城郭 長谷川博美 基本記録

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安土城 ビイスタ工法 進歩的考察編

2024-08-24 18:46:32 | 滋賀の城 ビイスタ工法

安土城 ビイスタ工法 進歩的考察編

 

◆対談者

天正元年に滅亡した越前守護職

朝倉義景館のビイスタ解説的確

だったと思います。本物の研究

家とはかるあるものかと感心!

◆若者様

城跡をこの様に解説可能な

長谷川先生の能力に驚愕!

 

◆ジンさん

長谷川先生は米原市で実施

される城郭サミットに講師

として参加されるのですか?

 

◆長谷川

とんでもございません私は

米原に長年住みながら突然

米原学びあいステーシヨン

の城講座講師に推薦された

事自体が奇跡だと思い驚い

て講師を継続させて頂いて

おり関係者様には感謝です

その程度地味無名陰士です。

 

◆ジンさん

私は東海地方の住人ですが

長谷川さんの様な優れたる

城郭研究家の存在を知らな

ったのです。とくに城郭に

ビィスタ放射状測量がある

事など驚愕の他ありません

長谷川先生には学問の純度

や仲間の人々に誠意や至誠

中庸がみられ好感を感じる

 

▼『信長公記』より抜粋

太田和泉守これを綴る    天正四年丙子

■ 安土御普請の事

正月中旬より江州安土山御普請、惟住五郎左衛門に仰せつけらる。
二月廿三日、安土に至って、信長、御座を移され、先ず御普請、御意に相ひ、御褒美として、御名物の周光茶碗、五郎左衛門に下さる、忝き次第なり。 御馬廻、御山下に各 御屋敷下され、面々手前~の普請申しつけらる。
四月朔日より、当山大石を以て、御構への方へ石垣を築かせられ、又其の内には、天主を仰せつけらるるべきの旨にて、尾・濃・三・越・若州・畿内、の諸侍、京都・奈良・堺、の大工、諸職人など、召し寄せられ、在安土、仕り候て、瓦焼唐人の一観、相添へられ、唐様に仰せつけらる。
觀音寺山・長命寺山・長光寺山・伊場山、所々の大石を引き下し、千・二千・三千、宛にて、安土山へ上らせ候。
石奉行、西尾小左衛門、小沢六郎三郎、吉田平内、大西。
大石を選び取り、小石を選び退けられ、爰に津田坊、大石 御山の麓まで寄せられ候と雖も、蛇石と云う名石にて、勝れたる大石に候間、一切に御山に上らず候。 然る間、羽柴筑前・滝川左近・惟住五郎左衛門、三人として、助勢一万余の人数を以って、夜昼三日に上せらせ候。 信長公 御巧みを以って、輙 御天主へ上させられ、昼夜、山も谷も動く計りに候ひキ。
京都にも、御座所仰せつけらるるべきの由にて、安土御普請の儀は、御息、秋田城介 信忠に様子仰せをかせられ。

 

◆若者様

長谷川先生には安土城赤色写真図

を城郭ビイスタ論で是非解析願う

先生の学説は我々令和の世代こそ

傾聴すべき日本城郭研究史の重要

理論である事は確実と思われます

ときはもはや昭和や平成ではない

のです。新しい研究論を期待する。

 

◆長岡満願寺殿

講座で佐生城の解説を長谷川

先生は放射状幾何学測量理論

ビイスタで解説され驚いた事。

◆対談者

長谷川先生のブログを読む

①日本一人気が無い事。

②ブログ読者が少ない。

③日本一無名人間です。等の

ネガテイブ分発言でウンザリ

するのですが現地城跡解説に

行くと誠実前向きポジテイブ

に現地解説される特徴がある

だからブログでの印象と現実

にギヤップがある様に感じる。

 

◆ジョーホワイト様

〇この城は城跡ではない。

〇この砦は砦跡ではない。

〇この屋敷は遺構がない。

それ言う人もおられる訳です。

長谷川先生は必死に解説され

前向、至誠の姿勢、誠実の人

巷間やブログで感じる人とは

ギャツプがあります。ピュア

素朴で純粋な研究家の側面が!

 

◆若者様

脱線してますよ!赤色写真図

でも安土城にビイスタは存在?

 

◆長谷川

大手方面には遠くからの

城郭ビイスタが読取れる。

◆長谷川

大手方面には近くからの

城郭ビイスタが読取れる

織田信長とは遠近から見

て美しいく見える工夫を

ビイスタ工法でしてます。

I can see (= understand) his point of view.

私は彼の視点を見る(=理解する)ことができます。
の解説

視点観点。立場。

 

 

◆質問者

何故?長谷川先生だけがこんな

縄張術日本国で唯一知ってる?

 

◆長谷川

安土城に行く大手門近辺を見る

発掘測量図が親切に啓示されて

るその親切さ誠実さに私は感謝

して大手門口の縄張を私縄張師

なので看破致します!看破する

気のない方には解説致しません。

◆研究家

赤色写真図により砲台と呼ばれ

安土城の岬の先端の曲輪も見え

て来ましたが?

◆長谷川

昔から俗称砲台と呼ばれて

いた場所ですが貴方が本物

の研究家なら赤色写真には

曲輪が見えますなど誰でも

言える事です。私達研究家

はさらに俗称砲台の縄張が

ビイスタで縄張されている

事を一般大衆の皆様に伝え

る役目がある事なのですよ

伝砲台だけでは令和は通用

しませんよ。ビイスタ測量

の重複ビイスタで作られて

ますと親切誠実に教える事

 

◆対談者

だから長谷川先生のスゴサとは

米原学びあいあいステーシヨン

のお城講座の先生に推薦された

位の意味合いではない訳ですよ

城郭専門の大学院で学んでいる

事に気付いてないと大損します

そんなの城じやないなんて軽薄

な言葉は城を全く知らない人よ

本当に前向きに城を勉強したい。

◆長谷川

安土城全山には複数のビイスタ

を計測を実施して安土城が成立

していた事をどうぞ認識下さい。

◆探訪者

そんな事いわれますが長谷川

先生と安土城伝江藤加賀衛門

屋敷には立派な石垣はない城

で土塁だけの城に感じました。

◆長谷川

玄米会は城郭探訪会という事で

長谷川に申し困れたわけですが

今回巨大な堀切や大堀切の見学

は熱中症に配慮したりマムシに

足をかまれる人の事を配慮して

伝江藤加賀衛門の大堀切および

大石垣の見学中止に致しました

また是非今度条件がそろった時

に見学をいたしましよう。

 

 

コメント
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