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コンクリートの窓から丹沢の峰が見えます
横浜線からも見えます
でも、登ったことはありません
登る予定もありません
山登りをする好奇心も体力もありません
だから、ベランダから眺めているのです
車窓から眺めているのです
それにしても
このようにして一生を終えるのでしょうか
できることなのにしない
したいのにしない
登れば自分が開かれるかもしれないのに
自らはしないのです
もうすぐ人生の後半戦
それも終盤戦なのに
できることすら諦めている
なにか違っている
そのつじつま合せに夢中なだけだ
・・・・・・・・・・・・
大川橋蔵、石原裕次郎、高倉健(昭和という時代)
昭和二十年代だと
ラジオと映画が娯楽だったのです。
「君の名は」という菊田一雄のメロドラマが特に有名ですが
ドラマだけでなく「ラジオ歌謡」とか「きらめく星座」というような
音楽番組がありました。
テレビが珍しい時代、野球も相撲もラジオ中継でしたね
テレビがなければそれなりに楽しめた時代ですね。
学校の校庭などで映画を上映していたことをおぼえています。
スポンサーはどこだったのでしょうか?
なぜか殖産住宅の宣伝映画だけは覚えています。
地方の小さな街にも映画館がいくつもありました。
石原裕次郎の全盛時代、映画館は溢れるほどの人だったのです。
映画は立ってみるのは当たり前
通路にまで人が座り込んでいたのです。
映画の思い出は便所の臭いともうもうとしたタバコの臭いです。
それは、当時のことを知っている人に共通した懐かしさなのです。
臭いが思い出なのですね。
映画は二本立てと称していた。
本命映画とそれなり映画がセットになっていた。
特別サービスとして早朝割引
ナイトショートいわれる午後9時開始の割引映画がありました。
時代劇では中村錦之助、市川歌右衛門、大川橋蔵、市川雷蔵、勝新太郎
現代劇では鶴田浩二、高倉健、石原裕次郎などが全盛でした。
映画館も活気があり、満員なのですが入れ替えなしですから
朝から晩まで見ていました。
当時三本立てもありましたから一日楽しめました。
今となると、ロビーではなく、劇場内に売店があったのが不思議ですね。
映画で育った人も多いのではないでしょうか
寂しい中学時代を過ごした私は映画に子守されたような記憶になっています。
コンクリートの窓から丹沢の峰が見えます
横浜線からも見えます
でも、登ったことはありません
登る予定もありません
山登りをする好奇心も体力もありません
だから、ベランダから眺めているのです
車窓から眺めているのです
それにしても
このようにして一生を終えるのでしょうか
できることなのにしない
したいのにしない
登れば自分が開かれるかもしれないのに
自らはしないのです
もうすぐ人生の後半戦
それも終盤戦なのに
できることすら諦めている
なにか違っている
そのつじつま合せに夢中なだけだ
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大川橋蔵、石原裕次郎、高倉健(昭和という時代)
昭和二十年代だと
ラジオと映画が娯楽だったのです。
「君の名は」という菊田一雄のメロドラマが特に有名ですが
ドラマだけでなく「ラジオ歌謡」とか「きらめく星座」というような
音楽番組がありました。
テレビが珍しい時代、野球も相撲もラジオ中継でしたね
テレビがなければそれなりに楽しめた時代ですね。
学校の校庭などで映画を上映していたことをおぼえています。
スポンサーはどこだったのでしょうか?
なぜか殖産住宅の宣伝映画だけは覚えています。
地方の小さな街にも映画館がいくつもありました。
石原裕次郎の全盛時代、映画館は溢れるほどの人だったのです。
映画は立ってみるのは当たり前
通路にまで人が座り込んでいたのです。
映画の思い出は便所の臭いともうもうとしたタバコの臭いです。
それは、当時のことを知っている人に共通した懐かしさなのです。
臭いが思い出なのですね。
映画は二本立てと称していた。
本命映画とそれなり映画がセットになっていた。
特別サービスとして早朝割引
ナイトショートいわれる午後9時開始の割引映画がありました。
時代劇では中村錦之助、市川歌右衛門、大川橋蔵、市川雷蔵、勝新太郎
現代劇では鶴田浩二、高倉健、石原裕次郎などが全盛でした。
映画館も活気があり、満員なのですが入れ替えなしですから
朝から晩まで見ていました。
当時三本立てもありましたから一日楽しめました。
今となると、ロビーではなく、劇場内に売店があったのが不思議ですね。
映画で育った人も多いのではないでしょうか
寂しい中学時代を過ごした私は映画に子守されたような記憶になっています。