故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

起業

2019-11-16 15:16:21 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「あんたが大将」
若者よ、きっとできるから好きな道に進んでください。


今日のテーマは、「起業」です。

若い人に起業をしていただきたい。
やりたいことをやってもらいたい。
お金より夢を追って欲しい。

若い人が起業をする場合、いろんなことが考えられます。
会社に勤めている頃、これがやってみたいと目覚める。
これがやりたいから、修行のつもりで会社で働く。
移住目的で、やれそうな仕事を起業する。あるいは、勤める。
起業した会社の残存率は、10年後で4%である。
不自由だが、会社に勤めた方が安全で安心です。
食品工場を建てるかどうかの分岐点は、起業して3年目に単年度黒字、5年目で累積黒字が目安です。
確実な売れ先と販売量があるから、できることです。
名だたる食品会社の純益は、3%がほとんどである。

私の例を話しましょう。
カフェを起業したのは、2年半前です。
パンとコーヒーを売る喫茶店です。
お腹の空いた人のために、お好み焼きを作る台も用意していました。
さらに、レンタルルーム形式で飲み会ができるようにしました。
飲み会は、飲みものも食べ物も自由に持ち込めることにしました。
地域おこしのために開いたカフェなので、意識としては十分でした。

見込み客を予測して、食材を仕込みました。
開店して半年間は、食材の仕込み額がカフェの販売額より大きかった。
不特定多数の中から来店客を見込めない。地域に特化する。
マーケッティングをして地域の利用客を増やす努力をしました。
低料金を維持し、固定客のリピーター率を上げてきました。
低料金を維持するために、仕込み金額を抑える努力をしました。
主要食材は、スーパーマーケットで買うことをやめ食品問屋や工場から入れるようにしました。
さらに、畑を借りて野菜を作り始めました。素人の農業は散々でした。
注文をいただいてから作り始める注文生産に切り替えました。
お好み焼きは、注文を受けてキャベツを切り始める。
ピザは、一次トッピングをしたものを冷凍にし、解凍後焼き始め、
一次焼成後、二次トッピングをし仕上げに焼きました。
夜の予約客は、人数と金額を決めていただき、料理はカフェ側のお任せとしました。
リピーターになっていただくためには、料金だけでなく美味しくなければなりません。
季節に採れる同じ食材で、和洋中の味を妻と二人で研究しました。
お試し会で、地域の方に味を検証していただきました。
合格ラインの料理だけ増やすことにしました。

ここまでやっても、利益は増えませんでした。
やっと、今年からスタッフ(妻)の給料をわずかですが出せています。
地域おこし協力隊の給料で補填し、今は年金でそうしています。
いまだに私は無給です。

起業をしたのちは、臨機応変に対処しなければならない。
どんなことがあっても続けると、覚悟しなければならない。
この努力が、認められるのが先でも続ける。

言っておきたい。
大変ですが、楽しい。
畑で作るのは、年々上手になり、料理の腕も上がる。
地域の方とも、親しくなる。
分かり合えるから、お客として来て下さる。
カフェが儲かるまでは、10年はかかるだろう。
そんなに待てないから、あと2年の開店5年後くらいにはなんとかしたい。
そして、若い人につなぎたい。

地域に必要なものは、起業です。
敗れても次から次に新参者が現れる沖縄を手本にしたい。

できるかな 前へ進めと 鼻で押す

2019年11月16日
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コミュニケーション

2019-11-15 04:03:32 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「いい男いないかしら」
きゅうりのボディーランゲージである。


今日のタイトルは、「コミュニケーション」です。
コミュニケーション(communication)とは、
・社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。
・動物どうしの間で行われる、身振りや音声などによる情報伝達。
[補説]「コミュニケーション」は、情報の伝達、連絡、通信の意だけではなく、意思の疎通、心の通い合いという意でも使われる。
(デジタル大辞泉より)

営業をやっている時、「話す4分、聞く6分」と教えられてきた。
コミュニケーションを図るうえで、大事なことである。
話す場合も、より簡潔に話す。多くの時間を聞くことに費やす。
何故なら、相手の発話を促すのがコミュニケーションのポイントだからである。
自分のことはよくわかるが、他人の考えや気持ちはわかりにくいのである。

絵手紙を描くようになって、発達した能力が「変化に気づく」である。
カフェに訪れるお客さんの小さな変化に気づくようになった。
映像記憶の残像と今接している人の表情が違う。
この変化は、何だろうと推察する。

この延長で、初めての方に会っても、「生きてきた美学」を見るようになった。
つまり、美しいところを探すのが癖になったのである。
プロジェクトエンジニアーをしている頃は、人の能力を看破することに傾注した。
どこまで本気で、できるのか。

コミュニケーションは、自分のためにあった。
意志を伝えるためのツールだった。
それが、意志を聞くためのツールとなりつつある。
どうしてだろう。
話さぬ自然と向き合うことが多くなったのも、理由の一つであろう。
野菜の声など聞こえはしない。
何が足りない。
何を喜んでいるのか。

都会にいたら聞こえてこない声であろう。
空間、時間に対する考え方も違ってきた。
役に立つ人と、あるいは情報と向き合うことが大事であった。
どんなに時間がかかってもよい。
足を止め、身振り手振りを交えて相手の話を聞く。
おばあちゃんは、耳が遠い。
あなたの言葉は届いています。こういうことですかと身振りで返す。
私は、今あなたの話を全力で聞きますよと笑顔になる。
一時間かかった話が、すれ違いで一言二言の会話が成立するようになった。

全方位に耳を傾ける。
生きている時間をかけて、情報を得ようとする。
人々の関心の移り変りは、時間の流れと共に激流のごとしである。
会う前に、これだけは聞いておこう、話しておこうと前もっておさらいをするようになった。
つまり、他人に対して心を砕くようになった。
そして、開いている。私は、無害です。

多くの秘密を知ってしまった。消化できないくらいである。
どうすれば生きていけるか。新参者故、必死である。
聞くボランティアをできるまでになるには、もう少し時間がかかるであろう。
妻の変化にも余念がない。
どうしたのかな。
寝かせてもらえない夜が続く。

春青葉 秋に色づき 冬土に

2019年11月15日
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平凡を恐れるな

2019-11-14 10:40:23 | プロジェクトエンジニアー

土から出て来たばかりのさつま芋です。
絵が下手なのは許してください。
タイトルが気に入りました。「恥じらいは、女の勲章」と書いています。


今日のテーマは、「平凡を恐れるな」です。
平凡とは、
これといったすぐれた特色もなく、ごくあたりまえなこと。また、そのさま。
反対語の非凡とは、
平凡でないこと。普通より特にすぐれていること。また、そのさま。
(goo国語辞典より)

私達は、平凡な毎日を過ごしています。
SNSやブログ、いろんなメディアで紹介されたり、記事にする時「平凡」は見向きもされない。
人々は、日常ではありえないことに飢えていると言ってもよい。
他人の不幸や世紀の大発明などは、当然のごとく注目される。
求める感情は、段々過激になっていく。
それでよいのだろうか。

SNS上では、インフルエンサー的な投稿者がいる。
世論を誘導すると言ってもよい。
美醜に対する考え方は、時代と共に変わっていくはずである。
食べ物も環境も変化しているから当たり前のことではある。
しかし現実は、さらに過激になって、到底辿り着けない希少な世界へ誘導する。
何か、裏に金の臭いがする。全員をたどり着けない場所へ誘導し、経路で金を儲ける。
画一的な創出される「美」などありはしない。全員がたどり着けたとしたら、すぐさま平凡になる。
例えば、一重瞼より二重のほうが、見栄えが良いとされる。
外見だけで判断する極みである。さらには、裕福なほうがよい。
美も経済的優位も相対的で、きりがない世界である。
絶対的な幸福も桃源郷もない。
あるのは、平凡な日々である。

私も、渾身の記事を書き投稿する。
一向に読者数は増えない。
自分が否定されているとまでは思わないが、世間が求めている方向とは違うと感じるときがある。
嘘のような真実を、本当のような嘘を書きたいとは願っている。
ネタはそんなにあるものではない。背伸びもしたくない。

そこで、「平凡を恐れるな」と、挑戦することにした。
毎日食事をして、ルーチンワークをし、ちょっとした事件に対処する。
平凡である日常だが、昨日できたことが今日もできるとは限らない。
昨日より楽しかった今日も、明日はどうなるかわからない。おそらくは、続かないであろう。
今日より明日がより楽しくなければ、楽しいとは感じない。
ここに落とし穴がある。自ら過激になっているのである。

「平凡を恐れるな」とは、まず昨日と同じことができることから始まる気がする。
その連続のうちに、わずかだけ進化していると後から気づくのである。
昨日と同じ生活をできるか。

親からいただいた顔を美しく見せるのも、醜く感じるのも生き方に関係する。
笑顔を作る努力をすることで、皮膚は輝き、いつしか見事な笑いじわとなる。
いただいた顔が変わるのである。40歳を過ぎたら自らの顔に責任を持たなくてはならない。
日々の生活は、平凡である。
楽をして、平凡は得られない。
皆さん、良く知っておられることです。
確かに、退屈と感じることもあるでしょう。
若い時に惚れた連れ合いも、見慣れたせいか輝いては見えないかもしれない。
他人まかせにはできないのです。連れ合いを輝かせるのも、自分の責任です。

巻き込んで 何が楽しい 分けるのよ

2019年11月14日
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2019-11-12 05:27:37 | よもやま話

絵のタイトルは、「すてき」です。
この方は、人妻です。
もしや恋をしたとて、一瞬のこと。


今日のタイトルは、「業」です。
業とは、
仏語。人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。
前世の善悪の行為によって現世で受ける報い。「業が深い」「業をさらす」「業を滅する」
理性によって制御できない心の働き。
(goo国語辞典より)

夢をみた。
優秀で美麗な女性から、プロポーズされた。
私には、付き合っている女性がいた。
心が揺れ動くのである。
友人たちからは、「それは、なかろう」と注意を受ける。
こんな夢を、まだみるのである。

他人の悪口を言う。さも、自分は偉いかのように脚色をして。
酒を飲んで、失態を犯す。
楽をしようと博打をする。ビギナーズラックで勝たせてもらったと言うのに。
私には、醜い部分がたくさんある。
色恋は、その究極の世界である。

根は悪い人ではないのだけど、皆から要注意人物のレッテルを貼られる。
総じて、吝嗇家である。
倹約は悪くはない。しかし、いつも「ごち」とはいくまいね。
酒を飲んだら、馬鹿話(助べえな話も含む)をする。
品があるエッチな話は笑えるが、そのものの話は敬遠される。

誰もが、「理性によって制御できない心の働き」に苦しむ。
予習と準備をしっかりやって、授業に臨む新米教師はなぜか子供の心はつかめない。
授業の時、口から出てくる言葉は空虚であり、臨場感がない。
悩んだ末に、素のまま感じたことを話した。子どもたちは耳を傾ける。
予習と準備は、理性的には正しかった。
子供の心の動きは、予想だにしないことばかりである。
経験不足のためか、新米教師の理性の範疇を越えた子供の傍若無人と映る。
待てよ、子どもは何故学ぶか、この新米教師は考えたことがあっただろうか。
新米教師は、なぜ教職を選んだか、あの熱量を忘れてはいないか。

すべてのことが、シミュレーション通りとはいかない。
人の理性なんて、高が知れたこと。
感情に、楽な方に流される。世の常である。
流されるのはなぜか。流された末に、楽しかったかと自問する。
気づくことができるのである。
「美人は3日で飽きて、ぶすは3日で慣れる」と。
産まれた姿で生き抜くことなんてできない。
それこそ、前世の善悪を継承しているようなもの。

私達は、どんな時でも生まれ変われるのである。
気づくのが遅くても早くても、業と付き合い始めた時から幸せに近づけるのです。
そして、また新たな業にぶつかるのです。
そんな練習を繰り返して生きてきました。

恋焦がれ 敗れて出会う 女神かな

2019年11月12日
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さてさて

2019-11-11 12:12:48 | よもやま話

絵のタイトルは、「脇役」です。
脇役で十分楽しかった。
歳をとるごとに、主役でなきゃという想いが強い。
大黒柱の習性が抜けなくて、困ったものです。


今日のタイトルは、「さてさて」です。
さてさてとは、
困惑・驚嘆したときなどに発する語。なんとまあ。
先を促して問いかけるときの語。
(Goo 国語辞典より)

未消化のまま、時間だけが過ぎていく。
書きたいのだけど、何から書こう、どう書こうと考えているうちに時間だけが過ぎていく。
タイトルの「さてさて」は、咄嗟に出た言葉です。
11月は、初めから忙しかった。
カフェは、連日予約客があり、喜ばしいことだが少し疲れた。
秋の収穫と畑おこし、起こした場所に肥料を入れ寝かして、冬の野菜の植え付けをした。
日を追うごとに、落葉樹の緑の葉が黄色になり朱くなっていく。
いつも通り、遊びも入れてきた。
メタボが少し良くなったと、保健婦さんから励まされた。

あとで、こういうことだったのかと気づく。
夢中で時間を追う。
昔と違い、追っかけられるのではない。
「さてさて」と、先を促して自分に問いかける。
これでもいいんじゃないと、自らを慰める。
私達の年代になると、やることがいっぱいあって、よいんじゃないと言われる。
そうかな。健康を阻害することがないにしろ、足跡はしっかり見ていきたい。

子供たちがおばあちゃんと一緒にカフェに来た。
ママの買い物に付き合うのは、ちょっと面白くない。
かなちょろ(カナヘビの子ども)を捕まえた。私が作ってやった雌竹の数珠玉鉄砲でしばし遊ぶ。
焼きそばをしっかり食べて、パンを作り始めた。
ママの誕生日プレゼントは一個だけ、あとは食べてしまった。弟の分はない。
次から次に興味が移っていき、それまでの面白かったことは、容易に忘れる。

ところが、私たちの場合は引きずるのである。
良かったのか悪かったのか。健康のことも気にかかる。
こうも、違うものか。
未消化が気にかかる。なんとなく整理がつかない。
残った時間ばかりが気にかかる。
明日には面白いことがないような。
そして、今日が光のごとく過ぎていく。

仕事明け 寝ずに遊んで また仕事

2019年11月11日
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