◆対談者
昔長谷川先生に関ケ原宇喜多秀家
の陣の案内を賜った者です。本当
に宇喜多陣の遺構には驚きました。
◆長谷川
そうでしたか御参加を賜りまし
た事を改めて感謝を致します。
◆ウイキペデイア岡山城より
元亀元年(1570年)、宇喜多直家
が金光宗高を謀殺しこの地を支配
した。直家は備前守護代浦上氏の
一族浦上宗景の被官であったが、
備前西部を中心に勢力を急速に伸張
していた。天正元年(1573年)、
直家はそれまでの居城である亀山城(
沼城)から石山城に入城し、城の改築
と城下町の形成を行った。
◆対談者
さて肥前岡山城には様々な種類
の縄張に関するビイスタがある。
◆長谷川
宇喜多家の縄張には城の中心に
測量起点おく様式中央ビイスタ
がありましたね本丸の中心から
放射状に縄張する技巧ですよね。
◆対談者
宇喜多秀家の父、宇喜多直家の備前
亀山城に中央ビイスタ様式あります?
◆長谷川
備前亀山城にも中央ビイスタの様式
が読み取れると私は考えております
備前亀山城現地案内板にビスタ加筆
◆長谷川
もっとも天正年間に入り備前直家
と羽柴秀吉は提携協調体制を築い
宇喜多家は秀吉軍団の一翼を担う
集団となり秀吉の天正大坂城本丸
自体中央ビイスタ型が読み取れす
ね。▼秀吉天正大坂城本丸図
◆対談者
似てますね!備前亀岡城と秀吉天正
大坂城まるで姉妹とか従弟の様です
◆見学者
去る令和5年8月19日の虎御前山城の
見学会で木下藤吉郎の城郭を見学し
て秀吉の築城のフィーリングが少し
解ったような気がします。9月16日
東野山菖蒲谷城は更にグレードUP
した城址と言う事でワクワク楽しみ!
◆対談者
1582年本能寺の変の時に羽柴秀吉は
この備前亀山城の宇喜多家で休憩を
した城と伝わり秀吉とは縁が深い。
◆質問者
秀吉の天正大坂城には重複型の
ビイスタがあると長谷川先生は
解説されていますが宇喜多直家
の備前亀山城にに読み取れます?
◆長谷川
この備前亀山城にも各所にビイスタが
読み取れますが細かく縄張を専門的に
チェツクして行くと亀山城にも重複型
のビイスタは読み取れます。
◆質問者
豊臣大名宇喜多中納言秀家の
備前岡山城に重複ビイスタは
存在致しますか?
◆長谷川
見事な重複ビイスタが存在
致します。
◆長谷川
天正 秀吉大坂城側面ビイスタ
◆長谷川
天正 宇喜多直家亀山城側面ビイスタ
ウイキペデイア亀山城より引用
現在の岡山市東区沼の浮田小学校の東隣に位置し
義父の信正を謀殺して城主となり、岡山城に移るまで
の約15年間は当城を拠点とし、領土を増やした[2]。
は備中高松城からこの城まで移動、しばしの休息後、
岡山に移封された小早川秀秋によって廃されている。