城郭 長谷川博美 基本記録

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宇佐山城 城郭ビイスタ論 端城から読み解く城郭幾何学の深奥

2021-09-28 13:11:32 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、

◆長谷川
以下の図面は滋賀県大津市歓喜寺城跡長谷川博美
図面です。私が現地解説する時にこの城はA地点
を中心に1番~18番まで緻密に縄張しています。
4と5番線は通路の巾を規定しています。6番線
は石垣の縄張を規定しています。9と10番線は
微細な横矢を設定しますと現地で解説して一体
何人の人が感動されるでしょうか?確かに一部
有識者から見ればこの図面は中世城郭を測量し
図面化したものとして神業に近い、中世城郭の
構造の縄張を解説したものとして評価されるか
も知れませんが城を計測し縄張の深奥を体得し
招来は自分の研究の基礎としたい若人の方には
得難い貴重なヒントを含んでいると思われます
が、現代日本の城郭ブームとやらは残念ながら
城址に行く事を楽しみとする探訪の傾向にあり
私の城郭遺跡解説など誰も聞きたい人など現実
には世の中には存在しないのが現実であります。

◆対談者
長谷川先生マイナス思考になってはなりません!
これだけ繊細な設計が現地の城になされている
事を計測し現地解説される先生など日本全国を
捜しても先ずおられないと思います大概の先生
はさも自分が城郭縄張を知り尽くした如く高慢
な高いところ目線で城郭の構造の空論を壇上か
ら述べられるますが真に現地遺構を忠実に解説
をされてい訳ではありません。大衆が飛びつく
様な、論の為の論を机上論で講演で集合されて
みなさまに解説されている訳です。現代の城郭
研究家が400年前の世界に実際に築城の現場へ
言って当時の殿様から縄張をしてみろと言われ
ても現代の城郭論では絶対に通用はしませんよ。
現代は現代城郭ブームの為の城郭話題作りの世
界で長谷川先生の研究は中世戦国という時代の
現実城郭を調査研究されている貴重な研究家と
「みんな」思っているんです。先生に付いて城
を学んでいく過程で「私達」ものすごい城郭に
未知の深い魅力がある事を体験学習しました。
城の先生とは人間じやなくて現地の城を真剣に
見学し観察する「人間力」こそが真の城郭見学!


◆対談者
長谷川先生の城郭ビイスタ論が全国的に認識されて
堅調に動画再生数が伸びており1200回以上の再生
数を記録しておりますが一体何が話題なのですか?


◆みんな
当然じやないの!歴史上の城郭遺跡の見方や観点を
今一度日本人として根底から見直す戦前戦後を通し
て多くの歴史を扱う日本人学者が見落としてきた城
の縄張「設計」の根本観念を見直す大変な城郭論よ!

◆対談者
10ー8=2ですね?残った2を研究すれば当然8の本質
が見えてきて人間とは10と言う全体像を理解するも
です。20%を精査すれば残りの80%は自ずと悟れる
ものです。2悟れば賢者とは10悟れるものなのです!

◆みんな
宇佐山城の出丸「端城」の城郭構造を長谷川先生の
城郭幾何学論を応用して詳細に解説して下さいませ

◆長谷川
普段城郭探訪者が見学する事のない端城の
城郭縄張構造を順次解説していきましよう。
端城の鳥瞰図としてこんな感じの遺構です。


◆反論者
チッツしょうもない。くだらない小砦など解説
して?何の目的でアンタは端城の解説する気や!

◆対談者
くだらないのは貴方よ城郭遺跡に対し横柄横着!

◆長谷川
城を見るに謙虚誠実さ慎み深さが一番大切です!
先ず端城の城郭北先端から
虎口1
虎口2
虎口3
虎口4
虎口5
と木戸/城門/虎口を順次導入路/城道としています。
元亀の騒乱の浅井方も『信長公記』によりますと
これら1~5を破壊し端城を落城させた事でしょう。
次に横矢歪系として
横矢1
横矢2
横矢3
横矢4
が存在し主郭の南に一文字の土塁も残ってます。
主郭周囲は犬走が帯郭が厳重に敷設されてます。

◆一般様
素晴しい!長谷川先生って城郭遺構の調査と解説
の達人なんですね!すごい解説力と城郭調査力だ!

◆反論者
ふん!そんなもんどうした!それの何処がスゴイ?

◆対談者
反論者さん!あなたすでに論外の人だと気付いて!
長谷川先生!気にせずに城郭の幾何学論を続けて!


◆長谷川
先ず赤の測量起点から1番から7番まで順次整然と
縄張した様子が理解できます。規矩術「幾何学」
を駆使して設計しています。
赤1=虎口
 2=虎口
 3=虎口
 4=段築/横矢
 5=虎口
 6=土塁/右
 7=土塁/左

◆対談者
そらみてみなさい!図面が正確だからピタリト
ビイスタ放射線測量の痕跡が見事に理解出来る。

◆反論者
そんもん!偶然やろが!まぐれに決まっとる!
ワシの図面こそ最高!俺の図面はビイスタな
ど全く全然出てこんわ!何が縄張の魔術師や!

◆対談者
あなたの図がスケッチやメモ程度と言う事よ!
もう一度城郭を初心に帰り勉強し直しなさい!



◆長谷川
紫から1番から15番までもう息を飲むほど繊細
に縄張しています。非常に高度な縄張りですね。


◆長谷川
更に青から順次 また赤から
1       1=蔀/土塁
2       2=7の左/段築
3       3=竪土塁痕跡
4虎口     4=郭内段
5主郭段築   5
6段築     6
7虎口     7
8虎口     と総計15番もの線があります。    

◆長谷川▲
その次
緑ですが1、2、3,、4と見事に城郭の要所
をリンクシンクロ連携させて縄張してる。
緑は1~12番まで縄張線存在します。
◆長谷川
次ぎ黒は1から5番まである。
 赤は1から5番都合10箇所。
特に
赤2=犬走
赤4と5=竪土塁など繊細緻密に縄張しています。


◆長谷川
以上、赤、紫、青、黒、緑、総合すると
この様な複雑な幾何学設計で宇佐山城の
端城は縄張されています。


◆反論者
まさか宇佐山城本城にもビイスタがあるのか?

◆長谷川
やはり何と言っても織田信長の志賀の陣の時
の本陣たる城。城郭瓦も発掘されております。
下図の青線は石垣で大津方面からビジュアル
つまりビイスタ工法放射線で縄張しています。
▼滋賀民報 長谷川博美 宇佐山城 記事に本人加筆


◆対談者
10ー8=2ですね?残った2を研究すれば当然8の本質
が見えて来る人間とは10と言う全体像を理解するも
です。20%を精査すれば残りの80%は自ずと悟れる
ものです。2悟れば賢者とは10悟れるものなのです!

▼宇佐山城見学記念写真 「過去写真」


◆大津在住の方
山中越えの事を御教示下さい。

◆長谷川
文献上の初見は永禄13年(元亀元年、1570年)
3月20日の多聞院日記 
内々三井寺、大津、松本可有見物之通ナルニ、
今度今道北、ワラ坂南、此二道ヲトメテ、信長
ノ内、森ノ山左衛門城用害、此フモト二新路ヲ
コシラヘ、是ヘ上下ヲトヲス、余ノ道ハ堅トヾ
ムル故、三井寺へ通ル物ハ道ニテ剥取ト申間、
乍思不参見、渡了、残多者也、新路ノ大ナル坂
ヲ超ヘテ、山中ト云所ヲ通リ、白川ヘ出、東山
ノ辺ヲ通ル


◆長谷川
山中越えの城の歴史は?オサムさんブログから引用

歴 史
山中城は、京都と大津を結ぶ重要なルートの一つで
ある山中越の中間に位置する志賀郡山中村を領した
磯谷氏の居城。磯谷氏のなかで久次新右衛門尉と
彦四郎父子に関する記録が比較的よく残っている
ようである。久次の二人の娘は、織田信長の目附
に就く道家尾張守と、禁裏御倉職を務める立入城
主(近江国・守山)立入宗継へ嫁している。久次は、
その関係から身分は幕臣ながら禁中・公家との繁
がりも強かったようで、永禄7年(1564)10月尾張
清州へ、さらに同10年(1567)11月岐阜城へ、正親
町天皇の勅使として宗継とともに下向し、信長と
対面する重責をはたしている。元亀元年(1570)9月
23日信長は、久次に湖西を南下し比叡山に陣を張
る浅井・朝倉軍の進路を阻むため、山中越の京都
・山中間の封鎖を命じている。また、同2年11月
15日久次の息子千代寿が元服して彦四郎と称する
が、鳥帽子親は明智光秀の与力山岡景佐(瀬田城主
山岡景隆の弟)で命名者は光秀とされ、当初、久次
は信長に従っていたことが窺える。しかし、元亀
4年(1574)2月信長との不和が決定的となった将軍
足利義昭の檄により、石山・堅田両城で反信長の
挙兵がなされた。信長から離反した久次は、堅田
城に立て籠もったが、同月29日光秀らに攻められ
て敗退。同年7月義昭が再び挙兵し、久次も京都
の一乗寺に籠り信長軍と交戦するが再び敗れ、紀
伊山中へ逃亡中吉野で土民に殺され、首級は信長
のもとに持参された。久次の息子彦四郎は、信長
没後の天正11年(1583)6月羽柴秀吉から山中の
旧領を返され、7月には山中越普請の奉行に任じ
られている。

◆大津在住の方
山中越えの城には城郭幾何学が存在しますか?


◆長谷川
遺構として薄い印象ですが幾何学は存在します。
半月堡塁「半円形土塁」①と②の縄張り技巧は
見事なものです。①は喰い違い虎口の採用②は
蔀土塁虎口の採用をして①と②とも見事な縄張
◆長谷川
京都方面よりも近江志賀郡から侵入する外敵に
備えた半月堡塁と考えられます。

◆質問者
これだけ半月銃座を入念に縄張していると言う
事は城へ侵入する外敵を狙撃する施設ですね?

◆長谷川
私は城址に調査に行くと城址のその構造が人間
を害するように設計縄張されている事に嫌悪感
を感じます。城とは人を殺傷する軍事施設です。
私は御気楽に城址を見る事が出来ない性格です。
青色が敵の侵入路、赤色が城側の狙撃と矢配り
です。6食違虎口から7へ至ると攻めて側は必ず
②から狙撃され殺傷されます。Cの虎口へと敵
が侵攻する時には赤矢三本線に加えてBからの
横矢を受ける構造になっています。敵が4、5と
侵入するとAの小櫓から横矢を受けます。Aは
手前の虎口にまで遠矢を飛ばす四方正面という
縄張を採用しています。下の虎口がすこし緩慢
というか防御的にゆるい構造なのはCへわざと
引きつけて狙撃しようとする迎撃の縄張りです。


◆大津在住の方
以前行きました歓喜寺城も城郭幾何学が存在
しますか?


◆長谷川
多数複雑に存在します。城址に行くと私は城址
の異様な縄張術の複雑さ難解さに緊張致します。
▼主要部幾何学縄張拡大図   繊細高度な縄張。

▼更にミクロな歓喜寺城の解説図



▼歓喜寺城イラスト 長谷川博美図
▼石垣
▼堀切

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