あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
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大の字になって畳みの冬を知る  あきオジ

2008-02-22 13:42:41 | 日記
寒い日ですね。

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昭和の時代
といっても戦後の話
どこの家も貧しかった。
主が戦死した家も多かった
玄関先にそのような趣旨の張り紙があったような記憶がある
それぞれの家に説明できない事情があった
貧しいことは恥ずかしいことではなかった
でも「お互いさま」がそれぞれを支えていた
その貧しさを口にすることはなかった
貧しさと食べるものがないのとは別のものだった
日々の話題は食べるものがないこと
その食べるものを工面することだった。
米びつから五合枡で米を取り出すとき
「後、どれくらい残っている」
と家族が妙に意識していたのです。
ラジオで栃錦や吉葉山の相撲を聞いたり
ラジオ歌謡を聴きながら丸い卓袱台を囲んで夕食
いわし、秋刀魚は安かった
台所の外で焼いたのを覚えている。
鰺のヒラキは庶民の当たり前の食べ物だった。
豆の形が残った味噌汁
それはときとして田舎の親戚が送ってきたものだったりする
あるとき、漬物が贅沢だったりもした。
行商のおじさんがもってくる経木に包まれた納豆
昆布の佃煮
毒々しいピンクのデンブ
そして、黄色の塗り箸を思い出す。
真鍮の薬缶から湯をかけて
お茶漬けを食べた
そんな日々はみんな一緒だった
だから思い出も一緒になっている。
兄弟が集まるとき、必ずその話が出てくる
ほろ苦いけれど、それもそれでよかったという話になる
昔があるから現在を満足できる
でも現在の満足は当時の豊かさが抜けている。
そんな気がする

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最近「大の字になって寝る」という表現が消えてきたような気がします。

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