自信を持って宣言したいことがある。
言わせてもらう。
「熊本に、もう一個、野球スタジアムができます。」
なんでこんなことが言えるかというと、それは、ボクというか、作りたいと考えている人間がいるからなんだ。
話しは変わるけど、今日、ボクが午前中に記録したバカブロクを読んだ人の中に、今、NHKでやってる「戦うリハビリ」を見てみたいと思った人がいると思う。
ボクは、今、番組でやっている中身が、実体験としてそれがどういうことなのか判る。
話しはかわるけど、実は、7時から、宮崎市日南市の焼酎メーカーが作った「甕雫」って名前の焼酎を熊工野球部出身のNKMオヤジとずっと飲んでるんだけど・・・。
結論から言おう。
ボクらは共鳴という世界に生きている。
その共鳴がナニから生まれるか。
それは世界を作るカタチなのだ。
雪の結晶、正しくは氷の結晶だけど、そのカタチを見た人は多いと思う。
みんなに、素直に訊きたい。
この結晶はいいな、この結晶はなんだか気に食わないなって思ったことがあったと思う。
それが共鳴なんだ。
だけど、カタチってなんだろう。
そのカタチがホントにあるかどうかボクには判らない。
だけど、カタチを感じているのは間違いない。
じゃぁ、カタチをカタチ作っているってモノはなんだろうって考えたら、それもカタチがあるものだとボクたちは考えてしまうというか、思ってしまうというか、そうあって欲しいと思う。だから、そこにボクたちはカタチを残念ながら見出してしまうのだ。
夜空を見上げると、そこには宇宙が広がっている。
でも、その宇宙は、根源的にはボクたちがそう思った宇宙に過ぎないってことがわかると思うっていうか、思い込んでるだけんだ。
だけど、それがなんだか共通の理解みたいにして、みんなが理解しているのは、単にみんなが同じ人間というカタチをしているからなんだ。
今、ボクは思う。
今、ボクが感じている宇宙のほかに、別の宇宙が無数にあるっていうことを。
だけど、残念ながらそれをホントに感じることはできないし、「科学」で説明することもムリっぽいと思う。
だけど、それが説明できる日が来るのも近いと思う。
なんで近いって思うかっていうと、それは近いと思うからなんだ。
そういうもんなんだ。人間は思ったものが見えてしまうっていうヘンテコな癖があるんだと思う。だから、思ったものが目に見えてしまうんだ。普通に考えれば、単に見えるものと、そこに物質があるということは、違う事象のように思ってしまうことかもしんないけど、物質があるってことは、そこに物質があるように見えているに過ぎないんだ。
ボクらが生きてる宇宙に、他の宇宙人がいたとしよう。そもそも、この仮定はおかしいんだけど、たぶん、その宇宙人は、ボクらに気づくことができないじゃないかな。
そして、残念ながら、ボクらも、ボクらが生きている宇宙に宇宙人がいたとしても、彼らに気づくことはムリなんじゃないかな。
なんでかっていうと、最初っから、ボクらはボクらが生み出した宇宙にしか存在しないからなんだ。宇宙人とは共鳴し合えないからなんだ。なんで共鳴しあえないかっていうと、宇宙人とボクたちでは、たぶん、カタチが違うからなんだ。
話しを元に戻さなくちゃいけないけど、人間同士が共鳴しあって見たいと思ってしまったことが現実になるというか、見えてしまうと、そういうことなんだ。
そう考えると、スタジアムができると思えば、出来てしまうっていう仕組みが判ってもらえると思う。
だから、ボクは気軽に言うことができる。
「熊本に、もう一個、野球スタジアムができます。」
これが「意識」ってヤツなんだ。
言わせてもらう。
「熊本に、もう一個、野球スタジアムができます。」
なんでこんなことが言えるかというと、それは、ボクというか、作りたいと考えている人間がいるからなんだ。
話しは変わるけど、今日、ボクが午前中に記録したバカブロクを読んだ人の中に、今、NHKでやってる「戦うリハビリ」を見てみたいと思った人がいると思う。
ボクは、今、番組でやっている中身が、実体験としてそれがどういうことなのか判る。
話しはかわるけど、実は、7時から、宮崎市日南市の焼酎メーカーが作った「甕雫」って名前の焼酎を熊工野球部出身のNKMオヤジとずっと飲んでるんだけど・・・。
結論から言おう。
ボクらは共鳴という世界に生きている。
その共鳴がナニから生まれるか。
それは世界を作るカタチなのだ。
雪の結晶、正しくは氷の結晶だけど、そのカタチを見た人は多いと思う。
みんなに、素直に訊きたい。
この結晶はいいな、この結晶はなんだか気に食わないなって思ったことがあったと思う。
それが共鳴なんだ。
だけど、カタチってなんだろう。
そのカタチがホントにあるかどうかボクには判らない。
だけど、カタチを感じているのは間違いない。
じゃぁ、カタチをカタチ作っているってモノはなんだろうって考えたら、それもカタチがあるものだとボクたちは考えてしまうというか、思ってしまうというか、そうあって欲しいと思う。だから、そこにボクたちはカタチを残念ながら見出してしまうのだ。
夜空を見上げると、そこには宇宙が広がっている。
でも、その宇宙は、根源的にはボクたちがそう思った宇宙に過ぎないってことがわかると思うっていうか、思い込んでるだけんだ。
だけど、それがなんだか共通の理解みたいにして、みんなが理解しているのは、単にみんなが同じ人間というカタチをしているからなんだ。
今、ボクは思う。
今、ボクが感じている宇宙のほかに、別の宇宙が無数にあるっていうことを。
だけど、残念ながらそれをホントに感じることはできないし、「科学」で説明することもムリっぽいと思う。
だけど、それが説明できる日が来るのも近いと思う。
なんで近いって思うかっていうと、それは近いと思うからなんだ。
そういうもんなんだ。人間は思ったものが見えてしまうっていうヘンテコな癖があるんだと思う。だから、思ったものが目に見えてしまうんだ。普通に考えれば、単に見えるものと、そこに物質があるということは、違う事象のように思ってしまうことかもしんないけど、物質があるってことは、そこに物質があるように見えているに過ぎないんだ。
ボクらが生きてる宇宙に、他の宇宙人がいたとしよう。そもそも、この仮定はおかしいんだけど、たぶん、その宇宙人は、ボクらに気づくことができないじゃないかな。
そして、残念ながら、ボクらも、ボクらが生きている宇宙に宇宙人がいたとしても、彼らに気づくことはムリなんじゃないかな。
なんでかっていうと、最初っから、ボクらはボクらが生み出した宇宙にしか存在しないからなんだ。宇宙人とは共鳴し合えないからなんだ。なんで共鳴しあえないかっていうと、宇宙人とボクたちでは、たぶん、カタチが違うからなんだ。
話しを元に戻さなくちゃいけないけど、人間同士が共鳴しあって見たいと思ってしまったことが現実になるというか、見えてしまうと、そういうことなんだ。
そう考えると、スタジアムができると思えば、出来てしまうっていう仕組みが判ってもらえると思う。
だから、ボクは気軽に言うことができる。
「熊本に、もう一個、野球スタジアムができます。」
これが「意識」ってヤツなんだ。