★戦国近江 知っていて当然の歴史城郭の基礎知識
対談者
戦国時代近の近江における★献立「こんだて」の
一例を是非御教示下さい。
長谷川
誰でも知ってます。1534年(天文3年)8月20日の
『浅井備前守宿所饗応記』に献立の文字が見える。
対談者
献立の語源の意味とは本来は祝宴の段取りや一献、
二献の手順や計画的な料理メニューの順番事なの?
長谷川
忘れて欲しくない事は浅井備前守亮政がこの盛大
で豪勢な祝宴の式次第と献立を用意周到に計画し
プラグラムや席次料理品書きをプラニングした事
にあります。つまり経済的力計画力実力がある事。
この人物は徳川家光から遡ると家光ー小督ー長政
ー久政-浅井亮政へ遡れる人物です申し少し簡単
に言うなら浅井三姉妹、淀殿、初姫、小督の先祖。
対談者
鍬立「くわたて」てはとは?何でしょうか?
長谷川
簡単ですね。工事や普請の起工式の事です。
「鍬入」とも言う。工事開始の最初の儀式
です。現在は一般に地鎮祭起工式とも呼ぶ。
対談者
長谷川先生の一般人と異なる城址を数秒で
発見し、突然出発して、現地に突然城址が
出現する!その様はまるで英国の探偵小説
シャロック、ホームズとか、日本の金田一
耕介のような恐ろしさ非凡な推理力才腕の
冴えに毎回仰天驚愕しています。まさかが
現実となり長谷川先生と訪れる場所に突然
城址が出現した時には足元が震えます。これ
こそ歴史の現実真実と言う事を目の当たりに
した時には感慨深い歴史の重さ現実を感じる。
長谷川
驚かないで下さい!城に関しては近江の自然
の中で純粋培養された天然素材の城郭研究者
の私は、ただの素朴で正直なだけの人間です。
長谷川
★鍬立、献立、陣立の意味を、知っておく事!
くわだて、こんだて、じんだて
対談者「陣立」聞いた事のない歴史用語です!
長谷川
そんな事ないです。宴会料理の段取り、献立で
あるように「陣立」は当時の武将が戦陣に於け
る。交通の要衝や地理把握。展望の利点の獲得。
味方の互いの陣所と陣所の配置。相互の距離や
連携連絡そして、兵站補給線などの利便を総合
的に充分に考へにぬいた考えた、城郭分布配置
です。あの天下の第一籠城記録を誇る大坂石山
本願寺城だって周囲に52箇所もの出城を巧妙に
分布配置した「陣立」が存在したから鉄壁の城。
城郭を衛星状に合理的に理論的に整合性ある城
の連合体つまり陣配り「陣立」の基礎を要する
に城郭分布学を私達その基礎を会得していない
と全く未知の城を発見する歴史城郭研究家とし
ての力量は発揮できませんよ。城跡など万年、
無い。無い。尽くす、消極逃避型の典型的な
物真似研究者ならば一生城郭とは歴史の真髄
を発見出来は無い。先人の足跡や研究を巧妙に
搾取する事しか考えていない。真似師漫才的
な真の城郭研究で家で無い城郭情報諜報家や
または城屋さん稼業営業の人と言う事になる。
私はこのブログを読んで頂いている全国の城郭
フアンに自らの独力で城址を発見できる能力城
を見る見別ける人間を見分ける看破する力量を
身に付けて欲しい。要するに絵本をお母さんに
読んで貰っている幼児や子供でなく自ら絵本を
読む心もうとする心のある人へと成長し社会を
歴史を冷静に見る力「大観」出来る人になって
欲しい。歴史は強制的に人から与えられ記憶す
るテスト勉強ではないはず。自らが進んで考え
て学ぶ事。気付き力や発見する事と思ってます。
対談者
さすがです!長谷川先生!見直しました流石だ!
では、実際の城郭分布「陣所分布」文献を御教示
下さい。★は長谷川先生が註項を入れています。
長谷川
天文7年(1538年)朽木文書の491
『六角定頼陣立注文』以下源文です。
★佐々木六角定頼=当時の畿内管領代
「近江坂田郡長澤御本陣 六角定頼・同馬廻衆、
★米原市 長澤福田寺の地名
神照寺 五郎殿京極高慶、
★長浜市神照寺の地名
七条 進藤貞治、
★長浜市七条町の地名
八条 高野瀬・山崎、
★長浜市八条町の事
横川楞厳院 永刑永田刑部少輔景弘・目賀田・
池田・後藤高雄、
★長浜市、大東町付近の地名
八幡 三井・平井高好、
★長浜市八幡中山付近の地名
平方 下笠・楢崎・三上恒安、
★長浜市平方町付近の地名
田村 永原重隆、
★長浜市田村の地名
今川 三雲定持、
★長浜市今川町の地名
口分田 上坂定信、
★長浜市 口分田付近の地名
箕浦 田中殿・横山殿・山崎殿・馬淵、
★米原市箕浦近辺の地名
能登 瀬堀遠江守、
★米原市能登瀬近辺の地名
太尾十尾 永田伊豆守・能登殿
★米原市米原西町太尾山近辺の地名
対談者
解りました!長浜市や米原市の要所に
佐々木六角定頼が合理的に整合性ある
布陣つまり陣立「じたんたて」をした
事が良くわかりましたよ。素晴らしい!
対談者
逆に戦陣の配置を終息する事は何です?
長谷川
陣払「じんはらい」は陣を解散する事!
対談者
前回余呉で新発見の陣城を発見された事
をブログで報告されています。この3名
の方はすごく純粋素朴な人だと思います。
対談者
大変ぶしつけな御願いですが当該城郭は400m
もの陣と聞いております。その本丸に相当する
製作中の図面を是非一度見せて下さいませんか?
長谷川
では400mの中核と思われ陣城の部分をお見せ
致します。全長は約54、9m全幅18.3mつまり
30間×10間ほどの陣城の中心思われます。未だ
図は未完成状態「下書き状態」更に精査したい。
対談者
こんな素晴らしい事ありません!これで滋賀北部
が戦国陣城のメッカとし過疎地再生をして欲しい!
長谷川
冗談を言わないで下さいよ!滋賀では新しい城を
発見したとて、誰ひとり猫の子一匹喜びませんよ!
城郭研究家長谷川の城郭分布学や実際の現実現地
の陣を見学したいと思う人など絶対だれも居ない!
このブログだって城址好きの人は、誰1人読んで
ませんよ!一般フオロアー様は偶然増えたが現実
は私のブログ読む人や城郭分布学を学ぶ人などは
全く全国にも滋賀にも、全くゼロと言のが現実です!
対談者
実際の陣城遺構の存在は歴史の真実や現実です!
交通事故の鑑識で言うならば、事故のスリップ
の痕や車体の破片ですよ。いやいや400mもの陣
なら断片やスリップ痕でなく本物の歴史の証拠!
長谷川
そんな事言われても困るんですよ!現代社会とは
真実とか誠実とか純粋とか素朴の世界ではなくて
巧妙に相手を騙し搾取する人が栄える時代です!
政治屋はいても真の政治家はいない。歴史学者
はいても真剣な歴史を研究し続ける人など無い!
現代はウソを楽しみうウソが流行る暗い時代です。