰もが関心を持つ「どこから来たの」、「なぜ、来たの」、「何をするの」です。
「どこから来たの」
広島出身だから、広島カープのファンで広島風お好み焼きを焼いています。
故郷が嫌いで、20歳の時に東京の大学に入りました。
広島に仕事で行きました。
仕事で訪れた日本や世界の都市となんら変わりませんでした。
ホテルと仕事場(客先)の往復でした。
60歳の時、小学校の同窓会に出ました。
50年ぶりに妻と再会しました。付き合い始めて、故郷が変わりました。
関心がなかった町並みに意味があることに初めて気づきました。
「なぜ来たの」
故郷に恩返しは、出来ぬものかと考えるようになりました。
やっと、ステレオタイプの期待(家族のため、会社のため、自分のため)から離れられる。
故郷に帰らなくても、恩返しはできると小説を書きました。
故郷は、広島から日本に変わりました。日本から世界そして地球に。
どこでもよかった。新たな仕事は、地域おこし協力隊です。
これから、いやもう抱えている東京一極集中からの脱却であり、地方再生です。
「何をするの」
地域おこし協力隊として、何をしたらよいのか分かりませんでした。
この地の印象は、夜9時になると信号がすべて黄色点滅になることでした。
ここへ来てよかったなと思うことは、「何にもない」ことでした。
何かをやるぞと始めて朽ちた箱モノが見当たらなかったことです。
それが、よかった。
今は、もう一つあります。「移住の自由」です。
何にも期待されないことが、どんなに自由なことか知りました。
仕事を通して、社会に貢献してきたと自負していました。
ここでは、チャラでした。
中学生が聞きたいのは、そんなことではないでしょう。
今までは、個人の気持ちであり感想です。
彼らは、レポートを書かなければならない。
「地域づくり」を学んだ証として、共同で考えレポートにする。
私は、壮大なプロジェクトである「地域づくり」を講義することはできません。
一緒に考えることはできます。
無から有を産む。
考えかたについて、講義はできます。
更地に工場を造ってきた。
そもそも、何を作ったら儲かるのか、客と一緒に考えてきた。
会社では、組織があり、それぞれ責任者がいる。
隣りに座る別の部の者と話し合って何かを決めることはできない。
すべての決め事は、トップダウン(稟議)である。
話(相談事)は上にあげ、決まりごとは下に下げる。
ここでも、国の中心の組織がそのまま埋め込まれていた。
各省庁で出した予算(地方交付税)や補助金が、各組織ごとにばらまかれている。
つまり横の連携が薄い。
プロジェクトを遂行するときは、トップダウンとはいかない。
横の連携が、深みを産み速度を上げる。
決まりごとはただ一つ。このプロジェクトを遂行するコンセプトである。
そのコンセプトを作る手法を中学生に講義したい。
この地のよいことは他にもある。
人口が少ないから、一人何役もしなければならない。
父親でありながら、子どもでもある。
消防団をやりながら、祭りの世話もし、商工会にも入らなければならない。
順番に町内会の惣代をやり、PTAの会長もしなければならない。
俺はできないとは言えないし、言わない。
親父たちがこれまでやってきた。今度は俺たちの番だと息子がやる。孫は自然と組み込まれていく。
こんなこと、一流会社や都会では起こらない。
都会の核家族では、唯一お母さんの役目である。
中学生に難しいことを話すつもりはない。
「自分探し」をしてほしいだけである。
長幼も代表もない。すべての個人が考えることである。
得意不得意は、誰にもある。稚拙でもよい。とにかく関わってほしい。
私が、中学生全員の似顔絵を描くのは、そんな理由からである。
どの子にも、良いところがある。それを表現するのが似顔絵である。
商工会の青年部の部長が持ってきた話に乗った。
来週、その講義をすることになった。
陽が陰り 日向求めて 縁側に
2019年7月3日