驚くべき事に尾張織田信秀の末盛城は当時の尾張の人にとり山城だった!
◆大河ドラマ『麒麟が来る』では織田備後守
信秀つまり織田信長の父は尾張古渡城を破却
「廃城」して、なんと尾張に山城を築城した
事が文献『信長公記』には、明記されている。
我々峻嶮な山城を調査したり遺跡見学する者
にとり尾張末盛城は丘陵城郭としてしか感じ
ない城郭遺跡でなのであるが太田牛一の観点
からは末盛城を山城として認識している事が
明確に解る。
一、去る程に、備後殿、古渡の城破却され、
末盛と云う所へ山城をこしらへ、御居城なり。
この様に大田牛一が山城と記載している以上
我々はこの末盛城を当時は、山城として認識
する必要があろう現代でも当地には城山地名
が残っている事なども含めて考えさせる。私
は当地が古代須恵器を焼成する為の陶の森だ
と考えている、また現状を見る限りおいては
後世末盛城は何度も改修を受けていると推定
されるがNHK大河ドラマでもこの末盛城を
山城として描写して欲しいと私は思ったもの
である。末盛城は信長の父信秀から信長の弟
信勝に与えられまた信勝自体も父信秀の自称
官途名「織田弾正忠」を書面で名乗り始めて
有力な武将柴田勝家などを家老に付けられた
が勝家は実際に織田信長本隊と合戦する事に
より信長の編成する独自の戦闘部隊が常識を
越える実戦部隊である事を痛感しまた主君の
織田信勝から遠ざけられた事から柴田勝家は
織田信長という武人の真の力量と実力を自ら
らの敗戦を体験した事で認識して世間が言う
ほど信長がうつけで無かった事を認識する。
▼長谷川博美本人▼
◆追記
織田信秀が末盛城を取りたてた事は彼が守備固め
つまり劣勢に立たされて山城の要害に依存した事
が窺われる。