さいきんの流星光
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読了!

と書きたかったところですが、図書館の貸し出し期限を過ぎていたこともあり、
その中の一冊に、予約が入っているという事も手伝って、
借りていた五冊を、一気に返してしまいました。
あと少しで、読了!だったのですけれども…残念!

 村上春樹の小説は、何かの宗教の長い時間のかかる修行のようなもの。そんな気がしてならない。終わりの見えない、意味意義もみいだせない、延々と続く作業を、ただこなしているだけ。そういう時間をじっと耐えて、ようやく終わりにたどり着ける。
 終わりにたどりついたからと言って、テレビのお笑い番組や安いドラマに慣れた僕が満足するような「オチ」は存在しない。
 終わりなのか何なのかも、判然としない。ただページが尽きた。そんな感じの終わりが待ち受けている。
 そのもわっとした柔らかい「ラスト」を迎えると、僕はいつも、呆然と虚空に放り出される。
 いったいこれは何だ。僕は、何を読まされたのか。考えさせられる時間がつづく。

 村上春樹は、僕が思うに、ファンタジー作家だ。
 この人は、ラノベで、異世界ものとかファンタジーノベルが流行する何十年も前から、ずっとファンタジーノベルを書き続けている。少なくとも、僕の中では、そういう認識です。

 村上春樹の小説を読んでいると、いつも思い描くシーンがある。
 刑務所で、何の娯楽もない囚人たちが、それぞれの頭の中で考えた架空のストーリーを作って、読ませあっている情景だ。
 文章なんて書いたことのない者もいれば、割とこなれた者もいる。とにかく退屈なので、みんな小説や詩や日記や雑文や…いろいろな文を書いては、人に読ませる。
 壮大な連載小説を書いている者もいる。
 その素人作家の熱心な読者は、基本設定や、登場人物の特徴をおぼえていて、少しでもそこから外れると、文句を言い、修正させる。やかましい編集者のように。
 そうやって、強盗やら婦女暴行やら殺人やら誘拐やら詐欺やら覚せい剤やら多種多様な罪を犯した罪人だちが、塀の中で、全員、小説家になっていくというシーンだ。

「村上春樹は、不思議な作家である」
 なんてことを、どこかで読んだことがある。確かにそうだ。不思議だ。
 これほど不思議な存在の作家が、日本にいることに感謝しなくてはいけないと思う。



長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました!

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 新宿に行ってきました。



 あのビルの42階にあるんですよ、あのビルに。

 西新宿の高層ビル群の中の、スキーのジャンプ台を立てたような形をしたビルです。



 エレベーターに揺られて、あっと言う間に42階に到着した僕と妻は、1300円を支払って入場券を買いました。

 美術館は、ビルのワンフロアにあったので、いままで僕たちが回ってきた広い土地の中にどんと建設された美術館単独の建物の中にある空間とは、ちょっと違っていました。

 ひと言でいうと、天井が低かったんですね。アタリ前と言えば当然です。だって、ビルのワンフロアなんだから。野原の中の一軒家というワケにはいきません。

 美術館に入ると、なぜか、ゴッホの「ひまわり」のレプリカがありました。この先、ずっと歩いて行くと、最後に「ひまわり」がありますよ、という事のようでした。

 その日の企画展は、シャルル=フランソワ・ドービニー展でした。

 なんじゃそりゃ、と思われる方も多いかもしれませんが、人の名前です。

 シャルル=フランソワ・ドービニー という人の名前です。

 かなり写真に近い、リアルな中世ヨーロッパの風景を描写する油彩の画家です。

 絵は、普通にキレイでした。

 僕が、これまで美術館やギャラリーで見てきた絵画は、どれもよくわからなくて

「芸術とは? アートとは何だ?」

 という疑問を、僕の脳内の発生させるものばかりでした。

 しかし今回は、僕は何の疑問も抱かずに済みました。

「これが、絵です」

 と、ストレートに言われた気がしました。

 ヨーロッパの風景を、見たまんま、すごく絵が上手い人が描いた。そんな絵が、そこにありました。

 ああ草や木って、あんなに黒いんだ。そうだ、空に比べると、黒い、真っ黒なんだ。そうだよな。そして、空は真っ白なんだ。空は、真っ白で、地面は、真っ黒なんだよな。

 そんなことを、僕は思い出しながら、ゆっくり歩いて回りました。

 絵は、本当にキレイでした。
 空は白く輝き、樹木は黒黒として生気に満ち、水は美しく反射して、どんなに小さな水たまりでも白く光っておりました。

 僕が今まで「芸術とは何だ」と思いながら見てきた画家たちの絵は、これが描けないがために、何とかヘタウマっぽく誤魔化しながら描いたものなのではないか、とさえ思いました。




 企画展の区画が終わると、小さいスペースに、東郷青児や、ゴーギャン、セザンヌの絵がありました。

 そして、ゴッホの「ひまわり」がありました。

「ひまわり」を始めて見て、ちょっと感動。

「これが、あの、何億円もする絵か!」と感動。

 しかし、美術館のアタマに名前がついている東郷青児という人の絵にも、衝撃を受けました。

 画家というのは、歳をとればとるほど、絵は、シンプルに簡略化された形を追求するようになるのだろうか、と思いました。


検索「東郷青児」「遥かなる山」








 美術館の後は、ちょっと足を伸ばして東京都庁舎のてっぺんまで行ってみました。

 僕は、高所恐怖症なので、46階から下を見ることができませんでしたが、東京オリンピックのTシャツを買って帰りました。

 46階の展望台には、草間彌生さんがデザインしたピアノがあって、そのピアノを弾きたいがために、何人もの人が列を作っていました。

 一曲弾いては、また列に並んで、また弾く。そうやって、何度も何度もピアノの生演奏をする人がいて、展望室の中には、ピアノの生演奏が響き渡っていました。



僕は、地上何十メートルの高さの床の上で、なるべく窓には近づかないよにしながら、珈琲を一杯飲んで、オリンピックTシャツ(Mサイズ)を買って帰ってきました。




以上、休日の美術館めぐり日記でした。




長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました!

流星光ツィッター

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