故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

正直に話す

2020-09-13 05:45:39 | よもやま話

豆の絵です。タイトルは「ふわふわからぴょんと生まれる」です。
いつも生まれるわけではないけれど、生きることこそ「生きていていいんだよ」の証です。


今日のタイトルは、「正直に話す」です。
ブログで、自分を切り売りするような記事を見ることがあります。
または、こんなこと今公開質問する?といった記事もあります。
多くの場合、引いてしまいます。
無責任に、「いいね」を押している仲間さえ、「いいね」を押さない。
数人が、真剣に回答していました。その回答内容を読んで感心しました。
同じように悩んだと思われる内容でした。
果敢に回答する。回答せざるをえないと言う気持ちが表れていました。

こんなことを言うと、馬鹿にされるとか、ひんしゅくを買うと感じることがあります。
「ひんしゅくを買う」とは、不快に思って顔をしかめること。まゆをひそめること。
全米オープンテニスで大阪選手が黒いマスクをしている。
黒いマスクには、殺された黒人の方の名前が記されている。
今日の決勝進出で、用意された7枚のマスクがすべて公開される。
大阪選手にとって、「ひんしゅくを買う」とは、スポンサーが逃げることを意味する。
それでも、彼女は抗議の姿勢を崩さなかった。

私が書く記事も、ある意味「自分の切り売り」かもしれない。
生きている限り、過ちを犯すと意識しています。
「神の領域」に近づくことはできない。
それでも、今感じたこと、これからしたいことを書いていきたい。
「正直に話す」ことの難しさは、万人が知っている。
心の闇を話すことはできない。
闇から抜け出た話はしてもよいと考える。
誰もが、どろどろの気持ちの一つや二つは持っている。
私は、もつれた糸をほぐすように今を生きている。
生きる端からもつれる糸である。

「正直に話す」ことは、誰にもできることではない。
感じている人にしか分からない。
そして今しかその感情は発露しない。
一瞬だけ、「神の領域」に踏み込む。
悩んでいることは、その人にしか湧いてこない。
世の中には、「聞ける人」がいる。わがことのように耳を傾ける。
アドバイスはないにしても、聞く姿勢(目や態度に現れる)が話す人の背中を押す。

私は、正直に話してもよいと考える。
正確に言うと、正直に話そうとしても良いと考える。
悩みを中に閉じ込めると、心が分裂してしまう。
閉じ込めないで、吐き出してほしい。
どろどろと感じることが、他人には良薬になることもある。
私は、人の話を聞く時は「キーワード」を探すことにしている。
話し手がよく使う「フレーズ」であったり、接頭語や接尾語で人の性格が見える。
「キーワード」は、私の中の泉に静かに落ちていく。そして生きる糧になる。

正直は 年取るごとに 嘘つきに

2020年9月13日

<<あとがき>>
どんなに正直に話そうとしても、裾を踏むやつがいる。
自尊心であり、意地悪な心です。自分を美化しがちです。
「嘘と真」がないまぜになり、「嘘」が付けなくなります。
ついた「嘘」を忘れて、上塗りができなくなります。
子供から大人になるにつれ、嘘が多くなります。
年寄りになるにつれ、嘘をつけなくなります。
だから、「正直に話す」でちょうどよい。
コメント
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