あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

名刺と預金通帳は天国の入場券として使えない

2008-02-23 16:44:05 | 日記
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向こうとこちらを近づけるのが橋、当たり前でも違う

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陰口や悪口は控えても
怪しい情報にはけっこう群れたいのです
芸能ニュースと同じで、早くていかがわしいのよろしいようで
他では知ることができない「実は・・・」が商品価値があるようで・・・
なぜでしょう。
情報通はその怪しげな情報を商品のように扱います。
やり手といわれる人は、この武器を必ず使います。
その人は一生そのようなやり方で人を引き付けるのですね。
どっちもどっちの世界だけれど
お疲れ様

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「焼き芋屋」(昭和という時代)

昭和間もない頃、私の家の向かえは八百屋でした。
リヤカーに野菜を積んでお得意さんに売り歩くのです。
リヤカーいっぱいに荷物を積んで運ぶの相当に重労働でした。
無精ひげのおじさんはちびたタバコを咥えながら
肩からも帯をつけて黙々と引いていました。
商売はあまり上手ではありませんでした。
そこで、焼き芋の販売を始めました。
ドラム缶より大きめな窯を作り
その上に平たいフライパンを大きくしたような鉄板をのせました。
その上にサツマイモを平たく板状に切り
鉄板に隙間なく並べるのです。
そして窯に焚き木を突っ込み火をたくのです。
そのようにして芋を焼き上げるのです。
冬になると、その窯のところで暖をとったものです。
そして、遊び友達とたむろしていると
おじさんに叱られたものです。
ほどよく焼けるとおじさんはねじり鉢巻で大きな木製の蓋をとり
箸で芋を突いてやけ加減を確かめるのです。
焼きあがるとあら塩を上から降りかけるのです。
それなりにコツがあったようです。
あのときの薪を扱う薄汚れた手は
今の時代には馴染まないでしょう。
それで終わりだった思います。
ごま塩をかけていたかおぼえていません。
客は新聞紙でできた袋に入れてもらい
家に帰るのです。
当時、大きな壷状の窯に芋を丸ごと吊るして焼くのと
砂利をつめた窯に芋を丸ごと突っ込み焼くスタイルがありましたが
その焼き芋屋では芋を切っていました。
当時、それほど高価ではなく、庶民の食べ物で
上品な家庭では避けていた食べ物でした。
貧しい私の家族はそんなに頻繁に食べられなかったように記憶しています。
確か、芋を入れる袋を新聞紙で作って渡すと
お駄賃と称して、焼き芋をいただいた記憶があります。