故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

愛人

2015-06-25 05:21:53 | よもやま話
   カマキリ君がそう言ったか言わぬか 

子供を産んだ後、戻らぬと思われている女性に贈る一枚としました。

あんたは、まるで蜂のようだ。
ウェストがキュッとしまって、大きなお尻が目立つ女性のことでした。
褒め言葉なのでしょう。

私は、「たまらんな」のくちです。
この蟻は後にかまきりに食べられてしまいました。
我が家のベランダのゴーヤの葉が生い茂る中でのドラマでした。

今日のテーマは「愛人」です。

種付けの馬がいました。
元気な種付け馬は、多くの仕事をしました。
少し元気のない種付け馬の妻馬は、元気な種馬の妻馬が羨ましいのでした。
年間8頭の種付け馬の妻は、16頭の種付け馬の妻馬が羨ましい。
16頭の種付け馬の妻は、32頭の種付け馬の妻馬が羨ましい。
そうして、64頭さらに128頭と話しは進んで行きました。
欲望にはきりがない、元気な種馬は底知れぬタフさです。

この話のオチは、「相手が変わるからできる」でした。
妻には内緒の秘密のオチです。

愛人を求めて男たちは奔走します。
経験ある女達にとって、年下の愛人は格好の餌食です。

危険な領域に入って行きそうです。

良い女だなと思っているだけで良いのです。
それなのに、優しくしてあげる。
友人は、若い女の頑張りを応援する癖がありました。
そして、深い仲になってしまって、
かつてそうであった妻に怒られるのでした。

繰り返すのです。
止められましょうや。
この人類愛を。

愛人は、妻に似ているのです。
新旧の違いだけです。

愛人と上手に付き合う方法はないのでしょうか。
妻が寝言を発しました。
私は、ドキッとする。
後ろめたい気持ちがそうさせるのです。

これでは、勇気がない。

「敬天愛人」という言葉があります。
天を敬い、人を愛すること。と広辞苑に出ていました。
西郷隆盛の座右の銘であったとか。
京セラの社訓でもあるのです。

京都永観堂の端っこにおられます。

人を愛することです。
たまたま女性であったのです。
友の人を愛するは、親切な心から生まれたものです。
後に良からぬものが混じっただけです。
その気がある皆さん堂々と頑張りましょう。

幼子に そっと手を出す 親心

2015年6月25日
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前に進もうとする力

2015-06-24 06:07:15 | プロジェクトエンジニアー
  
少し小生意気な方が面白い。

Not so easy と言え、
Difficultと言うんじゃない。

私はそう思っています。
「難しい」は壁がたくさんあるイメージです。
「そう簡単じゃない」は、仕事を楽しんでいる感があるのです。
これは、私のイメージです。言葉遊びではありません。

人間、壁に当たってもくじけないように頑張れるのは、
どこかに楽しさがなければならないと思うのです。

壁をいくつか越えた人には、感覚的に分かることがあるのです。
何か違うよな。功を焦っているなとか。
まとまろうとしているよな的な感じです。
せっかく良いことを想いついているのに惜しいな。
自分にしかない感覚で発見しているのにな。
それがどんなに素晴らしいことか、認識していないなとか。
感じるのです。

難しい方に舵をとる。
さらにチャレンジする。空っぽになる。
個人の底が見える。限界を感じる。
どうしてそこまでやらないの。お前はそこで止まるのみたいな感覚です。

プロフェッショナルを観ました。
商品開発の話でした。
客のニーズを掘り起こす。
いや、客に新しいジャンル(感覚)を提供する。
これ(新しい、美味しい)だけでは、客は新商品を手に取ってくれない。
これを買いたいと感じてもらうこと。
買ったら、食べてみたら幸せになる。裏切らない信頼感がある。
手にとってもらうキャッチコピーを作り、
お客様が手に取るまでの動機(幸せ感)をくっきりとイメージしてもらう。

アサヒスーパードライを飲んだ時、こんなビールがあるんだ。
チーザを食べた時、ビールと合うんじゃないかな。美味しいじゃん。
古くは、サイダーでありカルピスであり、かっぱえびせん、
そしてチキンラーメンなのです。また飲みたい食べたいと思ったものです。

商品開発は、美味しいものを作る試みです。
世の中にないものを作ることは、簡単ではないのです。
確かにプロフェショナルが言うように、「難しい」は「新しい」なのです。
挫折は当然です。
一生懸命やっていると、限界を感じまた高みが見えるようになり、
都度、挫折感を持ちます。
這い上がってこそ、本物に近づけるのです。挫折は単に過程です。
そこで止まらないためには、自ら限界を設けないことです。
そんな時に、ダメ出しを繰り返す「挫折の先輩」が必要なのです。
ダメ出しにも覚悟がいるのです。前に進もうとしているからダメ出しができるのです。

止まっている人、自ら限界説を唱える人は、
小生意気なやつを潰そうとします。
負けないで欲しいのです。
その人は単に嫉妬しているだけなのです。
かつて小生意気だった人でいくつも壁を突き抜けた人は、分かるのです。
しかしその洗礼は厳しいのです。
小生意気な人に結果を付きつけてやるのも手です。
それくらいのゆとりを持ちたいものです。

見上げるな 飛び込め滝に 何度でも

2015年6月24日
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スコアだけがゴルフじゃない

2015-06-23 05:55:37 | よもやま話
  
先輩はよく付き合ってくれました。

右に曲げることこそ少なくなりました。
右打ちの私の左足の位置で、
また打つ方向に対して右足の位置で、
真っ直ぐな球でも、コースから大きく外れます。

回り乍ら、修正する。
こんなことは基本中の基本です。
昨日のゴルフは、多くのことを学びました。

勝負事は、性格が如実に出ます。
勝気な人は、負けまいと。
内向的な人は、反省しきりです。

勝負にこだわるあまりズルをすることもあります。

最後までベストを尽くす。
練習場で学んだことを、積極的に試す。
普段から目標を定めて打つ。

ゴルフは人柄です。
スコアだけが、ゴルフでもないようです。
第一打をフェアウェーに置かないと、第二打が上手く打てない。
年齢と共に飛距離が落ちたと言われる先輩の言葉でした。
グリーンまで届かないと思ったら、番手を下げてバンカー前に落とす。

ベストを尽くすは、がむしゃらに飛ばすことではなかったのです。
始めて4年目。今頃かい。の感があります。
頭で作戦を立てるのもゴルフです。
次のパーティーが打てるよう、たくさん打つ人は走らなければならないのです。
昨日は、走れました。
毎日、工事現場を歩き回っているので体力はついて来たようです。
60過ぎから上手になることがあっても良いと思います。
それは、自分の実力と話し合いができる人のことです。

新しいドライバーは素晴らしかった。
手に入れてくれた先輩に感謝です。

ちょろだふり かちんこちんと 戯れる

2015年6月23日

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自分にできること

2015-06-22 03:53:58 | よもやま話
  
毎日、工事現場にいます。
私の立場は施主であり、エンジニアリングのまとめ役でもあります。
若い人と一緒にチームを組んでやっています。

今日のテーマは、「自分にできること」です。
何か役にたてないかと、毎日自分ができることを探しています。
結論から言うと、面倒がらずに労を惜しむことなく
自分ができることをやり続けることです。
ほめられることを期待してはならないのです。

私のこの頃は、一番先に現場に行き、鍵を開けて職人を待ちます。
一日の終わりに、最後の見回りをして鍵をかけて帰ります。
体操をし、朝礼が終わるとやることはないのです。

現場には、予期せぬことがたくさん発生します。
図面には表れない配管や配線があったりします。
どこかの業者が工程に遅れたため、工事の段取り替えをしなければなりません。
工事の間違いの修正をします。伝えきれなかった仕様の穴埋めをします。
問題点について、仕事を受注した会社の監督から質問を受けます。
私が話すことは、最終決断です。

上手くいっているときは、工事に関して何もすることはありません。

熱中症対策のために、冷水器に水を補充し塩飴を足します。
それも終わったら掃除です。
監督や職人と話をします。よく冗談を言います。
職人が仕事をしている間は、草取りをします。
外部足場をつけるスペースを作るためです。
外構工事が終わった後に、使用予定の駐車場の草取りです。
近所に接するフェンス周りの草取りであったりします。
先日、近所のお年寄りに、シルバー人材と間違われました。
暑い太陽の元、働いたら熱中症になるよとアドバイスされました。

私にできることは多くありません。
工事の進行を見て、仮設電気を準備するくらいが、唯一工事への参加です。

時々、自分は人の役に立っていないのではないか。
人からあてにされてないのではないか。
人とコミュニケーションが上手くとれていないのじゃないか。
こうしてブログを書いていることも、無駄なあがきではないだろうか。
と自問自答します。年寄りだけでなく若い方もそうじゃないかと思います。

定年後に田舎に帰るのはやめようと思っていました。
大した働きもできないし、子供達は独立し年寄りだけが帰るのは
返って迷惑をかけるのではないかと考えていました。

このところブログの中身に生彩がありません。
突っ込みが不足しています。読者への説明不足が随所にみられます。
独りよがりの文章になっています。これではいけないのです。
一生懸命が伝わらないのです。ユーモアが無いのです。
少々疲れています。一日が一年のような長さです。

歳をとっても農作業を続けておられる年寄りがいます。
植物や動物は待ったがありません。
自分にできることを、休みながら自分のペースで続けておられます。
これが凄いことなのです。
工事が始まった二週間前と疲れ方が違ってきました。
毎日15,000歩以上歩き回っています。
休みの日も体を休めないようになりました。明日動けないからです。
でも休んでいます。まとめて寝ています。

母は血管が切れて、私を認識できなくなりました。
六年間、特別養護老人ホームに行けば会えました。
生きている母に会えることが嬉しかったのです。
生きていることが、母の「自分ができること」だったかもしれないのです。

あれこれ悩む必要はないように思います。
役に立っているか、あてにされているかなんて屁のカッパです。
屁の河童とは、なんとも思わないこと。へっちゃら。
と広辞苑に出ていました。

果物は 痩せた土地ほど 実を付ける

2015年6月22日
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言葉

2015-06-21 04:06:25 | よもやま話
  
いつものことながら、湧いてくる言葉を待っています。

毎日、書くことを続けています。

その日に感じたことを書くようにしています。

それは、うそが無いからです。

言葉に迫力が出るからだと勝手に考えています。

優しい気持ちにふとなることがあります。

その時を待っています。

言葉の暴力にならないように。



谷川俊太郎さんのプレミアトークを聴きました。

この方は、言葉に詰まりませんでした。

無口も言葉と言われました。

湧いて来た言葉を、理性で推敲されると言われました。

言葉は下から湧いてくると言われました。

今まで生きて来た中から、美しい日本語の中から拾って来られるのでしょうか。

絵があって、インスピレーションを言葉にされるようなことも言われていました。



私は、インスピレーションを大事にします。

どうして、そう思ったんだろうと考えます。

自分の中にある全霊で言葉を選び、心情を綴ります。

毎日のふつふつを綴り続けています。



水がぽこ 一瞬波に 月写す


2015年6月21日

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