
孫に、「たんぽぽの目」を送った爺様です。
小説家は、書けなくなったら辛いらしい。
三島由紀夫に次ぎ、川端康成も自ら命を絶った。
どちらも、世界中で読まれた作家である。
良品を輩出するのが使命の小説家である。
この方にしか話せない面白い真実が聞きたかった。
でも、叶わぬか。
今日のタイトルは、「シンプルライフ」です。
日々の営みの中で、テレビの影響は大きい。
夫婦の会話では、とても邪魔をする。
二つのことが、同時にできなくなってからは、尚のことである。
書いていて、漢字が正しいのかとても気になる。
電子辞書で調べていたが、壊れてしまった。
まあ、いいかといい加減な漢字を書いてしまう。
生きた時間が長い分だけ、あれもしたいこれもしなければと心配事が残ってくる。
増えるのではない。片づけられないだけである。
なんとか、「シンプルライフ」ができないものかと考えている。
健康診断があった。結果が郵送されなくて、保健婦と面談のうえ渡されることになった。
よい仕組みを考えたものである。仕方なく、保健所に行き話を聞いた。
メタボである。身長から換算すると体重が多い、腹囲が大きいとのことであった。
証拠に、糖の値と中性脂肪の値が基準値から逸脱している。
野菜中心で、一日二回の食事で、ご飯は一食だけの生活である。
汗をかくのは、毎日のことである。
採れたてのじゃが芋のカロリーと妻から勧められるバナナのカロリーが意外と高い。
腹八分目と言うが、3時に起きて7時の食事は、空腹でしかたがないから食べてしまう。
このくらいで良いかなと毎食時に思う。多いのである。
「もったいない」と「美味しい」は、もうやめた。
余ったら捨てればよいのである。自らの腹に入れることはない。
やりたいことは、困難なことで体力がいるものばかりである。
つまり、辛いことがやりたいことなのである。
ちょっと難しいことが、やらなければならないことなのである。
「シンプルライフ」を目指すなら、やりたくないことと辛いことをやればよい。
話は簡単である。逃げるからさらに困難でやりたくなくなるのである。
できないことを追っかけない。潔くあきらめる。
他にできることをやる。探せばあるのである。
恋は、毎回のように初舞台である。
川端先生は、眼で女性記者の洋服の上から舐めたのである。
三島先生も肉体改造に取り組んで、劣等感から逃れたのである。
ここまでできぬにしても、面白い嘘の一つでも創作しよう。
試しに、妻に話す。馬鹿なことをと、云いながら笑っているではないか。
若くはないから、「これでなきゃ」とは思わない。
美人は三日で飽きて、ぶすは三日で慣れると知っている。
結婚の幸せなんて、豚の肉より劣ると開高健も言っている。
その証拠に、妻は宵っ張り夫は早起きのすれ違い。
いつも角を突き合わせていては疲れてしまう。
爺様、婆様は意地悪くらいでちょうどよい。
可愛いお年寄りは、奥の床の間に飾られ隠されてしまう。
玄関の間で、家族にまたげられながら、蹴っ飛ばされてちょうど良い。
ビートたけしの得意ネタである。
すまんがね まだまだ生きる よろしくね
2019年7月11日