平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1309 「大往生」

2018-10-27 11:08:18 | 日記
     平和への希い1309 戦後74年  
  「大往生」  2018.10.27.

10月2日のNHK「ラジオ深夜便明日への言葉」で、医療法人社団慶成会会長大塚宣夫医師がお話しされて
いました。
「大塚先生の『大往生』とは?」、と聞かれて、
1.それなりに長生きした
2.周囲(まわ)りの人に惜しまれながら
3.穏やかな顔で
4.残された人に、ローソクが消えるような最後で良かった、と思ってもらえる
最後を迎えられることかなあ
、と。
残された人に感動を与える死、ローソクが消えるような「厳かな死」、とおっしゃっていました
大塚先生は、高齢化が進みつつあった1970年代、独自の発想で、終末期のための病院をゼロから作り上げ
育てて来られました。
「豊かな最晩年」の実現を目指し、「人に寄り添う医療」を追い求め続けていらっしゃいます。
医療は、これまで、どうやって命を救うか、に真剣に取り組んできた。治療が不可能になったら延命するしか
ないから、延命のために手を尽くす。
大塚先生は、発想を大逆転したのです。先生の目指した病院は、
先ず医療ありきではなく、先ず生活ありき」を大切にする病院なのです。
治療目的の病院ではなく、高齢者が人生の残された時間を出来るだけ苦痛がなく、家族と穏やかな時を過ごす
終(つい)の棲家としての、療養病床中心の病院なのです。

「医療と介護が、どう寄り添ったら、人は幸せな最期を迎えられるか」ということに一生懸命な病院を目指して
いるのです。

リハビリに励む人、映画を見る人、ジグソーパズルに興じる人、新聞を読む人、まるで自分の家で時間過ごして
いるように。夕暮れにはお酒を楽しむ人もいるようです。
経済的に、このような病院に入ることを望むべきもないが、大塚先生の「発想」をお借りして、幸せな「最期」
を迎えられたら良いなあ、と感じ入った次第です。

ウォーキング中に出会った花々です。

10月27日、「今日は何の日カレンダー」より
読書週間●古本祭(東京千代田区・神田古書書店街)
▲空海、死後弘法大師の名をおくられる(927)▲徳川家康、大坂城で秀吉と会見(1586)▲寛政の改革、書籍出版
取締令に及ぶ(1790)▲安政の大獄で吉田松陰ら刑死(1859)▲秋月の乱(1876)▲横浜で日本初の近代的上水道水
開始(1887)▲浅草・凌雲閣に日本初のエレベーター設置。12階(1890)▲東京中央放送局、初めて海外に電波を
送る(1930)▲渡辺選手、小児マヒ克服し国体出場(1969)▲日刊ゲンダイ創刊で駅売り夕刊ブーム到来(1975)
▲ ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の呼びかけで欧米、アジア 、アフリカ、南米、ソ連、東欧からあらゆる宗教
代表者約100名が、イタリアのアッシジへ 集い、それぞれの宗教儀礼で「平和の祈り」を行った(1986)
▲南アフリカのネルソン・マンデラ氏初来日(1990)