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豆の絵です。タイトルは「ふわふわからぴょんと生まれる」です。
いつも生まれるわけではないけれど、生きることこそ「生きていていいんだよ」の証です。
今日のタイトルは、「正直に話す」です。
ブログで、自分を切り売りするような記事を見ることがあります。
または、こんなこと今公開質問する?といった記事もあります。
多くの場合、引いてしまいます。
無責任に、「いいね」を押している仲間さえ、「いいね」を押さない。
数人が、真剣に回答していました。その回答内容を読んで感心しました。
同じように悩んだと思われる内容でした。
果敢に回答する。回答せざるをえないと言う気持ちが表れていました。
こんなことを言うと、馬鹿にされるとか、ひんしゅくを買うと感じることがあります。
「ひんしゅくを買う」とは、不快に思って顔をしかめること。まゆをひそめること。
全米オープンテニスで大阪選手が黒いマスクをしている。
黒いマスクには、殺された黒人の方の名前が記されている。
今日の決勝進出で、用意された7枚のマスクがすべて公開される。
大阪選手にとって、「ひんしゅくを買う」とは、スポンサーが逃げることを意味する。
それでも、彼女は抗議の姿勢を崩さなかった。
私が書く記事も、ある意味「自分の切り売り」かもしれない。
生きている限り、過ちを犯すと意識しています。
「神の領域」に近づくことはできない。
それでも、今感じたこと、これからしたいことを書いていきたい。
「正直に話す」ことの難しさは、万人が知っている。
心の闇を話すことはできない。
闇から抜け出た話はしてもよいと考える。
誰もが、どろどろの気持ちの一つや二つは持っている。
私は、もつれた糸をほぐすように今を生きている。
生きる端からもつれる糸である。
「正直に話す」ことは、誰にもできることではない。
感じている人にしか分からない。
そして今しかその感情は発露しない。
一瞬だけ、「神の領域」に踏み込む。
悩んでいることは、その人にしか湧いてこない。
世の中には、「聞ける人」がいる。わがことのように耳を傾ける。
アドバイスはないにしても、聞く姿勢(目や態度に現れる)が話す人の背中を押す。
私は、正直に話してもよいと考える。
正確に言うと、正直に話そうとしても良いと考える。
悩みを中に閉じ込めると、心が分裂してしまう。
閉じ込めないで、吐き出してほしい。
どろどろと感じることが、他人には良薬になることもある。
私は、人の話を聞く時は「キーワード」を探すことにしている。
話し手がよく使う「フレーズ」であったり、接頭語や接尾語で人の性格が見える。
「キーワード」は、私の中の泉に静かに落ちていく。そして生きる糧になる。
正直は 年取るごとに 嘘つきに
2020年9月13日
<<あとがき>>
どんなに正直に話そうとしても、裾を踏むやつがいる。
自尊心であり、意地悪な心です。自分を美化しがちです。
「嘘と真」がないまぜになり、「嘘」が付けなくなります。
ついた「嘘」を忘れて、上塗りができなくなります。
子供から大人になるにつれ、嘘が多くなります。
年寄りになるにつれ、嘘をつけなくなります。
だから、「正直に話す」でちょうどよい。