故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
舫い舟です。国立昭和記念公園にある日本庭園で見ました。
昨日から、春一番かと迷うほどの温かい日々となりました。
今日までと、天気予報で言ってました。
身体を動かしたくて、昭和記念公園まで妻と出かけました。
先輩に電話すると、湯島天神に行かれているとか。
これから不忍の池を回って帰るよ。
前回訪れた時に見られなかった日本庭園を目指しました。
さすがに国立公園です。よく手入れがされています。
低木と高木の間には目を遮るものがなく、どこからでも池が見られます。
風が吹くと、池の表面に波が立ち、周りの竹藪が揺れます。
石の配置も絶妙です。数寄屋造りの屋敷が調和しています。
ドイツの庭園はうっそうとしていました。
5月には、ビアガーデンが営業をしていました。
厚手のコートを着ながら飲みました。
飲むごとに饒舌になり温かくなりました。
タイの街は、春でもゴム草履が快適でした。
夕方会議が終わり、居酒屋でさっそく飲んだものでした。
40年前、私は鳶の棟梁の高校生の息子の家庭教師をしていました。
立川駅から歩くこと、15分の棟梁のうちまで週2回通っていました。
その頃は、只々広い空地でした。飛行場の跡地でした。
駅までの帰り道は、真っ暗だったのを覚えています。
素晴らしい公園に生まれ変わりました。
高木の幹は、50cmにもなります。
庭師が丹精込めて手入れをされています。
冒頭の絵は、数寄屋造りの日本家屋のそばに小さな舟がつながれていました。
時々、その舟で池の落葉を掃除されるのでしょう。
池は、周りの木々を映していました。
また来ようと、妻と話しました。
若い人 妻と真似して 手をつなぐ
2016年2月14日
冬の寒い日に雪が降りました。
重い雪でへしゃげていた雌竹は、耐えてまた立ち上がりました。
絵はまだ描けていません。
過去、自分が書いた文章を読み返しました。
毎日が一生懸命でした。
何が書きたいのか分かりにくい文章もあります。
私には解るけど、読者の方には伝わらないだろうなと思う記事もあります。
文章を読むことで、読者に追体験の感覚が起これば良いと考えています。
面白い記事も中にはあります。
良くできたと思う俳句もあります。よく描けたなと思う絵もあります。
しかし、そんなものは一握りです。ほとんどが駄作です。
毎日書こうとする気持ちは一流です。
私の文章は、ノーハウものではありません。
検索では出てこない文章です。
思索を重ねる毎日です。
少しでも違う角度から世の中を見えるようになりたいと思っています。
そんな毎日の一生懸命を残したい。
読者の皆さんには、自己満足に付き合わせているようで心苦しい場面もあります。
この頃の文章は、腹を立てる、大いに泣きわめく感情の起伏が大きい記事が少なくなったようです。
外とのぎりぎりの関わりが少なくなったことを顕しています。
次第と自分の過去やほんの身近な事柄になっていくようです。
そして自虐的な記事を多く生み出しています。
私はそれでも良いと思っています。
今の置かれた状況で精一杯の想いを綴りたい。
それ以上でもそれ以下でもありません。
等身大の自分の思索を書きとめたい。
コルクボードにメモ書きを留めるように。
過去、私は自分を見失うことが多くありました。
完璧主義者だった私は、少しの失敗も取り返そうとしました。
悪いなりに、今持てる力で乗り切る「開き直りや覚悟」が足りませんでした。
今回の松山秀樹さんの勝利は、そんな感じでした。
毎日の一生懸命は、常に自分の未熟さを確認する作業となっています。
プロフェッショナルの仕事に終わりはないと良く言われます。
生涯現役と言われる意味は、そこにあると考えます。
研鑚しても到達できない自分が決めたハードルです。
ハードルは、決して高くないけど、自らが一段増しまた増してを繰り返しています。
気付いたらこんなに登ってしまったのか。
これがプロフェッショナルの仕事の流儀です。
すべての足跡に手垢がついています。
人間の優しさや深みは、その人の苦労そのものであると言われます。
転換ができる人は、多面的な自覚が生まれることで早いのかもしれません。
固い岩盤に正面から鑿(のみ)を打つ人がいるように、
岩の性質を見極めて弱いところに一発打ち込んで岩もろとも崩す人もいるように。
いろんな人がいます。それぞれ尊いと思います。
持てる力で、何とか目標をクリアーする。
自転車が手放しで50m走破する挑戦がありました。
一人の科学者は、ジャイロと制御で倒れるのを未然に防ぐプログラムで挑戦しました。
競輪用自転車を作り続けている一人の職人は、
もうこれ以上出来ない位、ものづくりの極みで挑戦しました。
結果は、職人の勝利でした。
科学者は、単に実践(人が自転車に乗る)経験が少ないだけで今回は敗者となりました。
どちらも素晴らしい。
科学者は一見頭でっかちの理想主義者に映るかもしれません。
時間に限りがある挑戦でした。
人と自転車が関わって、初めて達成できる挑戦でした。
科学者には、「人(人の重量であったり、動き)」の部分が少し欠けていただけです。
科学者は、後にそれを理解されました。
人の生きざまは、それで良いと思います。
皆が、人と同じではありません。
教育は、時として「〃(同じ)」人を作ろうとします。
寄り添うことが欠ける瞬間です。
人には尊厳があります。
生きていて良いのだと神様が認めています。
それを覆すことは、誰にもできません。
あるがまま。
を受け入れます。
日本人は、ばれなければ儲けものと思わないようです。
いいや、世界中の誰もがそうは思わなかった。
長い歴史が物語っています。
セットした炊飯器が音を立て始めました。
もうすぐ夜が明けます。
楽しい一日が始まります。
これから絵を描きましょう。
時の流れを描こうと、雪の絵と春の兆しを同じ絵に入れてみました。
雪らしく見えませんが、勢いで見てください。
逆立ちが 歩く人見て なんか変
2016年2月13日
アウトドアー専門店の屋外に設置されたロッククライミングウォールです。
友人の会社が設計・施行しました。20m近くの壁です。
私には、壁(クライミングウォール)を鉄骨にどのように取り付けたか興味を持ちました。
40年前、尊敬していた先輩に連れられて、鹿沼近くの岩山に行きました。
初めてみる岩山でした。
先輩に勧められて昇りました。初心者用の亀裂や突起がいっぱいあるルートでした。
上に到達すると、俺が降りるから確保しろと言われました。
先輩は、ザイルを巧みに使ってするすると降りました。
残り5mのところで、先輩は岩を蹴って空中を飛びました。
確保しろと言われた手前、必死にロープを掴み
狭い岩山のてっぺんで踏ん張ったのを覚えています。
どっと汗が吹き出しました。
それからというもの山にとりつかれるように登りました。
山とすそ野を行ったり来たりの単独行ばかりでした。
30Kgの荷物を背負って30Km歩くのが目標でした。
国師岳は、木の根っこがむき出しの長い上り坂でした。
雲取山の向こうは崖でした。金峰山で森林限界を見ました。
一日500円の山歩きは楽しかった。
寺や学校や公民館に泊めていただきました。
春まだ浅き、風呂に入らずの2週間の山歩きは、只々臭い山男のひよっこを作っただけでした。
高じて、初めての現場で天井梁に残ったロープを取りに行けました。
20mのオーバーハングの梁でした。
梁は500mmのH鋼で脚が回らず、昇った後に後悔しました。
アウトドアーの経験は、家族を持ってからも大いに役立ちました。
この時だけ、かみさんや子供達に目を細められたものです。
あのまま山歩きを続けていたら、後に苦労する馬鹿なことはやらなかったでしょう。
汗を出すだけで、必死に登るだけで楽しかった。
毎日自分と向き合えたのでした。まだまだだと。
話には、オチがあるものです。
子供達から手が離れかみさんとよく山歩きをしました。
かみさんを亡くした後は、会社の先輩たちと横須賀の山を歩きました。
膝を悪くし、腰を痛め山を歩けなくなりました。
今もいつか行こうと、三浦雄一郎バージョンの重い靴を履いて平地を歩いています。
清々しいのですが、腿がつるようになりました。
腰を痛めて2年が経ちました。夏には、草取りもしました。
やっとドライバーを思いっきりひっぱたけるようになりました。
そのうち、すそ野くらいは歩けるようになるでしょう。
今度は妻と行きたいものです。
滝しぶき 来てよかったと 汗ぬぐう
2016年2月12日
初現場でのロープ取りのオチを参照にしてください。
2014年12月4日投稿記事「初めての現場」です。
路傍にあざみを見つけました。
冬の間は、蕾を固く閉じて耐えています。
もうすぐですね。
春が待ち遠しいみいちゃんは、おんもに出たいと待っています。
調べてみました。
作詞は新潟県糸魚川市出身の詩人相馬御風(そうま ぎょふう/1883-1950)さんです。
早稲田大学校歌「都の西北」を手がけたことでも有名です。
作曲は弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう/1892-1952)さんです。
『鯉のぼり』、『浜千鳥』、『雀の学校』なども作曲されています。
春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている
春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている
春を待つ気持ちがよく表わされています。
私も例外ではありません。
寒さのせいばかりでもありません。
待っているのは、就職口からの便りです。
今日か明日かとアパートの郵便受けを覗いています。
母は、父はこんな気持ちで私の帰りを待っていたのでしょう。
子どもの道は、子供が見つけるものと思っていたのです。
どうして、今になって思い募らすのでしょう。
子を持つ親になり、子離れしてやっと親の気持ちに心がいくなんて。
不思議なもので、思い出に順番はありません。
思い出される顔は、死ぬ間際であったり若かった頃であったりします。
きっと、自分も子供を待つ親の歳になったのですね。
どんなに待ってくれていたのでしょう。
やっと帰られるかもしれないというのに。
皮肉なものです。とっくに親はいません。
私も、子供に弱気は見せないでしょう。
心配させないようにするでしょう。
親とはどうしてこうなんでしょう。
あーあです。
あざみの兄弟を久しぶりに見ました。
前回は、灼熱のアスファルトの切れ目に生えていました。
見事な花を付けていました。近寄りがたい孤高の感がありました。
アンパンマンにもあざみちゃんが出てくるらしい。とげがある毒舌家とのこと。
あざみの紫色は、魅惑的です。
若い頃は、不用意に魅惑に近づいて、とげに刺されたこともありました。
想えども 殺す気かと 親あざみ
2016年2月11日
<<あざみの絵>>
2015年9月26日投稿記事「笑わせる」というタイトルで
アスファルト道路に生きるあざみの絵を描いています。
ご参照ください。
筆者
まだ寒い日が続きます。
やはりと言うか、そこまで春は来ています。
今日は、妻のデビュー戦でした。
打っては走り、また走り。
妻の役目はもう一つありました。
一緒に回る先輩と私の打った球の位置を確認するキャディーの役目です。
これは、良くできました。
彼女のおかげで、随分と助かりました。
私はもう慣れっこですが、朝早く起きてゴルフ場に行き、
目いっぱい楽しんで帰って来ると夕方です。
楽しかった。
二人の共通の趣味が広がりました。
妻は、思いっきり疲れたようです。
往復の車の中は、ずーっと居眠りでした。
先輩ありがとうございました。
初ゴルフ 何から先に なおそかな
2016年2月10日