あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

あれも流れてゆき・これも消えてゆく・私も・あなたも

2008-02-20 13:42:48 | 日記

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線香のほのかな香りが雰囲気を浄化してしまう

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漁船とイージス艦が衝突した
どのチャンネルも被害者の側に立っているふりをして
大人げのない演出で盛り上げている。
被害者には気の毒だが、どこかに入ってはいけない穴がありそうだ
それを見ないことにしている
テレビの後
新聞を読んでいた。
食卓にある
りんごをかじると
「国光」リンゴを思いだした。
それは昭和の時代、当たり前のリンゴだった。
甘さの濃い「印度リンゴ」は高級品だった。
バナナとリンゴは病気になると食べられる
そんな果物だった。
八百屋とは別に果物屋があった。
運動会や遠足のとき親子でリンゴを食べている
そんな同級生が羨ましかった
いつもは、仲良くしているようで
そんなとき、越えられない溝を感じた
あのころ友達が親に言われて
バナナを持ってきてくれたとき
嬉しいような、素直にお礼がいえない
悲しさがあった
そんなほろ苦い思い出もある
今はなんともないと言いながら
気持ちのどこかにこだわりがある
高級な言葉を見つけて
ときどき気取って使ってみても
体に馴染まないように
記憶の棘は
容易には取り出すことができない
それにしても「印度」リンゴを見かけない。
どこに行ったのだろうか
切り落とされたのかもしれない。
ときには、永遠であるようなものが
突然なくなっていることに驚く
リンゴの木も
バナナの友達も
消息が分らない
でも、棘だけは残っている
新聞には事故で消息を絶った親子の知人が
「生きたまま返せ」
と泣き叫んでいたことを取り上げている。
どうしろというのだろうか
だけど
私にはバナナの棘のことだけがひっかっている。

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「パンパン」(昭和という時代)

戦後、進駐軍が日本中にあふれていた時代
市街地には「パンパン」と称する売春婦がいた。
髪にパーマをかけ、派手な体を露出する服を着て
唇にはけばけばしい口紅をつけていた。
当時、パンプスというサンダルが流行していた。
自分から選んだのか、選んだように見せかけているだけなのか
街にはアメリカ兵の腕にしがみつく若い女性をいたるところでみた
中には、結婚を迫られ、その気になってアメリカまでわたる女性もいた
成功した人もいるが、そうでない人もいた。
彼女等は、仕事を探しても見つからない
そんな時代に兄弟だけは多かった
富国強兵政策は軍人を増やすために
産めよ増やせよ」を声高に叫んだ時代だった。
自分の体を売らなければ自分だけでなく
家族を養うことができない。
そんなギリギリの生き方をしていた。
にもかかわらず、同じ日本人は「パンパン」を軽蔑した。
何と恥ずかしいことをするのか
「あいつらはケトウ、そんな連中に体を売る。恥知らず」
と罵声を浴びせた。
罵声を浴びせた連中は「産めよ増やせよ」と叫んでいたかもしれない。
そのような弱いものを責める人たちは
自分達が正義であり、道徳観を支える存在である。
そんな力み方をしていたのでしょう。
パンパンは取締りが厳しくなり
次第にアメリカ軍兵士の飲み屋に勤めるようになった
しかし、していることは同じだった。
それが日本人の現実であり
アメリカ兵の現実だった。
みんなで見て見ぬふりをし
話題にもせずにいた。
そのような娘を恥じている親も、子の金をあてにしていた。
彼女等はどのような人生を歩んだろうか
食べられるようになったら・・・・
そんな言葉を吐いても、意味がなくなっていた
彼女等を軽蔑した人たちはどのような人生を作ったのだろうか
竹やり担いだ人は、婦人会長にでもなったのだろうか
勝てば総てが許され、いかなることにも説明がついた
負ければ、とことん責められ、不正が暴かれた
歴史はそのような繰り返しに過ぎないことを証明している
それは今の時代につながっている。
どんなこともひっくり返る。
その時代に生きたかそうでないかの差に過ぎない。
パンパンと罵声を浴びせられた人も80を越えている。
罵声を浴びせた人はその後も日本人の正義と倫理観を
振り回してきたのだろうか
うまく時代の流れに乗れたのだろうか
そんなことを思うこともある。





橋を越える雲は春も運んでいるのです

2008-02-19 21:10:20 | 日記

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「小さな旅」で映し出された金時山
小学校のとき遠足で行ったことを覚えている
映像に映し出されたあの山
子どものときに登った高さと
金時山からみた富士山の大きさがあまりに違っているのに驚いた
御殿場線の電車から見る金時山は大きい
ちっとも変わらないと思う
でも、憧れや夢と同じように
大人になると大きさが違っている
きっと、目の位置が違っているからだろう
あれこれのできごとも
みんなそんなふうに大きくなったり
小さくなったりするのだろう
そう思う
ものがおおきいとか小さいとか
悔しいとか、羨ましいとか
そんなことも大きくなったり小さくなったり
思い出さなければなんともないことも
思い出すと涙溢れるようになる

今日はどうしてか、駅の階段は長くて高いように思う



温かそうな道を選び歩いている。もう少し辛抱しよう

2008-02-19 06:37:15 | 日記
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風が横殴りに吹く寒い日
温かい日差しが恋しい
そう思う。

小さいころ
姉の通っていた学校へ
番傘を届けに行ったことを思い出す

誰かに頼まれたわけでもなく
自分でとぼとぼ暗い道を歩いている
自分の姿は寂しくてしかたがない
そんな思いに満ちている
傘のもち方がぎこちなく
袖口のほつれたセーターが濡れている

なぜか、その自分を街灯が映し出している
どの家も光がともるころ
ひとり言の自分が
哀れに見える

50年以上前の姿が突然現れる
そんなことが最近、起こるようになった。


マラソン好き・花のない庭を楽しみ・短詩を誰もが経験する

2008-02-18 21:36:22 | 日記
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東京マラソンの日です
当たり前のようですが、私は走りません
走るのが嫌いです。
耐えるだけでは嫌です。
いつまでたっても
走る覚悟ができません。
走りだしてもその気が湧いてきません。
走っているとき息苦しさが嫌いです
ちょっと走っただけで足が痛くなるのです。
そう思うと不思議なことに
この場所から痛くなる
そお思った場所から痛くなるのです。
とにかく苦しいのをじっと我慢するのは最悪
そして、まだあんなに走らなければいけないのか
そんなことを想像するだけで気がめいります。
それは、人生そのものを嫌がっているようです。
きっと走ることが好きな人は
いい社員であり
いいお父さんだろう
そんなことが分ります。
でも、それでも私は走りたくありません。
だから、このままなのでしょう。

表情が豊かな人は心の奥で何を考えているのだろう

2008-02-18 18:03:16 | 日記
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駅の端っこの喫煙所でこそこそタバコを吸っている
背広姿の若い人
あれこれも御苦労様ですね
寝癖が直っていませんよ。
大変だけどちょっとだけ頑張ってください
年よりはそんな思いがあるのです
若い人の日々を気にしている
それは本当です。
気が向かない仕事でもやらなければならないし
腹が立つ客にも気を使わなければならない
驕慢としかいいようがない上司にも頭を下げる
子育てにイラつきながら夫の両親にも気を使う
当たり前といわれればそうかもしれない
でも、まだ人生経験の短い人にとっては
相当のストレス
そんなとき逃げ出したい
出勤したくない
そうでしょう
明日が来なければいい
そんなことを真面目に考えてしまうこともありますね
御苦労様
それしか言いようがない
いつか時間が解決するからなどという慰めも
耳に入らないでしょう
酒を飲んでもカラオケで歌ってもどうにもならないでしょう。
だから
御苦労様
でも、年をとると
どうでもいいことで悩んでたことに気づくでしょう
そして、あれこれあったほとんどは忘れてしまうほど小さな
どうでもいいことだったことに気づくでしょう。
でも、今日はそうもいかないのですね

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EXILEの楽曲に突然とりつかれた
好きはどうしようもない突然から始まる

代表選考会も大変だ・一流とは・段違い・人並みでは駄目なのだ

2008-02-17 16:17:19 | 日記
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東京マラソン
寒空なのに人が溢れている
上野広小路も人が溢れ
雷門前にも人垣ができている
ブラスバンドもでるし
浅草寺の金龍の舞まで登場している
日本人はマラソンが好きだ
読売新聞と東京新聞の旗を握り締めて
老人もいっぱい応援している
そう、マラソン
アメリカ人がアメリカンフットボールが好きなのと同じように
日本人はマラソンが好きなのだ
禁欲的なスタイルがいいのだろうか
選手も声高で、生真面目、そしてストイック
派手なパフォーマンスなど準備していない

それにしても一流選手は早い
一般の人が全力に走っても追いつかないスピード
それを二時間も走り続ける
それだけの練習をしているのだろう
体つきも凄いし
フォームもきれいだ
一流選手は、それだけに生活をかけている
それだけに表情も違う
何もかも違っている。
これしかない
これがある
そんな感動がある。

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口ひげオヤジ

地下鉄に乗ったら
口ひげで黒の背広のおじさんが
競馬新聞を読んでいました。
白髪交じりですがパンチパーマではありません。
でも、なんとなく視線を合わせないようにしていました
そこに親子連れが入り込んできました。
まだ、一年も経たないような赤ちゃんを父親が抱っこしていました
首に負担がかからないように首筋に手をあてがっていました
初めての子でしょうか
ぎこちないスタイルで子を抱いている姿が頼りないのです
母親は乳母車を抑えていました。
危なっかしい姿勢で父親が抱っこしていることに気づいた
口ひげオヤジ
とっさに立ち上がり
「おい、ここへ座れ」
と父親に声を掛けました。
きょとんとしてい父親を横目に
次の駅で降りていきました。
タイミングを計ったのでしょうか
その素早さとかっこよさに見とれてしまいました
指はちゃんとありましたが
金の大きな指輪をしていました。
それを私はちゃんと見ていました。
人は見かけじゃない。

布団から出たくない・贅沢で・わがまま・でも、部後回しにしているだけ

2008-02-17 06:56:15 | 日記
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冬の六時はまだ暗い
でも、今日も、こだわりの早起きをする
そして、当たり前にしなければならないこと
その殆どをやってしまう
HPの更新だってそうだ
一日一ページ読書もそうだ
朝ならできる
なぜだろう?
終わると
遊ぶことだけ考える
たいしたことが思い浮かばないけれど
やってもやらなくてもかまわない
そんな贅沢がいっぱいになる

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映画(昭和という時代)

戦後の昭和を映画で見たとき
もっとも庶民の生活を描き出しているのは
小津安二郎監督の一連の映画と
山田洋次監督の「男はつらいよ」のシリーズだと思います。
小津映画は戦争を挟み昭和20年代からの時代を描いているように思います。
しかも小津映画は中流以上の教養人という注釈があります。
代表的俳優笠智衆が演じるのは、医者であったり、教育委員会長であったり、
有名商社のしかるべき地位ですし
ときには銀座料亭を利用できる男です。
しかし、滅び行く家長としての男だけでなく
女性の自立とか文化感覚をしっかり受け止めた女性を登場させます。
しかも言葉として、映像として表現します。
「東京物語」では電報が利用され
電話は受話器と通話口が別になっている電話と
一体型の電話が混在しています。
また、隣の家にある電話を利用するのは当たり前の文化だったことも分ります。
また、「東京物語」では杉村春子演じる長女は「うらら」美容院を経営しています。
女性が経済力を得た時代の始まりでした。
「東京物語」では原節子演じる戦争未亡人は商社勤務をしていますし
主人公の末娘は小学校の教師です。
また、一方、山田映画の「男はつらいよ」では
小道具をあれこれ利用して時代を表現しています。
特に、労働者階級の博さんとさくら夫婦の生活や家具等を見れば
はっきりその時代を見ることができます。
逆においちゃん、おばちゃんには大きな変化は見られません。
押し流されていく世代なのです。
ある時期、博さんがよく読んでいた雑誌は「世界」です。
サークル活動も盛んですし
歌声サークルが楽観的未来を夢見て歌っています。
ちなみに、タコ社長の印刷工場では鉛の活字を拾う文選に始まり
オフセット印刷機が導入され
パソコンが導入されます。
ですから、戦後は小津映画
その後は「男はつらいよ」を見ると
よく分ります。
また、そのことをまた取りあげます。

受け継ぎ・そして・伝える・それが私のすべきこと

2008-02-16 18:55:15 | 日記
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伝えられたこと
それを受け継ぐこと
それが私の存在なのです
引きついたことをそのまま伝える
それが私たちの与えられた使命
親から子へ
師匠から弟子へ
そのままでいい
増やすことも減らすこともなく
それでよいのですね
このごろそう思えるようになりました

「ゆれる」橋を渡るような私・どこかで祈っている

2008-02-16 16:00:36 | 日記
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寒風の中
山下公園を歩く
そして、なせか
中華街に迷い込む
食料品を商う店が並ぶ
天津甘栗に修学旅行生が群れている
あちらの店もこちらの店も
赤、黄、青のごてごてな色
不気味で落ち着きが悪い
なにのなぜか生命力に満ちている
客を呼び込むおばさんも
大声で呼びかける
気取ることなく
かといって下品にならず
素人が写真を撮ったメニュー
そして、下手な文字
どれも、食欲をそのまま投げ出している
そして何もかも一緒に飲み込んでしまう
食べたいような
そうでないような
気持ちが揺れる
それにしても、不思議な料理がてんこ盛り
糖尿病を気にする人には
とても残念なところ
結局のところ
野毛町の日本蕎麦屋で
かけそば
満足したとはいえない
中途半端
そんな土曜日

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テレビ(昭和という時代)

テレビが入り込んできたのは昭和30年代ですが
最初の頃は電気屋の店頭で流しているのを見たり
街頭テレビと称すたものを見たりました。
火の見やぐらのような構造物の中にテレビがあり
公開放送となるとその扉を開くのです。
主としてプロレス、ボクシング、相撲などを放映していました。
放映されると近所の人が多くの人が群れてきました。
ものすごい人数の人が押し寄せ
危険な状態にもなりました。
白井義男が世界チャンピオンになったときとか
力道山とシャープ兄弟との戦いなどものすごい人気でした。
やがて豊かな生活をする人が個人用に持ち始めました。
「三丁目の夕日」に出てくるシーン状態が始まりました。
街頭ではなく、テレビをもっている人の家に押しかけ
テレビを見たのです。
「お笑い三人組」
「夢であいましょう」などに人気がありました。
お目当ての時間が来ると
勝手に押しかけていたような記憶もあります。
テレビのある家に10人以上が集まっていたこともあったかもしれません。
テレビをもっている家の人もさほど嫌がっていたような記憶がありません。
むしろ自慢げに周囲の人を誘っていたようにも思えます。
私の家にテレビが入ったのはずっと遅くて
昭和40年代だったかもしれません。
東京オリンピックの女子バレーを見たのが
大型楽器店に展示されていたテレビであったような記憶があります。
そして、いつかどこの家にもテレビが準備されると
街頭テレビも消えてしまい
熱気も個人的ところまでしか広がりませんでした。


あの船は夕日の中に何を運び出すのでしょうか

2008-02-16 15:35:58 | 日記
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船は夢を見させてくれるし
悲しみを流してくれる
そんな歯の浮くようなことさえ
言葉になりそうな気がする。

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海は広いな大きいな
波が寄せたり返したり

遠くへ行きたい
この息苦しいところから出たい
緊張した空気から逃げ出したい
そんな思いから生まれる願望なのでしょうか
この歌を海辺で一人で歌うと
涙が出てきます
一粒ずつ
砂に落ちていきます