
絵のタイトルは、「稲荷橋」です。
原爆投下直後のこの橋は、猿猴川はどうだったのでしょう。
私は広島生まれです。
故郷が嫌で、20歳の時東京に出ました。
嬉しかったかと言うと、そうでもない。
運よく広島の大学に受かっていたら人生は変わっていただろう。
今日のタイトルは、「広島生まれ」です。
今日は、原爆が投下された記念の日です。
四国五郎という画家が描いた絵や絵本の話を放映していた。
「黒い雨」というタイトルの絵は、亡くなった母とそばに佇む幼子を描いてあった。
被爆体験のない(シベリア抑留から昭和23年に帰郷)自分は、
被爆について語る資格がないと言った。
体験者と非体験者の違いを感じさせないメッセージ性の高い絵に驚いた。
戦勝国では、二発の原爆が戦争を終結させ平和な世界を実現したと、歴史で習う。
その国の置かれた立場で、戦争や原爆は取り上げられる。
私は、「広島生まれ」です。
広島は、仕事で訪れる世界や日本の都市と変わらなかった。
当事者意識はなかった。一人の女性と出会うまではなかった。
「ヒロシマ生まれ」とは、誰も書かない。
「ヒロシマ」と書くと、あの原爆が投下された土地という意味になる。
あるいは、原爆の恐ろしさを伝えるメッセージ性の高い意味を持つ。
年齢を重ねると、言わなくてもよかったことが、時として伝えなければならないことに変わる。
普遍性の映像や言葉を使って伝えることになる。
誰も体験しなかった事実だけが、驚きをもって迎えられる。
メッセージがあれば、強く印象付けられる。
驚きを感動に変える。
どう思うかが、重要なのである。
「故郷へ恩返し」というブログ名である。
故郷とは何か。探している途中である。
眠かろと 幼子あやし 我も寝る
2019年8月6日