12月は、日本の戦争史上、忘れられない月の一つです。
83年前の、12月1日は、日米開戦が御前会議で決まった日。その1週間後の12月8日は、日本が真珠湾を奇襲し、太平洋戦争を仕掛けた日。1941年の12月の出来事。
日本の今日の平和を作り上げた、厳しい出発点でもあります。
日米開戦するかどうかで、数日間、宮中で会議が続いていました。
当時の日本は、満州侵略、国際連盟脱退などで、石油など重要物資が輸入できない、経済制裁が国際的な
包囲網で、ガンジガラメの状態でした。
軍部は、ジリジリ国力が衰えて行くよりは、戦争に打って出て、米英などのアジアなどにある植民地を奪い、
経済制裁で輸入できない石油など重要物資を奪い取ってしまおう、という主戦論を唱えていたのです。
開戦決定前の11月29日、元海軍大臣で首相を務めた米内光正は、日米開戦することについて、東條英機首相に意見を求められた時、、
「ジリ貧を避けようとして、ドカ貧にならないよう、十分にご注意願いたい」と進言した、とのことです。
結果は、「イケイケどんどん」の主戦論が大勢を占め、日米開戦が決まり、空襲・原爆などで、日本の
主要都市は廃墟、若い兵隊と市民の、数百万の命がなくなったのです。
日本は完膚なきまでの敗戦で、「ドカ貧」になってしまいました。
戦後、戦勝国だった米がの勢力争いが続きました。アフガン出兵で疲弊したソ連が崩壊、世界の警察を任じていた米国も、朝鮮・ベトナム・中東・アフガンなど戦争で疲弊。米の後退で中国が台頭。しかし、中国と言えども、武力で、治めようととする限り、多額の戦費、多くの命を失うことになり、必ず、崩壊して行くのです。
ウクライナ侵略戦争のドロ沼にはまっているプーチンのロシアも、世界世論を敵に回してのガザ地区攻撃のネタニアフのイスラエルも、軍事費が財政を圧迫、カネと国の将来を担う若い人の命を失って、「国の衰退=ドカ貧」に向かっているのです。
馬鹿げた、戦争による「解決」を選ばずに、国連を舞台にして、スマートな、話し合いによる「解決」を選ぶことが、「ドカ貧」にならない、決め手なのです。
12月3日、「今日は何の日カレンダー」より
カレンダーの日(1987)、個人タクシーの日、奇術の日(日本奇術協会)
▲フランシスコ・ザビエル没。46歳(1552)▲島原の乱始まる(1637)▲ナポレオンがマドリード占領(1808)
▲太陽暦採用で1872年(明治5)12月3日が明治6年1月1日になる(1872)▲香川県が愛媛県から分離独立し、現在の都道府県がすべて確定する(1888)▲フランス印象派の画家ルノアール没。78歳(1919)▲第1回大東亜
戦争美術展が開催(1942)▲JIS規格スタート(1945)▲大学での男女共学制度改定(1945)▲初のラジオクイズ
番組「話の泉」(NHK)放送(1946)▲東京で個人タクシー開始。173人免許取得(1959)▲南ア・ケープタウン
で初の心臓移植手術(1967)▲インドとパキスタンが全面戦争突入(1971)▲ブッシュ米大統領とゴルバチョフ・
ソ連首相が冷戦の終結を宣言(1989) ▲ソニー、プレイステーション発売(1994)▲対人地雷禁止条約調印
(1997)▲米・火星探査機火星到着も通信途絶(1999)▲ロシアとバチカン外交関係樹立(2009)▲中国高速
鉄道試験走行で最高速度486.1k/h記録(2010)▲小惑星探査機はやぶさ2打ち上げ(2014)▲米小惑星探査
機小惑星ベンヌに到着(2018)