故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

真剣に生きたい

2016-02-09 09:52:40 | よもやま話
  木蓮はもう蕾を準備していました。


勢いよくカーテンを開けました。
野鳩の声が自動車の騒音に紛れるように消えていきました。

今日のテーマは、「真剣に生きたい」です。
人は、あらゆる理由をつけて怠けようとします。
私も例外ではありません。

毎日が、生きるか死ぬかのはずなんです。
私達は、明日も同じ生き方ができると考えてしまいます。
不測の事態が起こって初めて生かされていたと気づきます。
そして後悔をします。

ご飯を食べて、好きな生活をします。
閉じ込められて不自由さを感じ、
食べられなくなってひもじさを感じます。
貴重であるはずの毎日の生活です。

私はぬくぬくと惰眠をむさぼっています。
少しずつ太ってきました。
働いているときと同じ分量の食事をしているからです。

不測の事態は、不摂生による病気など自分の責任の時もあれば、
天災や戦争など社会的な理由の時もあるでしょう。
私は覚悟ができているでしょうか。

与えられた仕事を懸命にこなすことでした。
家族を必死に守ることでした。
私の真剣さが問われました。

与えられた命です。
私しか出来ないことを一生懸命やってきたのか思い返しています。
人に見せる真剣さではなく、自分の限界を掘り下げたかというようなことです。
周りの真剣に生きている人を私はどれだけ助けることができたのか。
いつも自分のことしか、自分の好き嫌いに向き合って生きて来たのではないかと思います。

自分にしかできないことは、たくさんあるのです。
それに気付いてやろうとしているのか。
人がやることを真剣に見るのではないのです。
やろうとすれば、自分ができることです。

そんな気持ちを忘れずにいたいと思います。
しなやかに、常に準備をしていたいと思います。

梅の花 いずれ実をつく 種をなす

2016年2月9日

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力が湧いてくる

2016-02-08 06:30:43 | よもやま話
  
まだ早いかな。と思いながら春の息吹を探してみました。
いました。蕗のとうを妻が見つけました。
どこどこと何度も確認しながら、やっと見つけました。



私は、自分の書いたものを読み返すことがあります。
読者の皆さんが、複数見ておられる記事を見るようにしています。
タイトルを見るだけで何を書いているのか思い出します。

一生懸命書いた記事と、眠いのを我慢しながら書いた記事の違いはすぐに分かります。
書き続けているから、何かが蓄積されたようでもないし、
思索がさらに深まるというものでもありません。
ただ、毎日の生活に、心の変化があるのだと気づきます。
体調も違うのでしょう。
熱意が続けさせているんじゃないかと思います。
今日こそはと思うのか、つらつらと思いを綴っています。

一生懸命さがあります。その時の精一杯が見えます。
その時にしか湧いて来ない思いが残っています。

それを読んでいると、力が湧いてくることがあります。

昨日は、眠くてしかたがありませんでした。
身体の節々が痛かった。
日課のように絵を描き続けています。
良い絵もあれば、そうでもない絵もあります。
文章も同じです。

書き続けなければ解らないことがあります。
前はこんな風に考えたけど、描いたけど、こうじゃないかなと試行錯誤しています。
心の変化、感じ方が違います。

良く寝て疲れがとれたのか、気分が違います。
不思議とどこも痛くはありません。

こうして毎日を過ごしてきました。
毎日が一生懸命なようで、実は適当に調節しています。
調節して生きているんでしょう。
毎日の思い方、感じ方が違います。
心のひだにかかるものが違います。

毎日体調はことなりますが、なんとなく感動する力が湧いてきます。
これを毎日待っています。ルーチンワークをこなしながら待っています。
何とかしようとしてはいますが、なかなかこなせない。

負荷をかけると、身体が悲鳴を上げます。
休ませてやれば、身体も精神も前よりちょっとだけ強くなって復活するようです。
感動がまたできるようになります。
挑戦がまたできるようになります。

続けることは、義務感ではありません。
今日の自分の調子はどうかなと軽い気持ちでやっています。
絵を描き始めると没頭できます。考え始めます。
そして疲れます。
疲れるが先になると、始まりません。
そのうち、力が湧いてきます。
なにやらよく解りませんが、なにしろ取りかかることが次の力を引き出すような感じです。

初孫が 一歩歩いて つかまって

2016年2月8日


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酒ざんまい

2016-02-07 07:00:07 | プロジェクトエンジニアー


白菜漬けが秋田より届きました。これがうまいこと。
酒が進みます。



子どもの頃は、村に一軒は酒屋がありました。
故郷の酒は、甘口でした。

学生の頃は、もっぱら合成酒でした。
仇のように飲みました。
テーブルがいっぱいになるまで、徳利を返しませんでした。
よくぞ、飲まして下さいました。

会社に入ると、ジョッキで酒を飲まされました。
秋田に行ったら、お客さんと話す前に一升を空けないといけないんだと先輩から教えられました。
犯した失敗は、数知れず。完全に飲まれるまでやり続けました。

今は、2合を飲もうものなら、帰りの電車で自宅近くの駅で降りられないのが毎回のことになりました。
20年前から、これ以上飲むと危ないぞというセンサーが働き始めてからでは、もう遅かった。
酔ったかなは酩酊の始まりでした。

1988年アサヒスーパードライが売れ始めました。
バブルがはじけるまでは、ウヰスキーの全盛時代でした。
その後が、税制改正で焼酎の時代となりました。
そして発泡酒が売れ始めました。

この頃(2002年)のことです。
泡盛協会の社長と台湾に出張し、超臨界CO2抽出装置を見学に行きました。
原料(玄米)に含まれる重金属と農薬を1/10にできる優れたシステムでした。
造ったのはオーストリアの業者でした。見積もり依頼のためにオーストリアまで出張しました。
泡盛を海外に売りだそうと企画した出張でした。

今は、ワインブームの後を受けて、日本酒が見直されています。
それも海外で注目された大吟醸酒が売れています。
15年前、スイスのチューリッヒ駅裏にあった日本レストランで出されていたのは2級酒でした。
私の舌にはまずい酒でした。価格は日本の3倍近くでした。
やっと、本物が売れ始めました。嬉しいことです。
日本酒の製造プロセスを調査して報告書をスイス本社に提出したのは、10年前でした。

韓国で飲み続けたのは、マッコリでした。
30年前パキスタンのホテルで1本千円で買ったビールで腹を下しました。
栓を使いまわししていたからでした。また水のろ過も十分ではなかったようでした。

美味しい酒は、水のようにするすると喉を通ります。
精米歩留まり30%前後の大吟醸酒は、どれもうまいを通り越しています。
財布と相談し、今はもっぱらホッピーです。
キングジョッキ(ビール大瓶一本)3杯も飲めば、ごきげんです。

ヨーロッパでは、大いにビールを飲みました。
ビールはすべてモルト100%と法律で決められています。
誰もハイネケンやバドワイザーを飲む人はいませんでした。
合間にキルシュなどの強い酒を飲んで、意識をはっきりさせてまたビールです。

こうして、多くの酒に親しんできました。
弱くなっても、好きな酒です。
長く飲めるよう、ほどほどでたしなめるようになりたいと思います。

酒さんや 仲良くやろう これからも

2016年2月7日

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あのね

2016-02-06 06:10:27 | よもやま話


鳴門海峡夕景です。
面接試験が終わり、東京への道を急いでいました。
いつしか、東京が帰る所になっていたのです。



おばあちゃん、あのね僕おしっこしちゃったんだ。
そりゃ、大変だね。着替えなきゃ風邪ひいちゃうよ。

ママに言わないでね。

言いませんよ。さあ、はきかえようね。
こっちにおいで、おばあちゃんと一緒に寝ようね。

朝になると、大きな世界地図のふとんが干されるのでした。
ママから、あらまと笑顔混じりに見られるのでした。

僕は、もうおしっこのことは忘れてにこにこしています。
あのねママ、おしっこが勝手に出てきちゃったんだよ。

そうなの。寝る前におしっこによく言い聞かせましょうね。
僕がいいよというまで出てこないようにしなさいってね。

わかったよ。

こんなやりとりを許してくれたらよかったんですが、私は尻をよくたたかれました。
ある時は、姉に濡れ衣を着せられたこともありました。
おねしょをした小学生の姉は、私のパンツめがけてやかんの水をかけました。
それでも寝惚けている私は、姉のふとんに移されて朝を迎えました。
私のおねしょを発見したのは姉でした。
怒られた私を見て姉はどう思ったんでしょう。

大人になって、教えてもらいました。二人で大笑いしました。
姉は、私のまつげも切りました。私のまつげはカールするほど長かったのです。
これも大人になって聞きました。

遠い昔の「あのね」でした。

2016年2月6日


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代替えエネルギー

2016-02-05 07:34:28 | プロジェクトエンジニアー

瀬戸内の島にある浜辺の公園です。
長い間、誰も遊んだ気配がありません。



子どもの声がしない公園ほど寂しい景色はありません。
原発事故の時、親たちは放射線量を測りながら、子供を公園で遊ばせました。
福島県郡山で聞きました。
多くの犠牲を払いました。

そして、5年目を迎え原子力発電所が3基稼働しました。
原油は今は安いのですが、そればかりに頼るわけにはいかないのでしょう。
私達は、大変な経験をしました。
今でも、仮設住宅に多くの方が住まわれています。

ドイツの友人が、風力発電用風車を指して、Ugly(醜い)と言いました。
私には、のどかな風景に映ったのですが、
そこで暮らす人にとっては感ずることが違うのでしょう。
小さい頃は、水力発電こそ夢のある設備と教えられました。
ダムに蓄積する土砂のしゅんせつに大変な労力と費用がかかります。
今では、新しく水力発電用ダムを作る話は聞かなくなりました。
原子力発電も夢のような設備と聞いていました。

太陽光発電も夢のある話として伝え聞きました。
買い取り価格が維持できなくなりました。
確実にもうかる事業として、島の段々畑にも設置されました。
買い取り価格が下がると、その設備は赤字経営となります。

地熱もバイオも木材チップもこれからの発電設備です。
どれもコストがかかります。
バイオガソリンも150円/リットル以下になると採算が取れないそうです。
地熱も年々蒸気発生量が減少するそうです。
採算が取れるようにする知恵が求められています。

採算割れでもやらなければならないのです。
地産地消(地域で作って地域で消費)が、まず目標です。
遠くへ送電するほど効率が下がるからです。
この発電を考えるだけでも、地方分散はかなりの優先事項です。
ドイツのように、30万都市をあちこちに作るのが良いかもしれません。
移動に時間がかかりませんし、地産地消がしやすいのです。

これからも多くの議論と知恵が求められることでしょう。

鳥さんの よに自力で 飛びたいな

2016年2月5日

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